「中東革命」は誰のものか、または匪賊対革命ごっこ(補足++++)

諸君もご承知の通り、リビアの事態が大きく動いた。「現時点においても「千日手」状態が破れたとは言い難いところがありそうである」と前回書いたわたしの見立ては、どうやら誤っていたようであり、お恥ずかしい限りである。イタリアの一般紙の多くのトップでは、ベルルスコーニ首相の御用新聞である『リベロ』や『ジョルナーレ』あたりを別にすると、ほとんどが大きな写真とともに「トリポリ陥落(へ)」と謳っている模様である。新聞以外でも、様々な人物のコメントが各所でなされている(たとえばアンジェロ・デル=ボカ)。


これまで約5か月にわたり、手探りでリビアの戦争についての(ニッチな)情報を集めて書いてきたが、この戦争はあらゆる次元にわたって大変な諸問題を噴出した(している)ものであり、次回の文章ではそれらを改めて整理する必要があると思っている。ただ、近い将来においてそれを提示する前に、一つだけ急いで紹介しておきたい文章がある。当シリーズの「その5」で、「リビアと人道の帝国主義の再来」の筆者として紹介したジャン・ブリクモンが、新たにDiana Johnstone との連名で、同じ「カウンターパンチ」誌のサイトに8月16日づけで発表した「誰がリビアの救い手からリビアを救うのか?」という一文である。今回の事態において一番忌々しい要素の一つが、まさにここに書かれていることであり、まったくもって永久に救われないのは「リビア」ではないというこの二人の意見に、わたしは120パーセント同意する。昨夜この原文を読んだ時には、英語なのでサイトへのリンクだけ張ろうと最初は考えたが、問題性――少なくとも私見によれば――を鑑み、後半部分のみを数時間で粗っぽく訳した。緊急ということでご寛恕願いたい。こんなものはあてにならぬという諸君(ごもっともである)、また全体を読みたいという諸君には、ぜひ直接原文でご覧いただきたい。


http://counterpunch.org/bricmont08162011.html


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誰がリビアの救い手からリビアを救うのか? 〔※後半部分の抜粋〕


8月16日

ジャン・ブリクモン/ダイアナ・ジョンストン





このリビアにおける小さい戦争は、NATOが犯罪的であるとともに無能であることを暴露している。


またそれは、NATO諸国の左翼組織がまったくの役立たずであったことをも暴露している。反対することが容易な戦争というものはおそらく存在しない。しかしヨーロッパの左翼組織は、それに反対しなかったのである。


3か月前、リビアについてのメディアの誇大宣伝がカタールのテレビ局アルジャジーラによってなされていた時、左翼組織はためらいもなしに賛成する立場をとった。数十ものフランスの左翼党派と北アフリカの諸組織は、3月26日にパリで「リビア人民への連帯の行進」を行うことを呼びかけた。完全な混乱の陳列の中で、これら諸組織は「リビア人民の唯一の合法的代表としての国民暫定評議会の承認」と同時に、「外国人在住者と移民の保護」を呼びかけていたのだが、実際のところこうした外国人在住者や移民は、評議会に代表された反乱側そのものから保護される必要があった。暫定評議会を支持する軍事作戦を暗黙のうちに支持する一方、これらのグループは「西側政府とアラブ連盟の二枚舌」と、こうした軍事作戦の「エスカレーション」の可能性に関しての「警戒」をも呼びかけていたのである。


こうしたアピールに署名した諸組織には、亡命中であるリビア、シリア、チュニジア、モロッコ、アルジェリア人の反対派グループだけでなく、フランス緑の党、反資本主義党、フランス共産党、左翼党、反人種主義運動MRAPに、金融グローバリゼーションに批判的な民衆教育運動で広い基盤を持つATTACまでが含まれていた。こうしたグループは一体として、社会党――「警戒」の呼びかけすらないまま彼らの側で戦争を支持した――の左に位置する、フランスの政治組織潮流の領域を実質的に代表している。


NATOの爆撃による市民の犠牲者のような、国連安全保障理事会の決議からの逸脱に対し、約束された「戦争のエスカレーションに対する警戒」がなされた形跡は何もない。


仮定された虐殺を止めるために「我々は何かをしなければならない」と訴え行進に参加したアクティヴィストたちは今日、仮定されたものではなく現実に目に見えるものであり、「何かをした」人びとによって起こされた虐殺を止めるためには何もしていない。


