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引用(14)

アンドレア:災いなるかな、英雄なき地よ!
〔中略〕
ガリレイ:違う。災いなるかな、英雄を必要とする地よ、だ。


ブレヒト『ガリレイの生涯』


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「中東革命」は誰のものか、または匪賊対革命ごっこ(補足)

リビアについての話は前回までで終わりにするつもりであったが、イタリアがリビアへの空爆に新たに加わるという報道を見て、補足的文章を書かなければばらないと感じた。またイタリア共和国憲法の第11条が、自衛戦争を含めた「国家の交戦権」そのものは否定していないものの、「国際的対立の解決の手段としての戦争を放棄する」ことを謳っていることを書き忘れていたのも不覚である(注1)。日本に比較的近い憲法を有するこの国の動きが示唆することは大きい。ここでは、イタリアの平和運動団体「ピースリンク」(2004年度までの情報に限られるが、英語による自己紹介もある)の代表者の一人であるAlessandro Marescottiによる、簡潔な問題点の整理を紹介するという形でそれに代えさせていただく。マレスコッティ氏によれば、今回のイタリアの動きは、そもそも自国の憲法の枠ばかりでなくNATOの出動要件すら超越しており、それを支持できること自体が「まことに信じがたい」。特に今回の拙訳は突貫工事につき、これまでにもまして文章が危険な可能性があるが、誤訳については例によってこちらを参照のうえこっそり通報していただきたい。


http://www.peacelink.it/editoriale/a/33892.html


―――――


ピースリンクの声明】

「リビアに対するイタリアの爆撃:新たな憲法違反」



国連決議とイタリア共和国憲法第11条を侵犯する軍事作戦への、ナポリターノ、ベルルスコーニおよび民主党による重大な支持


4月26日  
アレッサンドロ・マレスコッティ





4月25日、ベルルスコーニはレジスタンスの記念式典(注2)には参加しなかったが、哨戒活動から空爆へと移る必要があると言明した。


今日この新しい軍事活動という選択肢――アメリカ当局に催促された――を、ナポリターノと民主党も容認している。


まことに信じがたいのは、このような選択が、国連の場で共有されていることに反して、何ら民主的な協議もなしに、政府首脳間での電話によって決定されたらしいということである。


国連の名において――その憲法〔基本理念〕に基づき――戦争の惨禍を回避することを求める声明を発表していた人々が、排除されているのである。


まことに信じがたいのは、マリーナ・セレーニ(民主党)が発したような声明を目の当たりにすることである――「首相が明言したリビアにおける軍事目標への爆撃に参加するという選択は、我々がNATOへ参加していることによって義務づけられている結論であり、この領域におけるイタリアの地理的戦略の役割とも一致している」(注3)


NATOへのイタリアの所属が想定しているこうした義務とは、NATOに所属する一国が軍事的に攻撃を受けた時にのみ開始されるものであるから、これは実のところまったくの嘘である。


そして重大なのは、ジョルジョ・ナポリターノ共和国大統領がこう発言していることである――「リビアにおけるイタリアの今後の義務は、私が座長を務める国防最高会議において確定し、その後国会において十分な同意が確認された路線に従い、3月にイタリアがなした選択の自然な発展を形成することである」。


ピースリンクは市民社会へ訴える――世論は爆撃と戦争に同調しないことができるし、そうしなければならない、と。いかなる国連決議も、イタリアが爆撃することを科してはいない。国連決議が想定しているのは「飛行禁止区域」だけである。


その他のあらゆる行動は、新たな犠牲者を呼び起こす可能性を別にしても、我々の憲法の第11条における「戦争の放棄」の侵犯である。同条項の第2節では、イタリアは「国家間の平和と正義を保証するような規則に必要な、主権の制限」を想定している。つまり想定されているのは、平和という目的のための超国家的組織への参加であり、戦争をするためではもちろんない。


国連の目的は戦火を消させることであり、リビアにおいて対立する二者のうちの一方を勝たせることではない。


国連決議とイタリア共和国憲法第11条を侵犯する軍事作戦への、ナポリターノ、ベルルスコーニおよび民主党による支持は重大である。


イタリア人民、市民社会の責務は、外国へ軍事干渉するという何らかの野心がイタリアにおいて復活することのないよう1945年4月25日以降に定められた、国民的アイデンティティの基本的な結節点に対するこうした冒涜に対し、同調しないことである。かつて数十年にわたりイタリアの政治的諸勢力は、戦争の舞台におけるいかなる爆撃行為からもイタリアを外に置くという点で合意していた。しかし今日、我々の民主主義の基盤と共和国の理念を定めた、こうした憲法の伝統に対する重大な違反が進行中なのである(注4)。


我々の責務は、我々の憲法に書かれているものの今日では踏みにじられている、こうした平和と民主主義の価値を証明し、再び獲得することにあるのである。



―――――





(注1):以下、イタリア政府の公式サイトに掲げられている条文からの、第11条の拙訳を記す。もちろん、内容の高度な正確さを求める諸君は各自専門書をひもとかれたい。


イタリアは、他人民の自由を侵害する道具、および国際紛争の解決の手段としての戦争を放棄する。他国と同等という条件において、諸国間の平和と正義を保障しようとする機構に必要な、国家主権の制限を受け入れる。このような目的に向かう国際諸機関を、促進し支援する。


