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「中東革命」は誰のものか、または匪賊対革命ごっこ(その3)

前回に引き続き、イタリア発のリビアについての論考としてもう一つ取り上げたいのは、日本でもその編著『ムッソリーニの毒ガス:植民地戦争におけるイタリアの化学戦』(高橋武智監修、大月書店、2000年)が知られる、植民地史家Angelo del Bocaの発言である。デル=ボカ氏は1925年生まれで、すでに80代半ばであるにもかかわらず、ここ一カ月の間にも多くの媒体からリビア問題の重鎮として取材を受け続けている。というのも彼は、かつてイタリアの植民地だった諸国の過去についての大家というだけでなく、現代への強い関心から(彼は元来ジャーナリストとして出発した)、1996年にはカダフィ大佐へのインタヴューを試みており、1998年には『カダフィ:砂漠からの挑戦』(Gheddafi: una sfida dal deserto)という評伝を著わした人物でもあるからである。この『カダフィ』は、堅実かつ尖鋭的な学術出版で評価の高いラテルツァ社から出版されて以降、好評を持って迎えられたようで、2001年にはペーパーバック版が出され、2010年には初版以降のリビアの動向についての「後書き」が加えられた増補版(注1)が発売されている。


インターネット上で見つかる、2011年2月以降のデル=ボカ氏の発言は複数存在する(現在も少しずつ増え続けている)。たとえば2月22日づけのもの(「共産主義再建党」機関紙『リベラツィオーネ』記事、複数引用されている)、2月28日づけのもの(トリノの非営利文化団体「パラッレーリ」のサイト、デル=ボカは同地在住)などがあるが、ここではそれらの中でも一番分量のまとまった、インターネット誌『ヌォーヴァソチエタ』による、2月25日のインタヴューへの回答の全体を紹介したい(注2)。前回取り上げたビッリ氏の文章と同じ日、つまりリビアに対する「介入やむなし」の流れが決定的となった、同月26日の国連安保理決議の成立直前のものである。翻訳にあたっては、『カダフィ』増補版をはじめとするいくつかのデル=ボカ氏の著作を、いくつか参照にすることができた。参照といっても当然全部は読むことができないので、辞書ないしはアンチョコとして使ったくらいであるが。例によって、イタリア語により通暁している諸君には当方へこっそりご教示してくれるよう願いたい。さらに、〔〕内には訳の補足を付した。


http://www.nuovasocieta.it/interviste/11831-angelo-del-boca-lrivolta-in-libia-figlia-di-antichi-rancorir.html


―――――


《アンジェロ・デル=ボカに聞く 「リビアの反乱は古き遺恨の娘である」》
2月25日(金) ルイージ・ネルヴォ記者


リビアの反乱は決定的段階に到達したように思われる。カダフィは軍隊と傭兵に守られた地下壕に閉じこもっている一方、首都周辺においては反乱勢力が都市を制圧し、最後の攻撃を進める準備に取り掛かっている。リビアの状況について、この国に関する最高の専門家の一人である、アンジェロ・デル=ボカ教授に話をうかがった。彼は元ジャーナリスト兼大学教師であり、アフリカの国家について、またそれらの地と関わったイタリア人について、多数の著作を刊行している。




チュニジアとエジプトの後、アラブの反乱は他国に波及しています。現在ではリビアにもです。こういったことが起こると予測されていましたか?



いいえと言えるでしょう、とりわけリビアについては。かの国をよく知る私にとっても、少々驚きだったのは、一人あたりの年間所得が1万5千から1万8千ユーロ、近隣諸国の実に三倍という国で反乱が起こったことです。それにリビアにおいては、生活必需品が全面的に統制され、公定価格が決められており、万人に必要なものの価格は非常に安くなっています。所得は中の上であり、実際我々はヨーロッパでリビア人が物乞いをしている姿をまったく見かけません。そうしたチュニジア人、アルジェリア人、モロッコ人は見かけられますが、リビア人をまったく見かけないのは、彼らの生活状況がよいからです。〔こうした国に反乱が〕二つの隣国から伝播したらしいことに、非常に驚かされました。さて、このような事態は、トリポニタニアからではなく、キレナイカから始まりました。何かが発生するとすればキレナイカであるとは予測されました、なぜならそこには、サヌーシー派の強い影響力がいまだにあるからです。私は写真で見たのですが、複数の横断幕に「サヌーシー派万歳」と書かれていたこと、もしくはサヌーシー派の旗、すなわち最後の王のそれが掲げられていたことが、それを証明するものです。それから横断幕の中には「オマル・アル=ムフタール万歳」とも書かれたものがありましたが、このムフタールも彼らにとって大事な人物です。彼は同時にカダフィにも称賛されてきた人物であり、カダフィが来伊した時、ムフタールが絞首台に連行される時の写真を掲げていたことが実際ありました。しかし私もこうした事態は予期していませんでした。


