社会派、人間派、エンターテイナー、そして?

NHK衛星放送第2で流れた『逆境を力に変えた熱血監督~山本薩夫生誕100年~』(2010年8月2日放送)という番組の、DVD録画を友人からいただき視聴した。去年の秋にわたしは、山本薩夫の映画『不毛地帯』について触れたが、今年は山本の生誕100周年ということで、今月上旬に衛星テレビでの特集が組まれ、その解説番組として放送されたものである(注1)。60分という枠に、主演級俳優(仲代達矢、三國連太郎)、批評家(佐藤忠男)、後進の映画監督(後藤俊夫、行定勲)、二人の息子(山本洋・駿)、甥(山本學/朗読のみで出演)、プロデューサー(宮古とく子)にわたる幅広い人々を登場させており、単なる紹介番組というレベルを超えて、この点ではなかなか見ごたえのある内容であった。個人的には、仲代・三國という名役者からの親愛の情あふれるコメントが特に好ましく思われた。


その一方で、番組全体の語り口は、いかにも「現代日本」的なものを感じさせる出来ばえではあった。たとえば、そのあまりにも『プロジェクトX』的なノリである。「長い長い不況の中、抜け出す道も見つけられず、なんだかあきらめムードが漂っていませんか?」というナレーションで始まり、「でも山本監督なら、“負けるな、逆境こそチャンスだ、苦労の先にはきっと明るい未来がある”と、笑うことでしょう」と締めくくられるその流れ。「独立プロ」を今でいう「ベンチャー企業」とし、監督を「インディーズ作家」(「インディペンデント作家」ではない。行定氏の言葉)とするその把握。これらにはある意味、「現代にも通じる存在」として山本を評価しようとする意図が表れていると言えるのだが、実際になされているのはむしろ「現代」と「過去」との巧妙な切断であり、「現代」の間尺に遭わないとみなされた「過去」の要素の消去である。すなわち、第二次世界大戦後の山本が一貫して共産党員であったことは一切触れられないのである。「共産党」という言葉に対する放送コードがNHKの衛星放送にあるのかは知らない。諸君もNHKニュースの自民党/民主党専属広報室的性格はよく御存知であることと思うし、彼らから「党員芸術家」として山本がいかに偉大であったかを熱弁される必要もないが、少なくともこの番組で幾度も強調されている「社会派」としての山本の姿勢は、彼が共産党員であったことと本来切り離せるものではない。「逆境」や「苦労」は多かれ少なかれ労働者市民が抱えているものであるが、彼は無色透明ではない「逆境」や「苦労」も背負って生きた人間であった。1946-1948年の東宝争議で馘首(厳密には「自主退社」)され、以後十数年にわたり映画企業からパージされたのは、会社側から組合活動が「アカ=犯罪」として憎悪されている中で、彼が組合活動に参加する実際の共産党員だったことが非常に大きい(注2)。


もう一つの「現代」と「過去」との巧妙な切断は、山本の円熟期を語る番組後半の軸足が、小説家の山崎豊子との「人生最高の出会い」に置かれていたことである。番組前半には、山本の没後に出版された自伝『私の映画人生』(新日本出版社、1984年)からの一部朗読がされるが、この自伝にも記されている『不毛地帯』の映画化をめぐる小説家と映画監督の対立――主にはシベリア抑留のとらえ方をめぐって――については、まるで何もなかったかのようなのだ。映画『不毛地帯』からの映像のピックアップの仕方や、「当時はまだ、シベリア抑留の悲劇は広く知られていませんでしたが……」というナレーションは、少なくとも山本が自伝で解説した意図とはかけ離れたものである(注3)。より驚かされたのは、あまり体調がよくなさそうな山崎氏がわざわざカメラの前に立ち、監督との麗しかりし友情関係について語ったことであった。山崎氏によると、山本は彼女に「社会派と何派とかそんなものないです、僕たち人間派だよな」と言ったというものの、本当に山本がそんなことを言ったかは不明である。同姓で同世代の宮古氏の映像と比べて、彼女の雰囲気もしゃべりも明らかにおぼつかなく、それに対するフォローもないので(同番組では、山本駿氏の発話に際しては「手術のためお声が出にくくなっています」と注釈がなされていたのだが)、いろいろ自分に不気味な想像をもたらす――以前わたしは山本が原作に対して行った「換骨奪胎」を評価したが、彼女はそれに対する壮大な復讐として、原作の改変をなかったことにしているのではないか。それとともに、自分の名声を維持するため、かつて対立した人物の名声がまだ利用可能ならば、対立すらなかったふりをして活用しようとしているのではないか(注4)。


2005年に、山本の『戦争と人間』三部作を見直したというある映画批評家は、「その意味の深さ、日本映画が持っていた力の大きさ、出演人の偉大な実力に頭を下げさせてもらいました」としつつ、極めて不気味に響く言葉を記している。すなわち「もう今の時代、2度とつくる事の出来ない(体力体質の問題ではなく、この作品の持つ考え方を今の日本がスンナリと許すとは思えないのです。小泉政権のもとで……)」と(強調は引用者/注5)。これに加えて言えば、財閥支配と結託した膨張主義への批判、中国・朝鮮の抵抗者たちの称揚、数々の戦争犯罪の描写といった、かの映画に含まれた要素を「許さない」のは、小泉政権だけではないだろう。安倍政権、麻生政権、鳩山政権、菅政権……しかし、山本を「許す」人々にも別の問題が存在する。『逆境を力に変えた熱血監督』という番組は、共産党員としての経歴の抹消や、自己の名声を誇示するかつての「盟友」の発言に大きく寄りかかることで、結果として山本を「許さない」人々が形成してきた「現代日本」の意識の範疇に収まるように、すべてを切り縮めているのである。山本の作品に否が応でもにじみ出ている「イデオロギー性」なり「党派性」――これらによって彼の映像表現が、しばしば稚拙なものを含んだのは確かだが――を遠心分離機にかけ、純粋な「作家性」なり無色透明な「社会派」の要素だけを取り出そうとするのは、おそらく山本作品の持つ要素を評価する人々の「善意」でなされたことであるがゆえに、まさしく問題がある。彼の「社会派のエンターテイナー」としての力を誰もが強調するし、その「エンターテインメント」を誰もが十分に享受する。しかし、その「エンターテインメント」の持っていた「考え方」が享受者に理解されないとすればどうであろうか。「考え方」の母体が破壊されること、「考え方」の先にある行動の指針が誤魔化されることを、この映画作家は決して望んでいなかっただろう。「再評価」とは、先人の時代や「考え方」を綜合的に理解し、それを踏まえて先人の先へと進むためのものでなくてはなるまい。





