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新しい伊藤野枝伝?(その5・終)

栗原氏の本の語り口をたどっていると、この著者は伊藤(や大杉)におけるある種のいい加減さこそを、学ぶべき本質か何かと勘違いしているのではないかと思えてくる。しかしこれも伊藤の名誉のために書いておくと、その後も彼女が単なる論敵への非礼に終始したわけではないことは、「売春論争」から4年後に書かれた「山川菊栄論」(『定本伊藤野枝全集』第3巻)などでも明らかであろう。ここでの伊藤は、与謝野晶子や平塚らいてうらの先輩たちに対する社会主義的フェミニストとしての山川の存在を存分に比較しながら、当時の山川の長所と短所を現在の「我々」から見ても厳密に示すだけの、文章の余裕と月旦の力量を有していた。この一文に限らず、1920年代に入ってからの伊藤については長足の、いや飛躍的といってよい進境をわたしも感じる。日本の女性史研究の先駆者であった村上信彦は、かつて山川について「大正・昭和を通して男性も含めて最も鋭敏な頭脳を持った女性である」とまで評価していたというが(注11)、もし伊藤が横死しなければ、そうした山川の最大の論敵として間違いなくあり続けたであろうし、現在の「我々」にとってさらに興味深い議論が続けられた可能性は高い。ところが栗原氏の本では、伊藤にあると仮定されている不変の「わがまま」が原型質的な核として強調され、それが「圧勝」したと何の論証もなく吹聴されているだけであり、彼女の飛躍的成長が理解できるようにならない。叙述の平板さを「圧勝」といった強度のある言葉の連呼でしか補えない点からしても、この著作は致命的なまでに稚拙である。


『村に火をつけ、白痴になれ』の出版から約半年後、同じ岩波書店からは、田中伸尚『飾らず、偽らず、欺かず:管野須賀子と伊藤野枝』という本も出版されている。わたしが田中氏の著作を手に取ったのは2017年に入ってからであったが、岩波書店はここ1年で、復刊を含めて3種もの伊藤野枝の伝記的著述を出したことになる。これが出版社によって総体的に意図された「伊藤推し」によるものか、単に編集者や部門ごとの出版スケジュールが無計画にバッティングした結果なのかは分からないが、わたしが読む限り田中氏のノンフィクションもまた、瀬戸内氏の小説二部作とは別の点から、栗原氏の著作の存在意義を疑わせる内容を備えている。『飾らず、偽らず、欺かず』はその副題にもあるように、無政府主義陣営の女性論客であり男性配偶者と合わせて官憲に抹殺されたという点で共通している、管野と伊藤の両者の生涯を合わせて論じているところに特色があり、ある意味「一粒で二度おいしい」。栗原氏の本とは別に、過去の伊藤研究の「ここはどうか」という部分を踏襲しているとおぼしき部分もないわけではないものの(注12)、簡潔で緊張感ある文体によって、短い生涯を送った叙述対象を二人同時に描きつつ、一定の質的密度も保たれている。正直、栗原氏は自分の伊藤伝を書く前に田中氏の著作を参照すればもう少し読むに耐えうるものが書けたのではないかと、時系列的に無理なことを思ったくらいである(注13)。


さらに田中氏と栗原氏の本を読み比べ気づかされたのは、後者においては「伊藤野枝と天皇制」という重要な問題系もまた、どこかに行ってしまっていることである。田中氏が長きに渡って反天皇制をテーマとしている希少な著述家の一人であることは知られているが、この問題を重視するのは彼に限ったことではない。田中氏の本のソフトカバーのソデ部分に、伊藤(と管野)が「女性を縛る社会道徳や政治権力と対決し」と書かれているように、彼女らが「無政府共産」を突き詰めれば、確かに「社会道徳」のみならず「政治権力」の問題にも行き当たる。そして、外には十年に一度の帝国主義戦争を行い内には猛烈な警察政治を展開する、当時の日本の「政治権力」の扇の要として天皇が存在していたことは、動かしえない事実であろう。対して、栗原氏の本において天皇(制)の言及がなされるのは、大逆事件についての平板な叙述くらいがせいぜいである。栗原氏の本のソフトカバーのソデ部分では、伊藤は「結婚制度や社会制度と対決した」とされており、田中氏の使った「政治権力」という言葉がちょうど「結婚制度」に置き換わっていることも示唆的である(そういえば、「結婚制度」は「社会制度」に含まれるのではないだろうか)。たとえ本文中には「非国民、上等」とか「反国家」のポーズをとったフレーズが散見されるにしても、そこで当時の「国家」の根幹に据えられていた天皇制への言及がほぼ皆無というのは、彼女らの生きた時代における「政治権力」に対してそうした思想が持っていた具体的な意味を読者に理解させるようには思われない。この点については、例の「あばれる」もマジックワードとして働いている。最初から天皇制への問題意識を持っている、または伊藤にそうした要素があることをあらかじめ知っている読者は、栗原氏本人が全く触れていなくても、伊藤(もしくは栗原氏自身)が天皇制に対し「あばれる」ものであると勝手に読みこんでしまう。その逆に、どちらの枠にも当てはまらない読者は、天皇制に対する記述がないこの本からは、伊藤の「あばれる」の何がそこまで当局に危険視されたのかという問題を見いだすことができないであろう。


栗原氏の著書の冒頭に出てくる、伊藤の郷里である指宿の郷土史家から聞いたという話も、本来ならば「伊藤野枝と天皇制」について改めて読者に考えさせるものであろう。栗原氏が紹介するところによれば、その郷土史家氏は十数年前、当時まだ存命していた伊藤と同世代の老女を、伊藤についてのテレビ取材と引き合わせようとしたのだが、彼女は取材班には何も知らないと言い張り続けた。しかし取材班が帰ると彼女は、郷土史家氏の家に「ここがあの女の故郷だとしられてしまう」と怒鳴りこみ、「あの淫乱女! 淫乱女!」と叫ぶのであった――この一件について栗原氏は、「なぜ野枝がそんないわれかたをしてきたのか」と、それ自体はまったく正しい疑問を提出しているものの、エピソードは彼による伊藤の「(性的な)わがまま」という話に完全に吸収され、「あるのはセックスそれだけだ」という著者の「定式」(と言ってよいか疑わしい何か)にのみ結び付けられてしまう。しかし、仮に「日陰茶屋事件」を頂点とする伊藤の不倫行為がいかにスキャンダル化され、かつての指宿の人間がいかに事件にいたたまれない思いをしていたとしても、個人の「(性的な)わがまま」への怒りが半世紀以上も持続するものであろうか? 


