トンキン湾は何度目か?

今度は米・仏を中心とする西欧の大国が、シリアへの軍事介入を発動しようとしている。事ここに及んでようやく日本においても、こうした動向に対する「反戦運動」の一定のリアクションが生まれているようだが、運動を呼びかける発言の中で「第二のイラクを許すな」という種のものを見ると、どこまで真面目に運動が貫けるのやらと感じないわけではない。「第二のイラク」だったらすでに、リビアあたりに現出しているのではないのか? たとえば、いずれも開戦まで似たような経緯をたどっているのに、なぜイラクやシリアを助けてリビアは放っておいたのだと、軍事介入に賛成する種の人々(ごく素朴な同情者から、救い難い「戦争賛成左翼」まで)につつかれたら、こうした「平和運動」はどう説明するのか? もっとも欧米でも、2003年のイラクからの10年を記憶喪失しているとおぼしき「平和運動」もあるようだから、「我々」のみが立ち遅れているわけでもないのだろう。喜ばしいことではまったくないが。ともあれ、世界の状況の見方においても運動の理論においても、「人道的介入」理論=イデオロギーのヘゲモニーにすっかり呑み込まれてしまっている限り、こうした運動の力は大きく封じられたままであろうことは繰り返し指摘しておきたい。


もちろん、「シリア政府が神経ガス(サリン)を使用した」とする反政府勢力の告発に対する疑問からの、「反戦運動」の立ち上がりそのものがおかしいと言いたいのではない。蓋然性の問題である。一時は相手方に押されていた内戦で巻き返しに成功しつつあり(リビアでも空爆まではそうだった)、わざわざ国連からの監視団を招待してみせる余裕もあった政府がこのタイミングで禁じ手を使うだろうか、また、前々から「神経ガス攻撃」については、政府側と同じくらいには反政府側の使用の可能性についても言及されているが、そうした情報も考慮に入れるべきといった問題意識から、人が違和感を覚えるとすればそれは道理というものであろう。以前から、リビアとシリアを同じ地平で考える種の「平和運動」の一つとしてわたしは、イタリアの反戦情報サイト「シビア/リリア」(注1)を何度か取り上げてきたが、今回は「神経ガス攻撃」が発生したと考えられる、8月21日の翌日付けでこのサイトに掲載された記事「シリアにおける化学兵器使用:新たなトンキン湾事件か?」を紹介したい。速報的記事――本当は8月中に公開したかったのだが――として、文章に無駄な重複があったりリンクのかけ方が中途半端であったりという点が気になるし、「反政府側による神経ガス使用の告発」ヴィデオへの反駁(注2)においても、その疑問点は理解するにしても解釈には拙速な部分も見受けられる。しかし、こうした「誰ヲ利スルヤ〔cui prodest〕」という、素朴だが合理的な観点からの検証が不可欠であり、美名の下に野心を隠した戦争を正当化する理由の立ち上げ、ここで言われる「新たなトンキン湾」(実はそれほど新しくはないのだが)の危険を考える上で、この一文は一出発点たりうるものであると考え、稚拙な訳を提示する次第である。なお、訳注のほか、本文内において簡単な補足は〔〕内に付した。


http://www.sibialiria.org/wordpress/?p=1865





シリアにおける化学兵器使用:新たなトンキン湾事件か?
2013年8月22日



シリアの反対派勢力が、8月21日に行わされたサリン・ガスによる攻撃によって、ダマスカス東部のゴータにおいて数百人もの市民を国軍が殺害した、すなわち西側諸国がシリアへの直接介入(飛行禁止区域、空爆)のために設置したレッド・ラインを超えたとして、国軍を非難している。シリア政府は武装勢力に対し反駁していているが、ロシア、複数のメディア、外交官及び専門家も当惑を表明するとともに、「誰ヲ利スルヤ」という点に光を当てている。


以前より軍事介入と戦争を挑発する虚偽に対抗することを任務としてきた「シビア/リリア」は、この事件についての最初の論考にて、以下の点を分析する。
A) ネットで今日までに公開された映像と「証言」の中で様々に見出される、つじつまのあわなさ、もっともらしいフィクション、総じて、責任に関しての証明の欠落。
B) アサドに反対している調査者たちによってなされた分析もまた、武装集団の側を指差していること。
C) 今日までシリアで発生した無数の「化学兵器の脅威」についての経緯と目的……


「シビア/リリア」編集部


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2013年8月21日の未明、ダマスカス近辺のゴータ地域において、政府軍が神経ガスで攻撃し、眠りについていた数百人もの市民を殺害したとシリアの反対派勢力は非難した。すなわちそれは、ダマスカスに国連調査団(シリア北部のKhan el Assalで起こったと想定される化学兵器の使用について、まさに調査する任務を負っていた)が到着し、ブリュッセルにおいては、とりわけシリアの非常事態を議題とした、諸国外相会議が招集されているのと時を同じくしていた(別の多くの非難を生んだ多数の虐殺の際のように)。


想定された攻撃に関しては様々な見解や、複数の悲劇的なヴィデオが存在しているものの、それらには議論の余地があり、何が発生したのか、その責任者は誰なのかということについての客観的な指標はまったくない。このニュースをもっとも流布している媒体の一つは、またもやアル=アラービーヤのネットであるが、彼らの一連の情報操作は新しいものではない(2011年2月における「一万人ものカダフィの犠牲者」についての彼らの報道を思いおこそう)。この放送局は事件について二つの発表をしている。最初は犠牲者数を280人とし、二度目には1188人としている。他の機関が提供する数字を挙げれば、「軍事革命評議会」は1300人、「シリア国民連合」は650人、「地域調整委員会」は750人の死者を数えている。ロンドンの「シリア監視団」の挙げる犠牲者の数はより少ないものの、多くの子供の死者について強調している。


主流メディア、外交官、反対派の情報源までが、シリア国軍の責任ではないかもしれないと疑っている


少なからぬ主流メディア、専門家や外交官たちが、上記のニュースの真実性に疑念を呈している。


非通常兵器の分野の専門家である、Gwyn Winfield〔原文はWinfiled〕は、8月22日の『レプッブリカ』のインタヴューにおいて、以下のように指摘している。「昨日のシリアにおける毒ガス攻撃は、新たなトンキン湾事件としての完全な性格を有していると思われます。外国勢力の軍事的エスカレーションを正当化するために抜け目なくこしらえられたこの“開戦理由〔casus belli〕”は、1964年にヴェトナムへのアメリカの軍事介入を正当化した、あの事件のようです」、Winfieldによれば、この虐殺の筋書きはアサドが書いたものではない。「化学兵器に関する調査のため国連から派遣された査察官がダマスカスに到着するのと同時に、この種の攻撃をアサド政権が行うとは信じがたいです。あらゆる殺人事件に対して、刑事が自問するようにふるまわなければならないでしょう。“誰ヲ利スルヤ”と。この事件は、あらゆる事件の責任を負わされることになる政権にとって、確かに好都合ではありません」。


BBCの特派員Frank Gardnerはこう自問している。「アサド政府は、最近地上戦で反乱側を制圧しつつあったのに、なぜ国連の査察官が国内にいるにもかかわらず、化学兵器による攻撃を実行しなければならなかったのだろうか?」


さらにスウェーデンの外交官である元国連査察官のOnu Rolf Ekeusもまた、ロイター通信でこう発言している。「これが政府の仕業とすれば非常に奇妙ではないかというのは、まさしく現在かの国に国際査察官が入っているからだ……少なくとも、賢いこととは思われない」。


国連査察官の一団を率いている、スウェーデン人の化学兵器専門家Ake Sellstromもまた、この攻撃の原因についての当惑を表明するとともに、とりわけ主流メディアで報道される死傷者の数の多さへの「疑念」に言明している。


『イェルサレム・ポスト』にすら、ガス攻撃という推定についての疑問が現れている。その例としては、IHSジェーンズ・テロリズム&蜂起センターの分析家である、Charles Listerの発言が挙げられる。「論理的には、ちょうどこの時、とりわけ(国連のチームの)到着する都市に比較的近いところで化学物質を活用することは、シリア政府にとってはほとんど意味をなさないだろう」。


また、在ジュネーヴ・教皇庁国連常任オブザーバーのSilvano Maria Tomasi師もこう述べている。「私見では、責任があるのがこちらかあちらかと問う際には、予断から出発することはできません。我々は事実を、また直接の利害関係という観点から、ダマスカスの政府にとって無益なこの種の悲劇がなぜ起こったのを明らかにすべきであり、そうやって直接誰に罪があるのかを知ることができるのです、殺人事件の調査に際してのように、問う必要があります。こうした非人間的な犯罪が本当に利するのは誰なのか? と」


ロシア外務省広報官のアレクサンドル・ルカシェヴィッチは事件について、地域のメディアによって制御された組織的な攻撃キャンペーンを伴った、シリア政府に責任をなすりつけている「計画的な挑発」であると発言した。ロシア外務省は、独自の情報を引用しつつ、未特定の化学物質を含んだ手工業的に制作されたミサイル(シリア政府が国連の調査官による調査を要請していた、先の三月のKhan el Assalにおける虐殺で活用されたと考えられているもののような――編集部注)が、反対勢力の支配下にある地域から発射されたという仮説を提示している。


シリア外務省の広報官は、毒ガス使用の告発に対し「虚偽」のラヴェルを張るとともに、それが「Khan el Assalでの使用が想定される化学兵器についての調査を展開している国連の査察官を妨害する」ためのものであるとしている。


情報サイト(親政府派ではない)「シリア・トゥルース〔SyriaTruth〕」は事件を、ラタキアとダマスカスの「トルクメニスタン人旅団」、とりわけ「イスラムの旗」と「預言者の末裔旅団」によって組織された計画により詳しく結び付けている。ここでは、こうしたグループが、ラタキアにおける宗派的浄化の虐殺を果たすための軍事作戦の中では「要求に応じた殺戮」に活用でき、ダマスカスに対しては国際的なメディア・キャンペーンをかきたてることのできる、化学物質を入手することに成功したと考えられている。とりわけ、最近2013年8月14日に同サイトに発表されたレポートにおいて明らかにされているように、ダマスカス周辺における殺戮はすでに計画されたものであり、ダマスカスへ国際調査使節団が到着するのに合わせて、それは8月の第三週の始まりに、なされていなければならなかったものである。


アサドの飛行部隊に打撃を受けた反対派によれば、化学攻撃についての説得性の欠如についての興味深い考察が軍事専門家によってなされており、彼らは8月21日のゴータ一帯にはかなりの風が吹いていたようであると指摘している。つまり風によって周辺地域にまで甚大な犠牲者を出してしまうことから、技術的には化学攻撃にほとんど適さない天候状況であったということである。


「証言」とヴィデオ


流布している写真と映像の情景は非常に激しいものではあるが、多くの疑問を引き起こす。より完全な検証は別稿に譲りたい。ここではいくつかの点に触れるにとどめる。


1)とりあえず、実際にこうした攻撃がおこなわれた、またそれが――反対派武装勢力の情報源の主張に従って――8月21日の未明(こうした情報源のいくつかによれば、より正確に朝の3時台)に行われたとすると、市民に対する攻撃の結果を記録したはずの映像が、どうして8月20日の時点ですでにネット上にアップされていたのだろうか?