カダフィは自分が他の指導者たちと違う、「革命のリーダー」だと言っています。


はい、これも事実です。彼が行ったのは革命であり、一昼夜にしてブルギバを追放するクーデターを計画したベン・アリとも、サダトの死後に権力を襲ったムバラクとも違います。しかし、これらの事件が誤ったものではないとも彼は言っています。同時に彼は「私が辞任出来ないのは、私が何ら役職についていないからだ」とも言っています。これも正しい。彼は案内人(guida)なのです。彼はかつて大佐であり、今も大佐のままです。彼は望めば、将官、元帥、何にでもなれました。しかし彼は「私は革命の案内人である」という標語に満足しています。


こういったことが彼になお力を与えているのでしょうか? 他の指導者たちが没落する中で、彼はいまだ踏みとどまっているという意味でですが。


その通り。まだ彼は踏みとどまっている。こうした彼の革命と『緑の書』を守るために、いまだそこに踏みとどまっているのです。このうち、特に『緑の書』について私は、1996年に彼に会見した際、少々ひっかけとなる質問をしたことがあります。私は彼に尋ねました。「あなたの国において『緑の書』は成功を収めましたか? 世界のあらゆる国において、この本が何百万部も印刷されているのを私は見ました。しかしここリビアでは成功を収めましたか?」。すると彼は、一瞬のためらいもなく答えました。「あれは失敗であった。リビアはいまだ黒の国家であり、緑の国家ではない」。つまり彼は、結局のところ『緑の書』は失敗に終わったことを認めたのです。


あなたはカダフィをご存じですが、彼はどのような人物でしょうか?


私は非常に積極的な印象を受けました。この人物は私に、情報相の立会いのもとでのインタヴューを許可しました。この時の情報相は女性で、通訳も務めてくれました。彼はアラビア語、私はイタリア語で会話しました。約束の時間は1時間でしたが、最終的には2時間15分にもなったのは、彼自らも質問をしてきたからです。彼はまったく的を射た質問をしてきたと言わねばなりません。自分の回答もよく計算している人でした。それから、彼がイタリア語も解するということは、二度か三度「いや違う、デル=ボカはこう言っているだろう」と情報相に言ってさえぎったことから分かりました。第三者が少々質問に手心を加えていたことを、完全に見破っていたわけです。私は目ざましい印象を受けました。目を凝らして彼を観察しました。その服装も分析しました。彼の表情や感情と合わせて、後にそれらを書かせるだけの関心を与えてきたからです。そして最後に、彼は私をテントの出口まで送り出す際、英語で言いました。「貴方が我々に対してなしてくれたことに私は大変感謝したい、なぜなら貴方は我々の歴史を書いたからである。我々には歴史家がいないのだ、我々の歴史を書いた貴方のような」。すでにリビアについての二巻本を私は書いていました。〔その翻訳が〕翻訳者から内容を一章ごとに送らせ、彼が気に入らない部分を取り除きながら行われたということについては、それまで知らなかったことの一つでしたけどね(注3)。第一に〔当時のリビアの〕雰囲気のおかげで、これは並外れた体験となりました。私が目にしたのは、映像で見ていた、アメリカの爆撃された家々でした。私が目にしたのは、大佐の養女がどこで死んだかを屋根の破片とともに示したゆりかごでした。そして、なによりも、この長大なインタヴューによってです。


それではその政治面については、どのような指導者だったでしょうか?


政治面については、彼は一つの地域(Paese)を掌握し、それを一つの国家(Nazione)にまとめようとしたと言わねばなりません。これもまた、一定の意味において成功しています。というのは、彼がリビアに台頭した時期に成し遂げた作戦の一つが、アメリカとイギリスの置いていた軍事基地を追放することだったからです。それから〔植民地時代後にも〕最後までなお在住していた2万人のイタリア人の追放にも成功しました。こうして、植民地主義のすべてのしるしからリビアは解放されたのです。これを行ったのは彼であり、イドリース王ではありません。しかし40年が経過してなお、家門(clan)の廃止には至っていないのは事実です。現在そのすべてが外部に噴出している。ここ何日か私は、1911年から31年にかけての反乱の指導者の孫にあたる、友人のAnwer Fekiniと電話をしたのですが(注4)、彼は自分のRogeban部族(tribu’)が、Zintan、Orfella、Tahrunaといった山岳地帯の部族とともに、トリポリを攻撃するために動いていると言っていました。


虐殺の数については?


エル=アラービーヤが提供した、1万人の死者と5万人の負傷者という数字は、まったく信じられないですね。5万人の負傷者がいれば、リビアとイタリアの全病院を合わせても追いつかないでしょう。それでは、1万人の死者についてはどうでしょうか? 墓地についての報道は我々も見ていますが、私が言えるのは、語りうる死者の数はおそらく最大でも数千人であろうということです。いつものようにここには誇張があり、いつもの誇張はトリポリタニアにおいて特に明白です。288人、後に315人と言われていた、キレナイカにおける死者の数はかなり確実なものです。この数字はおおむね受け入れられます。しかし5万人という負傷者の数は、死者のそれ以上に私を驚かせたデータです。


リビアでの反乱の理由はどのようなものでしょうか?