伊藤以降も、単純な性的奔放によって商業ジャーナリズムのエサになった女性たちはいくらでも現れているのに(たとえば阿部定)、なぜ彼女が伊藤だけを恥ずかしがる必要があるのか。また、彼女が単純に伊藤のことを「淫乱女」であったと思い続けていたのなら、テレビ取材に対して直接「あの淫乱女!」と叫んでよかったはずである。取材班には沈黙した一方、伊藤の故郷という「秘密」を破ろうとした郷土史家氏にのみ彼女の怒りが爆発したというのも、重要なヒントであろう。実のところ、この老女にとって伊藤の「(性的な)わがまま」の実態は、問題ではなかったとわたしは考える。真の問題は、おそらく彼女が伊藤について、こともあろうに天皇陛下に逆らう「非国民」「国賊」であり、正当にも誅殺(「虐殺」ではなく)された存在であったと、アジア・太平洋戦争から半世紀も経過してなお考え続けていたらしいことである。「淫乱女!」はその表現であると見た方がよい。天皇陛下に逆らう日本人などあってはならない以上、そんなことをわずかでも匂わせる女は「(自分たちのような)普通の」女ではない。ゆえに「淫乱女!」である。伊藤はまったくの「非国民」「逆賊」であるが、そもそもそんな存在がここで生まれたこと自体が言及をはばかられることであれば、その事実を直接に示す罵倒語すら置き換えられなければならない。ゆえに「淫乱女!」である――老女の権幕を伝え聞いて「ひゃあ」などと呆けた声を挙げるくらいだったら、彼女の罵詈雑言の裏にある近代日本の暗黒について、また万事を伊藤の「(性的な)わがまま」に還元する粗雑極まりない自分の議論(実際には固定観念)について、この著者は省察するべきなのである。


栗原氏と岩波書店による彼の書籍の紹介が声をそろえて言うには、伊藤の「思想を生きることは,私たちにもできること」なのだそうである。しかし、伊藤の行動が誰にでも実践可能であるかのように思えるのは、一たびそれに乗り出せばとりわけ厄介な、敵方のあらゆる手段を用いた報復を食らう可能性が今なお高い、天皇制のような大問題については目をふさいでいるからではないのか。伊藤に限らないが、明治維新から1945年の最終的破局の間に天皇制国家への反逆者として処刑・謀殺された人々にまつわるエピソードの中でも、しばしば彼女ら彼らの墓碑建立が忌避されたり破壊にあったりしたという話は、とりわけ戦慄を催させる。反逆者の中には「主義として」墓の必要はないと言いだすであろう人物も存在するが、そのような個人の思想とは別に、墓にまでおよぶ嫌がらせというのは、死者にすら及ぶ現世の懲罰として実に陰険な仕打ちの一つである。「私たちにもできること」と言うのは、そうした憂き目に遭うという最悪の事態まで想像してのことなのか。もちろん、書き手が読者に「当たって砕けて当たり前、官憲にぶち殺される覚悟をせよ」などと、居丈高にどやしつける必要はまったくない。しかし、伊藤の「思想を生きること」を奨励する著述ならば、単純に彼女の振る舞いが面白いとか痛快とか言うだけでなく、彼女に見出すことが可能なそうした「楽しい」要素の中に、実は「私たちにはそうそうできないこと(しかしそれでもやらなければならないこと)」も多分に含まれていることを、指摘しておく責任があったのではないか。そうした厳然とした認識に基づかなければ、本当の意味で「思想を生きること」など不可能であろうし、労働者/市民にとっての実践的成果を生むこともない。せいぜい、表面的な「思想」の「過激さ」を味わうだけの人々――たとえば「読書人」――が、自分のなけなしのスノビズムを満足させるだけに終わるであろう(注14)。


ここまで読んでくれた諸君もお疲れのことであろうし、そろそろ話を終わらせよう。伊藤が「本能」や「野生」の人であったという種の述懐は、山川や平塚に限らず、男性も含めた同時代人すべて(!)によって繰り返しなされてきた。これに対し、特に瀬戸内・井手のような女性の伝記作家たちは、伊藤の「欠点」と見なされてきた側面を、むしろ表面的な「知性」や「理性」がしばしば秘めている保守反動性を暴くものとして捉え、「感情的」な彼女の行動に生のエネルギーとでも呼ぶべき肯定的要素を見いだすことを通じて、伊藤を再評価していったと言える。ただ同時に、女性伝記作家たちのとった伊藤の再評価の手法は、「本能の人」としての伊藤像を、さらに肥大化させていることは否めない。結局のところ栗原氏の本は、そのような既存の伊藤論のイメージに何ら新しいものはつけ加えず、それを極限なまでにグロテスク化したものであると言えよう。わたし個人としては、これからの伊藤研究は、おそらくこの手の言説と距離を置く必要があると感じた。たとえば、むしろ伊藤は「知性の人」と考えてもよいであろう。確かに彼女の有していたものは、表面的・道具的・機械的な「知性」ないしは「理性」とは遠いが、瀬戸内・井手の評価した「本能」や「感情」といったタームでも収まらない意味でのそれではなかったか。単に「大杉栄の妻」を超えた存在として、伊藤にひきつけられる人が現在でも存在しているのはそのためである。大日本帝国によって踏み潰された伊藤のこうした個性を、栗原氏が自身の専門であるはずの、社会科学の知見を通じて明晰に分析し提示してくれるものであったら、どんなによかったことか。しかし現実の彼の本には、ある人物の実像を蘇らせるための実証としての価値も、独自な事実の発掘も、考察も皆無である。代わりにあるのは、彼女に仮託された著者自身の、恐ろしく軽薄な文体と思いつきだけなのである。