(注2):第二次世界大戦以降のイタリアでは、4月25日をファシズム/ナチズムからの「イタリア解放記念日」として公的祝日としているが、ベルルスコーニ首相および「中道右派」議員の一部は、こうした「解放」規定そのものを左派の広めた虚偽であると嫌悪し、行事も拒否している。今年も各地で記念式典が行われたが、ローマにおけるそれにナポリターノ大統領とともに出席したのは、リビアへの介入推進派であるイニャツィオ・ラ=ルッサ防衛大臣であった。


(注3):なお、こうしたベルルスコーニ首相の意向に対し、彼と連合政権を組んでいる右派政党「北部同盟」は反発している。彼らの反発の理由はというと、この戦争は金がかかり割に合わないし、何より自分たちの大嫌いなアフリカ移民の流出を規制していたカダフィ政権がなくなり戦争難民までうじゃうじゃやって来ては困るといった、実に人種主義的で身勝手なものではあるのだが、前回の記事で引用したブリクモン氏ふうに言えば、彼らとベルルスコーニ派の離間をさらに広げることで、具体的にイタリアの戦争参画を防ぐことは決して間違ってはいないと思われる。北部同盟より人種主義的でないことを実証するための手段として、どうして「空爆への賛成」が有効なのであろうか?


(注4):特に1925年生まれのナポリターノ氏は、1943年から1945年にかけての対ファシスト・パルチザン戦争を実際に戦った世代の――おそらく最後となるであろう――大統領である。その彼が「我々の民主主義の基盤と共和国の理念を定めた、こうした憲法の伝統に対する重大な違反」に手を貸そうとしているというのが「重大」なのである。つけ加えると、かつてナポリターノ氏は、パルチザン全体の中でも最も活動的であった旧イタリア共産党の幹部であり、1970年代には一連の「ユーロコミュニズム」路線を進めた一人であった。イギリスの歴史家(として著名であり、また共産主義者でもある)エリック・ホブズボームによる彼へのインタビューは、日本でも『イタリア共産党との対話』(山崎功訳、岩波書店、1976年)というタイトルで出版されている。しかし現在の大統領、およびイタリア共産党改め左翼民主党改め左翼民主派改め民主党の醜態を見ていると、かつての「ユーロコミュニズム」のなれの果てがこれかと言いたくもなる。ロシア革命の勃発した1917年生まれのホブズボーム氏はいまだ健在のようだが、現在のナポリターノ氏についてどう考えているかについては定かではない。





「中東革命」は誰のものか、または匪賊対革命ごっこ(その5)

ここまで、リビアへの「人道的介入」に関して、かの国の旧宗主国イタリアにおける懐疑的意見を紹介しつつも悠長に論じてきた。英・仏・米を中心とする「人道的介入」が開始されてすでに一カ月も経過したものの、いまだ我が国の情報産業――具体的には毎日新聞が典型的である――では、このような大変な事態を当然視しているか、そのようなニュアンスを加えなくても事実上の許可を与えているかのどちらかである(何の分析的・批判的視座もない速報ないしは「客観報道」なるものは「黙認」の別称に過ぎない)。念のため言っておくと、わたしは特別に「カダフィ支持」を訴えたいのではない。今回の文章を準備するうちに見かけた、日本人の運営するサイトの中でも、堂々とそのように公言しているところがわずかながらあったのだが、なぜかそれらには「アメリカ・ユダヤ人の金融資本による巨大な陰謀が」とか、「その世界支配を打破することができるのは小沢一郎しかいない」とか、わたしにはまったくもって理解不能な発言が並んでいた。ともあれ当方が考えたのは、カダフィ氏についてであれ反乱側についてであれ、確信するに足りる情報を持っていない(逆にそうでないものが洪水のように押し寄せている)状況下で、どちらかを明白に「支持する」などとそうそう言えるものではないし、ましてやそのような状況下において「中東革命」に欣喜雀躍できる外部の人々とは、果たしていかなる存在なのかということである。


すべての発端となった、カダフィ政権による「市民への爆撃」の実態は、結局なにも明らかにはなっていない。一方で「民主派」は、カダフィ政権による抑圧の責任の一端を担っていたことであろう元内務大臣や元法務大臣や元軍司令官のような人々を平気で合流させているが、これについても説得的な解説は何もない。明らかに奇妙なことが多すぎるのだが、情報産業はこうしたことに対する説得的な解説はしない/できないがゆえに、わざわざ別の未確認情報を取り上げ、読者の記憶と感情を上書きしようとしているようにすら思える(注1)。たとえば最近では、カダフィ政権側がクラスター爆弾を使ったとヒューマン・ライツ・ウォッチが訴え、これについての「国際社会の反応」を報道産業は当然のごとく取り上げていた。しかしこうした人々は、「人道的介入」を進める側が劣化ウラン弾を使用している可能性については検証を進めていないようである。ここでは最近の、イランの公的な日本語報道サイトのものを挙げておくが、クラスター爆弾の話題にさかのぼること10日以上前の時点から、西欧でもようやく高まりつつある反戦運動の間では噂になっていた。このサイトに挙げられている別の記事では「リビアの民衆抗議デモの徹底的な弾圧により、現在まで、少なくとも1万5千人が死亡、数千人が負傷しています」とある。すなわちイランの報道機関は、リビアで起こっていることを未だに「民衆抗議デモ」とみなしているものの、彼らにとっても劣化ウラン弾の使用は看過しがたいトピックであるということだろう。それにしても、長い悪影響を及ぼす可能性の極めて高い劣化ウラン弾が同胞に使用されることを「民主派」が黙認しているとすれば、「狂人」が非人道兵器を使うことよりもよほど驚くに値することではないか。