(注1):ただし友人によると、今月上旬に放送されるはずだった作品の半分近くが、国会中継のおかげで9月に放送延期になった。「愚昧な国会中継など流すくらいなら、エンドレスで『金環蝕』でも流せばいいのだ」と友人は息巻いていたが、あの作品の「国会審議」における三國連太郎と嵯峨善兵の演技のやりとりを延々見続けるのは、よほどのマニアでなければつらいことであろう。ところでこれは関東の話だが、同じ9月の上旬に池袋の「新文芸坐」で山本作品の回顧特集が行われるそうなので、在住の方は是非スクリーンへ足を運ばれることを願う。


(注2):時間枠の問題もあったろうが、アジア・太平洋戦争期の山本が国策映画の制作に携わっていたことにも、一言あってしかるべきと考えた。というのは、その製作者である山本が戦後共産党に加わったことは、「勝ち馬に乗る」行動であるとして、しばしば批判(の体をとった当てこすり)の対象になっているからである。だがそもそも、共産党がいつからいつまで持続的に「勝ち馬」であったと言えるか疑問である(全盛期にすらこの党は、国会議席の10パーセントも占められなかったのだ)し、彼が「勝ち馬」に乗りたいだけの人間だったら、レッドパージの際すぐに「馬」の乗り換えが出来たはずである。東宝争議の指導者であった伊藤武郎は、新藤兼人『追放者たち 映画のレッドパージ』(岩波同時代ライブラリー、1996年)の解説対談の中で、山本や黒沢明(『翼の凱歌』(1942年)の脚本家として山本と協働)らは、旧来の映画企業にあった様々な制約の内では国策推進に抵抗し得なかったことへの反省から、経営や作品内容に対する権利要求を含めた争議に邁進していったのだとしている。山本の「逆境」や「苦労」は、まずはこうした文脈を踏まえてとらえられるべきであろう。なお、伊藤の指摘した点を含めて、映画人にとっての東宝争議の意義を学術的に論証したものとして井上雅雄『文化と闘争:東宝争議 1946-1948』(新曜社、2007年)という大著があるが、これも地味ながら面白い本である。


(注3):これは最近読んだのだが、山本は自伝以前にも「映画表現論」という一文で、制作の過程で発生する問題をどう乗り越えるかを『不毛地帯』のそれを例に説いている(山田和夫監修『映画論講座』第1巻、合同出版、1977年)。彼はここでも山崎氏との衝突について触れているのだが、その語りのニュアンスは7年後の『私の映画人生』とほぼ同じで、作家との距離が垣間見えるものである。つまり、映画『不毛地帯』の撮影時から山本が亡くなるまで、山崎氏との実質的な和解はなされなかったとみてよいのではないか。


(注4):番組の最後にも山崎氏は、山本が亡くなり「もうこれで私の小説は映画にならないと思った」というコメントを発している。しかし山本の死後も、続けて山崎作品がどれもこれも映像化されるのを「我々」はいくらでも見ているし(つい最近もフジテレビで『不毛地帯』をやった!)、彼女は『沈まぬ太陽』の映画化に際して「この作品の映画化を見るまでは決して死ぬことは出来ない」とも言っていた。自分の小説が映画になるのを当然視するというのも信じがたいが、そもそも小説家にとって、小説は映画のモトネタでしかなくてもよいのだろうか? この辺りからもわたしは、山崎氏に対し、最後に残された誠実な証言者の姿を見出すことは出来ない。むしろ彼女にあるのは、老いてなお尋常ならざる自己顕示欲である。そしてそこからは、自己の妄執的観念を広めることに囚われた歴史修正主義者の姿すら連想させられてしまうのである。



(注5):おすぎ『愛の十三夜日記』(ダイヤモンド社、2005年)。





[追記:初出の際、注1にかかっていた新文芸座へのリンクを外した。更新されるスケジュール表につないでいたので、特集の部分が流れてしまったためである。(2010年10月21日)]




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イタリア維新の描き方

少し前になるが、ある平日の夕方、イタリアの映画監督ロベルト・ファエンツァの近作『副王家の一族』を見た。わたしがとても幸運だったのは、百席あまりの館内にいるのが自分一人であり、貸し切り同然で見られたことである。諸君もこういう状況には、満員の客席にいる時とは別の高揚感を感じることであろう。厳密には、映画が始まって15分くらいして20代とおぼしきカップルが一組入って来たのであるが、このカップルは終了15分前くらいになるといつの間にか消えてしまっていた。映画を見に来たというよりは、おそらく映画館そばのレストランないしはラブホテルの経由地として活用しただけと推測される。映画館的には客一人は悲惨であろうし、諸君らにしてもどれだけつまらぬ作品を見に行ったのだと思われるかもしれないが、わたしには『副王家の一族』という作品は決して悪いものではなかった。特に日本の明治維新との類縁性で知られるイタリアの「リソルジメント」――「国家統一運動」と訳されることが多いが、実際には文化・精神面における革新も含めた広い文脈をもつものであった――を描いた作品として、この時代に対する非常に興味深い一解釈を秘めていたからである。


19世紀後半。シチリア島の都市・カターニャの大貴族ウゼダ公爵家は、ブルボン王家に次ぐ「副王」の家柄を誇っているが、その内実は醜悪この上ない。暴君的な当主ジャコモ(ランド・ブッツァンカ)の下、ほぼすべての親族は互いを出し抜くことのみを考え、憎み合っていた。ジャコモの嫡子コンサルヴォ(アレッサンドロ・プレツィオージ)はこのような一族のあり方に疑問を感じ、父にたびたび反抗するが、その勘気に触れ修道院に放り込まれてしまう。修道院内においても、叔父ブラスコをはじめとする宗教者たちの腐敗ぶりを目撃した彼は、繊細な従弟ジョヴァンニーノ(グイード・カプリーノ)とともに、赤シャツ隊による自分の解放を夢見て暮らす毎日を送る。1860年、ジュゼッペ・ガリバルディ率いる赤シャツ隊がカターニャからブルボン勢力を駆逐すると、ようやく青年コンサルヴォは自らの新たな人生を模索し始めるが、そこで彼が見たのは、相変わらず一族に対して気ままに力を振るうとともに、リソルジメント勢力をなりふりかまわず懐柔し取り込んでいく父の姿であった――映画のパンフレットの解説にも当然記されているが、この物語の筋立てを見たヨーロッパ古典映画のファンは、ルキーノ・ヴィスコンティの大作『山猫』(1963年)を当然想起しよう。シチリア島の大貴族、伝統を重んじつつ一族の存続を模索する当主、リソルジメントに乗じようとする野心ある若者といった要素は、まさに二つの映画に共通している(注1)。しかし一方でこの二つの映画は、そのリソルジメント観において非常に大きな違いを有している。