例として、反アサド派勢力によって流布されているこの映像は、8月20日づけでYou Tubeにアップされているだけでなく、明らかに昼間に撮影されたイメージである。それから他にもこの映像これも、これも、これも、8月20日にアップされている。


この明白なつじつまの合わなさにも関わらず、これらの映像は直にネットで喧伝され、多数の言語にも訳されており、攻撃の結果についての反駁し難い証拠として提示されている。


2)いくつかの種のヴィデオについて、「シビア/リリア」は今後の論説で詳しく検証していくだろう。ここでは、「反アサド派」により制作され流布している、攻撃を「証明する」映像の多くを特徴づけている、つじつまのあわなさについて限定して指摘したい。


今のところ非常に疑わしい点は、これらの映像において、死んだもしくは死にかけた子供たちのそばにはまったく母親が現れず、唯一登場しているのは男性たちであり、彼らはアラーに救いを求めアサドを呪っているというより、子供たち(テレビカメラが独占的に活用されていると言えよう)を取り扱うために存在しているのではないかということである。


「救助隊」を描写しようとしているとおぼしき別のヴィデオにおいては、何人かの男性は手袋とマスク(おそらく「医者」としてふるまっている)をつけているが、多くの場合子供たちがたくさんの人間に踏み入られる床(病院では確実にないどこか)の上に寝かされていることを考えあわせても、衛生的な予防措置が理解されていない。同様に、神経ガス攻撃の犠牲者と想定されている人々が示す症例も疑わしい。こちらの解説によれば、症例のあらわれ方は確かに幅広い(様々な要素に基づく――吸い込んだガスの量、患者の年齢、解毒の作用……)ものだが、一般的には、大小便のたれ流し、鼻血、痙攣、赤いよだれ〔イタリアのマルクス主義グループのサイト「コントロピアーノContropiano」による報道分析〕などの症状が現れる。こうした症状は生存者の様子には表れておらず、彼らの衣服に残っていてもよい大小便のあとも存在していない。ヴィデオの中で映っている病気の原因が、神経ガスの使用によるものではないという同様の懐疑論を、化学兵器の専門家であるJean Pascal Zandersも表明している。


いくつかの撮影映像においては、床に並べられた子供たちが現れ、これらの映像自身が示唆せんとするところでは、彼らは死んでしまっていなければならないはずだが、もし彼らの何人かが動いていたらどうだろうか。あるヴィデオ(「反アサド派」によって制作された複数のヴィデオを照合し分析したもの〔のイタリア語訳〕)による裏付けから当惑させられるのは、ある子供(もしくはその肉体)が三度にわたって同じ部屋の三ヶ所に現れたり、ヴィデオの論理においては死んでいなければならない別の子供が、疑わしい注射を受けていたりすることである。しかも〔反アサド派の〕この映像において提示されているる、シリアにおけるガス攻撃の「証拠」として流布する写真は、逆にエジプトにおける弾圧の犠牲者を撮影したものである。


3)メディアにおいて神経ガス攻撃の「真実性」を裏付けている無名者の証言。例として『レプッブリカ』が収集したそれでは、ある自称病院医が複数の病院で1300人の死者を確認しているとのべているが、どのような病院でそれらが取り扱われたには触れられていない(インタヴュアーが彼にそれを訪ねていない)。


それでは、何が起こったのか?


ゴータ地区に8月21日に何が起こったかは、いまだ明らかではない。


非通常兵器からの防護の分野で著名な専門家であるGwyn Winfieldによれば、自由シリア軍の中で対立している多くの派閥のうちの一つが、暴動鎮圧用薬剤の使用において事故を起こした可能性がある。


「シリア・トゥルース」〔リンクはトップページにかかっている〕によって、ZamalkaとEin Tarmahの集落の住民へ質問することで行われた最初の調査によれば、女性と子供の死者はそれぞれ17人と33人(もしくは34人)、男性の死者はそれ以上にのぼるようである。事件の原因についてはいまだ明らかになっていない。いずれにせよ「シリア・トゥルース」が指摘しているのは、虐殺が発生したとされるZamalkaとEin Tarmahの村落は、首都の居住地域(ほとんどは親政府派シリア住民)および軍飛行場の近辺にあるので、神経ガスを使用した攻撃によって、シリア政府が何らかの利益を得ることは、たとえ付随的なものであれないだろうということである。


さらに、同じ「シリア・トゥルース」は、シリア軍がこの二年半の間に化学兵器を使用する意図をもっていたとすれば、それに適したきっかけはすでに何度もあったと指摘している。とりわけ一年前、森に囲まれた山岳地帯にあるJabal al-Zawiに籠てこもった約3千人の「反乱軍」と戦っていた時がそうである。そこで化学攻撃が行われれば、早急に状況の「決着をつける」ことになったであろう上に、総体として人の注意を引かずに行えたであろう。しかしそこでは化学攻撃は実現しなかった。すると、諸国の拡大鏡がこれほど近くにある地域において、今になってそれを行わなければならない理由とは一体何なのだろうか?


「ガス攻撃」の発生地となったはずの地域からの最新の証言を集めた、「ムシャラハー(Mussalaha/注3)」に所属する女性宗教者Agnès Mariam de la Croixに対し、「シビア/リリア」は電話でインタヴューを行った。Agnès修道女は、Ein Tarmahから道路一本だけの距離にある、Kashkoulに住んでいる知人たちと接触したことに言及している。彼らのうち、何かを感じたり聞いたりした人はおらず、吐き気や頭痛その他に悩まされた人々はいなかった。匂いもしなかった。Jobarからわずかな距離にある、Abassin Squareに住んでいる女性も同様であったという。


ともあれこの点について、また神経ガス攻撃という推定の別の側面については、近いうちにまた触れたい。


「シビア/リリア」編集部


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繰り返される物語


シリアにおける化学兵器に関する警告のいくつかを追うための一覧表(大量破壊兵器を口実にした、ブッシュがイラクに対して開始した2003年の戦争について言及しているのではない)を追うことである。多くの場合、それらは武装反対派に対し好ましいインパクトをもたらしてきた。


国際的に重要な会合が持たれると、必ずその裏で、反乱側から定期的に様々な虐殺の告発がなされたことについても想起しよう。


化学兵器に関する一覧表


ここに挙げる一覧表は、シリアに対する戦争のエスカレーションと「化学兵器」への言及が奇妙にも一致していることを示している。


2012年8月20日:バラク・オバマ米国大統領、アサド政権が「レッド・ライン」を超えて化学兵器を活用するならば、介入へ動くと脅迫。


2012年12月:NATOはトルコ領へパトリオット・ミサイルを設置するか否かを決定することになる。それに先立つ週においては、化学兵器に対する警鐘のエスカレーションが存在する。「爆撃機によって使用されるそれらが、すでに準備されているようだ」、かくしてオランダとドイツの当惑は取り下げられ、有事の化学兵器の発射からトルコを守るという口実によって、パトリオット・ミサイルが設置される。


2013年3月19日:アレッポ北部の地区であるKhan al-Assalで炸裂した、おそらく化学成分を搭載していた一発のミサイルによって、30人以上が死亡。政権側と反乱側は攻撃の経過についてお互いを非難。


2013年4月25日:アメリカの諜報機関は、政権側による科学兵器の使用についての兆候をつかんだと公表。しかしジョン・ケリー国務長官は確かな証拠はないと明言。


2013年5月6日:旧ユーゴスラヴィア内戦の国際刑事法廷における主席検事であったカルラ・デル=ポンテは、反乱側によるサリン・ガスの使用の証拠について言及。


2013年5月18日:アサドはインタヴューで、イラクに対してなされたように、シリアに対する攻撃を正当化するための方便として化学兵器が使われていると非難。


2013年6月11日:国連はダマスカス政府の招待を受諾し、Khan al-Assalでの化学兵器の使用について調査するためにシリアへ使節を送ると決定。


2013年6月14日:アメリカは自国の諜報機関が、政権側による科学兵器の使用についての資料を確認したと声明し、反乱側への軍事支援を開始する。


2013年7月9日:ロシアは、自国の専門家がKhan al-Assalにおいて反乱側が使用したサリン・ガスのサンプルを採取したと発表し、80ページの報告書を国連、中国、フランス、アメリカならびにイギリスへ提出する。


2013年7月24日:国連調査使節団長Ake Sellstromと、国連武装解除委員会の代表Angela Kaneは、調査の条件を交渉するためにシリアへ赴く。


2013年8月18日:Sellstromに率いられた20人のチームは、化学兵器による攻撃を受けて間もないとされる三つの地点を調査するため、ダマスカスに到着する。


2013年8月21日:反対派軍事勢力は、ダマスカス東部地域で神経ガスを活用したとして政権を非難。アメリカ・フランス・イギリスによって国連安全保障委員会が緊急招集される。