それでも、外部における「中東革命の支持者」の中には、仮に反乱側に「民主派」としての内実が薄かろうと、カダフィ氏を除く(イギリス政府界隈ではすでに、その「殺害」が明白に語られている)ことは、とりあえずリビアにおける「民主主義」を前進させると考えている向きがいまだに存在するのかもしれない。「それでも、カルタゴは滅ぼされなければならない」という言葉で知られる、古代共和制ローマの政治家・大カトーにならえば、トリポリもまた滅ぼされなければならないということになる。ならば、カダフィ政権が英・仏・米の大規模支援を受けた「民主派」に倒されたとしよう。すると、仮にそのこと自体の是非を問わないにしても、重大な二つの論理的帰結が導き出されることになる。


一つは、「独裁国家」「非民主主義的」と定義された国家に対しては、その国の「民主派」なる人々の要請があれば、問題の吟味もなしに、大国がほとんど無限定に介入してもよいという先例が築かれるということである。今後、イスラエル国内で迫害されているパレスチナ人が「こちらでもわたしたち「民主派」が虐殺されておりますので、彼らを空爆し、当方にも資金や兵器を援助し、そして政権を転覆するのを手伝ってください」などと、国連に泣きつく姿が見られるのだろうか? もっともイスラエルの側は、パレスチナ難民の政治的意思をほとんど何ら反映しないことを除いては非常に「民主的」な多党制議会を持っているので、空から爆弾の降ってくる心配はしなくてよいだろう。もう一つは、こうした「人道的介入」の流れは、大国の庇護=管理をよしとしない小国の軍事主義への傾斜を確実に招くであろうということである。2000年代に至り、核兵器を放棄することを公言したイラクが、その所持を口実にアメリカに攻め込まれた。さらにリビアは、イラク以上に自発的な核兵器放棄の姿勢を示していたにも関わらず、やはり西欧諸国に攻め込まれた。これでは、たとえば朝鮮が自身の「安全保障」としての核武装政策に自信を持っても当たり前ではないのか(注2)。以上二つの点より、「人道的介入」の成功は、カダフィが行ったとされる「虐殺」よりよほど大きい禍根を生み出すように思われる。


「人道的介入」の開始から一カ月が経過したが、未だにリビア政府は徹底抗戦の姿勢を見せており、決着はついていない。逆に言えば、今からでもこうした内戦を「国際世論」で止めるのは、決して遅くないということである。実際わたしは、止めることが可能であると思っている。停戦を実現するための国際環境という客観的な条件も、それを願う勢力にとって完全に不利というわけでもない。国連理事会においてイギリス・アメリカの反対に回ることの多いロシア・中国は、今回の介入にも概して批判的であるのに加え、EUの中ではドイツがフランスとはっきり対立している。こういった要素は決して小さくない。むしろ問題は、戦争行為を遂行している西欧諸国政府において野党的立場に現在ある人々――その多くは「中道左派」ないしは共産主義者を名乗っている――が、国家間のパワーゲームに走っている亀裂を有効に活用できぬばかりか、むしろ「中東革命」を疑問もなく喜んで受け入れているところにあるのではないだろうか。たとえばフランスについては、アメリカの左派報道誌「カウンターパンチ」のサイトに3月8日づけで発表された、ジャン・ブリクモン「リビアと人道の帝国主義の再来」で、その知的状況をうかがい知ることが出来る。