映画『山猫』の骨子を、「完全には実現されなかったイタリア統一運動と裏切られた革命の物語」としたヴィスコンティの伝記作家の言葉は正しい(注2)。ガリバルディのシチリア上陸を迎えたサリーナ公爵家の人々のうち、当主ファブリツィオ(バート・ランカスター)とその甥タンクレーディ(アラン・ドロン)だけが、これに対して主体的な行動をとる。赤シャツ隊に恐慌をきたすだけで実質的には何もなしえない一族を、貴族的威厳をもって取りまとめるファブリツィオは、若く野心的なタンクレーディがただ一人赤シャツ隊に参加しようとするのを許す。この映画で特筆に値するものの一つは、公爵の複雑な性格の描写である。彼は新たな統治者の施策(たとえば、あらかじめ結果が決められた、イタリア王国への統合をめぐる住民投票)を冷ややかに見つめ、長きにわたり停滞したシチリア社会を変えることは出来ないと言明し続ける一方、シチリアを停滞させてきたのが自分たち古き政治階級であることもよく知悉している。自らを支配の座から追い出した人々に明らかに不信を持っているが、その不信からは、新しき政治階級の誕生への期待もわずかながら見え隠れするのである。ゆえに公爵は、農村ブルジョワのカロージェロ――サロンでは単なる田舎紳士だが、実社会ではもはや無視できない力を持つ――も粗略に扱わず、統一イタリア政府の国会議員として自らの代わりに推し、その娘アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ)とタンクレーディの結婚を促すことで、甥の新しい政治階級としての飛躍をバックアップしようとする。しかしタンクレーディの方は、このような伯父の無意識的ともいえる新興勢力への期待を理解することはない。彼は統一戦争が終わるとあっという間に、自分が参加したガリバルディ派の赤シャツを過去のものとして脱ぎ捨て、彼らを排除した王政内での立身へと邁進していく――こうした二人の姿を通じて、ヴィスコンティは確かに「リソルジメントの変質」を描いたと言える。


ファブリツィオとジャコモ、タンクレーディとコンサルヴォを比べると、『副王家の一族』の特質がより際立って理解出来るだろう。『山猫』のファブリツィオが、敗者ながらも威厳にあふれる一種理想化された貴族であるのに対し、『副王家の一族』のジャコモは、自身の財産と権勢を維持するためにはなりふり構わない俗物である。一族に死者が出ればその遺産を掠め取り、ブルボン家に続く一門であることを自慢しながらサヴォイア家にいち早く接近し、軽蔑していた新興勢力にも「王の世には王の友、貧民の世には貧民の友」というポーズを突然取り出すなど、この「公爵」は生き残りのために手段を選ばない。しかし彼が「近代的」な合理主義者であるかと言えばそうでもなく、霊媒や心霊治療を真面目に信じているその様は滑稽というほかない(注3)。タンクレーディとコンサルヴォもまた、似て非なる「青年」である。前者が少なくとも一度はリソルジメントの中で戦ったのに対し、後者はそれに参加せず、ただ修道院の中で赤シャツ隊が僧侶たちを皆殺しにすることをただ待っているだけである。修道院から解放された後、コンサルヴォは町娘コンチェッタとの、ジョヴァンニーノはコンサルヴォの妹テレーザとの「自由な」恋愛にのめり込むが、ともに惨めな結果に終わる。『山猫』のタンクレーディの恋愛が、彼の政治的軽薄さにもかかわらず旧体制に対する一定の勝利の輝きを保っているのに対し、『副王家の一族』の二人のそれは、家父長制や封建的固陋さの厚い障壁に対するはかない逃避的反抗でしかない(注4)。コンサルヴォの一族や周辺から出たリソルジメントの「英雄」たちもまた、ある者はつまらない行政官に成り下がり、またある者は国会議員として「右派も左派もあるものか」と冷笑する(注5)。最終的にコンサルヴォは、旧時代を打破するというよりは、父が見苦しい愛敬を振りまかざるをえなくなった新政府そのものになることで、父を越えようとする。出馬した国会議員選挙における彼の演説は、「無政府主義はすばらしいが、私有財産権もまた守られるべきだ」といったもので、その内実は万人に対する詭弁であり、自分をも欺くものであった――総じてファエンツァ監督が、リソルジメントをより戯画的かつグロテスクなものとして描いているのは明らかである。


映画の最後のシーンには、老いたコンサルヴォが現れる。彼は自分の勝利に一応は満足しつつも、あたかもシチリアが変わらないことに諦観を示す『山猫』のファブリツィオのように、イタリア全体が変わらないことについて苛立ちの色を隠さない。しかしそのように言う彼が、選挙のたびにデタラメな公約を並べ続け、議会の党利党略を嘆きつつそれを活用して勝ち残ってきたであろうことも透けて見えてしまうので、観客は暗澹とさせられるほかはない。さらに歴史を知っている観客は、彼の支配のすぐ後に続いたのがファシズム体制であったことも想起するであろう。とすると、彼のような人物を生んだリソルジメントはどこまで肯定されるべきなのであろうか? 『山猫』におけるリソルジメントは、その「変質」が批判されつつもそれ自体の総体的な正統性は疑われていないのに対し、『副王家の一族』におけるそれは、完全に失敗した統一/運動/革命として、もしくはそのような性質を最初から備えていないものとして捉えられている。このような評価は、イタリア人でないわたしにはあまりにも厳しいようにも感じられるが、おそらくファエンツァ監督は、ヴィスコンティの活躍した時代には考えられなかったようなかの国の現状――シルヴィオ・ベルルスコーニ政権(首相個人ではなく)の乱脈ぶりや、それに対する「中道左派」野党の不能ぶり――を受け、その原点としてあらためてリソルジメント期を見い出し、マイナス面をより詳しく(しばしば、ほとんど揶揄的にすら見える描写によって)抉り出す方向へと進んだのであろう。


ともあれ、ここで取り上げた二つの映画は、時代劇(コスチューム・プレイ)としての荘重な仕上がりもさることながら、自国の近代についても批判的思考を促す機能を兼ね備えている点でも、優れた作品であると考える。わたしは映画史にうといせいもあり、こういった映像芸術を「我々」が有しているのかどうか知らない(知っている人にはご教示いただきたい)し、つくられるべきであるとも思う。正直、明治維新のイメージが、日本人と日本国の「青春賛歌」の枠に納まってしまうような、新撰組と坂本龍馬のドラマばかりではつまらないではないか(注6)。