キレナイカにはより古い怨恨の感情が残っていました。エジプトとチュニジアからの伝播だけではありません。先立つ二つの事件を思い出しましょう。一つはベンガジでの1996年の反乱で、これはカダフィに陸・海・空軍を派遣させ、反乱分子を投獄させるにいたらせました。もう一つは、イタリアの大臣(編集部注:カルデローリ)による、かの愚劣な服装に対する反乱です(注5)。ここには常に中央権力に対する強い怨恨の感情があります。彼らは少々トリポリから忘れ去られていると感じており、それゆえこの地が反乱を育む場所となっていたのです。


その後反乱は、トリポリの手前まで急速にせまりつつあります。


はい、一週間にしてトリポリに迫りました。〔リビア全体の〕失業率は30パーセントです。彼らが非常に高い個人所得を得ているのは事実です。必需品に対する安い公定価格も事実。しかし、この時仕事場だけがない……イタリアの我々は、ここには反乱に立ち上がる勇気がないと見ています。しかしかの地と同じようになりうるでしょう。


イタリアに話を移しましょう。「彼は偉大な殉教者を埋葬した」とカダフィは言い、経済関係が存在しており、ベルルスコーニとカダフィは友人です。両国の現在の関係はどのようなものでしょうか?


昨日までは驚くべき関係がありました。非常に運任せの条約を交わしていたのです。この友好通商条約にあるのは、およそ経済・商業的な背景のみであり、政治的なものはごくわずかです。両者がほとんど熟考していないと私はすぐに批判しました。少なくとも、対話者であるリビアがヨーロッパと同じ水準にはないこと、人権を尊重していないことについて明記するべきでした。これらについては序文では言われてはいますが、そこからは何も起こりませんでした。なぜなら我々に関心があったのは、我々の会社をリビアに設立して確実に利益を上げることでしかなく、またリビアの側でもイタリアでの事業に参画することにしか関心がなかったからです。すなわち、理想的な関係でした。むしろ、理想的に過ぎました。私はこういった理由からこれをもっぱら批判してきました。それで現在、野党の何人かの主要人物は条約が破棄されることすら要求しています。友好通商条約を破棄したところで、得るものはわずかでしかありません。そもそも、誰に対して破棄するのでしょう? 旧政府はまだ踏みとどまっており、新政府は存在しません。誰が我々との対話者なのでしょうか? この点について私はFekiniと話しました。「私に何人かの名前を挙げてはくれないか? 君たちは、カダフィの古い家門とは何らかの妥協をするつもりは絶対にないと言っている。そう望んでいるのは誰なのだね?」。彼は言いました。「我々は新しいリビアの、新しい民衆を欲しているのだ」。そこで私は言いました。「なぜ君は地位につかないのかね?」。すると彼は「いや、わたしは弁護士としての助言はできるし、彼らを助けることはできるが、政治生活には興味がない」と言うのです。なるほど、彼は大富豪ですから。


視点を拡大しますと、カダフィは「アメリカの悪魔」に対するアラブの集合を呼びかけました。イランはこの状況に探りを入れるため、スエズ運河に艦船を通過させています。国際的文脈においてどのような事態が起こりうるでしょうか?


深刻かつ大規模な事態が何も起こらないとは思いません。なぜなら国連に何か出来るでしょうか? 何もできません。何年にもわたって行っていたような、制裁を実施することもできます。そうした制裁もすでに終わっています。再開することもできますが、私が考えるに、カダフィは三・四年の間にはもういなくなっているでしょう(注6)。すると誰に対する制裁になるのでしょうか? すでに苦しんだリビア人に対して? 私には信じられない。バカバカしいことではないでしょうか。つまり、私に言わせれば、現時点において有効な介入は何もありません。何も。なぜなら、決定を下す唯一の組織は国連であり、この組織はカダフィが政府に残る限り制裁を行うことしかできないからです。しかしながら、何が起こっているのか正確な情報を自分が持っていないという十分な疑いもありますし、彼が耐えきることができるとも思えません。



―――――


諸君は、この文章を読まれてどう感じたであろうか? 今回の拙訳は少々長いと思われるので、わたしのコメントは改めて記すこととしよう。


(つづく)





(注1):裏表紙に記された宣伝文句を以下に引用する。


「私はアラブのリーダーの中のリーダー、アフリカの王の中の王にして、ムスリムのイマームである」――ムアマル・アル=カダフィ、41年に渡ってリビアを導き、活発で、明晰で、エネルギーに充ちあふれ、あらゆる手段をもって権力を維持することを決意している人物。その近年の政治的成功もまた記憶に新しい。彼はアメリカの「ならず者国家」のブラックリストから外され、完全な国際社会への復帰を果たした。彼の最後の大望は統一アフリカの実現であるが、それはようやく緒についたばかりである。イタリアの植民地主義についての、最も高名な歴史家であるアンジェロ・デル=ボカが、なおも活動を続けている人物の伝記作成という挑戦を受け入れ、リビアのリーダーの多様な側面――経世家、煽動家、政略家であるとともに、綱渡りに長けたベドウィン、機知に富んだ砂漠の語り部――について語る。


