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「中東革命」は誰のものか、または匪賊対革命ごっこ(結語に代えて)

1)先日、リビアにおける「国民暫定評議会代表のムスタファ・アブデル・ジャリールは、イタリアの防衛大臣イニャツィオ・ラ=ルッサがトリポリを訪問した際、イタリアの統治時代はムアマル・カダフィのそれより良いものであり、「インフラ、建設、農業の偉大な発展期であり、法が正しい裁判を保証していた」ものであったなどと発言したそうである。これに対し歴史家アンジェロ・デル=ボカは、『マニフェスト』紙の10月14日号に掲載されたインタヴューで、上記の言明が「ほとんど“たわごと(bestemmia)”」であるとコメントしている。


http://www.ilmanifesto.it/area-abbonati/in-edicola/manip2n1/20111014/manip2pg/08/manip2pz/311583/
http://notizielibere.myblog.it/archive/2011/10/16/la-bestemmia-di-jalil.html


彼は、特にファシズム期の植民地戦争において15か所の強制収容所が建設され、その中で少なくとも4万人のリビア人が、銃殺、病気、環境の不備などによって死亡したことや、6-7万人以上が対伊戦争で没していることを挙げ、当時同地域の住民として確認されていた80万人のうち8分の1もの犠牲者があったことを指摘する。事態の責任者の一人には、第二次世界大戦直後に出現するネオ・ファシスト政党「イタリア社会運動」の指導者になったロドルフォ・グラツィアーニ元帥がいるのだが、かつてこの政党に所属していたラ=ルッサ大臣にとって、ジャリール氏の「たわごと」はとりわけ歓迎されるものであろう(注1)。デル=ボカ氏は史実の指摘に加え、暫定評議会がイタリアの植民地主義について「善良で」、「寛大で」、「正しかった」と認めるとすれば、我々が植民地支配への賠償についてこれ以上論ずる意味もないだろうと皮肉極まりない口調で述べている。すなわち、カダフィ大佐がイタリアと締結した2008年のベンガジ条約においては、彼が長年にわたって要求してきた植民地支配への補償(20年間にわたる50億ドルもの支払い)条項が盛り込まれていたが、「今やカダフィはもはや存在しないので、賠償を請求する人はもはやおらず、その後継者はまったく違ったことを言っています。それなら我々は、この後継者にもはや1リラたりとも払ってはなりませんね」。


2)結局今日の今日まで、わたしはデル=ボカ氏によるカダフィ氏の伝記を読み切ることができていない。しかし少なくとも、日本から遠く離れた国の人物のあれやこれやについて、自分はいかに多くのことを知らなかったのだろうと、その頁を拾い読みするたびには驚かされる。フランスやイタリア、またはアメリカやイギリスなども、距離的には非常にかけ離れた国であるが、これらの国々について自分たちが手にした、ないしは何者かに教え込まれた知識や情報と比べ、エジプトやチュニジア、またはリビアやシリアについてのそれらは、いかに貧困なままに留め置かれていることであろうか! そのような現状に「悪逆なるカダフィ」のイメージが大放出されたのであり、ここから突如「40年以上の独裁」をウンヌンすること自体、そもそもおこがましいのではないかと最初に感じたことが、このたびの連続記事を書くきっかけとなった。「40年以上の独裁」以前の社会がバラ色だったかというと、そのようなことも決してありえないだろう。必要なのは月並みな「独裁」イメージやマンガ的想像力ではなく、知性的・歴史的なアプローチによるその様相の厳密な評価と、それに基づいた政治的判断であろうが、これには時間がかかる。そして現代の戦争遂行勢力は、この判断を防ぐために異常な速度でことを進めようとすることが改めて確認された。いまだに詳細が明らかではない/明らかにしようとされない「市民爆撃」を皮切りに、次々と信頼性が薄い、あるいは実証されない情報が伝達され、「緊急性」に基づいてなされた「国際社会」の決議が、修正も撤回も何らなされず事態が運ばれていき、ついには暫定評議会の承認に至る――ことの不気味さについて、諸君はいくら考えても考えすぎることはないだろう。