(注1):映画のパンフレットによれば、トマージ・ディ=ランペドゥーザによる小説『山猫』は、19世紀末に活躍した作家フェデリーコ・デ=ロベルトによる小説『副王家の一族』を意識して書かれたということである。ところで、映画『副王家の一族』の日本語版公式サイトなどには「王政の終焉とともに貴族社会が終わりを告げても」という一文があり、『山猫』についても「貴族社会の終焉」をウンヌンする文章を本なりインターネットなりで見かけることがあるが、こういった語りは端的にいって不正確である。サリーナ家やウゼダ家のような「名門」にとって、新しい統一国家の王家となったサヴォイア家は、かつてのブルボン家と比べれば地方貴族に過ぎず、それゆえ彼らは新王室の藩屏として再編されるのに拒否感を示すのである。しかしこのことは当然ながら、イタリアにおいて王および貴族という身分が消滅したことを意味せず、新しい国民国家における「王政」および爵位制度は第二次世界大戦の敗戦まで続く。これらの点については、藤沢房俊『大理石の祖国』(筑摩書房、1997年)の記述が興味深い。それにしても、「王政と貴族社会の終焉」にロマンを見出すことへの是非はさておき、そのロマンを味わうために他国の「王政」や「貴族社会」を勝手に終焉させてしまうというのはなかなかあっぱれな話である。知的にも政治的にも自国の「王政」と格闘してきた経験の極めて薄い国民にはふさわしい「誤認」と言える。


(注2):ジャンニ・ロンドリーノ『ヴィスコンティ 評伝=ルキノ・ヴィスコンティの生涯と劇的想像力』(大條成昭ほか訳、新書館、1983年)


(注3):もっとも、ジャコモの馬鹿げた行いは「旧弊」の指標として捉えられるべきではないかもしれない。ヴィスコンティがミラノの公爵家(ルネサンス期に都市国家を支配していた)に生まれたことはあまりにも有名だが、注2で挙げた伝記によれば、新しい文化の摂取にも肯定的だった彼の父(マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』を新刊で取り寄せて読むような)も、心霊については真剣に信じていたそうである。いわゆる「淫祀邪教」崇拝の蔓延は「愚昧な民衆」のみに限られた話ではないということだが、西洋における近代への移行には、こういった「心霊崇拝」がむしろ「貴族の文化」としてあったのかも知れない。現在の日本で言えば、鳩山幸(鳩山由紀夫首相夫人)がオカルト好きらしいというのも、多分このことと関係していよう。しかし一番のオカルトは、この手の心霊崇拝を「民主主義」と関連づけて好意的に紹介できてしまう学者の存在である。


(注4):鳩山家に触れたついでに言うと、、『副王家の一族』を見たという鳩山邦夫のコメントによれば、かの日本の「名門」はウゼダ家と「正反対」の存在らしい。邦夫氏の言葉が正しいかどうかは、ぜひ諸君も映画を見て判断されたい(日本版のDVDも発売されるようである)。私見によれば、このコメントは鳩山兄弟がこれまでになしてきた数々の発言と合わせて、日本の「副王家の一族」一流のジョークとして永く記憶されるべきものである。


(注5):厳密に言えば、このセリフで冷笑されている「右派」と「左派」とは、ちょうど今の日本の自民党と民主党を思わせるグループである(イタリア史ではそれぞれ「歴史的右派」および「歴史的左派」と呼ばれる)。現代的な意味での「左派」、より明確に言えば「社会主義者」を名乗る人々が、始めてイタリアの議会に進出するのは1882年のことであるのだが、コンサルヴォが階級融和幻想を鼓吹しながら戦うのはまさにこの年の選挙という設定になっている。もちろん、ファエンツァ監督が上記のセリフに、現在のイタリアにおける「右派」および「左派」の状況を透過させているのは疑いない。


(注6):近年の視覚表現(映画は少なく、もっぱらテレビドラマ、マンガおよびアニメか)で描かれる明治維新でも、このどちらかまたは両方の登場率は異常に高いように思われる。「ご存じ」的なキャラクターが登場するのを確認する、またキャラクターについての解釈を見るという楽しみも、コスチューム・プレイにあることは否定しえない。しかし、維新勢力が政権を完全に奪取する以前に、奇禍に遭うなり新旧勢力の戦争の結果なりで若くして死んでしまう実在した人々の描写は、彼らの存在およびそれを通じた明治維新の描写を「生まれ変わる日本人と日本国の青春」へと収斂させ、それは「維新」そのものに対する歴史的・社会的な喚起をもほとんどなさない。いわゆる「十五年戦争」についての語りが、「特攻」と「青春」のイメージにのみ基づく場合、戦争総体の侵略的性格に対する受け手の認識を妨げることになるのに近いだろうか? ともあれ、また機会があればこのあたりの問題を今一度取り上げてみたいところである。



アリエル・シャロンとワルツを

ずいぶん前に『キリスト新聞』の記事(注1)で紹介されていた、イスラエルの映画監督アリ・フォルマンの『戦場でワルツを』を見た。東京や名古屋などではすでに上映は終了したが、地方都市にも上映館が広がっている模様である。1982年、イスラエルのレバノン侵攻の際に一兵士として従軍した監督が、自分の中で封印していたこの時期の記憶を、戦友たちへの訪問を通じて一つ一つ取り戻して行き、最終的には「サブラ・シャティーラの虐殺」――自らの指導者を何者かに暗殺されたことに激昂した、レバノンの親イスラエル組織「ファランヘ党」の民兵が、パレスチナ難民キャンプを襲撃し、それをイスラエル軍は黙認した――の瞬間へとたどり着く。このようなドキュメンタリーとしての内容を、わざわざアニメーションで描くという演出も面白そうではあったのだが、従来の「反戦映画」に対する監督のコメントがわたしにはより興味深かったのである。「反戦であると主張していても、それに栄光を与えるような部分もある。若い人たちに戦争はよくないものだと言う一方で、戦争は男の勇気であるとか、美化する側面を同時に伝えている映画があまりにも多い」とは、なかなか真実を言い当てた言葉ではないか(注2)。わたしは今までにフォルマン作品を見たことはなかったが、このような言葉を吐く人物ならば、それなりの作品を創っているだろうという期待のもと映画館に出かけた。しかし残念ながらこの期待は、二時間後にはかなりの失望となった。


ここで諸君と『戦場でワルツを』の問題点を、二つの次元に分けて考えてみたい。まず、世評の高いらしいアニメーションの次元についてである。わたしは正直、この作品がアニメーションという技法をとる必然性を感じなかった。今までアニメーションの主題になっていなかったものを主題にしたことが目新しいだけであり、その活用の中身は「こうすると面白いかも?」という中途半端な思いつきの域を出ていない。過去の戦争の風景や当時見た夢の回想、さらに現代のインタビュー(一部は声優が演じている)のアニメーションを通じた描写は、一見「異化効果」を発揮しているように見えるが、その「非現実的な感覚の生」の表現自体に閃きが乏しいのである。アニメーション(たとえフラッシュでも)のポテンシャルを活かしきれておらず、凡庸としか言いようがない。さらに驚いたのは、この作品が最後の五分間において、突然この技法を放棄してしまうことである。詳細は略すが、現代人における「幻想」と「現実」の関係性とはこのように単純なものなのであろうか? アニメーションを専門とする監督を馬鹿にしているように思う。公式映画パンフレットの「コメント集」では、山村浩二や今敏のような、内外の映画賞も受賞しそれなりに「芸術的」アニメーション監督として知られている人物が好意的コメントを寄せているが、それらがリップサーヴィスを超えた本気のものだとすれば彼らも底が知れよう。