(注11):山川菊栄生誕百年を記念する会編『現代フェミニズムと山川菊栄』(大和書房、1990年)にあらわれた、島田登美子の証言。


(注12):田中氏の本においても、「日蔭茶屋事件」についての記述は、運動内での伊藤と大杉の排撃が当局を喜ばせたであろうという話にとどまっているし、「300円」の件についても、大杉の脇の甘さへの批判的な考察なしに片付けてしまっている。また、本書の最初と最後の部分に現われる「須賀子さん、野枝さん」といった情熱的な呼びかけからは、歴史的人物に対する主観的肩入れが過ぎるのではないかという印象を受ける。田中氏の危機意識は理解できるし、彼が栗原氏と比べてよほど説得的な伊藤像を描いていることは間違いないのだが、後者の「大杉栄が憑依したかのよう」な――岩波書店公式サイトの「編集者のメッセージ」、「伊藤野枝が憑依したかのよう」ではない――文章を読んだせいで、失礼ながら前者にまで「伊藤野枝はオレの嫁」とでも言いたげな雰囲気を感じてしまう人がいるのではないか、と思った次第である。


(注13):田中氏の本の参考文献一覧には、栗原氏の本が載っていない一方、子安宣邦『「大正」を読み直す:幸徳・大杉・河上・津田、そして和辻・大川』(藤原書店)なる本は挙げられている。藤原書店のホームページによれば後者は2016年4月、つまり同年3月発行と奥付にある栗原氏の本より、わずかながらあとに出された本ということになる。この時系列上の問題によって、伊藤を取り上げた先行文献(栗原氏の著作の参考文献表にも挙がっているような)を田中氏が網羅しながら、栗原氏の著作は入れていないのは何故かという疑問が浮かぶ。「存在は知っていた、しかし読む時間がなかった」と素直に考えづらいのは、伊藤を題材にした書籍を書こうとする人は、幸徳や大杉という彼女に極めて近い人物を扱った本が出るにしても、普通は「伊藤野枝伝」を謳った著作を優先して読むと思われるからである。田中氏の著作は10月の出版であるから、その半年前なら自分の原稿の整理で忙しく「出版の情報を見逃した」といったこともありうるだろう。しかし、近年はほとんど岩波書店からのみ著作を出している田中氏が、なじみの出版社で若い書き手が新しい伊藤の伝記を用意しているという情報を得たり、もしくは栗原氏の本が刷り上がった直後に、懇意の編集者から一冊回してもらったりしていてもおかしくはない。よって田中氏の文献一覧には、彼が栗原氏の本を「読んではみた、しかし価値を見出せなかった」可能性を読み取ることもできよう。


(注14):今年に入って、栗原氏の著作は「紀伊國屋じんぶん大賞2017」なる企画で第4位に選ばれたそうである。この企画は書店員と読者が選ぶ「人文書」を標榜しているものの、学問的手続きの不備、雑駁な文体、主題を持ち上げるために都合の悪い事実や先行文献の無視、主題以外の人物に対する不当なこきおろしといった問題が山積している売り物が、果たして「人文書」と呼ぶにふさわしいかのどうか、何ら見当がつかないのは編集者ばかりではないようだ。この本以外にも企画に選ばれた書籍のラインナップを見ると、本年のヴィンテージとしてそれらを楽しむ以前に、むしろ「読書人」界隈総体の知的水準が低下していることを疑ってしまう。正直「本が売れない」と言われても、こんな本ばかりでは売り手も買い手も頭が衰弱してしまうばかりだから、むしろ売れない方がいいと言える。



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引用(32)

