「中東革命」は誰のものか、または匪賊対革命ごっこ(補足++)

「『人道的介入』が開始されてすでに一カ月も経過したものの、いまだ我が国の情報産業――具体的には毎日新聞が典型的である――では、このような大変な事態を当然視しているか、そのようなニュアンスを加えなくても事実上の許可を与えているかのどちらかである」――以前わたしはこのように書いた。あれからの変化は、「一カ月」が「二か月」になったことだけである。それどころか、5月21日の夜づけでインターネット上に配信された毎日新聞の記事に、わたしはほとんど驚愕した。この記事をご存じない諸君は、まずはご一読いただきたい。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110521-00000083-mai-int


読み終えられたであろうか。それではうかがおう。これは本当に「分析」か?


記者が話を聞いているモハメド・ムフティなる人物は、外科医であるだけでなく社会学者でもあるという。学位を複数有しているというのは大層なことだ。頭がよくてなんでもできる。そしてなんでもできるがゆえに、日本のワイドショーに出現するような「なんでもコメンテーター」もおそらく務まるにちがいない。というのは、彼は自身の職能に対してなんら責任を持たないまま、単なる伝聞についての感想を「識者」として、平気で公共に語ることができる人物のようだからである。


わたしが第一に疑問に思ったのは、「70年代にそううつ病と診断され、精神安定剤が欠かせないというのがリビアの医師たちの共通認識」という情報を語るのが何故「外科医」なのかということである。「そううつ病」を診断したという「リビアの医師たち」は当然「精神科医」であろう。「被害妄想」というのは精神病の一種であり、大変なもの(何より患者にとって)には違いないが、それは「精神科医」が診断することである。ムフティ氏はカダフィ大佐と会見したと言うが、それは診察としてではないし「外科医」にはそもそもその資格がない。それなのに「被害妄想、強迫神経症系の性格」と断じている。つまりこれは、リビアの精神医療における「業界噂話」を、さも自分が問題の権威であるかのように受け売りしているだけではないのか。それともリビアでは、外科医が精神安定剤の処方までしようとするのであろうか。あるいは精神病治療のためと称し「閣下に脳手術を受けていただきます」などとカダフィ氏に迫るのであろうか。そうだとすれば、大佐は国民や外国に対してではなく、まず医者に「被害妄想」を抱くようになるだろう。さらに、「確認は出来ない」などとできもしないことについてわざとらしい言い訳を入れつつ「覚醒剤中毒のうわさもあるが」と吹聴するのは、単なる誹謗中傷の手口ではないのか。『週刊新潮』からの転載でないことがわたしには驚きである。


第二の疑問は、カダフィ政権による過剰な鉄拳制裁政治についてのエピソード(これらの一つ一つの真偽もさることながら)をムフティ氏が並べたてる中で、「社会学」らしい考察をなんら下していないことである。同氏はカダフィ大佐の行動の一つ一つを、「自己愛と妄想」という精神医学的タームを通じて語っているものの、上記のように彼は「外科医」であるし、「復讐(ふくしゅう)心が極めて強く」「人命に対する良心がない」という描写は、精神病の症状を医学的・客観的見地から語っている言葉ではない。そして「ベドウィン(アラブの遊牧民族)の生まれであることなどに原因を探る学者もいるが、生来のものだと思う」などと言う。「思う」ことで「原因を探る」ことそのものを根本的に放棄しているところに、「社会学」など存在するはずがない。


外科医でありながら精神科医を演じ、社会学者でありながらその仕事をしない。これは詐欺である。よく言って、せいぜい「カダフィ嫌いのリビア知識階級の茶飲み話」に過ぎまい(注1)。毎日新聞の記者も、よくもまあ「分析」とうたって記事にできたものだと思うが、逆にこのインタヴューから一つの「社会学」的仮説を導き出しうるかも知れない――カダフィ氏以前のリビアの「知識階級」は、たとえ学位をダブルで取っている人間でもこんな程度のものでしかなく、彼らの適当きわまる実態を「民衆」は憎悪していた。これに反旗を翻したのがカダフィ大佐であり、彼の「反知性的」な活動にむしろ「民衆」は拍手喝采。ゆえに、外部から見れば明らかに無理のある彼の支配が40年以上も保たれたのである、と。ともあれ、西欧の情報産業も似たようなカダフィ氏批判=誹謗記事を山ほど生産してはいるが、少なくともここまで内容が露骨に頭の先からしっぽまでゲル化しているものはない。そんなものは「ブルジョワ・ジャーナリズム」の枠内においてすら欠陥商品であり、普通は表に出ないからである(注2)。