左翼党派の群衆における「我々は何かをしなければならない」の根本的な誤謬は、「我々」の意味合いに存している。もし彼らが「我々」を文字通りに意図したのなら、その時彼らが唯一できたことは、反乱側に立って戦う国際旅団のようなものを組織することであった。しかしもちろん、反乱側を支援するために「我々」は「何でも」しなければならないという主張にもかかわらず、そのような可能性については誰も一顧だにしなかった。


こうして、彼らの「我々」が事実上意味しているのは、西洋列強、NATO、そしてとりわけ、この戦争を遂行するだけの「無類の能力」を持つ唯一者としてのアメリカである。


この「我々は何かをしなければならない」群衆はいつも、二種類の要求を混同している。一つは、実際に彼らが、西欧諸国によってなされることを期待できるもの――反乱側の支援、リビア人民の唯一の合法的な代表としての暫定評議会の承認――であり、もう一つは、実際に彼らが、列強諸国にそのようにさせることが期待できないとともに、彼ら自身それを達成することがまったく不能であるもの――爆撃を軍事目標に限定し、市民を保護し、国連決議の枠内に慎重にとどまること――である。


これら二種類の要求はたがいに矛盾している。内戦においては、どちらの側も国連決議の厳密さないしは市民の保護について、優先的に考えることはない。どちらの側も勝利することを願っている、ただそれだけであり、そして復讐への欲望がしばしば残虐行為を引き起こす。もし誰かが反乱側を「支援する」とすれば、その人は事実上、彼らが勝利に必要であると判断するすべてをさせるための、白紙委任状を与えていることになる。


しかしその人は、反乱側ほど血に飢えてはいないかもしれないが、さらに強力な破壊手段を手元においている、西側参戦国およびNATOにも白紙委任状を与えているのである。そして彼らは、サヴァイヴァル・マシーンとして活動する巨大な官僚機構である。彼らは勝利を求める。さもなければ彼らは、資金と資源の損失を導く可能性のある「信用」の問題(戦争を支持した政治家たちがそうするような)を抱えている。ひとたびこの戦争がはじまると、断固とした反戦運動を欠いた中で、国連決議によって許されたことにその活動を制限させるようNATOを束縛することのできる、いかなる勢力も西側諸国にはさっぱり存在しない。そして、左翼党派の後者の一連の要求には誰も耳を貸さない。彼らは、その意図は純粋であるところの戦争賛成左翼〔pro-war left〕であることを、自ら証明しようとしているのに過ぎない。


反乱側を支持することによって、干渉賛成左翼は効果的に反戦運動を殺すこととなった。実際、内戦において外部からの干渉による助けを必死に求める反乱側を支援しつつ、同時にこうした干渉に反対することに、何の意味があるのだろう。干渉賛成右翼の方がよほど首尾一貫している。


戦争賛成左翼と右翼はともに、「我々」(文明化された民主主義的西洋を意味する)が、他国に我々の意思を押しつける権利と能力を持っているという確信を共有している。人種主義と植民地主義を非難することを商売道具〔stock in trade〕にしているフランスの運動は、あらゆる植民地主義的征服が、専制的人物として非難されたペルシャの太守、インドの諸侯、アフリカの王たちに対する形で行われたと想起すること、またはフランスの諸組織がリビア人民の「合法的な代表」は誰かを決定しているという何かしらの奇妙さについて指摘することに失敗している。


わずかな孤立した個々人の努力にもかかわらず、ヨーロッパにはNATOの猛攻撃を止めるどころか、それを緩和することのできる民衆運動すら存在しない。唯一の希望は、反乱側の自滅、もしくはアメリカの議会反対派、もしくは寡頭支配者たちによる支出のカットくらいだろう。しかしその一方で、ヨーロッパの左翼は歴史上もっとも露骨に弁解の余地なき戦争の一つに反対することで、復活する機会を逸しているのである。ヨーロッパそれ自身が、こうしたモラル的破産によって苦しむことになるだろう。



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「中東革命」は誰のものか、または匪賊対革命ごっこ(夏休み特大号その2)