続いて内容の次元に移ろう。この作品は基本的に、主人公=監督が自身の記憶を再獲得していく過程にひたすら寄り添っている。戦争によって抑圧される兵士の体験というものは確かに存在しうるし、自身の記憶という「個」の回復は、人間が戦争から脱出する一歩として必要な要素とは言える。しかし、「個」が「個」を取り戻す過程それ自体だけでは、「反戦」としての機能を担い得ないのは明らかである。「個」と「我々」の関係性について、問題が架橋される(少なくともそのキーが示唆される)必要がなかっただろうか。映画パンフレットのインタビューでフォルマン氏は、「パレスチナの観客たち」に作品を受け入れてもらった一方、イスラエルの責任について明言することを求める彼らに「“我々”でなく“私”を描くという私の意図は理解を得られませんでした」と語っている。しかしこれは、彼の「個」について語られるだけでは自分たちの問題が解決しないことを「パレスチナの観客たち」の方がよく理解していることの現われではないだろうか。また彼は、アラブの視点から映画が描かれていないと批判した「極左のイスラエル人」に対し、彼らをアラブ人でない自分が代弁するのは「けがれた行為」であると反論している。一見これは、いわゆる「代行主義」を排した正当な弁明とも見えるのだが、「元兵士で侵略者であった者がパレスチナの人々から話を聞くのは不可能です」といった言い回しには、体のいい「応答責任」の拒否も読み取れる。「彼らの立場」を偽装しなくとも、フォルマン氏の「個」と「彼ら」がどういう配置にあるかという関係性については、何らかのものが描けようし、むしろその関係性を把握することなしに「反戦」が成り立つとは思えない。


インタビュアーによれば、フォルマン監督は別の所で「ベトナムやイラクから帰還したアメリカ兵や、アフガニスタンから戻ったロシア兵でも描ける映画と語っていた」そうである。しかし、一義的に「サブラ・シャティーラの虐殺」に向き合う必要があるのは、アメリカ人でもロシア人でもない。ここでこの映画が実に巧妙なのは、イスラエルが幇助こそしたとはいえ、直接にはレバノンの民兵に責任がある(と容易に見なしうる)虐殺事件を主題として選んでいるところである。つまりイスラエルには、逃げ道が用意されていると言える。しかしこういった逃げ道が許されるならば、彼らは自身の責任に対する認識から「反戦」へと進めなくなるし、そもそもその必要自体がなくなってしまう。難民区ではなく、彼らの退路が封鎖されなければならない。その辺りを抜きにして、一足飛びにどこの国でも通じる「普遍性」について語られるとすれば、パレスチナ人でなくても理解に苦しむだろう。イスラエル人の映画がイスラエルの問題を徹底的に掘り下げた結果として、他にも通じる「普遍性」が生じるというなら理解できるものの、最初から他との共通性を謳った「普遍性」は、なんでも盛り込めるからっぽの器でしかない(注3)。そしてこの器には、監督の個人セラピーの成功および数々の映画賞獲得という栄光だけが盛りつけられるのである。


それにしても、映画パンフレットの「コメント集」に他の日本人のそれと分けて挙げられている、「駐日イスラエル大使館一等書記官」の言葉はなかなか興味深い。その一部を引用してみよう。


映画の内容を越えたところから見て、イスラエル社会というものを如実に感じさせる1本でもあります。“芸術の自由”や“革新的な創造”を保障する確固たる社会、あらゆる形のアートが本来の芸術性で輝くことのできる、“表現の自由”が約束された社会を。国内外で、“最も重要なイスラエル映画”の1つとみなされることとなった「戦場でワルツを」は、唯一無二のアニメーションと独創的なサウンドでめくるめく映画体験を観客に提供する、魅惑のエンターテインメント作品として国中を熱狂させました。個人的にも彼の新作を待ちきれない思いです。〔強調は引用者〕


この発言は、イスラエルを含めた現代世界のあり方そのものを「如実に感じさせる」。すなわち、「“表現の自由”が約束された社会」からやって来た人々が、兵士として「めくるめく映画体験」のように、パレスチナ人のような他民族を抹殺しているということである。徹底的な外部への軍事行動を遂行している国家にとって、彼らが自ら誇る「表現の自由」は、それを持たざることで下等と見なしうる民族を、「魅惑のエンターテインメント」として殺戮することを許可するライセンスにすらなっているのである(注4)。この「駐日イスラエル大使館一等書記官」の一文を読んで、フォルマン監督の『戦場にワルツを』は、まずイスラエルという国家に対する「反戦映画」として失敗し、ゆえに「普遍性」のある「反戦映画」としても完全に失敗したのだとわたしは確信した。真にこの映画が有効な「反戦」をなすものならば、現在のイスラエルの高等官僚としてはすぐれた「駐日イスラエル大使館一等書記官」氏も、これほど勝者の余裕に満ちた言葉を語れなかったであろう。別に、虐殺者の反発や逆上をことさら引き出すための挑発が必要なのだと言いたいのではない。ただ、厚顔無恥な輩やその代弁者を沈黙させるどころか、べらべらしゃべらせる余地さえ与えるのは、この上ない失策にほかならないと思うだけである。





(注1):2009年12月12日号。ちなみにこの新聞の題辞の横には「平和憲法を護れ」「再軍備絶対反対」という言葉が掲げられている。


(注2):現在の日本においては、フォルマン監督が指摘する種の作品に対し「反戦」を勝手に読み込む手合いがあまりにも多い。2006年末の『週刊金曜日』で『男たちの大和』を「反戦映画」であると強調した森達也などは、その典型である。映画のレトリックもろくに読めない彼が、ドキュメンタリーの監督をこなしているというのは奇観である。


(注3):たとえば仮に、南京虐殺に参加した兵士についての映画を日本人が制作するとして、その制作者が「アメリカ人もロシア人も(さらには中国人も)同じ悲惨を起こしており、それらに通ずるものとしてこの映画をつくったのです」と言うとすれば、なかなかグロテスクな話ではないか。


(注4):数年前、ムハンマドを描いた「風刺漫画」を描いたヨーロッパの漫画家に、イスラム圏から有形無形の攻撃が行われるという事件があった。これらの攻撃には稚拙かつ粗暴な要素が強く含まれていたとは言え、上記のように機能している「表現の自由」に対する根本的疑念を呈しているという点においては正当である。