http://www.counterpunch.org/bricmont03082011.html


ブリクモン氏は、アラン・ソーカルとの共著『「知」の欺瞞』(田崎晴明ほか訳、岩波書店、2000年)での、いわゆる「ポストモダン」哲学の度を越した衒学性への警告とともに、近年では国際政治における「人道の帝国主義(Humanitarian Imperialism)」の批判者としての活動でも知られている。彼に言わせれば、各種左派政党に加え、日本のマニアの間でも知られる環境主義者ジョゼ・ボヴェ、その同盟者でかつての「新左翼」の旗手ダニエル・コーン=バンディからトロツキー主義者に至るまで、こと「人道的介入」についての態度は、新保守主義の哲学者であるベルナール=アンリ・レヴィと変わらない。彼らはリビアへの動向により慎重なラテンアメリカの左派を、カダフィ氏に「都合のよい馬鹿ども(useful idiots)」として見下しているが、こうした「都合のよい馬鹿ども」こそ、今後事態が自国に波及することを恐れ、可能な限りリビアへのアメリカの介入を食いとめようと懸命なのである。日本でも、ベネズエラのウーゴ・チャベスが停戦の仲介を申し出た(が蹴られた)という話は流れていたが、他にも「ジミー・カーターを国際特使として担ぎ出す」というアイディアが出ていたとは知らなかった。元アメリカ大統領としての権威はもちろんのこと、朝鮮やキューバへの特使にもなったことがある彼なら、「民主派」側にもカダフィ政権側にも一定の説得力が生まれえようし、実際にスペインが提案に興味を示したというのも理解できる。ならば西欧諸国の「左派」は、ラテンアメリカの左派を上回る問題の具体的解決に寄与しそうなアイディアを何か出しているのかというと、まったくそうではない。彼らは「独裁者」や「人権侵害」といったタームを振り回すばかりの「モラル的批判」しかできず、結果として戦争遂行勢力の「受動的チアリーダー」と化しているのである。「何よりまず、政治的営為とは何をすることを意味するのかを学びなおすがいい(first of all, relearn what it means to do politics)」という、ブリクモン氏の文章の最後の一節からは、戦争遂行勢力にとって「都合のよい馬鹿ども」はどこの誰なのかという彼の苛立ちが伝わってくる。


わたしは、前回の文章で書いたような意味での「民主化」――「再配分の「権利」が確保されつつ、カダフィ政権によって蓄積された国富がより有効な事業や投資に使われること、またその決定プロセスが独占的または恣意的なものでないようにすること、さらには安定した社会基盤をバックに国家機構の過剰な治安装置を解体していくこと」――について、誠実に考える人間が反乱側にはゼロであるとも思わない。しかし外部の人間が「中東革命」という言葉に浮かれるだけで、そこで起こっていることの実態を把握できず、また今後世界に展開しうる事態をまったく予測できない場合、そうした人々は他人の「革命」の尻馬に乗った「革命ごっこ」に興じていると思われても仕方がないであろう。「人道的介入」が始まる段階に至って、西欧の各種「左派」の間ではようやくカダフィ氏に対する罵倒が収まりを見せ、軍事行動への反対もある程度には広がった(注3)。しかし、現在反戦デモにいる平和主義者や「中道左派」、また多くの共産主義政党の多くは、2月下旬の時点では怪しげな情報を鵜呑みにして「イドリース王の旗」を掲げる人々と一緒に、各国のリビア大使館の前に詰め掛けていたのであった。「空爆」の通るカーペットを敷いておいて、あとからそのカーペットを引っ張って相手を転ばそうというのは、難しいし二度手間ではある。しかし、この過ちは何としても正されるべきである。


最後にもう一つだけ、諸君とともに問題を再考するための材料を提供したい。これまでの話の中でも少しだけ出てきた、エチオピアについてである。第二次世界大戦に先立つ1935年の秋、ムッソリーニのイタリアは、当時アフリカにはリベリアと合わせて二つしかなかったこの独立国への進軍を開始したが、その際に口実の一つとなったのが「人道的問題」であった。すなわち、1924年にエチオピアが国際連盟へ加入する際には「奴隷制の撤廃」が条件とされており、いまだそれが徹底されていなかったことにファシズム政府は目をつけたのである。単なる国境紛争をきっかけとした征服ではなく、奴隷制支配に苦しむエチオピア人を救うための戦争であるという口実に従い、ファシスト党の最古参幹部の一人であり開戦当初の総司令官であったエミリオ・デ=ボーノ将軍は、征服地において「奴隷解放宣言」すら発布したという。しかし今日、この戦争が「奴隷解放戦争」だったと考える人間は、当のイタリアにすらほぼ皆無である。また、当時イタリアの宣伝機関は、エチオピア軍が国際条約で禁止されていたダムダム弾を使用したとして喧伝して回ったが、その一方でイタリア軍が活用していたのは、圧倒的に優勢な空軍力と、同じく国際条約で禁止されていた糜爛ガスであった(注4)。さて、このようなエチオピア戦争に、当時存在した各種の共産主義者、社会民主主義者、自由民主主義者、無政府主義者たちは、どのように反応していたのだろうか。ぜひ諸君も各自で調べられたいと思うが、わたしの見るところでは、彼らは残念ながら不正きわまるファシストの戦争を阻止するには十分強力ではなかったようである。しかしながら、少なくとも彼らの大半は現在の「左派」と異なり、不正な戦争を「解放」として糊塗する仲間にもまた入らなかったように思われる。もちろん当時のイタリアの指導者と違い、ニコラ・サルコジやデヴィッド・キャメロンは「ファシスト」ではない。しかし彼らが戦争の遂行者であることは確かであり、その片棒担ぎをしている人々が、どのような政治的存在価値を独自にアピールできるのかということである。