さて、当方の私事多忙につき、リビア戦争に関する旧宗主国イタリアにおける懐疑論や反対意見の(ニッチな)紹介からしばらく離れてしまっていた。今回久しぶりに紹介したいのは、雑誌『ファミーリア・クリスティアーナ〔キリストの家族〕』のサイトに6月14日づけで掲載された、Marinella Correggiaの「リビア:もしすべてがうそだとしたら?」である。同誌は1931年の創刊という歴史と100万人を超す読者をもつことを自負しており、イタリアでもよく知られた雑誌の一つであるが、この記事はリビア戦争の「虚偽」について強く踏み込み、様々な外国語サイトの情報をまとめて引用している。紹介されている「対抗情報」は、英・仏語が読める諸君にはすでになじみのものがほとんどかもしれないが(記事には特に、カナダの「グローバル・リサーチ」発の情報が多く引かれている)、この記事から2カ月経過している現在も、「我々」の間でこのような「まとめ」を行っている人はあまりいないので、この遅すぎる紹介にも一定の意味はあるだろうと考える。


掲載分は、数字で区切られた3つの章がそれぞれのページに分かれているが、拙訳では一つに統一してある。また今回は、家庭全体で読まれることを志向する雑誌の性格を考慮し、語尾を「です・ます調」にしてみた。なお、〔〕内には訳の簡単な補足を付した。


http://www.famigliacristiana.it/informazione/news_2/dossier/libia_140611115251.aspx
http://www.famigliacristiana.it/informazione/news_2/dossier/libia_140611115251/mercenari-miliziani-e-cecchini_140611120422.aspx
http://www.famigliacristiana.it/informazione/news_2/dossier/libia_140611115251/oltre-750-mila-sfollati_140611120908.aspx


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《リビア:もしすべてがうそだとしたら?》


この資料集には、戦争、NATOの作戦、軍事干渉の目的について考えるための、良質の論拠の一端があります。


マリネッラ・コッレッジャ
2011年6月14日




1:すべての虚偽の母

(写真:「真実検証委員会」事務所、トリポリにて)


イタリアも参加している、リビアにおけるNATOの戦争(「ユニファイド・プロテクター」作戦)は、国際世論に対して「カダフィに虐殺されているリビア人を保護する」人道的介入として説明されています。しかし実際にはNATOとカタール〔衛星放送「アルジャジーラ」のスポンサーでもある〕が、戦略地政学的な理由によって、抗争中の武装した二つの武装勢力の一つである、ベンガジの反乱側(もう一方にあるのはリビア政府)を支持するために肩を並べているのです。そしてこの戦争は、地政学雑誌『Limes』でルーチョ・カラッチョーロ〔Lucio Caracciolo〕が言及したように、虚偽と欠落で満たされた「情報の虚脱状態〔collasso dell'informazione〕」として言及されていくことでしょう。


イタリア人女性企業家のティツィアーナ・ガマンノッシ〔Tiziana Gamannossi〕と、カメルーンのアクティヴィストによってトリポリに設立され、その他の諸国のアクティヴィストも参加している、「真実検証委員会」(Fact Finding Commission)は、こうしたことを研究しています。


すべての虚偽の母:「1万人の死者と5万5千人の負傷者」。戦略地政学的な真の理由を持った干渉(http://globalresearch.ca/index.ph p?context=va&aid=23983)のためのこの口実は、2月に考案されています。先の2月23日、反乱がはじまって間もない時期において、衛星テレビ局「アル=アラービーヤ」がツィッターを通じ、虐殺を非難しました。つまり「リビアにおける1万人の死者と5万人の負傷者」、つまりトリポリとベンガジにおいて空爆が行われ、〔急造の〕共同墓地がつくられるにいたったと。この情報源はSayed Al Shanukaで、彼はパリから国際刑事裁判所のリビア人メンバーとして発言しています(http://www.ansamed.info/en/libia/news/ME.XEF93179.html)。