鱶がもし人間だったら、と家主夫人の小さな娘が、コイナさんに聞いた。鱶は小さな魚たちにもっと親切にするでしょうか。「きっとね」と、かれはいった。「鱶がもし人間だったら、海の中に、小魚たちのため、大きな箱をいくつも作らせるでしょうね。そして、それらの中には海草だとか微生物だとか、いろんな食物をいれておくでしょう。鱶は、それらの箱に、いつも新鮮な海水が満ちているように、気をくばるでしょう。つまりその、いろんな衛生上の処置を講ずることでしょう。たとえば、一匹の小魚がヒレを傷つけたりすると、さっそく、包帯がまかれることでしょう。その小魚があんまり早く死んで、鱶の眼前から消えてしまったり、しないようにするためですよ。また、小魚が陰気にならないようにと、ときどき盛大な水中祭がもよおされることでしょう。陽気な小魚のほうが、陰気な小魚よりおいしいからなのです。もちろん、箱のなかには学校もあるでしょう。これらの学校で、小魚たちは、鱶のあんぐり開いた口のなかを、どう泳ぐか、ということをおそわるでしょう。小魚たちには、たとえば、どこかにねそべっているものぐさな大鱶を発見できるようにと、地理学の知識も必要でしょう。もちろん、いちばん大切なことは、小魚たちの道徳教育でしょう。小魚がよろこびいさんで自分を犠牲にする、これが最も偉大で最も立派なことであると、教えられるでしょう。また、わけても、鱶たちが美しい未来を世話してあげよう、といったら、鱶たちのいうことを信じなくてはならぬと、教えこまれることでしょう。この未来は、小魚たちが従順ということを習得するとき、はじめて保証されるのだ、と小魚たちは教えこまれることでしょう。低級で唯物的で利己的でマルクス主義的な傾向を、小魚たちは警戒しなければならず、もし一匹でも、そういう傾向を示し始めるものがあったら、さっそく、鱶たちに届け出なくてはならないでしょう。鱶がもし人間だったら、もちろん、外国の箱や外国の小魚を奪いとるため、たがいに戦争をするでしょう。戦争を、かれらは自分らの小魚たちにやらせるでしょう。かれらは小魚たちに、かれらと他の小魚どもとのあいだには大なる相違があると、教えるでしょう。鱶たちは宣言するでしょう――小魚というものは周知のように無言であるけれども、しかし、それはそれぞれ系統のちがった言語で黙っているのであって、したがって、互いに理解しあうことは不可能である、と。戦争において、敵の小魚を、というのはつまり、べつの言語で黙っている小魚を殺した小魚の、その一匹一匹にたいし、かれらはコンブ勲章をくっつけてやり、英雄の称号をさずけるでしょう。鱶がもし人間だったら、もちろん、鱶の芸術があるでしょう。かずかずの美しい絵画は、鱶のぎざぎざ歯を見事な色彩で表現するでしょう。また、鱶のあんぐりとあいた口はきれいな公園であって、小魚たちはそこをきらびやかに歩きまわることができるように、描かれることでしょう。海底劇場は勇敢なる英雄小魚が有頂天になって鱶の大口のなかへ泳いで入る場面を上演するでしょう。音楽はとても美しくて、その楽の音につれて、小魚たちは、子守唄でもきいているように、うっとりと楽しい思想のなかに眠り込み、夢見心地で、楽隊を先頭に、鱶の大口のなかへ、流れこんでいくでしょう。鱶がもし人間だったら、宗教もまたあるでしょう。かれらは教えるでしょう、小魚たちは鱶の胃袋のなかではじめて本当の生活を味わうだろう、と。それはそうと、鱶がもし人間だったら、すべての小魚たちは、現在あるごとく平等であることは、もうなくなるでしょう。ある小魚は官途につき、他の小魚たちの上位におかれるでしょう。わりかし大きいものは、小さいのを食べてもよい、ということになるでしょう。これによって、ますます、鱶たちは大きな肉切れにありつくことが多くなるので、かれらにはいっそう都合がいいのです。役目にありついた、わりかし大きい小魚たちは、小魚たちの秩序維持のためにつとめ、箱の機構のなかの教師、士官、技師などになるでしょう。つまりですね、鱶がもし人間だったら、はじめて海の中に、一つの文化ができあがることでしょう」


ブレヒト『コイナさん談義』
(長谷川四郎訳)


新しい伊藤野枝伝?(その4)

論争の要約がムチャクチャになっているもう一つの理由は、伊藤と山川が繰り返す論争のキーワード、すなわち「本然の要求」という言葉の意味について、栗原氏がまったく考慮していないことであろう。伊藤が「傲慢狭量にして……」の一文において、公娼をなくそうと訴える矯風会がその発生のプロセスをまったく問わないことを正しく指摘しながら、売春が存在する理由として男性の「本然の要求」を挙げたことは、山川にとって看過できない論法であった。「本然」とは、おそらく現代の語感では「自然」と言った方が通りがよいだろうか。廃娼などできっこないと言いたいのではないと「青山菊栄様へ」で抗弁する伊藤には、「本然」の力としての(男性の)性欲を肯定することが、固陋な日常生活や制度への抵抗になるという発想があったのかもしれない。しかし山川は「男子の先天性」を前提にした議論よりも、「本然」そのものを「不自然」として再考する必要性を説く。「自然」のものとされている「男の性欲」は、本当に「本然の要求」なのか? 実は売春も、制度そのものではないか? 「自然」すらも、社会によって構築された歴史的産物ではないのか? ――こうした彼女の思考プロセスは今でも十分にラディカルでありつつ、「セックスワーク論」の支持者よりもさらに広い層、現代の各種社会潮流とも共有されうるものであろう。仮に伊藤が「セックスワーク」概念を提起するフェミニズムの最新のイシューとつながっていると主張するならば、「自然とされている男女概念への挑戦」の先駆的役割を山川にも認めるべきである。


「本然の要求」批判と合わせて、山川が伊藤への二回の応答において示した、男性の側の「買春」も問題化すべきであるという見解にも注目したい。「ブルジョワの押しつける貞操や道徳ならいらない」という観点から、女性への倫理的非難は控えているところは伊藤も山川も同じだが、「買春」をより強く否定し、「もし売笑婦を処罰するならば共犯者たる男子をも同罪に処すべきです」と踏み込んだのは後者である。こうした山川の主張を直に読んだ後、すべての「約束事」を否定したがっている栗原氏の著述に目を戻すと、「残念ながら、たいていの男子はそういうものなのに」「いやはや、こんな手紙をもらったら男はもうダメである」といった記述を発見できる。こうしたフレーズからは、彼が「男子」の「本然の欲求」とされるものを何の疑いもなく受け入れてしまっているか、もしくはそれを受け入れている読者の無感覚な俗情におもねっているのかのどちらかであることが読み取れよう。彼流の「無政府主義」だったら、「本然の要求」と通念的に考えられることもまた、「約束事」として粉砕されるべきだと主張してしかるべきであろうに、そこだけ「たいていの男子はそういうもの」で済まされるのであろうか。栗原氏は、山川が「売春はいけないとしかいえていない」のではなく、「買春はいけないといっている」から気に入らないのだ、とすら思えてくるというものだ。