(注1):それにしても、2月末に敗北は時間の問題であると伝えられていたカダフィ氏が完全に反乱側を圧倒するにいたったというのは、どういうことなのであろうか。彼がアフリカ各地から金に糸目をつけず傭兵をかき集めたからとか、王制を打倒した時に発揮された戦略家としての彼の勘が未だに鈍っていないからとか、それらしい説明はしようと思えばできるだろう。しかし、そもそも最初からカダフィ氏の側が客観的に見て劣勢でも何でもなく、現地の記者たちが情勢の綿密な分析もなしに思い込みと予断だけで書いていただけだとしたらどうだろうか。「カダフィ劣勢」情報そのものが、「報道」というより、「民主化」という言葉を美食家的に愛する顧客のためにシェフとしての記者があつらえた「料理」だったのではないか、ということである。かつてサダム・フセインという魚は、至極おとなしく珍味として料理された。すでに1991年の湾岸戦争で下ごしらえは済んでいたためである。しかし今回、マナ板の上の鯉だと思われていたカダフィ氏は、実際には銛を何本突き刺してもなお生きているサメであり、厨房内でいまだ飛び跳ねているのであった。以降、介入=空爆が始まるまでの記事は、彼らの希望的観測を隠密裏に軌道修正していたに過ぎないのではないだろうか。また、こうした西欧の情報産業による「反カダフィ派の勝利は間近」とした報道が、反乱側なり「民主派」に対して自身の力量への過剰な自信を持たせ、たとえ政権転覆とはいかずとも適当な仲介者を経ての相手の大幅な譲歩を引き出す「手打ち」をするための、決定的なタイミングを逃させることになったという考え方もできないだろうか。


(注2):少し前にわたしは、「石原慎太郎とカダフィは似ている」などと書いている日本人のツィッターを見かけたことがある。何か気の利いたことを言ったつもりなのかもしれないが、わたしに言わせればこの両者に共通点など存在しない。石原都知事は、石油収入を還元して国民の生活水準を大幅に改善しなくとも、もしくは「民主派を弾圧」するために「空爆」しなくとも、軽々と「民主的」に1000万人の頂点に立つ権力者――リビアの人口は600万以下である――として、四度も当選が出来るのである。しかしより驚かされたのは、在日朝鮮人の書き手(韓国だけではなく、朝鮮の側にも愛情を持つと明言している)が、そのような文章に「そうですよね」と同意を与えているのを目撃した時である。「我々」よりこうした問題に対しよほどセンシティヴである(「我々」がそう生きざるをえなくさせているからである!)人々も、リビアの事態を対岸の火事か何かのように思っているとすれば、いかに日本国における知性と情報の環境が泥沼の底にあるかを示していると言えよう。


(注3):ところで彼らのスローガンの中には「カダフィでも空爆でもなく」などと訴えているものがあるようであるが、これは相当に偽善的である。「カダフィを支持するリビア人にも、そうでないリビア人にも平和を」とでも言うのならまだ分かるが。まず、このような表現には、カダフィ氏がどこまでの犯罪行為を行ったのかどうか、反乱側がどこまで「民主派」としての内容を有しているかどうかについての、自分たちの社会に属する報道機関の提供している情報のあり方への根本的な追求が含まれていない。さらに、西欧の人間はリビアにおいてカダフィ政権が存続してきたことよりも、自身の政府が主催もしくは協力している空爆作戦にこそ多大な責任を負っているのだから、まずは「空爆を止めよ」と言うべきである。これが真っ先に出てこないのは、空爆を止めればカダフィ政権を止められないし「民主派」が虐殺されることになるという、英・仏・米政府の繰り返している前提=公式見解を半ば認めているようなものである。確かにこの三国が完全に手を引けば、カダフィ氏がおそらく勝利を収め、その結果「匪賊の頭領」的に、「民主派」の指導者たちを裏切り者として文字通り始末しようとする可能性はあるだろう。しかしわたしには、彼にその権利がまったくないとは言いきれない。反乱の指導者たちにはどう見ても高度な「自律性」というものが見て取れない。仮に外側の人々が、反乱側を全面的に支持するにしても、また新しく英仏から軍事顧問団を受け入れ、アメリカからは2500万ドルもの大金を受領させれば、相手に「反逆罪」を宣告される口実をさらに与えるようなものである。さらに、この「AでもなくBでもなく」というセリフは、40年ほど前の「新左翼」がしばしば口にした「モスクワでもワシントンでもなく」というスローガンを想起させる。しかしこうした人々は、両体制に等しく敵意を抱いていたというよりは、自身が属しそのあり方に責任をより強く有する「ワシントン」的世界より、「モスクワ」的世界に対する憎悪ばかりを次第に強めていったのではなかろうか。実際彼らの多くは、1980年代末に「モスクワ」の支配圏が崩れたのち、「ワシントン」の展開する軍事行為(ユーゴスラヴィア、アフガニスタン、イラク……)に対し、時には堂々と、時には「是々非々で」「留保付きで」、いずれにせよ結局は支持する人間となった。いつの間にかスローガンは「許せないのはモスクワだけ」に代わっていたわけである。


(注4):この時期のイタリアをより詳しく知りたい方には、デル=ボカ氏の『ムッソリーニの毒ガス』の他にも、石田憲『地中海新ローマ帝国への道:ファシスト・イタリアの対外政策 1935-39』(東京大学出版会、1994年)は、かなり専門的ながら参考になる。またエチオピア側から見た戦争については、同国の通史としても読める、岡倉登志『エチオピアの歴史:“シェバの女王の国”から“赤い帝国”崩壊まで』(明石書店、1999年)を見よ。