(注2):なお、日本の「APC通信」2011年3月号にもデル=ボカ氏の発言が翻訳されているそうだが、これは参照することができなかった。


(注3):『リビアにおけるイタリア人』(Gli Italiani in Libia)全二巻は、1980年代に初版が発行された、デル=ボカ氏の代表的著作の一つ。『カダフィ』序文によれば、この本はリビアでも翻訳されたものの、初版ではカダフィ政権に対し留保または批判を示した部分が、リビアの「上層部の判断により」著者の了承なしにカットされてしまった。デル=ボカ氏は再版の際の復元を約束させつつ、第二次世界大戦中に設置された「地雷で傷ついたリビアの子供たちのために、著作権を放棄する」ことを翻訳側に申し入れたという。


(注4):2007年にデル=ボカ氏は、Anwer氏から提供された史料をもとにして、約20年にわたって対イタリア闘争を展開した、彼の祖父Mohamed Fekini(1858-1950)の小伝『絞首台を傍にして:愛国者Mohamed Fekiniの回想録における、イタリアのリビア占領の残虐と醜行』(A un passo della forca: atrocita’ e infamie dell’occupazione italiana della Libia nelle memorie del patriota Mohamed Fekini, Baldini Castoldi Dalai)を発表している(同著中では、AnwerはAnwarと表記)。その最後の章によれば、1951年にキレナイカを中心とするリビア王国が成立すると、Fekini一族は大臣や大使などの高官を輩出したが、カダフィ大佐の王政廃止によって政治の中枢から外された。新政府にとって彼らは、反植民地主義の先駆的役割を果たした一族である一方、国家としてのリビアの統合という観点からは障害となる強力な地盤を持っているわけで、その存在は敬して遠ざけるべきものとして扱われていたようである。なお、2009年のインタヴューにおいてデル=ボカ氏は、革命40周年の記念行事に「リビアの友」として自分が招待されるのと同時期に、当のリビアでは『絞首台を傍にして』が回収処分になっていたという奇妙な事件について、遺憾の意を表している。


(注5):2006年2月15日、右派政党「北部同盟」に所属するロベルト・カルデローリ大臣は「言論の自由」を擁護すると称し、昨年秋から国際的に問題となっていたムハンマドの風刺漫画をプリントしたTシャツを着て、イタリアの国営第一テレビ(RAI1)に登場。この行為はリビア国民全体を憤慨させたが、中でもキレナイカの住民が特に反発し、同月17日にベンガジのイタリア領事館は数千人ものリビア人に襲撃された。リビア側の警官隊は、イタリア人とその財産を保護するという名目で発砲し、11人もの死者を出した。同大臣は翌日引責辞職に追い込まれている。ところで、数週間前にサイト「マガジン9条」に、リビア育ちの青年に対するインタヴュー記事が掲載されたのだが、この記事にはいくつか明白に誤った点がある。まずこの青年が、領事館に対する「デモ」を「2005年の2月17日」としている。これが彼の記憶違いによるものか誤記によるものかはわからない。しかしさらに問題なのは、領事館襲撃事件に対する「注釈」として、襲撃のきっかけを「ベルルスコーニ首相がその風刺画をプリントしたTシャツを着用した」ことにしている上に、「首相のTシャツ事件」がいつ起きたのかを記していないことである。そもそも登場人物が間違っているし、「デンマークでのムハンマド風刺画」⇒「イタリアでのカルデローリ」⇒「これらを受けて突発した、リビアでの領事館襲撃」という、明快な時系列および関係性があいまいになっているしで、かえって「注釈」の体をなしていない。編集部が自身で真面目に調査したのかも疑われるが、哀れなのはベルルスコーニ首相ではないか。彼が無教養でスキャンダラスな成金であるのはまったくの事実であるが、厳密な再検証もされていないことにまで「あいつならやりかねない」という印象だけにもとづいた「注釈」をされては、彼でなくてもたまったものではない。そして目下、「カダフィの悪逆」に対して行われている「注釈」は、あらかたこの手のものばかりであるように思われる。


(注6):『カダフィ』増補版後書きには「セイフ・エル=イスラムの抑えることはできない興隆」という、ベルトルト・ブレヒトの戯曲『アルトゥーロ・ウイの抑えることはできた興隆』とは逆の表現を持った副題が付けられている。つまり、2009年にカダフィ氏が政権のナンバー2に指名した次男のセイフ・エル=イスラムは、その「イスラムの剣」という勇ましげな意味を持つ名前とは裏腹に、適切な法治主義の浸透や人権状況の改善といった課題への関心を示しており、長期的にリビアがこういった方向に向かうことは「抑えることはできない」ものであろうということである。その最後の節では、セイフ氏がかつてロンドン大学のスクール・オブ・エコノミクスに留学し、そこで「より公正で民主的なグローバル・ガバナンスの諸制度をいかに築くかという問題について」を中心とした、リビアにおける「市民社会」の形成について扱った博士論文を提出したことを紹介している。もっともデル=ボカ氏は触れていないが、この論文は剽窃ばかりであり、大枚をはたいて学位を買ったのだという説も根強い。ただし、彼が実際に政治犯の減刑などを推進して政府内守旧派の反感を買っていた形跡は見られるし、仮にこの二代目が家門をいいことに学業をサボっていたとすれば、西欧でもジョージ・ブッシュ・ジュニアに似たようなゴシップが伝えられているので、それもまたセイフ氏が「西欧主義者」であることの証拠かもしれない。しかし一方でデル=ボカ氏は、リビア内外の形勢が流動的であることも認めており、最後の一文では「いま一度、カダフィが舞台に現れ、ジャマーヒーリーヤ・リビアの未来を描くこともあるだろう」としていた。ある意味で、彼の予言は当たったと言える。