つまるところ、栗原氏による「セックスワーク」論への依拠は、伊藤を持ち上げるためのご都合主義の産物に過ぎないと言えよう。彼が「セックスワーク」を肯定的なものとしながら、『青鞜』寄稿者の中でも本当に売春への従事経験を有した人物である、山田わかについての言及を一切していないこともまたその証明である。伊藤、山川、平塚よりも年上で、後には新聞の人生相談コーナーの回答者としても大衆的人気を得た山田が、若き日にアメリカの娼館に売り飛ばされ「賤業婦」の生活を余儀なくされていた事実は、山崎朋子の『あめゆきさんの歌:山田わかの数奇なる生涯』(文芸春秋、1978年)によって裏づけられて久しい。山川が「セックスワーク」を否定していると非難する栗原氏は、山田の経歴についてはどう説明することであろうか。彼女の師となった夫・嘉吉は外国語に堪能で、伊藤や平塚らを集めて英書購読会を開いただけでなく、大杉栄にもフランス語の手ほどきをした人物であるから、彼がその存在を知らないはずはない。


彼女の事例は「ふつうの仕事」ではなく、「女性を囲いこんで奴隷のようにあつかうのはダメにきまっている」という限定の枠に放り込むのかもしれないが、もとより山川は当時の娼妓を「奴隷労働」の枠にあると捉えているのだから、それを否定したいのであれば、性産業の実態がそうではなかったことを彼の方で示す必要がある。少なくともわたしには、「労働条件を改善したいとおもえばそうすればいいし、他の仕事がやりたいとおもえばそうすればいいし、〔中略〕はたらかないでたらふく食べたいとおもえば、そうすればいいのである」といった、お気楽な環境に当事者たちがいたようには思えない。「おもえばそうすればいい」というレヴェルで権利が獲得できれば苦労はないし、基本的人権についての政府の「約束事」すらロクになされていないのが100年前である。娼妓たちが境遇を変えようとしたらどのような報復と対決することになるかは、多少とも想像がつきそうなものではある。『あめゆきさんの歌』にある市川房枝の証言――山田わかが平塚に告白し、さらにそれが市川に伝えられた――によれば、本人は「セックスワーク」の事実について堂々と周りに語ることにもやぶさかではなかったものの、彼女の批評家としての名声への打撃を恐れた夫が反対したのだという。山崎氏は当時の状況から見て、その判断は残念ながら正しかったであろうとしているが、こうした歴史的背景を何も勘案せぬまま、現代の「セックスワーク」論を安易に持ち出してまで、伊藤を山川に「圧勝」させようとする栗原氏の姿勢は、どこまでも虚しいとしか言いようがない。


ここまでの記述で、「売春論争」の際の伊藤を擁護する栗原氏の主張が――たとえば朴裕河『帝国の慰安婦』のように――解釈の浅薄さ、資料批判のいい加減さ、論旨の非論理性ばかりで成り立っていることについて、読者諸君にも理解していただけたものと思う。しかし、これだけ並べたてたにも関わらず、なお信じがたい問題点が残っている。栗原氏による山川への反駁の中には「やるな、メガネザル」という、論及対象の容貌への揶揄すら含まれているのである。「写真出典」で示されている通り、栗原氏の本に使われている丸メガネをかけた大正期の山川の写真は、岩波文庫の『山川菊栄評論集』(鈴木裕子編、1990年)の表紙に使われているだけでなく、「山川菊栄記念会」の公式サイトのトップページでも挙げられるような、彼女の代表的な肖像写真の一つである。そうしたイメージを、わざわざ相手を「メガネザル」呼ばわりするために載せているとは! 100年前の議論と何ら関係ないことを持ち出してまで相手のイメージダウンを図った時点で、栗原氏の主張は学問的に破綻していることが証明されたと言えばその通りではあるが、それにしてもどういう言い草なのか? 念のため書いておくと、このフレーズも「らいてうらしい性格のわるいいいかた」と同じように、伊藤本人の発言ではない。編集者はよくこの一節を削除させなかったものであるが、こうした「ネタ」で読者が笑ってくれるという発想でもあったのであろうか。読み手の頭脳をバカにしているとしか思えないのだが、本の題名の「白痴になれ」とは、そういうことか。


岩波文庫の選集のみならず、新旧の『山川菊栄集』(注7)の編集にもたずさわっている鈴木氏は、山川の現代的側面の一つとして「女性への悪戯や侮蔑的嘲弄的言辞」を「性暴力」のカテゴリーで把握し、現在ではセクシュアル・ハラスメントとして認識される種の行為の深刻性を早くから理解していたことを指摘しているが(山川菊栄『おんな二代の記』解説、岩波文庫、2014年)、この栗原氏の発言もそうしたものに含まれるのは明らかであろう。しかしここで思い出したいのは、『青鞜』の編集者の中では、伊藤こそ自分たち女性に対するこの手の「侮蔑的嘲弄的言辞」に逐一反応して飛びかかっていく人物であったことである。当時の彼女の罵倒には「あんな下等な愚劣な俗悪な新聞記者に同情されたり賞められたりする程私共が低級でない」、「下劣な愚劣な向不見〔むこうみず〕なそして軽率な鼻持ちのならないことばかり並べてある俗悪な」などとボロクソなものがある(注8)。栗原氏は主観的に伊藤を愛しているようだから、彼女がこうした罵倒を浴びせてくれるのだったらむしろ光栄なのかもしれないが。