(注1):現在同サイトでは、イタリアの現野党「5つ星運動」と「左翼・エコロジー・自由」の所属議員へのささやかなネット署名活動が行われており、伊・仏・西・英語による介入反対アピールも読むことができる(たとえば英語のものはこちら)。後者の内容は自国民向きだが、最後の「シリアに平和をもたらすために、イタリアに何ができるか?」という一節などは、「我々」にも示唆するところがあろう。また、サイトの主催者である平和活動家Marinella Correggiaは、2013年2月末にローマで開かれた「シリアの友サミット」の記者会見の席で、アメリカのジョン・ケリー国務長官、イタリアのジュリオ・テルツィ外相(当時)、そしてシリアの武装勢力のリーダーの一人であるMoaz al-Khatibらに対し、メッセージボードを使った抗議パフォーマンス(本人の言によれば「代理で暴力を用いる者に対抗する小さな非暴力活動」)を行っている。コッレッジャ氏の活動は、目下ノーベル平和賞受賞者である大統領が空爆準備を進めているアメリカでもささやかな注意を引いたようで、たとえばかの国の群小共産主義政党の一つ「社会主義解放党」のサイトには、英語になった彼女の見解が載っている。トルコの左派新聞『soL』によるインタヴューの重訳というのが何とも不思議な感じであるが、これも興味のある方は参照されたい。


(注2):これを書いている9月7日23時(日本時間)現在、「8月20日」にYou Tubeへアップされた「毒ガス映像」――コメント欄には「撮られた場所と投稿された場所の時刻が異なるため」と解釈/反駁している人がいる――は何の支障もなく見ることができる一方、それがフェイクであると主張する「検証映像」の方は、アクセスする前に「見た人を不快にさせる、または不適切な可能性があると You Tube コミュニティが特定したものです。ご自身の責任において閲覧してください」というワンクッションが入る。本物にせよ偽物にせよ、「毒ガスを受けた子供たち」の映像は、少なくともその「検証映像」より生理的にショッキングであり、その意味では前者の方こそ何の気なしに見ることの警告が必要なように思われるのだが。


(注3):「和解」の意で、シリア内戦に際し活動を開始した複数の宗派の関係者を中心とした平和運動。フィデス通信(ヴァチカンの通信社)が、彼らの活動や発言をたびたび取り上げている。なお、わたしが目にした別のAgnès師へのインタヴューによれば、彼女はアサド政権を「社会主義的でスターリン主義的な全体主義政権」と規定しつつも、「シリア人民への愛と、もし政治的な考えによって出来事の真実を確認することから遠ざかってしまえば、教会が信頼を失ってしまうであろう」という懸念から、民間平和運動の促進につとめ主流メディアの報道の誤謬に異議を唱える由を述べている。


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Déjà vu/Jamais vu(2)

前回紹介したMarinella Correggiaの文章においては、世界的に流布している「シビア」や「リリア」に対するあまりにも一方的な報道へ対抗するものとして、英語およびイタリア語の記事がいくつも引かれている。その補足としてここでは、彼女の引用したうちでも一応メジャーな媒体の一つである、イタリアのキリスト教系日刊紙『アッヴェニーレ〔将来/未来〕』の記事を取り上げておきたい。『アッヴェニーレ』はキリスト教系の中堅紙(およそ10万部超、イタリアの新聞としてはほどほどの規模)として知られているが、同紙の2012年4月11日号に掲載された、シリア在住のイタリア人の一団によるこうした「証言」からは、「民衆デモ」を明らかに超えた軍事的内乱状態に、外部からの「人道主義的」な経済制裁が課されたことによって、かの国の混乱がさらに増大していることがうかがえる。なお、文章のまとめ手として記事の末尾に名前が出ているGiorgio Paolucciは、ネット上で拾える情報によれば同紙の編集長(caporedattore)とのである。


http://www.avvenire.it/Mondo/Pagine/i-ribelli-ci-uccidono.aspx





『アッヴェニーレ』
2012年4月11日号


証言――「反乱側が私たちを殺す。軍に残っていてもらわねば」



私たちは優に7年はシリアに住んでいて、この国とその人々を愛しています。私たちは、西側が自分の手を汚さず、それでいて他国民の歴史を演出するための、最も不当な兵器の一つである国際的な制裁措置を支持するようにと、ヨーロッパで広められ世論を形成しているある種の情報に対し、憤りと無力感を感じています。ヨーロッパの手がきれいなのはある程度までです。ゲリラ戦の活動を組織するために蜂起の側へ与する、イギリス、フランス(またその他の国々の)の軍事人員の存在の報告が急増していますが、これは沈黙のうちにまかり通っている重大な国際法違反です。シリアの人々の「春」を助けるための署名と資金が集められました。


しかし――まったくの善意で――シリアの「解放」に力を貸し支持する人は、彼らに武器をもたらすことで、非人間的な殺人者たちに資金を提供し、情報の操作に寄与し、元に戻るまで何年もかかる市民生活の動揺を助長していることを知るべきです。共存が日々の糧であった一国の均衡をひっくり返しているのです。現実を知らずに干渉をすることで、我々は自由の身ではなく、自分たちを誘導している他の利害関係のために機能しているのです。


私たちの課題は、シリアでの事態のグローバルな社会的―文化的解釈を提供することにはなく、それは別の人たちが私たちより上手にやっています。本当に望む人は、オルタナティヴな情報を得ることだって可能です。私たちがただ語りたいのは、住んでいる田舎の小さい村、ここで目に映るできごとについてです。ほとんど毎晩、小さい駐留地にいて警戒にあたっている兵士たちは攻撃されています。一帯に現れる反乱者からも、正規軍を圧倒し武器と戦士の流れるルートを切り開くというもくろみで、シリアの国境を通過する傭兵団からもです。軍は応戦しているか? その通り、そしてそれに人々は満足している、なぜならこの国に武器と傭兵がすでにあふれているからです。


正規軍が撤収するようにという最後通告の期限が切れようとしていますが、ここにそれを望む人は誰も――文字どおりの意味で――いません。人々が安全を感じるのは軍がいるときだけです。市街において、村落において、路上において、いわゆる解放者によりすでになされている暴力は多く非常に野蛮なものであり、人々はただ彼らが敗北するのを見たがっているだけです。乱行は続いています。殺人、家屋や財産の徴発ないしは放火、人間の盾としての大人や子供の利用です。反乱側は道路を封鎖し、市民の自動車に発砲し、強姦し、犠牲者たちから金品を強奪するため誘拐や殺人を行っています。作り話でしょうか? 聖金曜日〔キリスト教における復活祭の前の金曜日、2012年度は4月6日〕の夜、私たちの住む所から遠くないところで、彼らは青年一人を殺し二人を負傷させました。彼らは復活祭を祝いに家に戻るところでした。死んだ青年は30才で、私たちの村の者でした。私たちの間で生命を落とさなければならなかったのは彼らが最初ではありません。今では買い物に行く、または働きに行く前に、地域を軍隊が監視しているかどうかを確認します。私たちに起こった事件としては、3時間の銃撃戦によってある高速道路の区画内で足止めされ、暴徒の射撃からドライバーが通過できるよう、戦車の隊列が守ってくれてようやく再出発できたということがありました。


こうしたことについてなぜまったく語られないのでしょうか? つい先日のアレッポ〔古来からのシリアの大都市〕のように、あちこちに潜伏している殺し屋のようなたくさんの兵士についてなぜ語られないのでしょうか? 厳しい事例はいくらでも指摘できるでしょう。私たちの工員の兄弟は、ホムスで反乱側にほかの市民と投獄されましたが、すでに死んでしまったと思われますし、それにもかかわらず私たちの村の家族の二人の父親は、置き去りにされてしまった人のためのパンを買って分け与えるために、暴徒のあるホムスにとどまっています。しかし、ここで私たちが強調したい問題であり、皆さんに動いてくれるよう求めたいのは、国際的な経済制裁のそれについてです。代償を払っている、今後はさらなる代償を払わなければならないのは、貧しい人々なのですから。
働き口はなく、生活必需品もなく、家畜や卵のような特産品の搬出もできず止められています。そうして、残る希少品が、法外な値段で売られるのです。


緊急な必要物資の中には、赤ん坊のためのミルクがあります。カートンあたりの値段は二倍、250シリア・ポンドから500に(日雇い男性労働者一人当たりの賃金は700-800シリア・ポンドです)。家畜のエサが足りません。入手可能なわずかな既製服は650から1850シリア・ポンドへと跳ね上がりました。特殊医療品は欠乏し、反乱側がいくたびも発電所と送電線を爆破したので電気も足りません。燃料がない(この年の冬は非常に寒かった)のは、もはやシリアは自国の原油と製油を取引することができないからです。だからトラクターも止まったままで、地上を走ることもできません。ゴミ収集のトラックすら動けません。燃料がないとポンプが動かないので、水についても支障が出ています。私たちの村とその近辺――同じ井戸を使っています――は、一週間に一度、それも3-4時間しか水を得られません。将来的には本格的な飢饉の危険があります。もうすぐ小麦が尽きるので、貧しい人々に対し、今のところ政府が公定価格で分配できている、唯一の栄養物であるパンもまた尽きるでしょう。そして、赤十字が援助品を持ちこめないことについて抗議されています。赤ん坊のおむつの運び込みまで経済制裁の対象だなんてありえるのでしょうか?