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記憶より引用(A)

私は人民の悲惨には連帯しない。しかしそれを耐え忍ぶことのない活力に連帯するのである。


ブルトン


※ある外国を旅行したとき見かけた、自動販売機に張られていたステッカーより。



「中東革命」は誰のものか、または匪賊対革命ごっこ(その4)

少々遅くなったが、前回紹介したデル=ボカ氏のインタヴューについての私見を記していきたい。まず内容を一読して明らかなのは、彼が「民主化」なる毎度おなじみのキーワードを一度も使っていないことである。ここで反乱勢力の中に見いだされるのはむしろ「古き遺恨」、すなわち部族集団による社会的結合がいまだ残る国家の中で、王制時代に政治の中枢にあり、歴史的には外部勢力に対する反骨精神を示し続けてきた、キレナイカ地方の家門が立ちあがったのだとしている。ここには、「市民」としてのリビア人がインターネットなどの現代的ツールを通じて立ち上がったという話が介在する余地はない。80才を過ぎた老人だからそういったものがわからないのではないかとうがった見方もできようが、彼ほどの著名な歴史家には当然弟子やアシスタントがいるはずだから、その方面の知識のある人々からの情報提供を受けた上で、総合的に可能性が低いと判断したのだと思われる。反政府側の一族に属するFekini氏が、自身たちを含めた具体的な家門の名前を列挙した上で、部族単位での動員があることをデル=ボカ氏に伝えたという部分からは、特に2月の時点では各種情報産業によって強く寿がれていた、リビアの「色彩革命」の実態についての再解釈を提起するものである。


またデル=ボカ氏は、自身のインタヴューの経験から、カダフィ大佐が単なる「狂人」ではありえないことを示唆している。少なくとも、彼は「奇矯」であると同時に「知性的」でもあるのであり、「奇矯」なだけで「知性的」でも何でもない政治家が「我々」の社会にも山ほどいることを考えると、このアラブ・アフリカの指導者が飛び抜けてリーダーとしての資質に欠けているとは考え難い。少なくとも1996年のインタヴューの時点の「独裁者」には、国民にすら『緑の書』が無視されている実情を率直に認める度量があり、的確にインタヴューへ応答し、しかも外国語を理解している様子すら見せ(注1)、ここからデル=ボカ氏は「非常に積極的な印象」を受けたとすら述べている。自著の翻訳版にリビア当局の手により削除がなされたこと(この事実を翻訳家から知らされたのは、インタヴューのすぐ後であったという)、また最近では翻訳が回収処分にされたことによっても、こういった「印象」は変化していない。確かに個人の著作に対する恣意的な統制は、西欧ではそうそう起こらないことであるし、例え「リビアの友」と公式に呼ばれようと、そもそも歴史家として屈辱的なことであろう。しかしデル=ボカ氏は、こういった体験から個人的な「カダフィ憎し」に走るわけでもない。


彼はいまもって、カダフィ氏の統治がもたらした功績として少なくとも二点を明白にしている。一つは、石油資源のもたらす富を国民に還元し、他のアフリカ諸国と比較して高度の経済的安定をもたらしたことである。もう一つは英米の軍事基地を追放し、彼らによる自国および近隣諸国に対する植民地主義の再来を拒絶したことである。「これを行ったのは彼であり、イドリース王ではありません」。しかしこのような評価は、デル=ボカ氏が考えているカダフィ政権の問題点を指摘することを妨げるものではない。30パーセントという失業率(わたしも日本外務省およびCIAが提示しているデータを見なおしたが、この明らかに高すぎる数字はここ数年変わっていない)は、その経済・社会構造のいびつさを示してもいる。また、セイフ・エル=イスラム氏のように、政権の内部からですら「人権問題」に関心を持つ新世代の指導者が台頭するのは「抑えることができない」ものであり、今回の事態の原因も、政権が「部族社会」的な社会構造を「市民社会」的なそれに転換するまでには至っていないところに一つの原因がある(注2)。


ここで重要なのは、西欧の外部であるとともに、かつて自国が植民地支配を展開していたリビアという国に対する、デル=ボカ氏の慎重なアプローチのあり方である。彼は西欧で発展した形態の「市民社会」に生きる人間として、「人権問題」には高い価値を見いだしているし、リビアにおけるこの問題の解決は、かの国の内外両面における今後の安定的発展に欠かせないと明らかに考えている。イタリア―リビア間に2008年に結ばれた友好通商条約が、リビアにとっては「人権状況」を改善するきっかけとしうるはずであったとする彼は、自国が一種の「人権外交」を展開する余地を認めてはいる。しかしこういった「人権外交」の展開には、自国における植民地主義の清算が必ずセットにならねばならないこともまた、歴史家にとっては大前提である。この点、ベルルスコーニ首相は単なるビジネスマンにすぎなかったが、一方でイタリアの「中道左派」も問題を有している。彼らは実際にリビアで起こっていることの精査ばかりか、イタリア・リビア間の歴史的経緯についての再考を行わないまま、「カダフィ打倒」を叫ぶとともに、彼とベルルスコーニ首相を結びつけて攻撃している。ここには、自国の植民地主義の歴史についての考察が欠如しているとともに、抽象的な「独裁者対市民」という構図が、自国における政局打破(倒閣)の道具として機能しているだけという無残さしかない。