この「ニュース」は世界中を駆け巡り、国連安全保障委員会、後にはNATOの干渉の正当化の主な理由を提供しました。つまり「市民を保護する」というそれです。しかしその逆に、当の国際刑事裁判所の側による否定の声明が、世界を駆け巡ることはありませんでした。「Sayed Al Shanuka――またはEl Hadi Shallouf――氏は、当法廷のいかなるメンバーでも顧問でもありません」(http://www.icc-cpi.int/NR/exeres/8974AA77-8CFD-4148-8FFC-FF3742BB6ECB.htm)。


トリポリおよびリビア東部において、2月に大勢の人々が虐殺されたという写真やビデオはあるのでしょうか。いいえ。リビア軍の飛行機がトリポリの三つの地区に爆撃したというのは? まったく証明がありません。破壊の痕跡がまったくないのです。ロシアの軍事衛星は、事態の最初から状況をモニターで監視していたのに、何も発見していません(http://rt.com/news/airstrikes-libya-russian-military/)。海岸につくられたという「共同墓地」はどうでしょうか? それはSidi Hamedにある公営墓地(墓穴は別々!)の映像であり、そこでは去年の8月に改葬の一般的作業が行われていただけでした(http://www.youtube.com/watch?v=hPej4Ur_tz0)。それでは、東リビアにおいて2月に突然カダフィが命令した殺戮については? まったくです。そのような現場で、携帯電話で写真や動画を撮る人が誰もいなかったということがありうるのでしょうか?


カメルーン人で地政学のエキスパートであるジャン=ポール・ポガラ〔Jean-Paul Pougala〕(ジュネーブ大学の教師)もまた、アフリカの病院すべてを合わせても、緊急事態のために確保されているベッドの数はわずか1万しかなく、5万5千人の負傷者を治療するためには十分ではないだろうと指摘しています(http://mondialisation.ca/index.php?context=va&aid=24960)。




2:傭兵、民兵、狙撃兵
(写真:ミスラータから疎開してきたリビアの子供たち)


敵を悪魔化するという作業は、対イラク戦争においてすでに、アメリカの広告代理店Wirthlinグループが大きな成功をおさめていますが、それはリビアの場合でも非常にうまく行きました。「カダフィは黒人の傭兵を使っている」。リビアの兵士は常に「傭兵」「民兵」「狙撃兵」と定義されています。特にメディアは、親政府側の戦闘員の中における、暗黒大陸〔=アフリカ、原文ママ〕の非リビア人市民の存在を強調しています。反乱側は証拠として、様々な死体の写真を撮っています。しかし、リビア南部の部族のほとんどは黒い肌をした人たちです。


「カダフィの傭兵、民兵や狙撃兵たちは、バイアグラを使用して女性に暴行を働いている」。リビア政府はバイアグラを兵士に与え、彼らに多数の強姦をさせるがままにしているとして、アメリカの国連代表スーザン・ライスに告発されました。しかし、国際組織ヒューマン・ライツ・ウォッチのフレッド・アブラハムス〔Fred Abrahams〕は、性的襲撃行為については複数の信憑性ある事例が存在するものの(一方でリビア政府と何人かの移民は、反乱側に対する同様の告発へと動いています)、政権側からの組織的な命令によってそれがなされている証拠はないと認めています。同様に、一家皆殺しや8歳の子供たちへの暴行への告発についても、矛盾した諸証言にのみ基づいた(またイギリスのスキャンダル雑誌にのみ報じられた)
(http://www.dailymail.co.uk/news/article-1380364/Libya-Gaddafis-troops-rape-children-young-eight.html)ものです。


「カダフィはミスラータでクラスター爆弾を使用した」。非政府組織と『ニューヨーク・タイムス』は、Mat-129型〔120型の誤りか〕爆弾の子爆発体が都市で発見されたとしています。しかし、各種サイトで取り上げられた「ヒューマン・ライツ・インヴェスティゲーション」の調査(http://www.uruknet.de/?l=e&p=-6&hd=0&size=1)によれば、NATOの艦船から砲撃された可能性があります。


「ミスラータでの市民の殺戮」。武装した政府支持側と反乱側の衝突の中で、それに巻き込まれ、確かに数百人ないしは数千人の市民が亡くなっています。ただしどちらの側も、殺戮と残虐行為の告発を相手に向けています。




3:75万人以上の避難民
(写真:子供とともにいる、負傷したリビアの正規軍兵士。ズリテン〔トリポリとミスラータを挟んだ位置にある都市のひとつ〕にて)