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引用(13)

「非理性的」(イラショナル)だとか「納得的」(リーゾナブル)だとかという評価は、思想に対していつでも成立ち得る。けれども「過激」とか「穏便」とかいう評価は思想それ自体に対してはそもそも起こり得ないものなのである。そうした評価はある人の思想表現の仕方についてか、または――より広く言って――特定の一時的社会状況における思想の社会的機能についてだけ言えるに過ぎないものなのだ。表現上の配慮や社会的機能が考慮に値しないなどと言っているのではない。それはそれで大切だけれどもそれが思想それ自体とは別の事柄に属するということを知るのはもっと大切だと言っているのである。日本の「リベラリスト」が自由を社会的に作るためにラディカルに闘うことができなかった思想的理由の一つはこの区別を知らなかったことにある。「過激」といわれる道を避けて「穏健」といわれる道を選ぶその配慮だけが「自由主義」だと思っている人は、果たしていないか。「自由主義」が左と右の単なる物理的中間地点を意味するだけのものならそういうことになるだろう。


藤田省三『転向の思想史的研究』


※原文における強調の傍点は太字に直した。




「中東革命」は誰のものか、または匪賊対革命ごっこ(その2)

それでは前回の予告通り、イタリア発のリビアについての論考を紹介したい。わたしが3月上旬の時点で眼にした中で、まず最初に面白いと感じたのは、Debora Billiという女性ジャーナリストのブログの2月25日付記事「リビア:色彩革命か否か?」である。このたびリビアについての言及を見ていく中で、石油やガスをはじめとするエネルギーの問題、またそれと関わる経済や環境の問題の専門家たちの独立した国際組織を標榜する「ピーク・オイル研究協会(ASPO/Association for the Study of Peak Oil)」という団体を偶然知ったのだが、ビッリ氏はそのイタリア支部(ASPO-Italia)に所属するジャーナリストだという。「リビアについて何が起こっているのか」「背後に何があるのか」を読者に訪ねられたことへの返答として彼女は、今ある「情報」を整理し共有しましょうと言うのだが、その列挙が皮肉であり愉快である。すでに3週間前のものであるが、以下にその「情報整理」の部分(箇条書きの部分)を抜粋して紹介する。ただ当方も試訳をしてみたとは言え、別にさほど外国語に自信があるわけではなく、そもそもあらゆるところが誤っている可能性もある。イタリア語により通暁している諸君には、当方へこっそりご教示してくれるよう願いたい。またこの拙訳においては、元の文章につけられているリンクは省略してある(その部分はゴシック文字で示した)。さらに、〔〕内には訳注を付した。


http://petrolio.blogosfere.it/2011/02/libia-rivoluzione-colorata-o-no.html


―――――


死者一万人。ツインタワーの死者二万人なみに少ない?
〔2001年の9.11自爆テロ事件の死傷者の数が、当初誇張されていたのは有名な話である〕


三十万人の将来の〔避難民〕上陸。Pietro Cambi〔ビッリ氏の同僚〕が指摘するには、かつてノルマンディー上陸作戦に参加しているのは「わずか」十五万人だった。北アフリカ全土を合わせてもそれだけが浮かぶだけの船は存在しない。


共同墓地。これについてはすでに言うべきことを言った
〔カダフィ大佐の市民「爆撃」により多数の死者が出て、「臨時墓地」に埋葬せねばならないと報じられたが、それは以前からあった「共同墓地」だったと後に言われた〕


・民兵が病院の負傷者を殺害し、「一軒ごとに」人々の家屋を襲撃している。フセインの兵士たちが、新生児を保育器から放り出したという事件をよく思い出すこと。これは、広告業者によって「つくられていた」ものだったと判明している。


黄色い帽子の傭兵。今のところ、私には傭兵とは思われない。皆さんは、民衆を虐殺するためにうろつく傭兵が、カナリア色の黄色い帽子をかぶっていることがありえると思うだろうか? 500メートル先からもわかり……テレビカメラにも映るような。


・カダフィの迷言。アルカイダがドラッグを〔反乱側の〕ヨーグルトに混ぜた。確かに、彼はそう言った。もしくは、少なくとも私がそう信じている。


・イタリアの傭兵が反乱軍を支援している(カダフィ)


・イタリア空軍がカダフィを支援している(各紙)


・カダフィは、おそらく、市民に対し化学兵器を使用する可能性がある。あるいはそうではない。


・グアンタナモ収容所から脱走したテロリストに指導され、アルカイダが砂漠の中にイスラム首長国を築いている可能性。誓って言うが、これはリビアの大臣が言ったことであり、ステーファノ・ベンニ〔イタリアの人気作家〕の小説の話ではない。


首長〔カダフィ〕が石油の蛇口を占めると脅迫している。


反乱側が石油の蛇口を閉めると脅迫している。


ENI〔イタリア炭化水素公社〕が(おそらく)石油の蛇口を閉める。それにしても結局、このありがたい石油の蛇口を握っているのはだれなのか?