2月下旬の時点における西欧の報道では「カダフィ絶体絶命」が伝えられていたが、その点についてはデル=ボカ氏も追認し、注2で挙げた同月28日のインタヴューにおいても、大佐の運命は二つに一つであろうと予見している。いまだ支配下にある空軍基地から亡命するか、それともトリポリの兵営にとどまりそこで最期を迎えるか、どちらかであると(注3)。ご存じの通り、ここから逆にカダフィ派は反乱側の拠点であるベンガジに迫るまでに盛り返し、それがフランス・イギリス政府を中心とする「人道的介入」という名の空爆作戦につながっていくのだが、このような軍事介入もまた西欧の歴史的植民地主義の再演にしかならないとして、デル=ボカ氏は反対している。第一の課題は人民の流血を最小限にすることであり、明らかに誇張された情報で「人道的介入」を決定していくことは、かえって苦痛を拡大することに他ならない。カダフィ政権が勝とうと反カダフィ派が勝とうと、リビア(アフリカ)という地域およびその人民がどう幸福な方向に進むかというのが問題なのであり、かつての支配者たちであった西欧諸国がそれに関わる方法は、限られたものでなければならないし、実際に有効な手段も明らかに限られているのである。


『カダフィ』序文に書かれたところによると、大佐との会見までの待機時間に、デル=ボカ氏は自分のジャーナリスト時代を思い出していたという。アフリカ大陸の旧植民地だった諸地域が続々と独立国家となる1960年前後という時期に、彼はエチオピアのハイレ=セラシエ、セネガルのレオポルド・サンゴール、コートジボワールのフェリックス・ウフエ=ボアニーといった様々な人物と会う中で、今後のアフリカの発展を大いに期待した。しかしその後のアフリカに起こったのは、新たな植民地主義の展開していく様であった。すなわち、同時代のアメリカ、ソヴィエト連邦、中国(注4)の間の角逐が、アフリカ大陸にも持ち込まれ、「軍事独裁」ないしは「自称社会主義」を大量に生み出し、後にこういった状況に西欧諸国が提示した介入策もまたさらなる災厄を招いたのである。ただし、往時の自身も含めた「第三世界論者」もまた、この責任の一端を負っている。自己の願望(たとえば「社会主義」など)を対象に強烈に投影することで、植民地主義とは別の意味で、独立したアフリカ諸国に対する分析の誤りを引き起こしていたからである。デル=ボカ氏の場合は、特にギニアのセク・トゥーレ(一緒に自動車で国内をめぐったという)に期待をかけていたが、彼もまた後年には劣悪な牢獄を反対派で一杯にすることになったのであり、当時の自分が「無邪気に書いていたものに対しては、今日でもなお嫌気がさす」とまで言っている(注5)。しかし彼は、こういった「嫌気」から離脱したいという欲望から、アフリカへの失望や憎悪へと転じてはいない。むしろ、問題の根の深さや「独立」や「革命」が一筋縄ではいかないことを深く学ぶとともに、そういった事象を捉える自己の立場について問い直す機会を得たのではないだろうか。以前わたしは近代朝鮮史の開拓者であった梶村秀樹の本について取り上げたが、他者を描くまたは理解する前提としてまず自身の過去と現在に対する厳格に問い直そうとしている点で、梶村とデル=ボカ氏は共通するところが多いように思われる。


3月中旬に、デル=ボカ氏はジャーナリストおよび研究者の有志とともに、リビアへの軍事干渉への反対についての共同声明を作成した。大手の新聞には掲載されなかったようだが、インターネット上では複数の引用が見られる。それぞれの掲載のタイミングによって、署名者の増加や事態の進展を受けた前半の数行の変更(3月19日の「人道的介入」開始以降の)はあるものの、ここでは有志の一人であるGennaro Carotenuto(ジャーナリズム研究者)が、早い段階の3月18日の午前づけで自身のサイトに発表したヴァージョンの訳出を付したい。改行は一行開けに直しているが、太字による強調は原文を踏まえたものである。


http://www.gennarocarotenuto.it/15217-no-allintervento-militare-in-libia/


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「リビアにおける軍事干渉への反対」


受け入れ難い投票の結果、国連安全保障理事会が飛行禁止区域とともに、「必要なあらゆる手段」(事実上空爆への道を開く)への依拠を許可したことにより、リビアに対するイギリスとフランスの切迫する軍事干渉(哀れなアラブイチジクの葉をまとった)についてのニュースが増大している。


我々、かの国に生じた歴史的な状況に対して重大な責任を有している一国の市民は、流血を阻止しこの危機の政治的解決にたどり着くことへ寄与する、すべての合法的活動を支持する用意があることを表明するのと同時に、主権国家に対して外部から指導されるすべての軍事行動に対する、確固とした我々の反対を表明するものである。どのような政治体制であろうと、どのような組織がそれを動かしていようと、リビアは主権国家として存在している。一つの国家が分断され、非常に重大な内戦の中にあり、すでに数千もの犠牲者を出していようとも、もつれてしまった結び目を合法的に解くことができる外部からの裁判権、ましてや軍事権はない。もし試みられたとすれば、そのような企ての中にいかなる合法性も存在しないのである。