なお、栗原氏が山川を「メガネザル」呼ばわりするのに使った肖像写真から、反対に「眼鏡をかけた若き山川菊栄は毅然とした美しさで魅かれる」とした著作もある。森まゆみの『『青鞜』の冒険 女が集まって雑誌をつくるということ』(平凡社、2013年)がそれである。岩波書店の雑誌『図書』における、栗原氏の本の出版記念対談に登場した際の彼女は、「売春論争」における山川の発言を「社会主義の優位性を説くための議論」とのみ片づけてしまっているが(注9)、4年前の著作における山川への評価はむしろ高い。森氏は自著において、雑誌における平塚の群を抜いた知的能力を評価する一方、彼女が雑誌の発行にまつわる面倒な業務については周囲にまかせきりであったことを、自身の編集経験を踏まえて分析し、そのエリート主義的姿勢に対してはしばしば辛辣なコメントを加えている。しかし、10代で小説『美は乱調にあり』に夢中になり、成人してからは井手文子の知遇も得て、近年では伊藤の選集『吹けよあれよ 風よあらしよ』(學藝書林、2001年)も編集するなど、平塚より伊藤に対してシンパシーを抱いていることを隠さない森氏は、後者についても多くの欠陥を仮借なく指摘している。そこでは、『青鞜』の新編集長として伊藤が「雑誌の無規則・無方針」をうたったことなどは、反セクト主義の域を超えた「投げやり、編集権の放棄ともいえるのではないか」と疑問視されるし、「買春論争」において「らいてうと伍して闘える論客」として登場した山川への伊藤の反論についても、「自信なさげな弁解は好ましいものではない」のであり「こんな文章は書かない方がよかった」とすら評されているのである。井手の伝記と比べ、この時点での伊藤の稚拙さに対する森氏の批判的姿勢は厳しいものであるが、それは平塚も伊藤も身びいきなく扱いつつ、当時『青鞜』に集結した女性たち全体への理解を十分に含んだものともなっているので、わたしにはより好感が持てる。いずれにせよ、伊藤の敵対者を不当に低く置き、彼女の「圧勝」を無理に見なくてもよいところで見ようとするから、ますます著述がおかしくなるのである(注10)。





(注7):『山川菊栄集』(岩波書店、全11巻、1981-82年)、『山川菊栄集・評論編』(岩波書店、全9巻、2011-2012年)。後者は前者の「増補改訂版」とされているが、より正確には、前者の発売後に岩波文庫に入った単著(『わが住む村』『武家の女性』『覚書・幕末の水戸藩』など)を収録した巻を除き、代わりに未収録の評論(主に一五年戦争期のもの)を新たに盛り込み、かつ解題の書誌情報も更新したものである。ただし新しい選集では、解題が鈴木氏のものに一本化されており、旧選集にはあった別の筆者たちによる解題がカットされていることは惜しまれる。


(注8):「染井より」(『青鞜』1913年7月号)、「編輯室より」(『青鞜』1914年3月号)。いずれも『定本伊藤野枝全集』第2巻(學藝書林、2000年)収録。


(注9):森まゆみ・栗原康「伊藤野枝と『青鞜』の時代――今も新しい女たちの格闘」(『図書』2016年5月号)。森氏が4年前の自著で示したような公平な批評精神を発揮し、栗原氏の胡乱な主張に挑戦してくれていればこの対談も面白くなったと思うのだが、残念ながら「岩波書店の著者」同士の馴れ合いでもあったのであろうか、明らかに彼女の方から話を相手に合わせており、床屋談義の域を出ていない。さらに森氏は栗原氏にあてられたのか、対談の最後に「大杉にカンパした後藤新平や有島武郎みたいな太っ腹な人が今いないからねえ」などと発言している。名士だが一作家に過ぎない有島の「カンパ」と、内務大臣をはじめとする大日本帝国の要職を歴任した高級官僚・政治家である後藤の「カンパ」を一緒にしていることは、正直理解しがたい。


(注10):財産や職のない女性の困窮につけこみ関係を迫ってくる男性に対してどうするかといった問題を論じた、いわゆる「貞操論争」について紹介する際にも、栗原氏は「ほんとうのところ、こういう論争に勝ち負けなんてないのだが、野枝が圧勝している気がする」と書く。しかし「やばい、しびれる、たまらない」などという個人的陶酔より前に、伊藤が「圧勝している」という評価のためには、「気がする」以上の論拠を一つ一つ提示する義務がある。そもそも「勝ち負けなんてない」のに「圧勝している気がする」というのが完全に意味不明なのであるが。それでいて、そのわずか8ページ後に紹介される伊藤と山川の論争については、何の躊躇もなく伊藤の「圧勝」を宣言するのであるから想像を絶している。米騒動についての記述など、別の部分でも栗原氏は「圧勝」というフレーズを使っており、本当にこの言葉が好きなのだなあと感心させられるが、こうした用語法には魯迅の「精神的勝利法」という言葉がそのまま当てはまる「気がする」。




新しい伊藤野枝伝?(その3)

ところで、宮嶋ら(無政府主義的)社会主義者が大杉ではなく伊藤だけを殴打した裏には、「魔性の女」が社団の結束を乱すという謬見、男性が支配的な各種運動体に潜みがちなミソジニー(女性嫌悪)の問題が反映しているのは明らかである。そこでさらに考えなくてはならないのは、井手の本にあって栗原氏の本にはない要素についてである。というのも、栗原氏の本では「伊藤野枝と日本の女性運動(フェミニズム)」という問題系について、まったく関心が払われていない。井手の最初の単著『青鞜:元始女性は太陽であった』(弘文堂、1961年)は、同雑誌についての最初の実証的研究として知られるものであり、執筆にあたって彼女は平塚の家を直接訪ね、保存されていた雑誌のバックナンバーを読ませてもらったという。井手は1980年代に平塚の伝記も書いているが、伊藤と平塚を同時に射程に収める彼女の経緯からは、無政府主義への関心(注4)だけでなく、従来のそれが主張してきた階級支配の根絶だけでは収まらない、女性という社会的性(ジェンダー)が背負わされているものからの脱却という問題も視野に入れなければならないという、複合的な考察のあり方が見て取れる。しかし栗原氏にとっては、「素で約束そのものを破棄しようとしていた」「やりたいことだけやって生きていきたい」伊藤に対し、「よりよい社会を想定し、それにちかづくこと」を目的とする「女性の地位向上をもとめる人たち」は、結局「約束事」を強制する人々に過ぎない。こうして提起されるのは、「もはやジェンダーなどない、あるのはセックスそれだけだ」という定式である。「定式」と呼んでいいのかどうかも疑わしいが、少なくとも井手が伊藤に見出した「ジェンダー格差の克服」と「無政府主義」の連携についての問題意識は、こうして超克されるということなのであろう。栗原氏の本の「あとがき」によると、この本にたずさわった岩波書店の編集者は名前を見る限り女性らしいのだが、この見解を本当に支持できるのであろうか。