ところで、『「中道革命」は誰のものか』シリーズの「その2」においてわたしは、ネット誌『ヌオーヴァソチエタ』に掲載されたアンジェロ・デル=ボカの意見を紹介したが、この歴史家からインタヴューをとったLuigi Nervoという記者は、決して「硬派」な人物ではないようである。紹介時には挙げなかったが、このインタヴューとほぼ同時期にネルヴォ氏は、どうでもいいレヴェルの話もちょくちょく書いている。たとえば彼は、大佐の台頭以来一部で語りつがれているという「カダフィ秘話」として、第二次世界大戦期に同地に不時着したフランス人エースパイロットが、現地の部族の娘と恋に落ちた結果生まれたのが彼であるという伝説を紹介している(「親子」の写真が並べてある)。まあこのくらいは、こぼれ話として許容範囲であろう。しかしリビア戦争は「ノストラダムスの予言」の中にあらかじめ記されていたのかなどと言われたら、もっと真面目に書けと諸君も言いたくなるのではないか。この記事はもう一人の人物との共同署名であるものの、ほとんど『東京スポーツ』のノリである。しかしこうした東スポ的適当さという点では、わたしに言わせれば毎日新聞の記事も「ノストラダムス」級のものでしかない(諸君はすでに五島勉の名をお忘れか?)。そしてイタリアのネット誌記者のほうが、偶然かも知れないが、明らかに問題の在りかを聞く相手として適切な相手を選んでいるということである。


ネルヴォ氏のカダフィ大佐に対する筆致は皮肉めいてはいるが、一方的に個人を罵倒するわけではない。2月下旬に大佐の亡命が取り沙汰される中で、どこの誰が迎え入れるものかという声に対し、彼は平然と大佐の取りうる選択肢について考察していた。まずラテンアメリカを見れば、ベネズエラのウーゴ・チャベスが彼を迎え入れることを堂々と公言しているし、ニカラグアなど反米意識の高揚している国も好意的に受け入れる可能性が高い。カダフィ氏がそれなりにテコ入れしていたアフリカには、彼と同じく「長期政権」ないしは「独裁」で名高いジンバブエがある。ヨーロッパでも、同様なベラルーシが門戸を開く可能性がある。アラブにおいて、ベン・アリ前チュニジア大統領を迎え入れたサウジアラビアが、彼だけを締め出すことは理不尽である。そして最後に、イスラエルにすら彼を受け入れてもよいという人々がいるらしい(大佐はユダヤ教徒の血を引いているという説があり、それなら彼も保護しようとのこと)。毎日新聞に載ったムフティ氏はインタヴューの最後で、カダフィ大佐が亡命しないのは「国際社会にも誰も友人がいないからだ」と説明しているが、「匪賊」は「匪賊」なりに自身のネットワークを持っている(『鬼平犯科帳』に出てくる盗賊たちのような?)のであり、「国際社会にも誰も友人がいない」ことはあり得ないという、ネルヴォ氏の言明の方がよほど現実的ではないか。「誰も友人がいない」という言い草は、「独裁者」とされた人物に対する一方的中傷であるし、「独裁者」は「友人」のいない存在であってほしい/いるはずがないという通俗的予断によるものである。「分析」に求められる新しい発見は何もない(注3)。


何らかの歴史的事件の原因を、その指導者個人の精神状態にのみ追い求める言説は数多い。そうしたことを、心理学ないしは精神医学を専門としない人々以外も、あるいはそういう人々に限ってやりたがる。そして、アドルフ・ヒトラーでもヨシフ・スターリンでもよいが、「独裁者」は必ず「狂気」に侵されているとしてあれこれ並べ立てる。それでは、すぐれた精神科医や高度な精神安定剤が存在しさえすれば「独裁」がなくなるだろうか? それとも、「独裁者」がみな精神障碍者であるとすれば、精神障碍者はそのような危険な存在の母体となるわけだから、まさしくヒトラーが言ったように「絶滅」させればよいということになるのか? 「個人の病理」言説にのめりこむことは、茶飲み話の話題としてあるいは読み物としてそこそこ面白いものをつくるのには手っ取り早いが、こうしたものは個々の問題を深く追及しているように見えて、実は別のそれといくらでも互換可能な言説パターンを再生産しており、多くの場合は粗雑なレッテル張りをともないつつ、歴史的な意味を持った「分析」とはほど遠いものとなる。かつてジークムント・フロイトは、レオナルド・ダ=ヴィンチをはじめとする西欧の美術家やその作品について、その道の専門家が現在読んでも示唆に富むエッセイを書いた(注4)。しかし彼は、自身の人生の晩年に台頭し、一部ではすでに「怪物」ないしは「狂人」扱いされていたヒトラーやスターリンのような個人については、とり立てて「分析」を行っていないという。