3)ここで国連決議1973号を復習したい。


http://unic.or.jp/security_co/res/res1973.htm


まず、この決議そのものが国連憲章に違反してはいないかという疑問が出る。一国の内戦への介入を合法的とする理由としては、「国際の平和及び安全を維持すること」(第1章第1条1項)という、国連憲章の一部分がピックアップされるのであろうが、憲章の全体においてより大きな問題となっているのは、「人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること」(第1章第1条2項)という一節に代表される、国家間の紛争の解決についてであり、ある国家の内戦的状況に対する別の国家の介入については、むしろ否定的と言えるだろう。


さらに、この決議によって明確に定められているのは、「市民の保護」を目的とした「飛行禁止区域」についてのみであるということである。実際に行われたような、反乱側への資金提供、カダフィ大佐側に対するNATOの空爆(これがないかのような扱いをすることは絶対に許されない。のべ2万回を超える出動とはすさまじい規模である)、および陸軍の投入(トリポリ入城の際には、「英・仏・カタールなどの陸軍特殊部隊が参加している」などと当たり前のように報道されていた!)を根拠づけるものは何もない。それらを遂行するとすれば、それぞれの件ごとに新たな決議を通さなければならないはずであるのだが、もちろん、それをいちいち提起していては憲章との齟齬がますます取り沙汰されるだろうから、彼らはそんなことはしない。さらに国によっては、今回のような対外戦争へ強い限定を加える最高法規(イタリアの場合は憲法第11条)があるにも関わらず、そのような国内法にも違反した行動をしている。110mハードル走の時のウサイン・ボルトでさえしないような問題の飛び越え、または薙ぎ倒しようである。「国際社会」は、カダフィ氏を捕まえ処罰する警察や裁判所の存在を謳っていたが、そこには法がない。法なき警察や裁判所がどのように機能するというのか?


4)確かに、このあたりのNATO諸国の度し難い無法ぶりは、サダム・フセイン(と主権国家イラク)が滅ぼされた、2003年とあまり変わりはないかもしれない。しかし2011年における問題はより大きい。列強権力の介入による現地政権の打倒について、西側諸国における各種の社会的勢力が、「自分たちの敗北」としてほとんど誰も認識していなかったからである。たとえばリビアの旧宗主国イタリアを見れば、誠実かつ老練な歴史家や政治研究者以外にも、平和主義団体の一部、共産主義政党の一部、カトリック聖職者の一部による奮闘は確かにあった。こうした人々に、わたしは改めて敬意を表したい。しかし彼らの奮闘にも関わらず、イラク戦争の時に見られたような大衆的動員はついに起こらなかった。2003年に起こった西欧諸国の反戦運動を、アントニオ・ネグリの言う「帝国」に匹敵する巨大な対抗運動の出現として評する声がかつてあったが、あれはいったい何だったのか。それとも8年前の事象は、各国の人民の自律的運動の爆発というよりは、何かしらメディアのさじ加減で決定されていた「集団ヒステリー」のようなものだったということだろうか。西側の情報産業による現地政権とその首長の描き出されようは、2003年と2011年とで明らかに異なっているが、その落差は「社会運動」の盛り上がりの有無に面白いほど反映している。


カダフィ氏の敗北が、彼個人やその一族の敗北にとどまらず、歴史的な反植民地運動やアフリカ大陸全体の発展の模索の敗北につながるものであり、それは自分たちの「平和主義」なり「リベラル」なり「左派」なりの運動の敗北であるとしたらどうか――そうした可能性について、こうした運動の人々が思考を一度でもめぐらせた形跡はほとんど見られないどころか、概して「“リビア民衆”とともに戦った自分たちの勝利」として寿がれているようだ。実際にリビアに赴いて戦闘=殺戮を展開していたのはNATOであったが、そういうことになっている。もっとも完璧な勝利とは、相手方に敗北を喫したという認識を与えないくらいに、その精神世界をも制圧することによって達成される――こんなことを言っていたのは誰だったろう? ともあれ、世話はない。