・先日、「アンノ・ゼロ」〔テレビ番組、政治トークショー〕で、君主制時代の国旗が称賛されていた。これはキレナイカの王イドリースのものである。我々もまた君主制論者になったのだろうのか?


・先日、「アンノ・ゼロ」で、インターネットを使った革命家の「勇気ある若者」の一人がインタビューされていた。その彼はどこにいるのか? スイス


・先日、「アンノ・ゼロ」で、アメリカの友である独裁者たちが〔カダフィと〕区別されるのは、彼らの警察が群集にも発砲しないし残虐行為も働かないからであると、ルトワック〔アメリカの戦略家〕が言っていた。その通り、まさに、ピノチェトがそうだった。

〔チリのピノチェト政権については、諸君には説明不要だろう〕



―――――


いやはや、かの国でもベルルスコーニ首相の動向の裏で、素敵な「情報」が飛び交っていたようではないか。確かに、カダフィ氏のほとんど神がかった(アルカイダのヨーグルトを食したゆえの?)発言や、それに合わせたようなリビアの閣僚の発言は超現実的なものである。ビッリ氏もそれにまったく呆れており、明らかに大佐に対しては何らシンパシーを抱いていないのだが、同時に彼女はこういったリビア当局の奇妙な言い分に憫笑を加えるだけではすまないことも心得ている。彼女が疑念を持つのは、彼らの下手な言い分を遙かに超えた規模で、欧米のジャーナリズムにおいて、以前何度も見た覚えのある「独裁者」とその野蛮な活動についての疑わしい報告がもてあそばれていること、またその逆に、「民主化闘争」とはあまり縁のなさそうなものが、むしろそれを代表するものとしてピックアップされているのではないかということである。特にわたしは、最初「民主化」のしるしとされている旗が「君主制時代の国旗」とは知らなかったので少々驚いた次第である。カダフィ氏がおそらく息子に政権を継がせようとしていたことを差し引くとしても、わたしには「民主化」と「君主制時代の国旗」への回帰が結びつかなかい。そして、日本においてリビアの「民主化」を支持する人々は「君主制論者」なのだろうか? まあ日本において「民主主義」をどうこう言っている中には、「日の丸」の下で革命的変革が起こると信じている、さらには君主が存在する国家でも「代議制」が行われれば「共和制」であるという奇怪極まりない疑似政治学を展開する連中もいるようなので、わたしの疑問もあまりメジャーとは言えないだろう。



こうした数々の「誤報」(あるいは「偽情報」)に基づいて、リビアの「民主化」を求める西欧諸国(「我々」を含む)の「世論」は見事調達され、彼女の記事がアップされた翌日の2月26日に、国連の安保理決議は成立したわけである。彼女はこうした「情報戦」(圧倒的に「民主派」、というより「欧米」が優勢な)について、「民主化VS独裁者」という単純化された見方に反論する意見が、ようやく「共産主義者」の一部から出始めたことを指摘するものの、こういった見方も少数である(注)。この中で的確な仮説を紡ぐのはほとんど不可能かもしれないとしつつ、彼女はこの時点での暫定的な結論として、


・少なくともエジプトおよびチュニジアの民主化運動とは違う何かが起こっている
・それは「色彩革命」ではなく、同時的な複数の反乱であり、内戦的性格を持つ
・むしろ「色彩革命」を無理に見いだすことから、「人道的」意図に基づく軍事干渉への発展を警戒すべきである


としていた。結局、問題は石油の管理権につながるものではないかということであるが、2月の時点でこのような見解を発表していた人物は、「我々」の中にはとりわけ少なかったように思われる。


火のないところに煙は立たぬ、と言う。おそらくカダフィ氏の国家も「火のないところ」ではない。しかしそれとは別に、「火のあるところ」に黒煙を山と出すような品質の薪を次々とくべている連中が存在する。こうした黒煙の真っただ中にいる「我々」が、カダフィ側なり反乱側なりの正確な実態を見いだすことは難しい。まずしなければならないのは黒煙を吹き払うことであり、様々な対象への評価はそれからでも遅くはないことを、ビッリ氏の文章は教えてくれている。もし自分の隣に、こうした状況をまったく認識しないままにリビアの「独裁者」を批判し「民主化」を支持するぞと叫んでいる人がいるとすれば、一酸化炭素中毒で人事不省に陥る前に早急に介抱する必要があるだろう。


(つづく)





(注):2008年の選挙で、イタリアにあった二つの主要な共産主義政党(共産主義再建党、イタリア共産主義者党)はいずれも大敗を喫し、中央での議席はともにゼロである。また、こうした民主党より左翼的であることを自負する勢力の中にも、国連およびNATO主体の「人道的介入」理論に対しては、少なくとも明白な否定はしない人々もいるようである。