何万もの市民の犠牲……NATOの「ミサイル攻撃」の付随効果。3月から開始された空からの爆撃において、数百人以上の市民が死亡(リビア政府によれば700人以上)し、常時数百人が病院で手当てを受けているとともに、この戦争からは75万人を超える疎開者と避難者が生まれています。これは国連人道事務所のヴァレリー・アモス〔Valerie Amos〕の提供したデータですが、5月13日までのものです。リビアの市民が国内の別の場所へ移っているのとともに、とりわけ非常に多くの移民が仕事のないまま暴力の不安にさらされています(貧窮のニジェールに、6万6千人が帰国しただけです)(http://www.mondialisation.ca/index.php?context=va&aid=24959)。今年の初めからは、すでに1500人を超える移民が地中海で死亡しています。


黒人と移民になされている残虐行為の被害。アフリカ諸国の政府とリビアにいる黒人移民による告発、ならびに「人権国際連盟〔Fédération internationale des droits de l’homme〕」のような人道組織が集めた証言(www.lexpress.fr/actualite/monde/libye-des-exactions-anti-noirs-dans-les-zones-rebelles_994554.html)によれば、東リビア――反乱側に掌握されている――において、無実の移民労働者が「カダフィの傭兵」として告発され、私刑、拷問、殺害といった何らかの人種主義的な行為の、また窃盗の対象となっています。反乱側が発信している様々な映像によれば、彼らが死刑に処している、また虐待しているリビア政府の兵士は、とりわけ黒人です(http://fortresseurope.blogspot.com/search/label/Rivoluzionari%20e%20razzisti%3F%20I%20video)。国際社会は今日までこうした告発を無視してきました。


すべての協定の提案が退けられている。リビアの内戦の当初から、最初はラテンアメリカ諸国、後にはアフリカ連合(UA)によって、休戦および早期に選挙を実施するという協定の提案が様々になされてきました。NATOおよび反乱側はまったくこれらを無視してきています。



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筆者のコッレッジャ氏についてこれまでわたしが知るところはなかったが、彼女の関わっている著作を検索すると、ブルキナファソの軍人政治家であったトマス・サンカラの文集や『世界の南部からのベジタリアン料理』などが目につく。特に近年の著作に付せられた紹介によれば、中南米、アフリカ、インドなどの調査経験を持つアクティヴィストであり、平和主義運動、フェア・トレードの推進、政治犯や死刑囚の支援、環境および動物の保護などに広く携わっているようである。リビアの事態を受けて立ちあげた彼女の臨時ツィッター(抗議を訴えるメッセージが1件あるのみ)の「フォローしている」には、「リビアにおける軍事干渉への反対」の署名者の一人であるジェンナーロ・カロテヌート(Gennaro Carotenuto)に加え、ウーゴ・チャベスの名前が挙がっている。こうした人物の寄稿を受け入れることには、雑誌の内部でも議論はあるのだろうが、かの国の民主党をはじめとする世俗的「中道左派」がベルルスコーニ政権一つひっくり返せないまま空爆続行への追加予算を容認しているのと比べ、カトリック界に属する人々が(おそらくは販売上のリスクも一定背負って)このような言説を提供していることは、同じ神を信仰しない者にも評価されてよいことではないだろうか。




引用(16)

それは日本人にだって、善良な奴はいるだろうさ、と達城天池は思った、朝鮮人と親しくつきあっているのは大勢いるだろうさ。しかし、これだけは知っておくがいい。貴様らが支配者としておれの国にのりこんできた、その日から、鮮人という蔑称でよびすてた日から、貴様らは朝鮮人を理解できなくなったのだ。それはそういうものなのだ。どんなに善良な奴でも、どんなにあどけない子供でも、こと朝鮮人に関してはもう絶対に理解できなくなってしまっているのだ。それが支配者というものの運命なのだ。それが日本人であり倭奴〔いのむ〕である貴様たちだ。義務徴兵を明治維新に比較し、下着〔パジ〕をもんぺになぞらえるのは、貴様らの勝手だ。そうした貴様らの恩恵の数々を耐えながら、おれたち朝鮮人は三十年をすごしてきたのだ。その三十年が朝鮮人すべてにとって、大人からいたいけない子供まで、どんなものなのか、貴様ら日本人には絶対にわからないのだ。