5)NATOに膝を屈している西側メディアによる、いわゆる「情報操作」なり「ストーリーの創造」は確実に存在しよう。しかし今回本当に驚かされたのは、あまりにも多くの西側諸国の「左翼」を自称する/他称される人々が、こうした動向に対抗的な発想をしないどころか、相手が送ってくる波に乗ったまま自分たちの話をしていたということである。わたしはこれまで、ジャン・ブリクモンの関わった二つの文章をそれぞれ要約および抜粋という形で紹介してきたが、彼が指摘するフランスの「左翼」の混迷ぶりには信じがたいものがある。リビアの暫定評議会がNATOにほとんど「おんぶにだっこ」で来ているのは、多少なりとも情報を調べれば明らかなことであるが、フランスの「左翼」もまたNATOに「おんぶにだっこ」らしい。わたしですら、NATOを「民主化」に活用することが現実問題として可能かどうかを考えた時、以下のような結論に至ったのであるが。


①:それ自体巨大で独立した戦争機構としてのNATOがひとたび動き出せば、掣肘するのは極めて難しい。

②:議会における議席数という単純な指標からしても、フランスの「左翼」は少数派であり、多国籍の戦争機構どころかフランス軍単体をコントロールできるほどの実効力すら有していない。なぜニコラ・サルコジ大統領のような新自由主義的保守が、自分たちのエージェントとして自分たちの要求を代行してくれると思えるのか?

③:たとえこうした「左翼」が政権を握り、サルコジ氏とその廷臣たちが彼らの政治における犯罪的行状をすべて暴かれ、全員がサウジアラビアあたりへ高跳びしているような状況であるとしても、そもそもNATOのような戦争機構は「人道的」な国際支援をするには不適格なのであり、これを通じて自分の構想を実現させることは「左翼」であろうとあるまいと不可能である。


近来わたしがしばしば訪れるサイトの一つに「スーパーゲームズワークショップエンターテイメント」がある(注2)。このサイトでは半年以上も前から、朝鮮半島問題の専門家と見なされてきた石丸次郎が、実質的には朝鮮を標的とした東アジアを巻き込む戦争の扇動者でしかないとして猛烈に批判されている。ところで、その8月下旬における記事の一つは、リビア戦争について石丸氏がツィッターで書いたものと、「笹川平和財団アドバイザー」の佐々木良昭が雑誌『ダイヤモンド』に寄稿したものを比較し、後者のほうがよほどマトモではないのかと面罵するものであった。わたしも自分なりに学んだ史実や情報から、この判定には全面的に同意するものであるが、記事で紹介されている佐々木教授の文章を前述のブリクモン氏(およびダイアナ・ジョンストン)の批判とあわせて考えると、日本の「北朝鮮」怪情報ブローカーどころか、フランスの「左翼」の大方より佐々木氏の方がマシということにすらなりはしないか。我々は、ほとんどの西側諸国の議会内外の各種左派組織が、社会民主主義を名乗るそれらから無政府主義なり共産主義なりを名乗るそれらにいたるまで、どれも「笹川系右翼」以下のボンクラではないかということから疑い直す必要があるのかもしれない。まことに残念ながら。


6)反乱勢力がトリポリを奪取した後になって、イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相は「これは国民的蜂起というものではない。私がリビアを訪問した時に見ることができたように、リビア国民はカダフィを愛している」と発言したそうである。