こうしたすべてはまったくの不正です。武器をもっている政府の転覆に成功しないので、人々を苦しめ憤慨させることでそれを達成しようとする。まさに、これこそが制裁のロジックです。しかし、国民の大多数は――好むにせよ好まぬにせよ――状況の暴力的な変更は望んでいないので、こうしたシステムが本当の蹂躙行為となるのです。私たちは、経済制裁と干渉を停止するため何かをしてくれるよう強く訴えます。それでこそ多くの称賛を受けている我々の民主主義が、人々の本当の幸福に役立つ力を示せるのではないでしょうか。



シリアに在住するイタリア人グループ
(証言収集はジョルジョ・パオルッチ)








Déjà vu/Jamais vu(1)

去年の「匪賊対革命ごっこ」シリーズの中で、わたしはMarinella Correggiaというイタリアの女性平和活動家の文章を紹介したことがある(「夏休み特大号その2」および「補足☆」)。今年3月、このコッレッジャ氏によって、リビアとシリアにおける事態についての情報サイトが新たに開設された。イタリア語を中心に、英語やスペイン語の文章も含めたサイトの名前は「シビア/リリア〔SibiaLiria〕」。「リビア/シリア」ではない。開設にあたってのメッセージによれば、音節こそ似ているが内実は大きく異なる二国が、ほとんどコピーのごとく似通った危機に陥っていることを示唆したタイトルであるが、もちろんそれ以上の皮肉も込められたものであろう。この両国について大した知識もなく、区別だってろくにつかないのに、なぜ「民主主義」を享受していると自称する人々は、他人の「革命」を上から目線で楽しめるのか、と。


わたしは今年に入って「シビア」および「リリア」についての主体的な情報収集を一時中断していたが、「yahooニュース」あたりで検索される「我々」の報道の有り様は相変わらずひどいものである。「「飛行禁止区域」を支持し、反乱側を「自由のパルチザン」、「革命的青年」、「独裁者と戦う偉大な人々」「反乱において全く非武装な人民」〔中略〕と定義していた人々は――左派も含め――いまや沈黙している」とした、彼女の2012年4月14日づけの記事の題名は「何故リビアが何の教訓にもなっていないのか?」。まったくその通りである。あまりの憤怒ゆえか、サイト中のコッレッジャ氏の文章にはミスタイプも多い(引用する人物の名前を間違えるのはいただけない)し、幾分無理に論証用のソースをかき集めている感はあるが、こうした問題提起の性質そのものは正当であるとわたしは考えるし、ゆえにこうした意見を持っている人が海の向こうにもいることを諸君に再び紹介する意義もあるだろう。


例によっていい加減な翻訳なので(誤りについてはこっそりご指摘願いたい)、原文を当たるぞという方は下記のアドレスに飛んでいただきたいが、一つ注意を。原記事には、まるでゴルゴ13にヒットされたかのような「頭をぶち抜かれたムアマル・カダフィの写真」の画像が出てくるので、ホラーが苦手な人は気をつけていただきたい。ただしこれは、昨年8月のトリポリ陥落の時点で報道産業の一部で出回っていた合成写真である。このイメージはイタリアの対抗情報サイト「メガチップ」に記事が転載された時、合成と分かっていても悪趣味であるという判断からか(?)、戦争に勝利したヒラリー・クリントンが満面の笑みを浮かべているという写真に差し替えられているので、イタリア語は読めるけど気味が悪いのは御免だという方は後者で原文を読まれたい。もちろん、どちらの画像が政治的にグロテスクかは別の話である。


http://www.sibialiria.org/wordpress/?p=249(元記事)


http://www.megachip.info/tematiche/guerra-e-verita/8075-perche-la-libia-non-ha-insegnato-niente.html(「メガチップ」に転載された記事)





何故リビアが何の教訓にもなっていないのか?


2012年4月14日
マリネッラ・コッレッジャ



リビア人の友人の一人がSkypeで私に電話してきた。NATO/カタールの爆撃のさなかの8月のトリポリで、私は彼と会っている。彼はこう言っていた。「この政府に批判したいところはたくさんあるけど、いわゆる「反乱側」がNATOの爆弾を、同じ国の人間の頭上に降らすよう何度も要請しているらしいということから、私はすべての疑念を捨てたよ。この時期においてはカダフィこそリビアであり、敵は別にいるんだ」。優秀な再生エネルギー専門の技術者であるWalidは、いまもトリポリにとどまっているが(「ところがすべてが止まっているんでね、石油売買の金がどこに消えたかは誰にも分からない……」)、妻と子供たちを連れて早く出国することを願い打ちひしがれている。その一方で彼は、今や困窮している様々なリビア人を助けられればと思っている。私には、「新しいリビア」においてそうした基本的人権を守ろうという国際法曹委員会に彼を紹介することができない。


今や北アフリカのこの国は地獄であることを、リビアの国民解放委員会とその兵士たちへ勝利の歌をささげていた人々自身が認識しなければならないはずだ。「自由のパルチザン」、「革命的青年」、「独裁者と戦う偉大な人々」どころではない。人種主義に、何十万もの人間への迫害に、完全武装の民兵に基づく革命がありうるということなのか? リビアで起こっているのはこうしたことである。


「飛行禁止区域」を支持し、反乱側を「自由のパルチザン」、「革命的青年」、「独裁者と戦う偉大な人々」「反乱において全く非武装な人民」(最初から殺戮についてのニュースは漏れ出ていたにもかかわらず)と定義していた人々は――左派も含め――いまや沈黙している。


リビアの「反乱者」とシリアの反対派の間にある交錯と類似――振る舞い方、同盟者、メディア活用能力における――は驚くべきものである。死者の数に至るまでけたたましくも操作された情報が、シリアの上にもふりかかっている
http://www.sibialiria.org/wordpress/?p=244および他の記事を見よ)。「死者の大部分(文民と軍人)は、反対派の兵士に指導されたテロリスト的活動によるものである」と、アナリストのMichel Chossudovskyは『ロシア・トゥデイ』で解説する一方、リビアの場合と同じく、シリアの武装した反対派は「和平プランに真の脅威となる、地上に展開したNATOの部隊」と考えられると主張するのである。


主流メディアが言及する――そしてまさに国連が真に受けている――ほとんどの「ニュース」は、反対派から、シリア国内の避難民の語り、そして「独立した集団ではなく、事実上組織化された反乱集団の側に属し、西欧の強国の将来の干渉を正当化しようと試みて」いる「転向者」からのみもたらされている。
(http://whowhatwhy.com/2012/04/02/how-war-reporting-in-syria-makes-a-larger-conflict-inevitable/#disqus_thread)。一つの衝突の状況においては二つの真実があるのは明らかである。アル=クサイル〔原文Kusayr/ホムス近辺にあり、2012年2月から戦闘中〕の市民についての話が対立している。二つの集団の双方とも、相手方の民族浄化、破壊活動、狙撃について非難している。アナンの計画によって「着手された」休戦違反についても、鐘の音は聞きとられない。


武装集団の暴力は、非政府系の宗教グループの報告――虐殺された家族の名前と名字を指摘した――や、シリア市民のグループにも記されている。最近の『アッヴェニーレ』紙はシリア在住のイタリア人による書簡を公開した。
http://www.avvenire.it/Mondo/Pagine/i-ribelli-ci-uccidono.aspx)。
これは最新の展開というわけではない。たとえば何ヶ月も前、世界のメディアはトルコの新聞Today’s Zamanで報ぜられたことを無視した。Jisr al Shugurでは、120人の警察官が殺害および打ち首となり、都市にあるすべての公共建築物が破壊され、住民は安堵とともに正規軍を迎えることになったというものである〔2011年夏における武力衝突について、「主流メディア」の報道では逆の報告がなされている〕。


「まったく非武装の人民が血まみれの独裁者へ立ち向かう」という語りは、事実と食い違っている。それは、シリアの住民が分裂し、多数派の一つは政府を支持し、街頭にも繰り出しているように見えるから(まったく組織化されていると言及されるだろう)というだけではない。Fida Dakroub〔原文はYakroubだが誤り〕が説明しているような理由からでもある。
(http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&;aid=29849)
「シリアで騒乱が勃発した際、抗議活動はおなじみのスローガン(自由、正義、民主主義、社会的権利の回復)を掲げ、平和的形態で行われていたというのは真実である。そしてデモンストレーションの要求はなお、社会的要求に限定されていた。それにもかかわらず、こうした抵抗は急速に、非正統的イスラム教徒やキリスト教徒のようなこの国の宗教的少数派を標的とした、セクト的暴力行動へと姿を変えたのである」。


ある読者が指摘してくれるところによれば、シリアから逃亡したアクティヴィストが、同じように言及している。
(http://karim-metref.over-blog.org/article-intervista-a-un-attivista-scappato-dall-inferno-siriano-102399062.html)
「最初はまったくうまくいっていた。〔「アラブの春」が起こっている〕一帯のすべての国と同じように。(中略)突然何もないところから、武器と金をいっぱい持ったサラフィー主義者があらわれ、状況が退行した。もはや何もわからない。あちこちで蠅のように人が死ぬ。その他の傾向は二方向からの放火に出くわすことになった。国家にも武装集団にも脅かされているのだ。多くの都市で語られるところでは、いわゆる「自由軍」の集団は政府よりひどいふるまいをなしており、対政府協力者とされた人々が公開で拷問、人体切断、殺害されている」。


それから、武装する反対者の同盟者は、カダフィに対してもアサドに対しても同じである。すなわち、NATO諸国と王制産油諸国〔petromonarchie〕である(2011年にはリビアの反乱者から、2012年にはシリアのそれから英雄として扱われた、ジョン・マケインについては言及するまでもない)。この地域における大西洋諸国-イスラム原理主義者〔atlantislamisti〕の利害を重要視しないでいられるのか? 政治、経済および社会改革を望むシリア国民のもっともな渇望の進展への外部介入に寛容でいられるのか? カタールとサウジアラビア王家に財政援助を受け、シリア正規軍と交戦するシリア自由軍を、シリア国境からわずか数メートルのところで迎え入れていながら、NATOに自身の国境を守ってくれるように要請しているトルコのゲームについて認識しないでいられるのか?(国境で何が起こっているかについては、Pepe Escobarの〔『アジア・タイムス・オンライン』に掲載された〕文章を見よ
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/ND12Ak03.html)。


リビアの事態は何の教訓にもなっていない。シリアについての語りは、騒乱の責任、または反対派の民主主義および独立の性質について、議論しようと挑む人々が「錯乱している」とみなされてしまうほどに、一方的なものである。しかしながら、ここ数十年において、西欧の戦争への反対、またイラクの包囲への反対に従事していた人々は、「錯乱」を非難されていなかっただろうか?