小林勝「贍星〔せんせい〕(明治七十八年)」


※原文における強調の傍点を太字に直し、ルビ部分は〔〕におさめた。




「中東革命」は誰のものか、または匪賊対革命ごっこ(夏休み特大号その1)

リビアの状況について、再び反乱勢力が優勢に立ちつつあると報じられた一方、その反乱勢力の中でリビア政府の閣僚から転じた幹部の暗殺事件が起こり、暫定評議会の「内閣」総辞職に至るなど、全体が不明瞭な点は相変わらずである。特に暗殺事件について、7月30日づけの『産経新聞』の記事では「そもそも反体制派には明確な指揮系統がないといわれ、影響は限定的とみられる」などと書かれているが、考えようによってはなかなかの話である。仮に彼らが現政府に勝利したとして、軍事組織の「明確な指揮系統がない」まま内部分裂――暗殺事件をその兆候とする見解は現在少なくない――が起こったとしたら、さらなる内戦が起こるということではないか? そもそも中央の統制を外れた軍隊というとわたしは関東軍を思い出すし、この記者もそうしたかどうかとも考えたものの、時空を超えた大日本帝国さらには神代との精神的紐帯を四六時中誇っているオカルト組織の関係者が歴史的教訓とでも言うべきものを想起すると思う方がバカバカしいと気づくのに時間はいらなかった。


それはさておき、アンジェロ・デル=ボカは、6月中旬から7月初頭の時点において、リビアの軍事状態は「千日手」であると指摘している(注1)。すなわち、リビア政府は、NATOのたびたびの勝利宣言にもかかわらず、なお戦局を維持するだけの軍事力を温存している(反乱勢力を完全に追い詰めれば、NATOが陸軍の投入に動く可能性が高いから、そこまではコマを進められない)。一方、ベンガジ側の武装闘争も有効に勢力圏を広げられない(NATO側による大々的な援助と、トリポリ側への空爆という松葉杖がなければ、そもそも対峙しえない)。ゆえにこれ以上死者を出さないよう、西欧諸国は停戦プロセスに向かわねばならないというのが彼のオピニオンであったが、現時点においても「千日手」状態が破れたとは言い難いところがありそうである。


ところで先日、わたしは6月から7月にかけてリビアを取材したという日本人のブログを偶然目の当たりにしたのだが、残念ながら以前言及した『毎日新聞』にとどまらない、「我々」の報道産業の全体に及ぶ悲惨さを感じさせる内容であったと言わねばならない。念のため言っておくと、わたしはこのブログの書き手が完全にベンガジ側に立っていることが問題だとはまったく思ってはいない。カダフィ氏の政府も「火のないところ」ではないと前に書いた通りである。しかし、この内戦がリビアにおける純粋な「悪逆なるカダフィ」対「立ち上がる市民」による一対一の決闘だというのは、仏・英・米・伊といった諸国の動きをみれば絶対にありえないことであり、内戦の取材をするならするで最初にそのあたりについて見解を示してくれなければ問題ではと思うのだが、この書き手はそうした疑問が世界中でなんら生まれていないかのように振る舞っている。つまりこれは、空爆開始以前にばらまかれていた「物語」で頭をいっぱいにした人間が、自分の中にある固定観念を再確認して帰っただけの記録であると思われる。


いくつか記事から目につく、もしくは鼻につくところを拾ってみよう。たとえば、冒頭の記事のタイトルが「いざカダフィ退治」ウンヌン。この言葉は一体何なのか。「退治」というのは、桃太郎の鬼退治とかスサノオのヤマタノオロチ退治とか、要するに「怪物」をやっつけてメデタシメデタシというファンタジー世界のものであり、こうした部分の端々に開かれた精神ではない単なる軽率さが表れている(注2)。「最前線で共に戦ってます」などといったところで、そもそもあなたが銃を手にしているわけじゃないだろう。外部の人間が本当に銃を手にしていたとしても、それすら「共に戦っている」証明にはなり得ないというのに(たとえばテルアビブにおける足立正生について、諸君は彼がどこまでパレスチナ人と「共に戦っていた」とみなすだろうか?)。 これは、外部の人間が他人の「革命」に勝手に陶酔する「革命ごっこ」の典型である。