20世紀の「独裁」の歴史に対する研究の中には、その指導者たちが彼らの同時代の状況とかけ離れた「狂気」を持っていたとはみなさないものも確固として存在する。たとえば、クラウス・テーヴェライトによる全2巻の大著『男たちの妄想』(田村和彦訳、法政大学出版局、1999-2004年)は、ヒトラーが有していた戦争や反ユダヤ主義への志向は、彼自身の極端性の問題として片付けられるものではなく、むしろ帝政時代から延々と続いていたドイツの軍国主義的文化の中ではむしろ普通のものであり、究極的には男性至上主義的な近代西洋文化の傾向そのものに位置づけることさえできると論じている。より細かい議論は必要だが、膨大な資料を駆使したこうした試みは、個人の枠にとどまらない一つの歴史と社会に対する「精神分析」の試みとして興味深い。また、ロシアの場合、帝政時代の地下活動の延長線上にあった革命勢力の政治が、暴力や権謀術数と結びつく傾向が強かったことは認められるものの、それもスターリン個人ないしはボルシェヴィキの組織に限った話ではなく、同時代のメンシェヴィキや無政府主義者にも明らかに見出すことのできる傾向である。こうした実態については「社会学」的な考察の出番があるだろう(さらにソヴィエト連邦の活動全般について言えば、第二次世界大戦期というわずかな時代を除き、常に西欧諸国+アメリカの強力な敵対的包囲網が敷かれていたことを、彼らの活動を決定した条件の一つとしてつけ加えることができよう)。


こうしたより広範なパースペクティヴに問題を位置づけるのは、「独裁者」個人の政治的問題性を免責するためにではなく、「反独裁」の掛け声のもとに「独裁者」をブラックホールのごとき暗黒的存在にして済ませてしまう反歴史的、いや反知性的態度を拒絶するために必要なのである。正直わたしは「知識階級」に期待したい気持ちがあるので、毎日新聞に答えたムフティ氏が、本当はもっとまともなことを言っていたのではないかという「妄想」を捨てていない。すなわち在ベンガジ記者が「生来のもの」として「我々」の想像を絶する無能さないしは邪悪な魂を持っており、すべての発言を低俗な知性で可能な限り低俗に解釈したのではないかということである。ただあいにくながら、わたしにはそれが「確認出来ない」。





(注1):さらにこの記事がリビア(ベンガジ)特派員のそれとして最悪なのは、この程度の内容ならアメリカ特派員でも書けてしまうであろうということである。たとえばニューヨークには、亡命者あるいはアラブ・アフリカ研究者が一定数存在し、その中にはカダフィ政権に否定的であるどころか憎悪むき出しの人もいるだろうから、そういう人を一人ピックアップし、「自由に」あることないこと語ってもらえばよいということである。正直、せっかくベンガジにいるのだったら、問題の発端であるにも関わらず規模や事実関係がはっきりしないままである「カダフィによる市民空爆」の痕跡を探るとか、カダフィ政権の旧幹部を平気で受け入れている「民主派」側の実情を調べるとかしたほうが、世界的に引用されるオリジナリティの高い記事が書けると思うのだが、この記者にはそうする気もなければできもしないということだろう。


(注2):奇妙なことにこの記事は、5月23日の朝づけで、別の毎日新聞の記者の「解説」がついた形で、もう一度インターネット上に掲載されている。現在のところ毎日新聞を購読していないので、21日の配信記事が不完全なものであり、実際の紙面をより反映したものを再出しただけということなのかは分からないが、少なくとも記事の性質はより悲惨さを増した。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110523-00000002-maiall-int


この「解説」は「格差是正、識字率上昇も」と題されており、こうした追加によって毎日新聞は「ブルジョワ・ジャーナリズム」としての最低限の規範と客観性を演出しようとしているように見える。しかしこの再配信において、問題だらけのムフティ氏の発言部分はまったくそのまま残っている。一方でカダフィ大佐の「被害妄想」を謳った見出しには「自己愛が強く、人間不信」とつけ加えられているから、結局こうした「も」は、記事の見出ししか読まない人間にとっては何の意味もない。全体としては「悪逆なるカダフィ」の「刷り込み」が繰り返されているだけである。こうしたイメージ操作は、カトリックのマルティネッリ司教が訴えているような「人道的介入」によるトリポリ市民の被害まで「妄想」扱いする方にはたらくことであろう。それにしてもこの「解説」によれば、「大量破壊兵器計画の外交交渉を通じた自発的放棄は『リビア・モデル』と称賛される」とあるが、「称賛している(していた)」のは誰なのか。カダフィ氏か。リビア(トリポリ/ベンガジ)の市民か。かつて核兵器の放棄を歓迎し、今はその心配がなくなったので安心してトリポリを空爆しているフランスやイギリスか。それとも朝鮮の核武装のみならず、存在そのものを「脅威」として排除を目指す日本か。誰なのか?