「中東革命」は誰のものか、または匪賊対革命ごっこ(結語に代えて)

1)先日、リビアにおける「国民暫定評議会代表のムスタファ・アブデル・ジャリールは、イタリアの防衛大臣イニャツィオ・ラ=ルッサがトリポリを訪問した際、イタリアの統治時代はムアマル・カダフィのそれより良いものであり、「インフラ、建設、農業の偉大な発展期であり、法が正しい裁判を保証していた」ものであったなどと発言したそうである。これに対し歴史家アンジェロ・デル=ボカは、『マニフェスト』紙の10月14日号に掲載されたインタヴューで、上記の言明が「ほとんど“たわごと(bestemmia)”」であるとコメントしている。


http://www.ilmanifesto.it/area-abbonati/in-edicola/manip2n1/20111014/manip2pg/08/manip2pz/311583/
http://notizielibere.myblog.it/archive/2011/10/16/la-bestemmia-di-jalil.html


彼は、特にファシズム期の植民地戦争において15か所の強制収容所が建設され、その中で少なくとも4万人のリビア人が、銃殺、病気、環境の不備などによって死亡したことや、6-7万人以上が対伊戦争で没していることを挙げ、当時同地域の住民として確認されていた80万人のうち8分の1もの犠牲者があったことを指摘する。事態の責任者の一人には、第二次世界大戦直後に出現するネオ・ファシスト政党「イタリア社会運動」の指導者になったロドルフォ・グラツィアーニ元帥がいるのだが、かつてこの政党に所属していたラ=ルッサ大臣にとって、ジャリール氏の「たわごと」はとりわけ歓迎されるものであろう(注1)。デル=ボカ氏は史実の指摘に加え、暫定評議会がイタリアの植民地主義について「善良で」、「寛大で」、「正しかった」と認めるとすれば、我々が植民地支配への賠償についてこれ以上論ずる意味もないだろうと皮肉極まりない口調で述べている。すなわち、カダフィ大佐がイタリアと締結した2008年のベンガジ条約においては、彼が長年にわたって要求してきた植民地支配への補償(20年間にわたる50億ドルもの支払い)条項が盛り込まれていたが、「今やカダフィはもはや存在しないので、賠償を請求する人はもはやおらず、その後継者はまったく違ったことを言っています。それなら我々は、この後継者にもはや1リラたりとも払ってはなりませんね」。


2)結局今日の今日まで、わたしはデル=ボカ氏によるカダフィ氏の伝記を読み切ることができていない。しかし少なくとも、日本から遠く離れた国の人物のあれやこれやについて、自分はいかに多くのことを知らなかったのだろうと、その頁を拾い読みするたびには驚かされる。フランスやイタリア、またはアメリカやイギリスなども、距離的には非常にかけ離れた国であるが、これらの国々について自分たちが手にした、ないしは何者かに教え込まれた知識や情報と比べ、エジプトやチュニジア、またはリビアやシリアについてのそれらは、いかに貧困なままに留め置かれていることであろうか! そのような現状に「悪逆なるカダフィ」のイメージが大放出されたのであり、ここから突如「40年以上の独裁」をウンヌンすること自体、そもそもおこがましいのではないかと最初に感じたことが、このたびの連続記事を書くきっかけとなった。「40年以上の独裁」以前の社会がバラ色だったかというと、そのようなことも決してありえないだろう。必要なのは月並みな「独裁」イメージやマンガ的想像力ではなく、知性的・歴史的なアプローチによるその様相の厳密な評価と、それに基づいた政治的判断であろうが、これには時間がかかる。そして現代の戦争遂行勢力は、この判断を防ぐために異常な速度でことを進めようとすることが改めて確認された。いまだに詳細が明らかではない/明らかにしようとされない「市民爆撃」を皮切りに、次々と信頼性が薄い、あるいは実証されない情報が伝達され、「緊急性」に基づいてなされた「国際社会」の決議が、修正も撤回も何らなされず事態が運ばれていき、ついには暫定評議会の承認に至る――ことの不気味さについて、諸君はいくら考えても考えすぎることはないだろう。


3)ここで国連決議1973号を復習したい。


http://unic.or.jp/security_co/res/res1973.htm


まず、この決議そのものが国連憲章に違反してはいないかという疑問が出る。一国の内戦への介入を合法的とする理由としては、「国際の平和及び安全を維持すること」(第1章第1条1項)という、国連憲章の一部分がピックアップされるのであろうが、憲章の全体においてより大きな問題となっているのは、「人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること」(第1章第1条2項)という一節に代表される、国家間の紛争の解決についてであり、ある国家の内戦的状況に対する別の国家の介入については、むしろ否定的と言えるだろう。


さらに、この決議によって明確に定められているのは、「市民の保護」を目的とした「飛行禁止区域」についてのみであるということである。実際に行われたような、反乱側への資金提供、カダフィ大佐側に対するNATOの空爆(これがないかのような扱いをすることは絶対に許されない。のべ2万回を超える出動とはすさまじい規模である)、および陸軍の投入(トリポリ入城の際には、「英・仏・カタールなどの陸軍特殊部隊が参加している」などと当たり前のように報道されていた!)を根拠づけるものは何もない。それらを遂行するとすれば、それぞれの件ごとに新たな決議を通さなければならないはずであるのだが、もちろん、それをいちいち提起していては憲章との齟齬がますます取り沙汰されるだろうから、彼らはそんなことはしない。さらに国によっては、今回のような対外戦争へ強い限定を加える最高法規(イタリアの場合は憲法第11条)があるにも関わらず、そのような国内法にも違反した行動をしている。110mハードル走の時のウサイン・ボルトでさえしないような問題の飛び越え、または薙ぎ倒しようである。「国際社会」は、カダフィ氏を捕まえ処罰する警察や裁判所の存在を謳っていたが、そこには法がない。法なき警察や裁判所がどのように機能するというのか?


4)確かに、このあたりのNATO諸国の度し難い無法ぶりは、サダム・フセイン(と主権国家イラク)が滅ぼされた、2003年とあまり変わりはないかもしれない。しかし2011年における問題はより大きい。列強権力の介入による現地政権の打倒について、西側諸国における各種の社会的勢力が、「自分たちの敗北」としてほとんど誰も認識していなかったからである。たとえばリビアの旧宗主国イタリアを見れば、誠実かつ老練な歴史家や政治研究者以外にも、平和主義団体の一部、共産主義政党の一部、カトリック聖職者の一部による奮闘は確かにあった。こうした人々に、わたしは改めて敬意を表したい。しかし彼らの奮闘にも関わらず、イラク戦争の時に見られたような大衆的動員はついに起こらなかった。2003年に起こった西欧諸国の反戦運動を、アントニオ・ネグリの言う「帝国」に匹敵する巨大な対抗運動の出現として評する声がかつてあったが、あれはいったい何だったのか。それとも8年前の事象は、各国の人民の自律的運動の爆発というよりは、何かしらメディアのさじ加減で決定されていた「集団ヒステリー」のようなものだったということだろうか。西側の情報産業による現地政権とその首長の描き出されようは、2003年と2011年とで明らかに異なっているが、その落差は「社会運動」の盛り上がりの有無に面白いほど反映している。


カダフィ氏の敗北が、彼個人やその一族の敗北にとどまらず、歴史的な反植民地運動やアフリカ大陸全体の発展の模索の敗北につながるものであり、それは自分たちの「平和主義」なり「リベラル」なり「左派」なりの運動の敗北であるとしたらどうか――そうした可能性について、こうした運動の人々が思考を一度でもめぐらせた形跡はほとんど見られないどころか、概して「“リビア民衆”とともに戦った自分たちの勝利」として寿がれているようだ。実際にリビアに赴いて戦闘=殺戮を展開していたのはNATOであったが、そういうことになっている。もっとも完璧な勝利とは、相手方に敗北を喫したという認識を与えないくらいに、その精神世界をも制圧することによって達成される――こんなことを言っていたのは誰だったろう? ともあれ、世話はない。


5)NATOに膝を屈している西側メディアによる、いわゆる「情報操作」なり「ストーリーの創造」は確実に存在しよう。しかし今回本当に驚かされたのは、あまりにも多くの西側諸国の「左翼」を自称する/他称される人々が、こうした動向に対抗的な発想をしないどころか、相手が送ってくる波に乗ったまま自分たちの話をしていたということである。わたしはこれまで、ジャン・ブリクモンの関わった二つの文章をそれぞれ要約および抜粋という形で紹介してきたが、彼が指摘するフランスの「左翼」の混迷ぶりには信じがたいものがある。リビアの暫定評議会がNATOにほとんど「おんぶにだっこ」で来ているのは、多少なりとも情報を調べれば明らかなことであるが、フランスの「左翼」もまたNATOに「おんぶにだっこ」らしい。わたしですら、NATOを「民主化」に活用することが現実問題として可能かどうかを考えた時、以下のような結論に至ったのであるが。


①:それ自体巨大で独立した戦争機構としてのNATOがひとたび動き出せば、掣肘するのは極めて難しい。

②:議会における議席数という単純な指標からしても、フランスの「左翼」は少数派であり、多国籍の戦争機構どころかフランス軍単体をコントロールできるほどの実効力すら有していない。なぜニコラ・サルコジ大統領のような新自由主義的保守が、自分たちのエージェントとして自分たちの要求を代行してくれると思えるのか?

③:たとえこうした「左翼」が政権を握り、サルコジ氏とその廷臣たちが彼らの政治における犯罪的行状をすべて暴かれ、全員がサウジアラビアあたりへ高跳びしているような状況であるとしても、そもそもNATOのような戦争機構は「人道的」な国際支援をするには不適格なのであり、これを通じて自分の構想を実現させることは「左翼」であろうとあるまいと不可能である。


近来わたしがしばしば訪れるサイトの一つに「スーパーゲームズワークショップエンターテイメント」がある(注2)。このサイトでは半年以上も前から、朝鮮半島問題の専門家と見なされてきた石丸次郎が、実質的には朝鮮を標的とした東アジアを巻き込む戦争の扇動者でしかないとして猛烈に批判されている。ところで、その8月下旬における記事の一つは、リビア戦争について石丸氏がツィッターで書いたものと、「笹川平和財団アドバイザー」の佐々木良昭が雑誌『ダイヤモンド』に寄稿したものを比較し、後者のほうがよほどマトモではないのかと面罵するものであった。わたしも自分なりに学んだ史実や情報から、この判定には全面的に同意するものであるが、記事で紹介されている佐々木教授の文章を前述のブリクモン氏(およびダイアナ・ジョンストン)の批判とあわせて考えると、日本の「北朝鮮」怪情報ブローカーどころか、フランスの「左翼」の大方より佐々木氏の方がマシということにすらなりはしないか。我々は、ほとんどの西側諸国の議会内外の各種左派組織が、社会民主主義を名乗るそれらから無政府主義なり共産主義なりを名乗るそれらにいたるまで、どれも「笹川系右翼」以下のボンクラではないかということから疑い直す必要があるのかもしれない。まことに残念ながら。