続いて、「カダフィ政権は金や車をちらつかせて教養の薄い人々を従わせ、同族に殺し合いをさせている」という「説明」。そもそもリビアは多くの「部族」が混在する地域であり、むしろそれを「リビア国民」という「同族」に統合しようとしたのがカダフィ大佐であるという評価があるという点はさておき、「教養」(ふつうは「ない」「浅い」などと表現するものであり、「薄い」とは言わないのでは?)のくだりも疑わしい。ベンガジの人々が「敵」をそう解釈するのは理解できないことはないが、この書き手は「教養の薄い」リビア人が財物に目がくらんで簡単に人殺しをすると言いたいのだろうか。もし日本で「教養の薄い」日本人はそのようにふるまうのだと何者かが発言したら、それは明らかな侮蔑としてとらえられるだろう。それでは、リビア政府は意図的に「愚民化政策」を採って「教養の薄い」人間を大量生産し、飼いならしているということか。これはすでに指摘されていることだが、リビアは識字率や大学進学率といった指標で見る限り、アフリカ大陸で抜きんでている。つまり「教養」を備えた人間が、それなりのマッスとして存在すると考えられる国だということである。国連開発計画(UNDP)のサイトでは、1970年から2010年までの「人間開発指数」の推移が見られるが、カダフィ政権の40年においても滞りなくこの数値は伸びており、特に教育部門に関してはアラブ諸国の中でもトップである。つまりデータからは「カダフィはリビアの教育水準を飛躍的に高めたが、それによって国民は彼の意図した枠を超えて政権の矛盾を感知するようになり、反乱に至ったのである」と、まったく逆の(一種の弁証法的な?)説明が出来てしまう。


ほとんどリビア人同士の決闘としてのみ内戦を見ているこの書き手も、わずかに「人道的介入」に言及している。「アメリカやNATOの他国への軍事介入に何かしら裏があるといつも言われるのはチベットやウイグルといった本当に助けが必要なところには全く介入しないから」。今回の「人道的介入」には「裏がない」ととらえられているようであるし、リビアとともに「チベットやウイグル」が「本当に助けが必要なところ」として挙げられている。つまり、トリポリの空爆を容認するのみならず、中国に対してもアメリカのいわゆる「人権外交」では充分ではないから、「チベットやウイグル」のために北京を空爆せよということになるのだろうか(注3)? その発想はどこから出るのかが興味深い。軍事費世界第一位の国が世界第二位の国を攻撃したら、それは第三次世界大戦の勃発を意味するであろうから。


このブログからはベンガジの反中央=カダフィ感情は非常によく分かるが、そこから書き手がものを遡って考えることをしていない。記されているベンガジ側の人々の「生の声」をそのまま並べると、しばしば混乱したものが現れるのだが、それはこれらが虚偽だということを意味するのではなく、むしろこうした矛盾の中に読み解かれなければならないことがあるのではないか。たとえば、反政府陣営の中にも、アメリカの陸軍派遣の噂について「絶対に許さない」とする人や、「アルジャジーラなんかはカダフィが元々嫌いだから嘘や誇張がホント多いよ」とする人がいるというのは、確かに一つの知見である。しかしそうした要素を拾っているにも関わらず、過剰な対象への同一化と、「敵」に対するマンガ的想像力がすべてを台無しにしている(注4)。暫定評議会の中にいたカダフィ大佐の元側近の暗殺について冒頭で書いたが、この書き手がそのような事件が起こる兆候をつかみ、警告なり予言なりをできず世界に手腕を示す機会を逸したのは、ひとえにこのためだろう。まあ、最新の7月20日の記事において、エジプトで「なかなか進まない新政府による改革の促進や前内閣閣僚など(革命時に民衆を弾圧した戦犯や汚職政治家)の早期訴追」について語りつつ、リビアの暫定評議会になぜか(本当になぜなのか?)鎮座している「前内閣閣僚」の行動については考察らしい考察を与えていない以上、それも無理なからぬ話ではある。