http://www.voltairenet.org/Berlusconi-says-Libyans-love


女性とのベッドインは好む一方、ジョン・レノンのようにラヴ&ピースは訴えない人物の、なんともいまさら感の漂う言葉ではある。しかしこの発言について「それは両方とも同類の独裁者だからであるなどという、程度の低すぎる応答はくれぐれも慎まれたい。両者が「同じ」だとするならば、NATOがイタリアの「反乱勢力」に資金と武器を供給し、ローマやミラノに空爆すべきだと絶叫するがよろしい。現在イタリアの大都市においては、「ブラック・ブロック」と呼ばれる無政府主義的グループをはじめとする「市民」がこっぴどく街頭で弾圧されているそうであるから、ぜひ彼らは「保護」されるべきである(注3)。この「ブラック・ブロック」は、かつて2001年のジェノヴァ・サミットの際において最初の勇名を馳せたものであったが、10年前に彼らにNATOがあらゆる援助をなし、イタリアの「民主化」を支援しなかったことは残念なことではないか。もちろん、リビアのカダフィ大佐もそんなことはしなかった。彼はまったく「民主的」でなかったからである。


ベルルスコーニ首相の「アメリカの圧力、ナポリターノ大統領のスタンス、議会の決定を考慮したうえで、私にどんな選択ができただろう?」という一節は、政治的泣き言に過ぎず、職責放棄を指摘されても仕方ないものだが、自国の憲法違反である疑いの濃い軍事活動に異議を唱えなかった大統領や、内閣の外からそれを強く後押しした民主党などの責任は、これとは別に指摘されうるものである。むしろ、「他国とのつきあい上しょうがなく」といった言い訳でなく、「市民の保護」といった看板を振り回し続ける一方で、NATOの活動の実質には沈黙し、植民地主義の再来についての感覚もなく、自身がリビアにとってベルルスコーニ氏以上の疫病神になった可能性についてもなんら省察がない彼らに、イタリアの市民が一種の「偽善」を嗅ぎ取ってもおかしくはないのである。諸君の中にも、外信でも伝えられる醜聞だらけのベルルスコーニ氏がなぜ決定的に没落しないのかと不思議に思っている方がいると思うが、わたしは今回の一件でその理由の一端は垣間見た気がする。「民度が低い」のではない。人権だの自由だの言いつつ事態の穏当な解決には何ら寄与していない「戦争賛成左翼」を対極に、リビアの商社のビジネスパートナーとしての彼個人の利得の問題も見え隠れするとは言え、反動政治家としては本来口にできない「戦争したくなかった」という「本音」を漏らしてしまう首相を見た時、後者の「正直さ」がなにか愛らしくさえ見えてきても不思議ではないということである。


7)リビアの内戦への西側諸国介入に対して強く反対する勢力の中には、中国やロシアの「機会主義的」姿勢を非難する向きも散見された。彼らは、3月の時点で両国がリビア介入動議への拒否権を発動しなかったことを「怯惰である」と嘆き、現在では反乱側とつながりを求めるようになっていることを「二股をかけた」と罵倒する。しかしそれは、ないものねだりというものであろう。リビア介入を絶賛するようになっている「国際世論」から袋叩きに合い、似たような理不尽な制裁を自分たちに課されてはたまったものではないことを、この両国の指導者たちは賢明にわきまえているということである。両国内には、リビアにおける「反乱側」のような存在になり(他国にピックアップされ)かねない材料も存在する。むしろわたしには、この二つの国家が旺盛な自己保存欲を発揮しつつも、一方で対抗的情報を流布する形での間接的な批判は展開してきたのであり、最低限の義理は果たしているように見えた。


別に、中国の国際ニュースチャンネル(英語の)による新疆の報道や、ロシアのそれによるチェチェンの報道をそのまま受け取りなさいと言いたいわけではない。いかなる報道機関も自国とその勢力圏にどうしても甘くなるものであり、それは「先進国」=NATO圏メディアも同じだということが、はしなくも判明したというだけの話である。今回の一件に関して、正確な情報の提示とそれらに対する透徹した分析という、ジャーナリズムとしての仕事を誰が果たしていたのか。山のような「誤報」の後で、「先進国」の報道産業の戦争情報だけを格別に信用できるとすれば、それは彼らのジャーナリズムを信じているのではなくブランドを信じているのである。逆に、事態の初期段階において「国際世論」がいま少し、先行する報道の矛盾やリビアへの「人道的介入」に疑問の声をあげていたら、むしろ彼らは当初から国連で攻勢に出たことであろう。自身の努力が足りなかったことで責められるべきは、やはり西側の人々(もちろん「我々」を含む)ではないか。彼らは思想や表現の「自由」を一番享受しているはずなのだから。