(注5):パンフレットの監督インタビューには「私は記憶の問題に焦点を絞っていたのであって、何かを主張したかったわけではないのです」などという一節も出てくる。「何かを主張したかったわけではない」というフレーズはずいぶん日本的言い回しを感じさせるし、パンフレットの翻訳の精度も不明なので、これだけで彼の「政治性」をウンヌンするつもりはない。しかし「反戦も主張していないの?」と言いたくなる一文ではある。わたしは彼の意図が「世界人類が平和でありますように」的なものではないようにと願うばかりである。




白くなく華麗でもないが、不毛ではない

いわゆる「十五年戦争」が終局を迎えつつある時期にそのキャリアを開始し、敗戦後一気に頭角を現した映画作家たち――その筆頭は無論黒沢明と木下恵介である――が、映画産業の衰退とともに徐々に第一線を退いていく1970年代において、山本薩夫はそこに踏み止まった数少ない一人である(注1)。映像面における閃きこそ少ないものの、重戦車のごとく堅牢な演出とともに、共産党員としての立場からの社会批判意識を持ち続けた山本は、この時期『戦争と人間』三部作(注2)から始まる大作を立て続けに発表し、その健在ぶりをアピールした。これらの映画ではいずれも、日本の政治・経済・軍事を握る支配者たちに焦点が当てられ、その内部の複雑怪奇かつ醜悪な諸相および闘争という、日本映画の歴史上まれにしか描かれず現在でも描かれにくいものが徹底的に活写されていた。それは、特に男性の映画スターおよび新劇系のヴェテラン俳優にとって存分に遊ぶことのできる世界であり(注3)、彼らの活躍を得て山本は、敗戦直後(『戦争と平和』や『真空地帯』など)に続く、第二の創作的ピークを迎えたと言えよう。


さて、察しのいい諸君の中には気づいた向きもいるかと思うが、今回わたしが取り上げたいのは、山本が1976年に映画化した『不毛地帯』が、本年10月よりフジテレビにおいて連続ドラマになるという話である。夏に入る前だったか、「不毛地帯」というテロップだけが掲げられ、それ以外に情報がないという一見不思議なフジテレビの15秒スポットを見た時、「ああ、山崎豊子の小説を原作としたドラマをやるのだなあ」とわたしは気づいた。そしてすぐに憂鬱になった。そのドラマは、かつて山本が映画版で描き出したものとはかけ離れたものになるはずだと確信したからである。もう現在ではテレビ雑誌などに情報が色々出ているので後出しジャンケンのようになるが、賭けてもよい。10月から始まるフジテレビの連続ドラマ版の『不毛地帯』はまたしても、「戦争の敗北の破壊と屈辱から立ち直る日本人再生の物語」の域を絶対に超えない、ありきたりな慰撫のストーリーをあくまで完遂するだろう、と。しかし公平を期すために言っておくと、テレビドラマ版がそうなるとすれば、それはフジテレビというメディア産業のどん底的な保守反動性に原因があるというより、おそらくそれは山崎氏の「原作に忠実」なゆえにそうなるということである。むしろ、「原作に忠実」であることが二次的作品の絶対的な条件とすると、山本の映画版『不毛地帯』こそ問題となってしまうだろう。


日本の敗戦に伴いソ連軍に捕えられた若き大本営参謀・壹岐正は、11年に渡る厳しいシベリア抑留を生き延び帰国し、再出発のため入社した総合商社・近畿商事において、アメリカからの新型戦闘機導入を始めとする商戦にかかわっていく――これが小説『不毛地帯』の大筋であるが、山本は没後に出版された自伝『私の映画人生』(新日本出版社、1984年)で、映画を撮る際に原作をどのように処理し、またどのような要素を新たに付け加えたかについて述べている。たとえば、小説において非常に大量の紙数が割かれている壹岐(仲代達也)たちの虜囚生活については、屈辱的な身体検査や強制労働のさなか雪中に斃れる日本人の印象的なカットもあるものの、全体からすればそれほどの量ではない。3時間強という枠で描ける内容は限られている(実際この映画は情報量の多さゆえ、観客の強い集中力を要求する)し、高級軍人である主人公が味わった悲惨な強制収容所(ラーゲリ)体験は、一般兵などの抑留の悲惨とは同列に描き得ないというのが山本の見地であった。また、大学生となった壹岐の娘(秋吉久美子)が60年安保闘争の参加者となり、そもそもこの戦闘機選定そのものが「国民の意思」に全く反していることを熱弁し、「ジェット戦闘機なんて、わたしたち誰も欲しいと思ってないわ!」と父親に言い放つまでになるのも、映画のオリジナルである。ちなみに、これらを不満とした山崎氏が、自分と監督は精神的な夫婦だと思っていたのにウンヌンと雑誌で書いたのに対し、山本の方は「別に精神的にも彼女と結婚した覚えはなかったので、こういったことはあまり気にもかけないでいた」そうである。


かつての「大日本帝国」の「十五年戦争」と現在の「平和国家日本」の兵器商戦は、反人間的本質において類似した点を持ち、その原因は政・官・軍における戦前と戦後の「連続性」にある――山崎氏の物語の骨子をそのままに、その力点の置き場所を変えることで、映画版『不毛地帯』は支配層の人脈と精神における「連続性」をあぶり出している。一部において山崎氏は「社会派作家」と目されているようだが、彼女が小説で社会における権力闘争を描くのは「社会批判」の意図からではないのは自身でもたびたび言及している。彼女の小説で常に問題なのは、野心に溢れる男たちが権力や名誉を争う際の「闘争の面白さ」そのものであり、さらにその視点は常に「日本国」ないし「日本人」にのみ寄り添うものである。原作小説の壹岐は、優秀な頭脳とともにソ連での「思想教育」にも決して屈しないような、いわゆる「誇りある日本人」としての精神を併せ持ったタフな男で、帰国後もその背骨は変わらないままである。


一方で映画の壹岐の姿は、より陰影に富んでいる。すなわち帰国後の彼は、「14才から35才まで戦争に勝つことだけを学んできた」自分の「人殺しの血」を封印する必要を感じており、「連続性」を自分なりに断ち切ろうと試みるのである。指導者意識を一貫して持ち続け、東京裁判の「不当性」や再軍備への賛同も当然のように口にする原作小説の壹岐と異なり、映画の壹岐は日本国の利益だの将来だのについては語らない。「高度成長期」に入り変化した道頓堀の町並みや、かつての敵国アメリカの繁栄にとまどいながらも、ただシベリアで失った人間としての(「日本人としての」ではなく)プライドを取り戻そうと、また自分の抑留中に苦労をかけた家族に対しよき父であろうと、懸命になる。しかし、彼を採用した社長(山形勲)は「元大本営参謀」のコネと策謀力を当てにしていた。陸軍士官学校以来の友人である川又空将補(丹波哲郎)の懇願もあって、彼は再び「連続性」の世界に引き込まれてしまい、やがて戦闘機導入をめぐる商戦の裏で暗躍し始める(注4)。彼が軍人時代に培ったものが役立つのは、日本社会が変わっていないがゆえである。しかし壹岐の成功に比例して彼の家庭は崩壊し、最後にはその策謀が原因となり友人をも失う(注5)。最後の場面に壹岐――小説ではまさに「再興する日本」そのものを体現している――の勝利ではなく、挫折を置いたこの映画が、原作者の不興を買うのは必然だった。


