マルティン・ニーメラーが共産主義者だった時

ナチスが共産主義者を攻撃した時、私は同志とともに銃を取って戦った。敵に先手を取られ、すでに指導的同志の多くが抹殺されるか捕らわれているかしている中で、我々は彼らに対し、真っ先にまたもっともよく敢闘したものと自負している。負け戦を戦ったことに悔いはない。悔やまれるのは、ヨーロッパの少数民族が、そして世界中の労働者と農民が、二度目の世界大戦という名の大虐殺の渦へと放り込まれるのを止められなかったことだけである。


次にナチスは社会民主主義者を攻撃した。我々はそれを収容所から見た。社会民主主義者の幹部には日和見主義者が多く、銃を要求する人々をたびたび拒絶することで、決定的な大衆的反撃の好機を失わせることになった。しかし彼らの中には、それなりのデモを組織するという形などで、ナチスに歯止めをかけようとした者もまた多かった。かつて彼らの行いの不徹底ぶりを大いに罵倒した我々は、その中にも感嘆に値するものがいることを初めて知った。


さらにナチスは自由民主主義者を攻撃した。我々はやはりそれを収容所から見た。彼らは我々の集団性を嫌い、個人主義を愛していたが、肝心な時にはそれを発揮できなかったようだ。しかし彼らの中には、ナチスの監視網にも沈黙せず、細々とだが合法的な反論を紡ごうとした者もいた。世界大戦後、彼らは再び我々と相いれなくなったが、彼らの中でもナチスと戦った人物に対して我々はそれなりの敬意を払ったつもりだ。


そしてナチスは教会を攻撃した。我々はこれもまた収容所から見た。端的に言って、彼らが一番ひどかった。彼らの神の国はもともと無神論者に開かれてはいなかった――それで我々はかまわなかった――が、そこはナチスが政権を掌握した後にはアーリア人種のドイツ国民のみを迎え入れる場所となった。牧師のほぼすべては共謀し、ペテロの持っていた門の鍵を盗み取りハインリヒ・ヒムラーにゆだねるとともに、我々が世界の全ての劣等人種を奴隷化するという栄光を神によって与えられたのだと説教し始めた。


それでも神の方は彼らを憐れんだのか、邪悪な魂に打ち勝つ勇気を一人の牧師に与えた。しかしその出現は、キリストの愛が人類には早すぎたのとは反対に遅すぎた。牧師は椅子から腰を浮かしかけたとたんナチスに襟首をつかまれ、何もなしえなかった。そのまま収容所に送られてきた彼の勇気は尊重しつつも、我々は、社会民主主義者は、自由民主主義者は、口々に言った。「遅すぎだ」。牧師は何も答えなかった。


ソヴィエトとアメリカの、そして無数の諸人民の力によってようやくナチスが滅ぼされると、この牧師は自国の再軍備に対する反対を唱えたのみならず、自身の経験から「遅すぎる」ことの危険を人々に説いた。彼の言葉は、世界大戦の与えた最大の戒律の一つとしてキリスト教世界の外にも知られるようになった。しかしながら一方で彼の言葉は、何が「遅すぎた」のかをまったく理解しない人々をもまた引きつけた。この連中は、確信と知性を持った共産主義者でも、社会民主主義者でも、自由民主主義者でも、キリスト者でもなく、さりとて迷える労働者や農民でもなかった。なにやら彼らは彼らで重要な問題を抱えており、いまそれを打開しなければ「遅すぎる」ことになると叫ぶのだが、それはファシストを阻止するには「遅すぎる」ということではないようだった。むしろこの連中は、ファシストの出版物を喜んで受け入れ、ファシストを自身の運動の隊列に招くことを「多様性があり面白い」などと言える感性を有していた。牧師の言葉を掲げながら、牧師が行っていた再軍備反対のようなものは一切知らないか、無視していた。つまるところ彼らは、我々ばかりか、人類の歴史的な、現在も続く戦いをいつまでも嘲笑していた。




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引用(11)

服従とは永久に条件法をもってするエッセイである。


ラスキ『近代国家における自由』(飯坂良明訳)


※原文における強調の傍点は太字に直した。