この目的は、主要なエネルギー資源の供給業者として信頼できる一パートナーに、リビアを引き渡すことにある。飛行禁止区域が、毎度おなじみの「外科手術的な」ものとしての、爆撃の口実として設けられるであろうことを我々は知っているのであり、この空爆は軍人であれ市民であれ、リビア人民にさらなる死者を代価として払わせることになるであろう。運命の悪戯か、かつてのスエズ危機において果たしていた不吉な役割を、またもイギリスフランスが果たそうとしている。当時の彼らは、あからさまにそれぞれの権益のため活動していた。今日の彼らは、「人道的理由」によってそうするふりをしているのである。


Marino Badiale/Gennaro Carotenuto/Angelo Del Boca/Giulietto Chiesa/Massimo Fini/Maurizio Pallante/Fernando Rossi/Alex Zanotelli



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(つづく)





(注1):それにしてもこのエピソードは、高貴なまたは特殊な力を持つ人間が、それらを隠して周りの人間に接することで、その真実の姿を見出そうとするという種の昔話を想起させないだろうか。わたしはこれを読んで、「カダフィ=匪賊の頭領」という自身のささやかなメルヘンを再確認した。


(注2):前回の文章でもわずかに触れた同月28日のインタヴューの中で、デル=ボカ氏は王国旗について、王制時代に採用されていた「多党制議会」の象徴として使われているのではないかと分析している。しかし彼はそれに戻る/戻すべきだとは明言していないし、それが「民主化」の印とも呼んでいない。彼は情報産業にとって口当たりのいいキーワードを意識的に避けているとともに、「民主主義」なり「人権」の要素は多元的なものであると考えているのではないだろうか。たとえば、安価に生活必需品が手に入るということは、他のアフリカ諸国ではなかなかないことであり、その意味で「生存権」については確保されているのだ、というふうに。こうした再配分の「権利」が確保されつつ、カダフィ政権によって蓄積された国富がより有効な事業や投資に使われること、またその決定プロセスが独占的または恣意的なものでないようにすること、さらには安定した社会基盤をバックに国家機構の過剰な治安装置を解体していくことについては、デル=ボカ氏もそれらを「民主化」と呼ぶであろう。しかし反乱側にそういった具体的な見通しがあるかどうかは不明なままである(むしろそのような実情を糊塗するのが「民主化」という言葉になっている)し、ましてや西欧諸国による「人道的介入」は、今後のリビアの「民主化」に活用できるこの国固有の様々な資源を破壊することに他ならない。


(注3):伝記『カダフィ』によれば、インタヴューの際にデル=ボカ氏は二冊の自著を贈呈している。一冊は日本でも紹介されている『ムッソリーニの毒ガス』で、もう一冊はファシスト政権による侵攻に対抗したハイレ=セラシエの生涯を記した『皇帝ハイレ=セラシエ:最後の「王の中の王」の生と死』(Il Negus: vita e morte dell'ultimo re dei re, Laterza, 初版1995年)であった。彼がエチオピア皇帝の伝記をわざわざ贈ったのは、「ハイレ=セラシエは、確かにカダフィのように専制的人物(autocrate)であったものの、彼の賢明さと歴史的功績に関しては議論の余地はない。その一方で大佐のそれについては、すべてがいまだに検証の過程にある」ことを相手に暗示したかったのだという。これは逆に言えば、「民主主義」や「人権」に重きをおく西欧の歴史家が、「専制的人物」でも「歴史的功績」を残しうると認めているということであろう。デル=ボカ氏のカダフィ大佐に対する予測が悲観的なのは、西欧での報道を十分に踏まえたものであるとともに、ハイレ=セラシエの運命――晩年にはその専制に対する不満の広がりが彼の改革のスピードを上回るようになり、最後には軍部のクーデタによって廃位・処刑されることになる――と彼のそれを重ね合わせていることにもよるかもしれない。


(注4):これは余談であるが、この一節はアフリカ大陸への外部介入の害悪を説くという意味では理解できるものの、冷戦期における二大超大国であったアメリカおよびソヴィエトの対アフリカ戦略と、同時期には限定された力量(特に経済力)しか有していない中国――かつては相応の豊かさを有していたが、植民地化によって地域総体の貧困が強まったという点でアフリカ諸国と共通する――のそれを一緒にしているという点で、若干の留保が必要なように思われる。かつてチェ・ゲバラもコンゴに渡っているが、これはアメリカやソヴィエトの事例と同列には諸君も見なし得ないであろう。


(注5):デル=ボカ氏は、2008年に『私の20世紀』(Il Mio Novecento, Neri Pozza)という自伝的著作を発表しているそうで、こういった話は詳しくその中にも書かれているだろうが、参照する時間はなかった。それにしても、80才を超した人間としてはおそるべき健筆ぶりではある。





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