1914年、伊藤は平塚から『青鞜』編集長の座をゆずり受けると、社会問題に比重をおいた新しい誌面づくりの方針を打ち出し、その結果として「貞操論争」「堕胎論争」「売春論争」という三つの論争が生まれることになった。その主要なテキストは、堀場清子編『『青鞜』女性解放論集』(岩波文庫、1991年)で比較的手軽に読むことが出来るし、現在の女性にとっても大変興味深い要素を含んでいる点で貴重であるとわたしには思われるが、栗原氏はこうした三つの重要な論争についてほとんど「伊藤の勝ち負け」という点からしか見ていないようである。そのことは、伊藤と山川菊栄(この時点では山川均と結婚する前なので「青山」姓だが、本稿では山川に統一)との間で起こった、「売春論争」(注5)の扱いに最も表れている。中・上層階級の婦人による廃娼運動の主体となっていた「矯風会」の振る舞いに驕慢を見いだし、とりわけ彼女らが使った「賤業婦」という言葉の偽善性について激怒した伊藤は、「傲慢狭量にして不徹底なる日本婦人の公共事業に就て」(1915年12月号)という一文を『青鞜』に書く。これに対し、それまで読者だった山川は、初めての寄稿として「日本婦人の社会事業について伊藤野枝氏に与う」(1916年1月号)を書き、公私娼についての一定のデータを引きつつ、社会制度としての売春を容認されるつもりかと伊藤に問う。同じ号に伊藤は反論「青山菊栄様へ」(1916年1月号)を書くが、翌月山川は「更に論旨を明かにす」(1916年2月号)でいま一度伊藤への追撃を行う――こうした論争の経緯について、岩波文庫の編者の堀場氏は「“論争”とするのをやや躊躇うほど、初手から野枝の完敗だった」と評しているばかりか、伊藤による最後の応答「再び青山様へ」(1916年2月号)に至っては、すでに勝負あったとばかりに省略してしまっている。わたしには内容もさることながら、山川が自身の議論で着実な論拠を積み上げることによって討論を公的に開かれたものにしているのに対し、伊藤の反論は山川一人しか目に入っておらず、単に取り乱しているようしか見えないことも、そうした判定の原因になっていると思われる。


しかし、伊藤に共鳴する立場の人々の中にはこうした判定に納得しない向きも多い。たとえば井手は自身の伊藤伝において、「売春論争」が「一方的に青山菊栄の勝ちにみえた」としつつ、「半世紀以上もすぎてこの論争をふりかえって見ると、一見理知的な青山の論理は、かえって単なるみごとな理論的整理というようにみえる」としている。よく考えれば、伊藤とのやり取りが文壇/論壇デビューにあたる山川の論考が「みごとな理論的整理」だったらむしろ上出来であろうし、第二次世界大戦後の売春防止法の効果の薄さを引き合いに出されたとて、それは山川に責任があるわけではない。伊藤は『青鞜』に2年も前から文章を書いているのだから、たとえ学歴がなかろうと新人をいなすくらい出来ずにどうするのかとむしろ問いたくなる。端的に言って、負けっぷりが悪い書きようと言える。しかしそうした井手も、栗原氏のように、伊藤の方こそこの議論に「圧勝」しているなどとは決して思わなかったことであろう。彼に言わせれば、女性による性の売買は「賤業」などではなく、「セックスワーク」として認めるべきなのに、それに対して山川は「売春はいけないとしかいえていない」のだから、実はこの論争は伊藤の「圧勝」だったのだ! 「はっきりさせておこう」とまで強調されているのだから間違いない。間違いない?


とりあえず分かるのは、伊藤と山川それぞれの論旨の要約がムチャクチャであるということである。たとえばこの論争の中で、「セックスワーク」についての「野枝の問題提起」があったかのように栗原氏は述べているが、それを認めよなどという伊藤の主張は、論争の発端になった「傲慢狭量にして……」の一文には出てこない。ここでの彼女はもっぱら、中・上層階級における慈善的女性運動への攻撃を行ってはいるが、「セックスワーク」のような話はしていない。実際のところ、今日の娼妓の状況はこのようなものですよとデータつきで提起したのは山川の方であり、それに反論した「青山菊栄様へ」の迷走した文中において、ようやく「生きるためという動かすことのできない重大な自分」を持っている「賤業婦」を、「その侮辱から救おうとするには他に彼女らを食べさせるような途を見つけてからでなくては」といった発言が見られる。しかしこの一節は、「食えなきゃ体も売ってでも」という、緊急避難的な生存権の素朴な肯定の域を超えているようには思われない。女性が売春従事者たちを貶めるな、また零落・堕落の代名詞として――現在の「北朝鮮」と同じように――「賤業婦」という言葉を使うなといった、伊藤の主張に正当性があるとしても、それは「性的売買の権利」をまったく正当なものとして取り扱おうとする、現代のフェミニストの一部の見解とはなお相当の距離があるのではないか。そもそも、この一節の前に「私は勿論肉の売買など決して、いい事だとは思いません。悲惨な事実だと思っています」と伊藤が書いていることを、栗原氏はどう説明するのであろうか。