8)今回の連続記事でしばしば紹介した、イタリアの対抗情報サイト「メガチップ」の主催者であるジュリエット・キエーザは、中道左派系週刊誌『エスプレッソ』による8月下旬のインタヴューで、リビアの戦争が西側にあらかじめ「プログラム化」されたものであったという持論を繰り返すとともに、「カダフィ後」も西側諸国のアフリカにおける軍事行動が続き、遠からぬうちに「第三次世界大戦」すら引き起こす可能性があるとしている。「アラブ諸人民の西欧民主主義への渇望というこうした記述こそ、近代に発明されたもっとも仰々しい偽造の一つ」といった、彼のいくつかの命題には即座に首肯しかねる部分もあるが、シリアなどへの「人道的介入」の拡大を英米あたりが唱える現状では、「第三次世界大戦」への警告を笑って済ませるべきでもあるまい。すなわち、なおも国内の急速な成長を維持する一方、海外では積極的な開発投資を通じたアフリカ諸国の取り込み――少なくとも軍事的にではない――を試みている中国の動向を、完全な経済的停滞期に入っている西欧諸国が指をくわえて見ていることはありえず、両者の間に5-10年で「不可避な衝突」が起きると彼は予測する(注4)。


さしあたってのNATO諸国の次の目標はシリアかという最後の質問に、キエーザ氏はこう答えている。「はい、またはイラン、しかし他にも替わりはあります。危機がより先鋭化した時になってようやく、どこかが明らかになるのです」。しかしヨーロッパに住むキエーザ氏は、次の危機が先鋭化する「どこか」について、基本的にはアラブ・アフリカや西アジアを念頭にしているようである。おそらく「我々」はアジアを念頭に入れて考えるべきであろう。たとえば、朝鮮半島が「どこか」になる/される可能性があるということを。


9)仮に現在「リビアかわいそう」「カダフィは非道な白人どもにハメられた」と絶叫する日本人がいたとしても、その彼が朝鮮の軍事的転覆=「レジーム・チェンジ」に賛成するならば、彼らの怒りは禍々しい欺瞞でしかあるまい。本稿の6節で引用した「スーパーゲームズワークショップエンターテイメント」では、「民主化」「人道的介入」の掛け声とともに、そういった事態が引き起こされることが真剣に憂慮されている。李明博に大統領が変わった韓国は、再び朝鮮に対する好戦的ジェスチャーを強めている。日本政府の姿勢は言うに及ばずであるから、一朝こと有らばここぞとばかりに自衛隊が出動する可能性が高い。「民主派」が出現すれば、NATO諸国流にそれに資金援助もすることになるだろう。しかし「朝鮮有事」においては、中国やロシアがメディアを通じた間接的な批判の域でとどまるとも思えない。リビアにとってウーゴ・チャベスやジェイコブ・ズーマは遠くの友達にすぎなかったが、朝鮮とこの両国は直接国境を接し、資源の通商だけでなく防衛線の問題も共有している。東アジアの紛争をきっかけに「第三次世界大戦」は発展しうるのである。さらに、日本が朝鮮と戦争をするなら、国内にいる相当数の朝鮮人(韓国籍非保有者の)を放っておくことをしないだろう。80年前にイタリアのファシストがリビアに建設したようなものを、日本でも見ることになるのだろうか? 