(注3):しかもこの「匪賊」は、アメリカ的表現に従えば「ならず者国家」の指導者たち以外にも、逆に西側諸国の人々からほとんど聖人として扱われているような人物も知己としている。それはネルソン・マンデラである。リビアが2000年代前半に「国際社会への復帰」を果たしたのは、かつて保護していた飛行機爆破事件の自国民容疑者を、1999年に国際司法機関に引き渡したことが契機となっているが、この時に仲介者となったのがマンデラ氏である。こうした流れへの反応としては、「立派なマンデラ大先生のおかげであの悪党が改心した、めでたしめでたし」あるいは「マンデラも間抜けなことをした、牢屋にいすぎて世間知らずなのか老いぼれたのか」の二つがあったと記憶しているが、これはおそらく両方とも誤りである。彼は今でこそ自分たちの運動を称賛している西側諸国が、かつては単なる「テロリスト」のそれとみなしていたことと、そういった時期からいち早くカダフィ大佐――マンデラ氏にとってはほとんど子供くらいの年齢である――が自分たちを支持していたことを忘れず、いわば「国際的浮世の義理」に報いたまでなのではないか。彼は普遍的人権の擁護者であるだけでなく、一種の侠客でもあるようだ。現在の南アフリカの大統領であるジェイコブ・ズーマが、アフリカ連合の立場から停戦を要求していることにも、マンデラ「親分」の残照を読み取りえよう。


(注4):岡田温司『フロイトのイタリア:旅・芸術・精神分析』(平凡社、2008年)。






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「中東革命」は誰のものか、または匪賊対革命ごっこ(補足+)

リビアの内戦的状況、ならびに西欧諸国による「人道的介入」という名の空爆は、西欧諸国の各種左派勢力および反戦運動における混迷も大いに手伝ってか、いまだに収まる気配を見せない。そうして4月末には、カダフィ大佐の息子夫妻と三人の孫が「人道的介入」によって死亡したというニュースが流れた。一番幼い大佐の孫はまだ生後数カ月だったと伝えられている。この事件に際し、先日言及したイタリア植民地史家のアンジェロ・デル=ボカ氏は、簡潔な追悼文をカダフィ氏へ送っている。その内容は、3月中旬の声明「リビアにおける軍事干渉への反対」の共同署名者の一人であるGiulietto Chiesaの主催する情報サイト「メガチップ(MegaChip)」に5月10日づけで掲載された。サイト編集部による前書きを含め、デル=ボカ氏のメッセージを紹介する。


http://www.megachipdue.info/tematiche/democrazia-nella-comunicazione/6140-del-boca-le-condoglianze-a-gheddafi.html


―――――


爆撃によって息子および三人の孫を殺害されたムアマル・カダフィに対し、アンジェロ・デル=ボカが送ったこの追悼の手紙を、まだ誰も取り上げていない。この手紙は格式を保っているとともに、こうした状況における通常の感情が示されている。我々がこの手紙を掲載することを選んだのは、その中で表わされた最終的な判定――この戦争が「イタリアの共和制および民主制の名誉を汚している」――を共有しようと感じたためである。歴史家であるデル=ボカは、イタリア植民地主義の残虐性と殺戮についての多くの集団的忘却を過去に取り上げ、我々の眼前に名誉を差し戻していた。プロパガンダの声のみが聞こえるこの時期において、我々は低く語られる異質な声を聞かなければならない。




ジャマーヒーリーヤ・リビアの案内人
ムアマル・カダフィ大佐に送られたメッセージ



私とあなたとの間で仲介の労を取ることを引き受けた、カトリック教会トリポリ司教ジョヴァンニ・インノチェンツォ・マルティネッリの厚意により、子息セイフ・エル=アラブと、いまだ幼かった三人の孫を亡くされたあなたに対し、心からの追悼をお送りいたします。


この事件は一つの犯罪として、植民地時代にジョリッティ(注)およびムッソリーニの指示によってなされたものにつけ加えられるものであり、不正な戦争と合法性の疑わしさについての責任を分かちあっている、イタリアの共和制および民主制の名誉を汚しているものです。


アンジェロ・デル=ボカ



―――――


さらに同氏は、カトリック教会の布教ニュースサイト「アジアニュース」のインタヴューに応じている(5月13日づけ、英語版)。「アジアニュース」全体の論調には、現代カトリック指導層の強い保守性ないしは反共性が明らかなものの、少なくともこの問題の扱いに関しては、上記のメッセージで名前の挙がっているマルティネッリ司教の見識が影響しているものか、それなりに妥当であるように思われる。同師によるトリポリからの現地報告と、合わせて見てほしい。





(注):20世紀初頭のイタリアの代表的な自由主義政治家。1911-12年のイタリア・トルコ戦争の時期に首相を務め、植民地としてオスマン帝国からリビアを奪取した。