公式サイトやテレビ雑誌などにおける新ドラマの情報を読む限り、今回の『不毛地帯』は、山本のような換骨奪胎のない「原作に忠実」な設定である。シベリア抑留には大きなウェイトが置かれるようで、ニュージーランドにつくった大規模なオープンセットによる再現も大きな見どころらしい。登場人物などを見てもシベリアがらみの人間(映画版には出て来ない元抑留者の組織「朔風会」関係など)が多数登場する。原作連載中につくられた映画版にはないエピソード(最後の石油採掘事業など)も含めて描かれるであろう、今回のテレビドラマ版は、原作者が高齢ながら存命中ということもあり、一種の「欽定版」となることを意識してつくられているものと思われる(注6)。それゆえテレビドラマ版以後は、昨今の風潮からすると、山本の映画版を「原作の(「左翼的」)歪曲」と強調する言説が必ず出てくるだろう。しかし、現在に続く戦前と戦後の「連続性」という問題を省みる際、いささか生硬な部分(壹岐の娘の演説とか)が見えるにせよ、「原作に忠実」ではない山本の『不毛地帯』は、決して「我々」にとって「不毛」なものではない。





(注1):山本が亡くなってすでに四半世紀が経過しているが、彼についてまとめて読めるモノグラフは未だにない。黒沢・木下といった大巨匠に名声が及ばないのは無理もないにしろ、晩年も一定の興行収入を期待される監督として複数の企画を抱えた「売れっ子」であり続けたこの人物は、上記の大巨匠らとは別の視点から映画史的に検討される価値があると思う。


(注2):最近北大路欣也は、テレビ朝日で主演した長編ドラマ『落日燃ゆ』の番組宣伝も兼ねて『徹子の部屋』に出演した際、若き日に出演した『戦争と人間』に言及したとのことである。北大路はテレビで広田弘毅首相を演じるにあたって、「山本先生」が実現できなかった、東京裁判を全編のクライマックスとする『戦争と人間』第四部(『私の映画人生』によれば、企画時には「五部作」構想)について想起し、30年以上前に出演した映画では描かれなかった時期についての歴史劇の大役を担うことに、感慨深いものがあったという。もっとも、もし城山三郎の原作小説を山本が取り上げたとすれば、その中では言及されていない広田と玄洋社との密接な関係や、外交家としての政治責任についても描いたことだろう。


(注3):このことがとりわけ分かるのは『金環蝕』だろう。実在の政治家などをモデルにした俳優陣の怪演が突出しており、中でも三國連太郎の「政界の爆弾男」と宇野重吉の「金融王」のうさんくささは特筆に価する。


(注4):日本の「連続性」の象徴、また壹岐の中でそれが断ち切れきれない原因として、山本は天皇の存在を示唆している。「戦争の最高責任者は天皇ではないのか!」と迫るソ連側の尋問者に対し「ニェット(違う)!」と断固否認する壹岐の姿(フラッシュバックでも出てくる)や、乗馬する「大元帥」天皇の歴史的フィルムの活用からも、それは明らかである。


(注5):映画において、川又空将補とその上司・貝塚官房長(小沢栄太郎)との争いは大きな軸の一つである。戦友として抑留中の壹岐の家族を長く援助した好人物である川又に対し、内務省系官僚の貝塚は賄賂と権力をこよなく愛する救い難い俗物であるのだが、山本はこの両者をともに突き放して描いている。悪徳政治家と結託して貴様は何をして来たのだと川又は貝塚に詰め寄るが、そもそも「安保反対」を突き詰める壱岐の娘のような立場からすれば、軍拡と並行して隣国を敵に回す日米同盟を当然とする政治路線そのものがインチキだからである。しかし今度の新しいテレビドラマでは、この両者の関係が、まず間違いなく「悪徳官僚」に対する「憂国の志士」みたいな関係として描かれることだろう。もっとも、柳葉敏郎が俳優の「格落ち」を感じさせずに、丹波哲郎ほどの威風を感じさせることが出来るかは定かではない。


(注6):山崎氏の長編作品には人気作が多く、映像化されていないものの方が少ないくらいだが、それらの作品については「盗作」などモラル的問題を指摘する声が何度も挙がっている。『不毛地帯』に関しては、シベリア抑留経験者のいまい・げんじが『山崎豊子の『盗用』事件:『不毛地帯』と『シベリヤの歌』』(三一書房、1979年)において、自分の回想録の「盗作」を実証している。いまいは映画『不毛地帯』の抑えたラーゲリ場面の演出に対し、山本へ肯定的な手紙を送ったという。また鵜飼清の『山崎豊子・問題小説の研究:社会派「国民作家」の作られ方』(社会評論社、2002年)は、山崎氏のその他の「盗作」疑惑も取り上げつつ、山崎作品およびそれを受け入れている日本社会に内在する思想的な問題も広く論じている。山本は山崎氏の小説を原作とする、『白い巨塔』『華麗なる一族』『不毛地帯』の三本を撮っており、メディア・ミックスを通じた山崎氏の「国民作家」化の責任を一定程度は有しよう。ただしそれらの企画は、すべて映画会社側からの持ちかけによるもので、映画化への売り込みは山崎氏自身からも受けていたようである。それにしても、異なる年代に異なる人物によって、二度にわたって「盗作」の指摘を主とする単著をわざわざ出された作家は、日本でも他に例がないのではないか。



神の風

私の通っていた高校は男子校で「文科系」の部活が少なく、たとえば演劇部などという洒落たものもなかった。しかしわたしが2年生になった事だろうか、突如それが発足することになった。Aという教師が「演劇部つくるぞ、お前たちついてこい」とぶち上げたのである。学生の方からそういうものが欲しいという要求があったのではない。A氏は多くの教師仲間から「指導力」および「知的能力」の不足がささやかれており、そのような評価を(特に校長から)払拭するための発案だと、別の教師からは聞いた。もっとも「演劇部」というアイディアそのものは生徒に新鮮だったため、「一丁演劇でもやってみるか」と入部した生徒もいるにはいたが、それだけでは頭数が足りなかったため、A氏は自身のクラスから人間を無理やり徴募した。幸いにしてA氏のクラスにいなかったわたしと友人連中は冷ややかにこの動きを見ていたのだが、これが笑ってもいられない事態となった。まんまとA氏の目論見に校長が引っ掛かったらしく、彼らの体育館での初舞台をわたしたちの学年全員で見る事になったのである。この芝居に匹敵する代物を、私は生涯見る事はないであろう。志願組は実に生き生きとはしていたが、あいにくみんな大根。徴募組は当然ながら、やる気もなくダラダラ。学生時代に舞台をやっていたというだけで演出経験はゼロのA氏が、パイプ椅子の客席前方に「世界のニナガワ」よろしく鎮座する背後で、わたしたちは居眠りしたり失笑したり飛んで来る蚊をつぶしたりで、苦痛とともにただ時が過ぎるのを待つのであった。