6)反乱勢力がトリポリを奪取した後になって、イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相は「これは国民的蜂起というものではない。私がリビアを訪問した時に見ることができたように、リビア国民はカダフィを愛している」と発言したそうである。


http://www.voltairenet.org/Berlusconi-says-Libyans-love


女性とのベッドインは好む一方、ジョン・レノンのようにラヴ&ピースは訴えない人物の、なんともいまさら感の漂う言葉ではある。しかしこの発言について「それは両方とも同類の独裁者だからであるなどという、程度の低すぎる応答はくれぐれも慎まれたい。両者が「同じ」だとするならば、NATOがイタリアの「反乱勢力」に資金と武器を供給し、ローマやミラノに空爆すべきだと絶叫するがよろしい。現在イタリアの大都市においては、「ブラック・ブロック」と呼ばれる無政府主義的グループをはじめとする「市民」がこっぴどく街頭で弾圧されているそうであるから、ぜひ彼らは「保護」されるべきである(注3)。この「ブラック・ブロック」は、かつて2001年のジェノヴァ・サミットの際において最初の勇名を馳せたものであったが、10年前に彼らにNATOがあらゆる援助をなし、イタリアの「民主化」を支援しなかったことは残念なことではないか。もちろん、リビアのカダフィ大佐もそんなことはしなかった。彼はまったく「民主的」でなかったからである。


ベルルスコーニ首相の「アメリカの圧力、ナポリターノ大統領のスタンス、議会の決定を考慮したうえで、私にどんな選択ができただろう?」という一節は、政治的泣き言に過ぎず、職責放棄を指摘されても仕方ないものだが、自国の憲法違反である疑いの濃い軍事活動に異議を唱えなかった大統領や、内閣の外からそれを強く後押しした民主党などの責任は、これとは別に指摘されうるものである。むしろ、「他国とのつきあい上しょうがなく」といった言い訳でなく、「市民の保護」といった看板を振り回し続ける一方で、NATOの活動の実質には沈黙し、植民地主義の再来についての感覚もなく、自身がリビアにとってベルルスコーニ氏以上の疫病神になった可能性についてもなんら省察がない彼らに、イタリアの市民が一種の「偽善」を嗅ぎ取ってもおかしくはないのである。諸君の中にも、外信でも伝えられる醜聞だらけのベルルスコーニ氏がなぜ決定的に没落しないのかと不思議に思っている方がいると思うが、わたしは今回の一件でその理由の一端は垣間見た気がする。「民度が低い」のではない。人権だの自由だの言いつつ事態の穏当な解決には何ら寄与していない「戦争賛成左翼」を対極に、リビアの商社のビジネスパートナーとしての彼個人の利得の問題も見え隠れするとは言え、反動政治家としては本来口にできない「戦争したくなかった」という「本音」を漏らしてしまう首相を見た時、後者の「正直さ」がなにか愛らしくさえ見えてきても不思議ではないということである。


7)リビアの内戦への西側諸国介入に対して強く反対する勢力の中には、中国やロシアの「機会主義的」姿勢を非難する向きも散見された。彼らは、3月の時点で両国がリビア介入動議への拒否権を発動しなかったことを「怯惰である」と嘆き、現在では反乱側とつながりを求めるようになっていることを「二股をかけた」と罵倒する。しかしそれは、ないものねだりというものであろう。リビア介入を絶賛するようになっている「国際世論」から袋叩きに合い、似たような理不尽な制裁を自分たちに課されてはたまったものではないことを、この両国の指導者たちは賢明にわきまえているということである。両国内には、リビアにおける「反乱側」のような存在になり(他国にピックアップされ)かねない材料も存在する。むしろわたしには、この二つの国家が旺盛な自己保存欲を発揮しつつも、一方で対抗的情報を流布する形での間接的な批判は展開してきたのであり、最低限の義理は果たしているように見えた。


別に、中国の国際ニュースチャンネル(英語の)による新疆の報道や、ロシアのそれによるチェチェンの報道をそのまま受け取りなさいと言いたいわけではない。いかなる報道機関も自国とその勢力圏にどうしても甘くなるものであり、それは「先進国」=NATO圏メディアも同じだということが、はしなくも判明したというだけの話である。今回の一件に関して、正確な情報の提示とそれらに対する透徹した分析という、ジャーナリズムとしての仕事を誰が果たしていたのか。山のような「誤報」の後で、「先進国」の報道産業の戦争情報だけを格別に信用できるとすれば、それは彼らのジャーナリズムを信じているのではなくブランドを信じているのである。逆に、事態の初期段階において「国際世論」がいま少し、先行する報道の矛盾やリビアへの「人道的介入」に疑問の声をあげていたら、むしろ彼らは当初から国連で攻勢に出たことであろう。自身の努力が足りなかったことで責められるべきは、やはり西側の人々(もちろん「我々」を含む)ではないか。彼らは思想や表現の「自由」を一番享受しているはずなのだから。


8)今回の連続記事でしばしば紹介した、イタリアの対抗情報サイト「メガチップ」の主催者であるジュリエット・キエーザは、中道左派系週刊誌『エスプレッソ』による8月下旬のインタヴューで、リビアの戦争が西側にあらかじめ「プログラム化」されたものであったという持論を繰り返すとともに、「カダフィ後」も西側諸国のアフリカにおける軍事行動が続き、遠からぬうちに「第三次世界大戦」すら引き起こす可能性があるとしている。「アラブ諸人民の西欧民主主義への渇望というこうした記述こそ、近代に発明されたもっとも仰々しい偽造の一つ」といった、彼のいくつかの命題には即座に首肯しかねる部分もあるが、シリアなどへの「人道的介入」の拡大を英米あたりが唱える現状では、「第三次世界大戦」への警告を笑って済ませるべきでもあるまい。すなわち、なおも国内の急速な成長を維持する一方、海外では積極的な開発投資を通じたアフリカ諸国の取り込み――少なくとも軍事的にではない――を試みている中国の動向を、完全な経済的停滞期に入っている西欧諸国が指をくわえて見ていることはありえず、両者の間に5-10年で「不可避な衝突」が起きると彼は予測する(注4)。


さしあたってのNATO諸国の次の目標はシリアかという最後の質問に、キエーザ氏はこう答えている。「はい、またはイラン、しかし他にも替わりはあります。危機がより先鋭化した時になってようやく、どこかが明らかになるのです」。しかしヨーロッパに住むキエーザ氏は、次の危機が先鋭化する「どこか」について、基本的にはアラブ・アフリカや西アジアを念頭にしているようである。おそらく「我々」はアジアを念頭に入れて考えるべきであろう。たとえば、朝鮮半島が「どこか」になる/される可能性があるということを。


9)仮に現在「リビアかわいそう」「カダフィは非道な白人どもにハメられた」と絶叫する日本人がいたとしても、その彼が朝鮮の軍事的転覆=「レジーム・チェンジ」に賛成するならば、彼らの怒りは禍々しい欺瞞でしかあるまい。本稿の6節で引用した「スーパーゲームズワークショップエンターテイメント」では、「民主化」「人道的介入」の掛け声とともに、そういった事態が引き起こされることが真剣に憂慮されている。李明博に大統領が変わった韓国は、再び朝鮮に対する好戦的ジェスチャーを強めている。日本政府の姿勢は言うに及ばずであるから、一朝こと有らばここぞとばかりに自衛隊が出動する可能性が高い。「民主派」が出現すれば、NATO諸国流にそれに資金援助もすることになるだろう。しかし「朝鮮有事」においては、中国やロシアがメディアを通じた間接的な批判の域でとどまるとも思えない。リビアにとってウーゴ・チャベスやジェイコブ・ズーマは遠くの友達にすぎなかったが、朝鮮とこの両国は直接国境を接し、資源の通商だけでなく防衛線の問題も共有している。東アジアの紛争をきっかけに「第三次世界大戦」は発展しうるのである。さらに、日本が朝鮮と戦争をするなら、国内にいる相当数の朝鮮人(韓国籍非保有者の)を放っておくことをしないだろう。80年前にイタリアのファシストがリビアに建設したようなものを、日本でも見ることになるのだろうか? 


単なる類推と言えばその通り、しかし諸君もどうか類推を働かせて考えていただきたい。ところがそれ以前に、日本の各種運動のほとんどは、幾度もすでに書いてきたような程度の「戦争賛成左翼」を憧憬している(だけ)か、そのしごく出来の悪い引き写しにすぎないから、同じように西欧諸国の情報産業の引き写し(しばしばそれ以下)である日本の新聞記事を読んで、リビアでの一連の事件に分析を加えるどころか「次は北朝鮮だ!」と大興奮しているらしいのである。朝鮮はリビアほど国民所得も高くはないし、国連が提供するような得点の高いデータも存在しないようなので、「北朝鮮民主化の魅惑」はより彼らの琴線に触れるのであろう。そんな琴線などは、片っぱしから引きちぎって火にくべてしまうべきである。


10)まだ書き記せることはあるが、この辺でやめておこう。ともあれ「我々」は「革命ごっこ」にうつつを抜かす前に、いかに現在の自分たちが「人間の顔をした野蛮」のただ中にいるのか、いかに途方もない底にいるのかを、まず認識すべきではないのか。人道主義、国際主義、社会主義、民族主義、平和主義、その他考えうる多くの観点から見て、リビアにおけるNATOの「人道的介入」がこうも進んだことは、まったくの敗北に他ならない。敗北を敗北として厳粛に認識しないうちは、結局いかなる夜明けも来ないことだろう。





(注1):「イタリア社会運動」は1990年代に「国民同盟」と名を変え、少なくとも外面上はファシズム色を薄めた(反ユダヤ主義の否定などで)現代的政党として、数度のベルルスコーニ内閣を右から補完した。近年、国民同盟の党首であったジャンフランコ・フィーニは、一度ベルルスコーニ氏の新党「自由の人民」に合流しながら、離反し再び独自会派「未来と自由」(自由自由と似たような名前である)を立ち上げたが、ラ=ルッサ氏はそのままベルルスコーニ派に残留し、イタリア社会運動時代からの盟友と袂を分かった。ところがフィーニ氏もまた、ことリビアの紛争についてはラ=ルッサ氏と(そして民主党とも)変わらぬ介入論者の一人なのであった。


(注2):このサイトの書き手であるZED氏とわたしは、ウェブ上に発表されたこちらの共同声明に名を連ねているものの、直接の面識はない。彼/彼女のブログの舌鋒は実に鋭く、しばしば辛辣に過ぎると感じられるきらいはあるものの、豊富な話題が提供され、時評の論旨も明快かつ道理にかなっており、わたしも勉強させていただいている。時評のみならず、韓国における日本のマンガ翻訳事情についての紹介も非常に興味深い。


(注3):ある種の西側「左翼」、および日本におけるその模倣者の中には、こうしたイタリアの運動やアメリカのウォール街の占拠が、「アラブの春」に続く「革命」になると叫んでいる向きがあるようだが、この手の動向は単なる出玉フィーバーであり、とりたてて期待すべきものではない。というのも、こうした運動を進める人々のほとんどは一方で、リビアの情勢が「革命」の名に値すると称賛しているようだ。しかし他国の「革命」の実態に対して客観的かつ知的な判断ができない人々が、どうして自国の「革命」を上手く進めることができるのだろうか? 