単なる類推と言えばその通り、しかし諸君もどうか類推を働かせて考えていただきたい。ところがそれ以前に、日本の各種運動のほとんどは、幾度もすでに書いてきたような程度の「戦争賛成左翼」を憧憬している(だけ)か、そのしごく出来の悪い引き写しにすぎないから、同じように西欧諸国の情報産業の引き写し(しばしばそれ以下)である日本の新聞記事を読んで、リビアでの一連の事件に分析を加えるどころか「次は北朝鮮だ!」と大興奮しているらしいのである。朝鮮はリビアほど国民所得も高くはないし、国連が提供するような得点の高いデータも存在しないようなので、「北朝鮮民主化の魅惑」はより彼らの琴線に触れるのであろう。そんな琴線などは、片っぱしから引きちぎって火にくべてしまうべきである。


10)まだ書き記せることはあるが、この辺でやめておこう。ともあれ「我々」は「革命ごっこ」にうつつを抜かす前に、いかに現在の自分たちが「人間の顔をした野蛮」のただ中にいるのか、いかに途方もない底にいるのかを、まず認識すべきではないのか。人道主義、国際主義、社会主義、民族主義、平和主義、その他考えうる多くの観点から見て、リビアにおけるNATOの「人道的介入」がこうも進んだことは、まったくの敗北に他ならない。敗北を敗北として厳粛に認識しないうちは、結局いかなる夜明けも来ないことだろう。





(注1):「イタリア社会運動」は1990年代に「国民同盟」と名を変え、少なくとも外面上はファシズム色を薄めた(反ユダヤ主義の否定などで)現代的政党として、数度のベルルスコーニ内閣を右から補完した。近年、国民同盟の党首であったジャンフランコ・フィーニは、一度ベルルスコーニ氏の新党「自由の人民」に合流しながら、離反し再び独自会派「未来と自由」(自由自由と似たような名前である)を立ち上げたが、ラ=ルッサ氏はそのままベルルスコーニ派に残留し、イタリア社会運動時代からの盟友と袂を分かった。ところがフィーニ氏もまた、ことリビアの紛争についてはラ=ルッサ氏と(そして民主党とも)変わらぬ介入論者の一人なのであった。


(注2):このサイトの書き手であるZED氏とわたしは、ウェブ上に発表されたこちらの共同声明に名を連ねているものの、直接の面識はない。彼/彼女のブログの舌鋒は実に鋭く、しばしば辛辣に過ぎると感じられるきらいはあるものの、豊富な話題が提供され、時評の論旨も明快かつ道理にかなっており、わたしも勉強させていただいている。時評のみならず、韓国における日本のマンガ翻訳事情についての紹介も非常に興味深い。


(注3):ある種の西側「左翼」、および日本におけるその模倣者の中には、こうしたイタリアの運動やアメリカのウォール街の占拠が、「アラブの春」に続く「革命」になると叫んでいる向きがあるようだが、この手の動向は単なる出玉フィーバーであり、とりたてて期待すべきものではない。というのも、こうした運動を進める人々のほとんどは一方で、リビアの情勢が「革命」の名に値すると称賛しているようだ。しかし他国の「革命」の実態に対して客観的かつ知的な判断ができない人々が、どうして自国の「革命」を上手く進めることができるのだろうか? 


(注4):ところでキエーザ氏によれば、こうした「第三次世界大戦」を仕掛けるのは、力を強めつつある中国の側でなく「確実にアメリカであり、それは「中国がアメリカのようなヘゲモニーを、文化的にも芸術的にも持っていない」からであるという。「中国は経済的プレゼンスを通じた支配をすることはできるようになるでしょうが、〔他国を〕導くにも、説きふせるにも、とりわけ魅了ないしは誘引するにも、十分な存在にはなることはないでしょう。この切迫した争いについての命運を決することができるのは、誰にもましてすべてを武装した者だけである。ですからアメリカです」。言い換えれば、強力な情報産業によって武装された「アメリカ」は、それらを自在に活用してまたも「国際世論」をリードしながら対中戦争を展開しようとするだろうし、NATO諸国における各種の対抗勢力もこうした知的ヘゲモニーの支配下にいる限り、永遠に同じ醜態をさらし続けるだろうということである。





[追記:カギカッコの処理ミスを見つけたので、そこに修正を加えた。(2011年12月8日)]



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