倫理的にであれ社会制度的にであれ、性的売買そのものや性産業を悪と見なすのではなく、むしろ「労働」として擁護したほうが、それらの従事者の生活条件や権利を守るのに役立つ――こうした主張をする現代のフェミニストの一部は(栗原氏と異なり)、それなりに論理を組み立てようと試みている。たとえば、売春に反対する者のほとんどは性行為に尊厳を見いだし全人格的なものと見なしているが、その絶対化によってかえって売春の従事者を苦しませることが生じうるのではないかといった、その理屈づけの幾分かには一考の余地があるかもしれない。しかしその反対に、ある文脈で「セックスワーカー」を擁護することは、「人権擁護」にみえて実はそれを無視した、「奴隷労働」を擁護することになりかねないという危惧から、そうした論理展開に反対するフェミニストも少なからず存在していることも忘れてはならない。現代のフェミニズムにおけるこの議論に山川を位置づけるとしたら、その立場は後者に属する。彼女が売春そのものにまったく肯定的価値を見ていないという指摘はまったくその通りだが、矯風会の女性たちのように、売春の当事者女性に対して倫理を要求しているのではない。山川が伊藤にまず投げかけたのは、現代の売春が「セックスワーク」としてどんなものか実態を知っていますか、という話である。彼女は自分で文献や資料を読み、ごく簡単ながら張見世の視察も試みたことで、公娼が私娼よりさらにひどく扱われており、借金まみれにされるわ三度の食事もろくに食わされないわ野外にも出されないわといった、当時の現状を把握した。その上で山川が提起したポイントは、「売春の善悪」以前に、性産業がマトモな「ワーク」とは到底言えぬ「奴隷労働」ではないかというところにある。こうした状況下で「食えなきゃ体も売ってでも」という意識だけを鼓舞することは、当事者たちが被っている最悪の環境を肯定し、彼女たちをそれに馴致させる効果をもたらすことになりかねない。


確かに、山川の「更に論旨を明かにす」にある、「廃業後の娼妓の処置などはいよいよ廃止と極まればどうにでも工夫がつくでしょう。私は各府県に救護所をおいて有志の婦人が指導の任に当り職業教育と多少の知識を与えでもするがよろしかろうと思います」といったくだりからは、伊藤に比べ娼妓そのものへの同情心は軽いという印象を受ける。しかし、伊藤が「娼妓の生活状態について無智な者ではないのです」と自分で言ったとしても、山川のように客観的根拠となりうるものを提示していない以上、抽象的な議論をしているのは伊藤であるとされても文句は言えない(注6)。実際データの問題については伊藤も「無智」を認めてしまっている。井手の『自由それは私自身』でも示唆されるように、伊藤の妹の嫁ぎ先は遊郭を経営していたのだが、彼女はむしろ自身の情報源から、「セックスワーク」的な議論の提起には至らなかったとも考えられよう。


(つづく)





(注4):後年の井手による『平塚らいてう――近代と神秘』(新潮選書、1987年)では、とりわけ1920年代から30年代の平塚が、高群逸枝へ接近し消費組合を運営したといった事実から、彼女における「無政府主義」への傾向の存在を強調している。言論での先鋭性と裏腹に、「急進的」な直接行動には生涯を通じて縁の薄かった――海外のサフラジェットのような事例も模倣しなかった――平塚が、ある種の「無政府主義」と親和性があったとする女性史研究家は井手だけではないのだが、栗原氏の著述においてはこうした種の「無政府主義」についての言及はない。


(注5):伊藤の関わった三つの論争のうち、彼女と山川の間でなされたそれについてだけは、「売春論争」「廃娼論争」「公娼論争」といった、微妙に異なる複数の呼称が存在している。このことには当然、二人の議論で何が核になっているかについての、後年の論者における解釈上の差異が反映していると思われる。栗原氏は「廃娼論争」という呼称を採っているが、本稿では『『青鞜』女性解放論集』の解題にもならって「売春論争」に統一した。


(注6):栗原氏に限らず、井手や秋山清のような往年の伊藤の支持者たちも、ここでの山川の立論を「公式的」「浅い」といった言葉で表現している。しかし現在の「我々」もそのように感じられるとするならば、その原因は山川の立論にあるのではなく、中等教育でも社会科学のイロハくらいは習うようになり、当時の売買春の実態についてのデータもより把握しやすい立場に「我々」が立っているからであろう。著者略歴によれば栗原氏は早稲田大学で社会科学を学んだらしいが、かつて同大学で政治思想史を教えていた鹿野政直は、同世代の女性運動家たちが総じて「われ」、すなわち自分の生や経験そのものから直接的に思想表現を練りだしていたのに対し、山川が社会科学の研鑽から頭角を現していたことを指摘し、後者の新しさについて特筆していた(「女性史における山川菊栄」、『山川菊栄集』別巻月報、1982年)。余談だが、わたしが山川と伊藤の各種全集を閲覧しに行った図書館では、前者が「労働・女性問題」の棚に収められているのに対し、後者は「文学全集」のコーナーに置いてあった。



引用(31)

読書における選択という問題がいかに重要であるかは、今日、店頭に溢れる無数の出版物を観察すれば理解されるはずである。ごく少数の例外を除いてそれらの大部分は読むに値いしないというよりは、むしろ読むことによって受けるはかりしれない障害の恐ろしさを思わずにはいられないだろう。それらの刊行物をむさぼり読んでいる者には、いっこうに恐ろしいものだという認識などないであろうが、悪影響の構造もその度合いもあの戦争下の読書状況といささかの変わりもないことを知るべきだろう。もちろん、今日の出版物には国民に対するあからさまな命令や強制はみられない。だが、現状を打破し変革するための方法論や建設的意見などを、それらのなかに求めるのは不可能である。しかも、明らかに俗悪な出版物のほかに、似て非なるものが多すぎるというのが今日の出版情況なのである。悪書は良書を駆逐するとすれば、何を読んでいいのかわからないという若者が増大してもいっこうに不思議ではない。私には、あの戦争を侵略戦争とは気づかなかったというかつての若者たちの置かれた情況と、急速に危機的な深淵に向かって傾斜していく今日の時代環境は、基本的にはまったく同じであると見えるのだが、命令的でも威嚇的でもなかったがゆえに、たとえば今日の「国家機密法」の危険に気がつかなかったということになりはしないかと、私はいまそれをなによりも怖れている。このことを読書に即していえば、それはまずわれわれが何を読み何を読まないかという問題に尽きるであろう。


高崎隆治『戦時下のジャーナリズム』



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