(注4):ところでキエーザ氏によれば、こうした「第三次世界大戦」を仕掛けるのは、力を強めつつある中国の側でなく「確実にアメリカであり、それは「中国がアメリカのようなヘゲモニーを、文化的にも芸術的にも持っていない」からであるという。「中国は経済的プレゼンスを通じた支配をすることはできるようになるでしょうが、〔他国を〕導くにも、説きふせるにも、とりわけ魅了ないしは誘引するにも、十分な存在にはなることはないでしょう。この切迫した争いについての命運を決することができるのは、誰にもましてすべてを武装した者だけである。ですからアメリカです」。言い換えれば、強力な情報産業によって武装された「アメリカ」は、それらを自在に活用してまたも「国際世論」をリードしながら対中戦争を展開しようとするだろうし、NATO諸国における各種の対抗勢力もこうした知的ヘゲモニーの支配下にいる限り、永遠に同じ醜態をさらし続けるだろうということである。





[追記:カギカッコの処理ミスを見つけたので、そこに修正を加えた。(2011年12月8日)]



「中東革命」は誰のものか、または匪賊対革命ごっこ(補足☆)

これまでの一連の記事でつたなくも紹介してきた、リビアへの「人道的介入」に対する(元宗主国)イタリアの懐疑派は、いずれも反乱側のトリポリ入城(8月21日)以降に様々なコメントを書いている。わたしはそれらを集め、先週の土日の空き時間はほとんどそれらを読むのに費やした。こうした少数派はどれも共通する主題を扱い、その問題性を指摘している。すなわち、内戦の「最終段階」に入っても、西欧諸国当局及び情報産業による「虚偽の情報」の流布が、相変わらず続いていることへの糾弾である。おかげで、前回の一文において「次回予告」として記したような、この戦争から自分なりに得たものについてはなかなか書けないままでいる。


たとえば、この「『中東革命』は誰のものか」シリーズの最初の「補足」で取り上げた、イタリアの平和運動団体「ピースリンク」のAlessandro Marescottiは、国営放送の24時間ニュースチャンネルである「Rainews24」が「NATOの戦争」に奉仕しているとして抗議する公開書簡を、8月22日づけでサイトに発表している。さらに翌23日づけの記事「“カダフィはあと数時間”――マインド・コントロールおよび情報戦の軍事技術は現在も作動している」では、すでに2月の時点から「カダフィ政権はすぐに崩壊する」という情報が振りまかれており、大佐側のしぶとい抵抗によってこうした幻想が崩壊しそうになると、そのたびに反乱側にテコ入れがなされるとともに、また「カダフィ政権はすぐに崩壊する」という幻想が振りまかれるという、西欧諸国とその情報産業の合作のエスカレーションについての指摘がなされている。ここでは、そうした「情報戦(Information Warfare)」の一証明として挙げられている、タイムラインの部分だけを抄訳してみたい。現文にある映像へのリンクは省略し、わたしの補足は〔〕に収めた。


http://www.peacelink.it/mediawatch/a/34549.html


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2010年3月12日:
 ベルルスコーニ、カダフィの手にキスをし、あとでジャーナリストに語る。「私は強いガスコーニュ気質の持ち主でね」


2011年2月19日:
 ベルルスコーニ「カダフィからはまだ何も聞いていない。状況は展開中であるから、私には誰を邪魔することも許されない」


2011年2月28日:
「カダフィはあと数時間」〔との報道が出始める〕


2011年4月16日:
 ベルルスコーニ「我々はリビア爆撃には参加しないだろう」〔当初は基地の提供など後方支援にとどまるということを表明〕


2011年4月30日:
 反乱側が、セイフ・カダフィが死亡し、その父は逃亡したとするニュースを流布。誤報。


2011年5月4日:
 ボッシ〔ベルルスコーニ派「自由の人民」とともに政権にある「北部同盟」の指導者〕は議会にて、イタリアの軍事活動の期限が切れたと主張して豪語。「北部同盟は勝利した。さらに強固である」〔軍事活動を制限・停止する方針を含んだ動議を与党で可決〕。NATOは北部同盟の発言を否定。NATOの事務局長アナス・フォー・ラスムセンは、リビアのカダフィ政権に対する同盟の軍事作戦が終了するまでは、はっきりした時限はないと強調。


2011年5月12日:
 フラッティーニ〔外務大臣〕「カダフィはあと数時間」


2011年5月16日:
 フラッティーニ「政権はあと数時間」


2011年5月22日:
 「カダフィ政権に残されているのは数時間」。フラッティーニ「我々は完全に時勢に乗り遅れている」


2011年6月9日:
 フラッティーニ、イタリアは反乱側に4億ユーロまでの現金を保証すると声明。


2011年6月18日:
 反乱側「資金が尽きた」


2011年6月29日:
 フランス、反乱側に武器を供給(国連の禁止事項に違反)


2011年7月6日:
 ラスムセン(NATO)「カダフィはゲーム・オーバーである」


2011年7月14日:
 ヒラリー・クリントン「カダフィはあと数日」。ところが『レプッブリカ』〔イタリアの「中道左派」を代表する有力全国紙〕の記事のタイトルではこうなる。「クリントン“カダフィはあと数時間”」


2011年8月21日:
 反乱側がトリポリに進入。カダフィの死亡写真が流布する。多くの新聞やウェブサイトのタイトルになる(例:『ウニタ』)。これも誤報。


2011年8月22日:
 フラッティーニ「セイフの拘束はカダフィ政権の終焉への道である」。間もなくセイフ・カダフィが記者会見に出現し、フラッティーニに反論。



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マレスコッティ氏いわく、これらは「グーグルでひとつ検索すれば見つかる」簡素なものだが、当初は首相が多少なりとも戦争に消極的だったにもかかわらず、一度戦争に巻き込まれれば「毒を食らわば皿まで」とばかりに支援=軍事活動への参加が進んでいき、そうした状況を「中道左派」系ジャーナリズムもまた追認していった、イタリアの状況が伝わってくる。「マインド・コントロール」という言葉はいささか激しすぎるようにも思うが、こうした「情報操作」の動向が一種の催眠効果を生んだことは疑いえない。同じように、2月から今日までの間にカダフィ大佐が外国の大使館(ベネズエラ以外にも)に何回亡命しているか、セイフ・エル=イスラム氏のような大佐の子息たちが何回拘束されているか、カウントし直すのも一興であろう。たとえ今の時点では「虚構」でも、戦争に勝ちさえすれば「真実」だったことになる(カダフィは実際に追放できたのから、すぐにでも追放できると言い続けていたまでだ!)し、帳尻が合えば何度誤った情報を自分たちが広めていたかもみんな忘れてくれるだろう。メデタシメデタシ――そう言わんばかりの何かしらが今日まで続いているわけであるが、これは「報道」の名に値するものであろうか。


同じ「ピースリンク」のサイトでは、当シリーズの「夏休み特大号その2」で紹介したMarinella Correggiaによる寄稿も読むことができる。コッレッジャ氏もまた「Rainews24」を問題視しており、8月22日づけの「Rainews24へ:あなたたちもNATOの虐殺を無視し、水をかき乱すのか(誰もが勝者の戦車に乗る)」と題されたごく短い記事では、同局の姿勢が「ファルージャの時とは変わってしまった」ことを嘆いているのだが、そこで補足としてつけられた添付ファイルの一文が興味深い。


彼女によれば、反乱側のトリポリ入城直後における「主流メディア」の報道が「トリポリの歓呼の声」で全部横並びなのとまったく逆に、同地在住の彼女の知人たちの証言は「NATOと反乱派が物騒でそれどころではない」で全部横並びである。公的な人物のものではない、「私の知り合い」の証言にはその枠に付随する当然の限界があろう。しかし、この文章の前半で彼女が浮かび上がらせている通り、現在報道産業がこの戦争について流している情報の多くが、公正性はもとよりそれ自体の内的整合性にすら欠けていることもまた鑑みなければならない。原文は、誤字脱字もあり分かりづらいところが見られるとともに、奇妙な指示の形跡――この文章が添付ファイルのそれなのに、何か所かでは「添付ファイルの証言を参照」とあり、拙訳はそこだけ「中略」としてある――など、おそらく一気呵成に書き起こされたゆえの未整理な部分がそのまま残っているものの、そうした急ぎ足の部分も含めて示唆するところが大きいと考える次第である。


http://www.peacelink.it/mediawatch/docs/3872.pdf


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リビア:メディアによる最新の虚偽と怠慢、および電話による証言


8月23日
マリネッラ・コッレッジャ



眠れぬ夜の虚偽(そして1945年以来まったく爆撃を受けていない、幸運なるイタリアの空の下で)。メディアが殺戮の手助けをしていた、嘘のニュースとともに始まり続けられた一つの戦争における、最後までの虚偽と高慢。とりわけこの数日において、無人飛行機とアパッチ・ヘリコプターによってNATOが完遂した殺戮が、この勝利の原因となったことを説明しているのは、ロシアのテレビ局RTとベネズエラのテレビ局Telesurだけである。リビア人民には民主主義がふさわしい、イギリスのキャメロン首相はそう言う。リビア政府によって提起された、国際監視下における自由選挙という提案を、NATOと「反乱勢力」が、先立つ月々において却下し続けていたことは、残念なことである。