前置きが長くなったが、この時の演目は『ウインズ・オブ・ゴッド』であった。「現代」の売れない若手漫才師の二人が、交通事故をきっかけにタイムスリップし、昭和20年8月初頭の時点の特攻兵に転生してしまうという話であるが、先日わたしはその映画版(奈良橋陽子監督)をDVDで見る機会を得た。原作を書いた、自衛隊勤務の経験を持つ俳優・今井雅之が自ら主演を演じている。流石に出演者の演技はわたしが見させられた舞台よりうまいが、まあこれは当たり前であろう。舞台での演出(プロの)を流用したと思しきオープニングは悪くない。また、二人が初めてプロペラ機で自由に空を飛び、訓練や実戦とは関係なく子供のように飛行の喜びを味わうシーンも、映画でしか表現出来ないものであろう。映画内での「現代」は公開当時の1993年で、「PKO」がキーワードになっており、もはや自衛隊の海外での活動そのものは少なくとも「公的空間」では問題にならなくなっている現在と比べると、「隔世の感」という言葉では済まないものがある。ちょっと前にこの作品がテレビドラマになったものは見逃してしまったのだが、この辺りはどう演出していたのであろうか。


ところで諸君は、この『ウインズ・オブ・ゴッド』以外にも、戦争の経験のない「現代」の青年が、何らかの形で過去の特攻隊員になりかわるという筋の、小説やマンガを見た覚えがないだろうか。それぞれの青春を有するが今は死へ向かわねばならない若き特攻兵たちに、「現代」の感覚を持った主人公たちがそれをそのままをぶつけるものの、逆に彼らとの対話を通じて自分の価値観を逆に問い直される――この手の話では、そんな展開が必ず起こる。別にどれが本家でどれが分家だという話をしたいわけではない。ふとわたしが思ったのは、そのような作品において、何故主人公は戦局が絶望的になりにっちもさっちもいかなくなった大日本帝国の特攻兵にばかり転生するのか、ということである(注1)。「特攻」というのは、満州事変の勃発から太平洋戦争の敗北までのいわゆる「十五年戦争」の軍事政策の帰結であり、窮極的には明治以来の富国強兵政策が到着したすべての帰結ではあるわけだが、これが15年に渡る戦争総体を象徴した現象とは言い難いし、そこから「我々」のたどった歴史的経緯の性格を読み取る事は不可能である。というのは、特攻の組織化が決定されたのは1944年10月で、それが強大なアメリカ海軍相手に展開された期間は一年足らずに過ぎない。しかし、この外敵(「皇軍」そのものを含めた、日本に属する抑圧装置ではなく)の圧倒性が強調される事で、主人公たちが素朴に「何故こんな戦争が!」とたびたび憤慨するにもかかわらず、個人ないし青春の死を迫る「極限情況」が、人災というよりは宿命のように見えてしまうのである(注2)。これで、未来から来た主人公も過去の特攻隊員も「悲劇」の主人公となる。一方で、アメリカとの開戦に至る10年もの間、またアメリカとの交戦中もずっと日本が戦ってきたのは中国(さらには朝鮮のパルチザン)であった事実が抜けてしまう。「特攻」という設定自体が、物語内の登場人物だけでなく、物語の受け手の思考力をも著しく拘束するとも言えよう。


一度「我々」は、過去の戦争がどのようなものであったかという事を真に考えるために、特攻兵ではないものに転生する必要がある。例えば、物語の主人公が満州事変の始まった時点の中年男性に転生し、そこから1945年の最終局面へと向かう時間の流れの中を過ごすなら、そこで彼は市民生活のすべてがグロテスクに変貌していく過程を見るだろう。あるいは、主人公が日中戦線の陸軍兵に転生すれば、行く地行く地で殺戮と略奪を繰り広げる加害の主体として現れるだろう(注3)。上記のような特攻の物語から「我々」が「戦争反対」を導き出す場合、その内実は「日本人が死ぬ戦争に反対」「日本人の財産を破壊する戦争に反対」のレヴェルにとどまりがちなのではなかろうか。もしそうだとすれば、今度自民党なり民主党なりの政府によって外国との変事が起こされた時(現在その対象となる可能性が一番高いのが朝鮮なのは、誰の目にも明らかである)、「戦争反対」を貫徹できる人は、約70年前と同じくやはり少数派になるだろう。当局の恐るべき政治的弾圧がなくても、である。今度はこちらがかつてのアメリカの立場になるから特攻は生まれようもないし、核ミサイルのような裏技を相手方が活用でもしないかぎり、ほぼその戦争には100パーセント勝てるのだから(注4)。「北朝鮮人の人権擁護」という大義名分も活用可能か。すると、現在の「戦争反対」に必要なのは、特攻の記憶という部分的な認識を超えた、かつての戦争における史実に対する総合的な批判意識ではないか。






(注1):ここでは考察しないが、男性主人公が男性兵士に転生する事で「戦争」を考えさせられるという図式そのものには、大いにジェンダー的な問題が含まれている事には留意すべきである。


(注2):『ウインズ・オブ・ゴッド』の終盤で、はじめて主人公は特攻命令を下す小隊長(六平直政)に猛然と特攻作戦への怒りを噴出させるが、この小隊長もしょせん末端の人間に過ぎないし、彼自身も部下をむげに殺すのが忍びなく自ら特攻に赴こうとすら考える人物として描かれている。彼の怒りは袋小路に陥ってしまうのだが、実のところ彼らに圧し掛かる政策を実行する「暗黒の権力」は、「ちゃんと名前も住所も顔を持っている」(ブレヒト)はずだ。


(注3):改めて考えると、この時期の日本には抑圧的な権力に対するプロテストないしレジスタンスの層があまりにも薄かった。個人的なものもさりながら、組織的なものは皆無である。かつて「我々」が「日本」に対してほとんど主体的に戦わずして敗れたという事実を反省するよりは、美しい青春を運命的に失ったという自己慰安的イメージを自ら受容するために、「特攻」のイメージが活用されているのかも知れない。



(注4):「相手が核ミサイルを使っても勝ちそう」という声もあったが、あちらの核ミサイルが本土命中、あるいは普通のミサイルでもこちらの原発に炸裂すれば、たとえ平壌で金正日を縛り首にしても「勝った」と言えるのかどうかは微妙であると思ったので、このままにしておく。


[※文意の曖昧な部分を一部修正、および注4を追加した(2009年9月13日)]