「中東革命」は誰のものか、または匪賊対革命ごっこ(その1)

さて、先日言及した当方の知人によれば、エジプトではかつての御用新聞のいくつかが、急に大衆運動歓迎の論調を掲げるようになったらしい。エジプトの御用記者にならったのであろうか、日本でも主要情報産業の多くは、ムバラク氏をいまさら「独裁者」などと呼ぶことになったようだ。30年分の新聞をひっくり返して読みなおしたわけではないが、わたしの印象ではこれまで彼に付せられた形容詞はせいぜい「長期政権」くらいであったように思われる。隣国の指導者について最低限の礼儀も示さず、数日後には単なる誤報と判明するレヴェルの怪情報を端から端まで漁り、いやしくも一国のリーダーを毎日「独裁者」どころか「狂人」扱いしている人々が、かの国の「独裁者」には今までずいぶんと遠慮してきたものである。しかし一方で、中東には四半世紀にもわたって、欧米より「独裁者」「狂人」と呼ばれている人物がいる。すなわちムアマル・カダフィであるが、彼が40年あまりにわたって君臨してきたリビアでも「民主化運動」が起こっているというではないか。こうした状況にようやくわたしが気づいたのは、国連安全保障理事会がリビアに経済制裁を科したという報道を2月27日に読んでのことである。当方が知人の行方について追っている間にもリビア情勢については情報が流れていたはずなのだが、まったく眼に入っていなかった。


今から約三週間前、わたしが持っていたリビアについての知識は、プリキュアキックの威力とともに体得したエジプトの情報以上に少なかった。唯一、塩尻和子『リビアを知るための60章』(明石書店、2006年)という本の記憶のみがある。これも人にあげてしまったので、いま読み返すことができない。しかしその記述に信を置いて思い出す限りでは、カダフィ氏という人物は一応、どうしようもない「独裁者」ないしは「狂人」ではないという印象であった。しかしながら、一般的な意味での「政治家」ないしは「軍人」とも言えそうにない。わたしに連想されたのは、21世紀においてはもはや希少価値すら持つであろう「匪賊の頭領」の像である――建物に住みたがらない。しばしば外部社会(=西欧諸国)に挑発をしかけては退散することを繰り返している。仕事の分け前(=石油事業の利益)はそれなりに子分(=国民)にふるまうので、少なくとも内部ではそこまで嫌われていない。集会にて子分の意見は聞く(=「直接民主主義」)風はとっているが、結局はすべてを親分の鶴の一声で決めている。アピールにも大金を使うが、対外プロパガンダというよりは自身で虚栄に浸ることが主目的のように見える(=『緑の書』の出版)――こういった彼の「奇矯さ」には、何やら昔語りや夢物語が現実世界に飛び出してきたかのようなものがあるのは確かで、リビア当局が市民のデモへの「空爆」を加えたという話に憤慨している日本人のツィッターを見た際も、「匪賊」なのだからそのくらいドラスティックなことはやるだろうと変に納得してしまったものである。「匪賊」が一国を治めていて大丈夫なのかという懸念はもちろん生まれたが。だいたい、トリポリは人口100万を超す大都市だと聞くから、どこに爆弾を落とそうと市民どころか街の一角がぶっ飛ばされるはずである。ところが、少なくとも2月末という時点においては、この「爆撃」についての場所の映像や詳しい報道が出ておらず、「死傷者多数で大変」とあいまいなイメージのみが繰り返されるにとどまっており、この一件の詳細はその後の事態の転変にも覆い隠されわからなくなった。こうした流れにわたしは、最初の引っかかりを覚えたものである。


また、リビアの「民主派」が夢としているというカダフィ氏の放逐は、ある意味では西欧諸国にとっての夢でもないかとも考えられた。エジプトおよびチュニジアの指導者と違い、長きにわたりカダフィ氏は、西欧諸国――その多くはかつてアラブ・アフリカを植民地化していた宗主国である――にとって最も御し難い第三世界の人物であったのも思い出される。これらの諸国にとっては、過去への復讐のチャンスである。たとえエジプトやチュニジアにおける「革命」によって影響力を後退させたとしても、うまいことリビアにおいてそれを前進させることができれば御の字ということになるのではないか。地理的な問題に加え、後者は豊富な石油資源を持ってもいるのだから。さらに言うと、「我々」はカダフィ氏について(これはムバラク氏についてもそうであるが)、精度の高い情報を蓄積してきたとは言い難い歴史がある。諸君も御存じのように、日本の新聞雑誌は飢餓や戦争や自然災害のような事件の際をのぞいて、アフリカ大陸の動向に対して恒常的に力を割いているわけではないし、かの国に対するオリジナルな報道の欠落を埋め合わせているのは、しばしば露骨な敵意のバイアスにまみれた西側発の外信(特にアメリカのそれ)であった。すると、リビアの現在と歴史的経緯を考察するうえでは、長い期間にわたって自分たちに与えられていた「知識」というより「刷り込み」の影響に留意する必要もあるだろう。