いつものメディアはこう言う


「ヴォルテール・ネット(Réseau Voltaire)」のTierry Meyssanが告発しているように、〔反乱側の進入の際に〕NATOはトリポリで殺戮を行い、爆撃による死者は数時間で1300人に上る。しかし『レプッブリカ』オンライン版は、カダフィが群衆を爆撃すると書いている。まったく正しいタイトル、説明もなく、調子を狂わせることのないようにする正しいやり方だ。同じ『レプッブリカ』にとっては、主権国家の正規軍の一員――大量殺害された――は兵士と呼ぶにまったく値せず(彼らは常に「狙撃兵と傭兵」であった)、いまや反乱者たちが「暫定評議会の兵士たち」と呼ばれ、逆にリビア兵士の生き残りには「カダフィの護衛兵」という汚名が着せられる(彼らはNATOには殺されない)。(この点について、暫定評議会の一員であるジブリールは、武装に身を固めた彼の「青少年諸君」に、自分たちの節度を示し、外国人と彼らを支持しない人物に危害を加えないようアピールしている。前もって予想されたリスクである)。


『ウニタ』はトリポリが「蜂起した」と書いている。実際には、市民すなわち非武装の人々が家に身を隠している間に、NATOの飛行機の援護の下でいわゆる反逆者によって占領されたのである(電話で得られた証言を参照)。


反乱側と一緒に山を降りた『コッリエーレ・デッラ・セーラ』の御用記者〔embedded〕は、Zawyaの「解放」後に「トリポリが立ち上がった」と大げさに説明している。この時、実際に爆撃によって町が倒されていたのであった。


Rainews24は? 「ピースリンク」が抗議している。「あなたたちの報道は、NATOの爆撃の役割を隠蔽することで、反乱側が単独で人民の歓呼によって陽気にリビアが解放されたとしています。NATOの反乱側への軍事的支援を想定していなかった国連決議1973号の意味をすり替えています。トリポリへの途上の虐殺に沈黙しています。NATOの視点から(そして黒人傭兵と狙撃兵の話を常に繰り返すことで)支配的に語っています」。


『ファット・クォティディアーノ』〔人気の新興タブロイド紙の一つ、ポピュリズム・反ベルルスコーニ的色彩が濃い〕も語るに落ちている。「輸送とカオスと政権の終焉を祝う数百人のリビア人によって、暫定評議会の前進に遅れ」(数百人、数百万人の住民がいる都市の!)。「反乱軍の到着を祝い表に出たトリポリ市民」。しかし写真はベンガジからのもの……


存在しない祝う人々を示すために、CNNはベンガジからではない祭りの写真を使う。一方でレポーターは「空っぽの通りが見えます」と言うのだが、君主の旗を振って祝う群衆のイメージが、トリポリを喚起する。別の中継では、ヘルメットをかぶったレポーターが――カダフィの狙撃兵の危険という聞き飽きた話を繰り返しながら――通りに誰一人市民がまったくいないと説明する……それなら誰が祝っているのか? 武装した人々である。そしてタイトルは「NATO、カダフィに市民が射撃される可能性を危惧」。つまり彼はハトを撃ちに行くというわけだ。


ヘルメットをかぶったアルジャジーラの女性記者は緑の広場(すでに名前は消されている)から、リビア人民の祝祭(それとカダフィのいつもの狙撃兵の恐怖も……)について語り、「数百人の人々をご覧ください」(数百万人が住む都市の、である)……肩に君主の旗を担いでいるのは武装した反乱側なのだが、彼女にとっては彼らが市民であり「人民」である。「どれだけ市民が興奮しているかおわかりでしょう、いま彼らは首都を支配下においているのです」。市民と武装した人々の意図的な混同が、この戦争のライト・モティーフである。バグダッドで同じように、サダム・フセインの彫像が二人のアメリカ海兵隊員によって倒された日、そこにいたイラク人は数十人を数えるだけだった……見たことある映画じゃないか。


CNNは朝、いつもインタビューに出てくる英語の達者な19才のリビア人女性と電話する。彼女は42年の後にして、自由に電話で話せるようになったと言う(しかしながら思い出されるのは、カダフィへの反対派たちが数週間前に、私に自由の欠落を訴えかけたのみならず、「病院は機能していないし、英語をまともに学べる学校も存在しないのです」としていたことだ!)。ところでテレビは「でも道には人がいませんし、戦士だっていませんよね?」と彼女に尋ね、彼女もそれを認める。じゃあ、祝う群衆は?


ロイターもこう書いている。「反乱軍トリポリに進入、群衆が祝う」。どんな群衆が? ビデオも写真もない!




証言者は語る


数週間前トリポリで出会った人の多くの電話は応えてくれない。たとえば、チュニジア人女性のRafikaは、イタリア語を達者に話し、Tebbe病院の食堂で働いていたが、いまそこにどれほどの負傷者がいるのか誰が知ろう〔中略〕。しかし何人かは電話に出てくれた。


3年前からトリポリで生活しており(中国人と働いていた)、数週間前には真実が世界にどう説明されているのかについていら立ちをあらわにしていた、ニジェール人の青年Mohamedは、現在家に身を隠している〔中略〕。「私たちもまた無力だ。誰もが武装し戦っているところでは、武装していない人は外に飛び出すことができない。恐ろしいがじっとしている他はない。また殺戮がないように願うばかりです」。昨日彼はこう言っていた。「彼らは私の家の近くも猛烈に爆撃した、大きな土煙が舞い上がり、息もできない。ラマダーンだから、私たちは家にいて、祈っている」。最新の展開が起こる前のおとといには、こう尋ねていた。「それにしても、8月8日と9日にかけてのNATOの爆撃によって、Meyerで85人が虐殺された映像を見ましたか? 自分はショックを受けたし、この点について国際メディアが何も語っていないのはなぜなのです」。


土曜日の夕方も脅えていた、パキスタン人のキリスト教徒であるNathanielは、すでに数週間以上前にも、もしイスラーム主義者がやってきたら、リビアに21年いた後で家族とどこに行けばいいのかと訪ねていた〔中略〕。「マイ・シスター、ここは引き続いて爆撃され、反乱側も迫っているようだ……何をしたらいいのか、どこに行けばいいのか、誰が私たちを守ってくれるのかわからない。教会と連絡を取ろうと思う」。今日、彼の携帯電話が閉じられることはないだろう。


Daraの教会が略奪に遭ったらしいとNathanielが(今はイタリアにいるマルティネッリ師が)知ったら……こう言うのは、アメリカにNATOと反乱側の戦争犯罪について伝えるため、夫ともに数か月前からトリポリに滞在しているアメリカ人のJoanneである。「私たちは、トリポリの中心のCorynthiaホテルに閉じこもっています。誰も外に出ようとしません。アパッチが多くの人を殺しており、反乱側も重武装……外国人を避難させるためマルタから船が来ましたが、反乱側に遮られています」。トリポリにとどまる唯一のイタリア人企業家で、Tajuraに住むTiziana Gamannossiも家を閉じている。「家は閉じましたが、眼は閉じていません。反乱側の入場のためのお祭り? 通りにだれもいなかったとしても、昨日私は自分を家に送ってくれる友人を見つけるのがやっとでした。偽情報はまだ続いています」。


ある石油商社で働いているリビア人のHanaも、親戚の家に閉じこもっている。「移動してきたのは、私たちの家がBab El Azyzyaに近すぎるからです」、ここは静かだが道にはだれもいない。家の近くでは見なかった、アパッチも飛んでいるのが見えたと彼女たちは私に言った。「ええ、水も電気もあるし、食料も十分です。まだラマダーンで断食していますから……月末までは。これがなくなったらとは思いもよりません」。


イギリスの若き独立系ジャーナリストである、Lizzie Phelanの持っていたブログは遮断された。「トリポリに到達した反乱側の中に、明らかにアルカイダがいるようだという事実を、ロシアのテレビRTで告発した直後です。ここRixosホテルの周りの今の状況は平穏です。しかしこれから何が起こるかは分かりません。我々外国人は、どこか大使館に行くために待っています。おそらくロシアのそれに」。


Rixosホテルの机に置かれたコンピュータと数ヶ月前から「住みこみ」、ジャーナリストたちや各国の代表団と難しい関係にある広報官Mussa Ibrahimを助けようとしていた、40才のリビア人男性であるZinatiの電話からは応答がない。「私が2月にここへ戻ってきたのは用事をかたづけるためで、数年前から暮らしているカナダへ再び発つつもりだった。だが私が残っているのは、このまま放っておくことは出来なかったからだ」。彼は数週間にそう語っていた。



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いちいち思い起こすのもバカバカしいのだが、「セイフ・エル=イスラムら拘束」という情報をある媒体で読みながら、同時に別の媒体でその当人が笑顔さえ見せながら自派の陣頭指揮を取っているのを目撃したという人は、諸君の中にもいるのではないだろうか。一方で「カダフィの狙撃兵が子供を撃つ」という、突然にすぎる風説は流布し続け、多くの場合、公表された媒体に訂正なりお詫びなりも載らないまま残っていく。一方でこうした情報産業は、小規模の独立系(のさらに一部)が伝えるような話題、たとえば「反乱側の黒人迫害」などについてはなかなか触れてくれない。むしろこういう悲惨な事例が「間違いでした」と、疑うべくもない立証とともに知らせてほしいものである。


それにしても、これらが意図的な「虚報」ではない「誤報」であるとすれば、恐るべきものがある。「現場の混乱」で許されるレヴェルはとうに超えており、常識的にこうした記者連中はまとめてクビを切られるのではないかと思うのだが、各国で「名門」とされるような大手新聞雑誌テレビにおいてそういった動きがあるとはとんと聞かない。労働組合が機能しているゆえにそうなっているのだとすれば、彼らは仲間に職業倫理を遵守させ記事の品質を維持した上で、職を確保するべきである。そうでなければ、彼らが戦争遂行勢力との一体化を指摘されても仕方がないだろう。


21日からしばらくの間、わたしはいくつかのツィッターで「リビアの重大事態を前に芸能ニュースばかりやってる場合か」という種の声を見た。しかし、NATO諸国の24時間テレビニュースにかじりついていようとも、島田紳介と暴力団との交友関係という話題の箸休め程度にのみこの話題を目にしていようとも、その主体が今回の報道の質のあり方を把握していない限り、どちらにせよ「刷り込み」が続くだけである。トリポリを脱出したというカダフィ大佐らに対する、反乱側の「最後の一戦」(いかなる意味で「最後」なのか?)と、相変わらず続く「人道的介入」の意味について「我々」が考える上では、そのような「刷り込み」がむしろ拒絶されなければならない。