ジャーナリストとして戦場に赴くというのは、一定の「勇気」が必要となることであろう。「現場」の人間に寄り添うのもよい。しかしそれ以前にこの職業には、「現場」の人間が見ることのできないものを洞察し、持っていない視野とデータで分析するための、適切な「知性」――この有無は「教養」の有無とは関係がない――が必要となる。それなくしてはいかなる「現場」にいたところで、何を見ようと聞こうと、たいしたことは書けないのではないか(注5)。正直、事前にリビアの何を独自に調べたのだろう? 2月か3月の時点で急いでリビアに飛び込んだというのならまだ分かる。しかしこの書き手が「現場」に赴いたのは、事態の発生から4ヶ月後のことである。一定の余裕を持って、リビア政府と反政府勢力それぞれのあり方や、その外部諸国の動きのあり方を吟味する時間はあったはずなのだが。この書き手は、リビアという国家とその人々の運命には結局のところ関心がないのかもしれない。本当に関心があるのは、「革命」というムードの醸し出すヒロイックさ、そして危険の中で取材する自分自身のヒロイックさなのだろう。





(注1):民主党系の『ウニタ』も、6月26日づけでデル=ボカ氏のインタヴューを掲載したが(引用はこちらなど)、歴史家がすでに別の媒体で言っていることと変わらない内容しか引き出していないなおざりなものであり、同党のいまだ変わらぬ好戦的姿勢に疑念を持った支持者に対するアリバイづくりとでも言うべき質のものでしかないように感じられた。


(注2):加藤清正の虎退治というのもあるが、この書き手は企業ジャーナリスト時代には「北朝鮮」や「脱北者」の取材にも携わっていたようなので、今後朝鮮半島で一変事あれば「金正日退治」にも喜び勇んで「従軍」することが予測される。


(注3):1999年のユーゴスラヴィア紛争の際、NATO諸国の「人道的介入」を進めていた飛行機が、中国大使館に「誤爆」したという事件があった。この事件について、西側諸国の政策に否定的な国家に対する牽制球(牽制爆弾?)だったのではないかと疑う人がいた。しかしそういった声からむしろ、彼らが将来の仮想敵に「軍事介入」する時に「国際世論」がどう動くか試すための、一種のテストではなかったかとわたしは感じたものである。今回のリビアにおいても、朝鮮大使館に「誤爆」がなされたというニュースが流れた。わたしがこの書き手の友人なら、「大丈夫! アメリカやNATOは“本当に助けが必要なところ”に“助け”を与えるタイミングをちゃんと計っているよ!」と、微笑とともに励ますであろう。


(注4):「カダフィはピッコロ大魔王だ。傭兵は口から生まれた部下」。拍子抜けするというか、実に安いたとえである。必ずしもマンガをたとえに出すことが悪いというわけではないが、この文脈なら「リビアの悲惨な“同族殺し”の唯一の原因はカダフィであり、彼が憎い」とでも言えば十分である。つまり、「ピッコロ大魔王」というフレーズで日本の読者――まさか他国の取材者に「カダフィってピッコロ大魔王みたいじゃない?」などと話を振っていないことを祈りたい――の共感を買い叩こうというのが安っぽいというのだ。そもそもピッコロは、一度「大魔王」として倒された後に、若返って復活するばかりか孫悟空たちの仲間になるではないか。わたしは一瞬、カダフィ氏が倒された後にその息子であるセイフ・エル=イスラム氏が、ベンガジの子弟たちの師匠として、NATOやアメリカという名のベジータやフリーザとの戦いを指導する様を想像してしまった。まさに後期『ドラゴンボール』の展開である。


(注5):2月の内戦勃発の時点で、リビア研究者の日本人の方による臨時ツィッター(まとめはこちら)があった。わたしが読んだのは一連の記事を書き出しはじめた後になってのことであるものの、今見直しても示唆を含む内容だと思う。この方の発言から「注4」の補足にもなる一節を引かせていただこう。「乱暴な表現になりますが、「魔王カダフィがリビア政府全てを牛耳っていた」というようなドラクエ的発想からは、何も見えてこないどころか、極めて歪んだリビア像しか引き出しません」。しかしさらにふるっているのは、読者の一人の感想である。「こういう視点を持って見ずに「悲しい」だの「怒り」だの言っていたら、リアルタイムの他国の出来事を見るという「経験」を全てムダにすると思う」。