そんなことを漠然と考えつつ、エジプトの知人の件が落ち着いたわたしは、3月上旬からいくつかの論評記事に突き当たっていた。最初に眼に留まったのは、日本でもごく一部で紹介されている、フィデル・カストロがキューバ共産党機関紙『グランマ』で不定期連載中のエッセイ「フィデルの考察」である。彼は2月21日の時点から、リビアでの事態がエジプトとチュニジアのそれと異なり、民衆運動よりも外側の言説が事態に先行していること、西欧諸国の帝国主義的干渉が予想されるので警戒すべきことを、繰り返し指摘している(英訳は、アメリカの社会主義理論誌『マンスリー・レヴュー』のネット版などで読める)。小国の「(元)独裁者」の先輩として他人事ではないと意地の悪いことも言えようが、逆に言えば小国同士の関係におけるリビアの役割、そこから見た「人道的介入」の脅威については示唆するところが大きかった。第一線を退いたカストロ前議長の文章は、彼の年齢にもかかわらず非常に冴えている。もしカダフィ氏が早くに第一線を退き「大佐の考察」をリビアの新聞に書くだけになっていたら、今頃かの国はどうなっていただろうか?


ところで、カダフィ氏とリビア当局がほとんど一斉に邪悪な存在として取り上げられている様は、上記したように日本における朝鮮の扱いとそっくりであるが、かつてリビアを直接植民地にしていたイタリアではどのようなことが言われているのだろうか。英語で書かれた文章に続いて、わたしはインターネットで眼に出来るイタリア語の文章を探してみることにした。残念だったのは、かつてアントニオ・グラムシが旧イタリア共産党の機関紙として創刊し、現在ではその後継政党にして最大野党であるイタリア民主党(注)に最も近い一般紙である、『ウニタ』の論調である。民主党のオピニオンにおいては、「邪悪なるカダフィ」の表象だけが突出することに対して何の疑問も抱かれておらず、よって自国の植民地主義の歴史と現状との関係についての真剣な考察も存在していない模様なのである。彼らは、ベルルスコーニ政権がカダフィ氏を外交相手とした際において、前者の財閥と後者の一族が私的に権益を分け合うような癒着があったと攻撃しつつ、「独裁者の友人は首相にふさわしくない」という名目で「ベルルスコーニおろし」を進めていた。だが、ベルルスコーニ氏が首相にふさわしくない理由なら他にいくらでもあるのではないか。別に下半身問題のことではなく、彼がひたすら政治的にひどいということである。そもそも、彼がリビアと私的癒着を深めることができるほど、政界や財界に野放しにしているのはどこの誰だという話になりはしないか。しかしもちろん、イタリアには彼らのようなボンクラばかりでなく、三週間以上前の記事にもかかわらず、今読んでも示唆に富むものを書く人々が複数存在するようである。次回以降、遅まきながらそのいくつかを紹介出来ればと思う。



(つづく)





(注):1991年に旧イタリア共産党が解党すると、その多数派は「マルクス・レーニン主義」を放棄することを公式に謳った「左翼民主党」を結成するが、この党はさらに「左翼民主派」⇒「民主党」と党名を変更している。「共産主義」だけでなく「左翼」であることも捨てたというのはなかなか興味深い事実である。こういった党名変更には、従来の支持母体だけでなく右ウィングの広範な取り込みによってベルルスコーニ政権を倒すという試みが含まれているのだろうが、あのベルルスコーニ氏が中央政界に登場して15年以上も居座り続けていられる(ちなみに、ベニート・ムッソリーニの「独裁」は約20年である)こと自体、彼らの試みがほとんど壊滅的に失敗している証拠ではなかろうか。なお、先ほど見かけたニュースによれば、ベルルスコーニ首相がリビアへの軍事介入への協力(主には基地の提供)について、言われている「癒着」のせいか若干ながらも躊躇を見せていたのに対し、民主党首脳は「国連の枠内で」とエクスキューズを加えつつも、よりリビアへの介入には積極的なようである。「国連の枠内」なら他国への爆撃も戦争行為にはならないのか、そもそもこの戦争は「帝国主義戦争」ではないのかといった疑問もさりながら、「独裁者」と呼んでいる自国の指導者をいつまでも排除できないこうした「中道左派」は、外部の「独裁者」に対しては常に勇ましいようである。現在ベルルスコーニ氏は、「ハート泥棒ルビー」をはじめとする未成年の少女たちと次々と同衾した容疑について司法の追及を受けているが、彼と彼女(たち)がジョン・レノンとオノ・ヨーコに見える日も遠くないだろう。



引用(12)

大戦後、アメリカ占領軍が上陸したとき、私はよくアメリカ人たちから質問された。
「天皇が人間ではなく、神である、なんてお伽噺を信ずるほど、どうしておまえたち日本人はバカでありえたのか?」
「信ずるほどバカであったんじゃない。信ずるふりをするほどバカだったんだ。そしてこの方がずっとバカなんだ」


岩崎昶『映画が若かったとき』




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