堕落に終わりはない(2)

「後半部分もぜひ紹介して」と前回の記事のリード文に書いておいて、選挙どころか正月も過ぎてしまっていた。ブリクモン氏のコメントについて「個人の見解」をまとめるつもりだったが、時間がないまま今日まで来ているので、先に翻訳の方だけでも完全に紹介することにした。


なお、選挙の結果についてのわたしの見解は、前回紹介した武井昭夫の考察に尽きる。つまり日本では、支配階級に対する被支配階級のイデオロギー的従属がかつてなく強化されている以上「そりゃこうなるだろう」ということである。しかし、「国防軍」だの「徴兵制」だのを真顔でペラペラする安倍晋三のようなペラペラな人物が再登板したことで、中国ないしは朝鮮を敵とする帝国主義的対外戦争の危機がより高まったのは間違いなく、この点については「そりゃこうなるだろう」とも澄ましてもいられない。安倍首相は賢い人間ではないだろうが、おそらく彼の賢いブレーンは、「護憲派」の最後の抵抗を突破するために、ブリクモン氏の表現するところの「戦争賛成左翼」ないしは「反―反戦左翼」のペラペラさを大いに活用するであろう。





反-反戦左派に用心せよ――なぜ人道的干渉主義はどん詰まりなのか〔※後半部分〕


2012年12月4日
ジャン・ブリクモン



〔承前〕


反―反戦左翼のお好みのテーマの一つは、軍事干渉への反対を拒絶する人を、「独裁者を支持する」として糾弾することであるが、この独裁者と言う言葉は目下標的になっている国家の指導者を意味している。問題は、あらゆる戦争が敵を、とりわけ敵の指導者を悪魔化することに基づく、巨大なプロパガンダの努力によって正当化されることである。こうしたプロパガンダに効果的に反対するためには、敵に帰せられた犯罪行為を文脈化し、彼らのそれと我々が支持しているはずの側のそれとを比較することが要求される。そうした任務は必要だが、危険である。最小の過失が我々に対してはいつまでも利用されるだろうが、一方で戦争賛成プロパガンダのあらゆる虚偽はすぐに忘れられるからである。


すでに、第一次世界大戦の折、バートランド・ラッセルとイギリスの平和主義者たちは「敵を支持している」という糾弾を受けていた。しかし、もし彼らが協商国側のプロパガンダを非難したとすれば、それはドイツ皇帝への愛からではなく、平和のためになされたことであった。反―反戦左翼は、自身の側の犯罪についてその時々の敵(ミロシェヴィッチ、カダフィ、アサドその他)に帰せられたそれより鋭く批判する、一貫した平和主義者の「ダブル・スタンダード」を非難することがお好みだが、こうした平和主義者の姿勢は慎重かつ合法的な選択の必然の結果にすぎない。我々のメディアと(西側の)政治指導者たちの戦争プロパガンダ、攻撃側を理想化することに伴った、攻撃されている敵を恒常的に悪魔化することに立脚したプロパガンダに、そうやって反撃しているのである。


反―反戦左翼はアメリカの政策にいかなる影響も与えないが、それは彼らがいかなる効果をももたらさないということを意味しない。その欺瞞的なレトリックは、あらゆる平和運動や反戦運動を中和化することに役立っているからである。このレトリックはヨーロッパのあらゆる国に、独立した〔他国への不干渉という〕姿勢を取ることをも不可能にさせている。それはド=ゴールの下で、またはシラクの下ですらフランスが採っていたものであったし、スウェーデンではオロフ・パルメ〔1970-80年代の同国社会民主党政府の首相〕によってなされていたものであった。今日ではこうした姿勢は、ヨーロッパのメディアの言葉を繰り返す反―反戦主義者によって、「独裁者を支持することになる」、新たな「ミュンヘン」である〔1938年のミュンヘン会談=「独裁者への融和」の暗示〕、「無関心の罪」であるとして、常に攻撃されることになる。


反―反戦左翼が達成にこぎつけていることといえば、合衆国に対するヨーロッパ諸国民の主権を破壊することであり、戦争と帝国主義に関する何らかの独立した左翼の位置を抹消することである。それはまた、ヨーロッパの左翼のほとんどを、ラテンアメリカの左翼のほとんどとまったく対立する姿勢をとらせるばかりか、実際に彼らがそうすべきように国際法を守ろうとしている、中国やロシアのような諸国を対立者とみなすように仕向けている。


何かしらの虐殺が迫っているとメディアが報道する際に、想定される未来の犠牲者を助けるための行動が「急を要する」ものであり、事実を確かめるために時間を浪費できないという言葉が、我々の耳に入る。こうした考え方は、近くのビルが火事になっている場合には妥当であろうが、他国における緊急性が云々される際に無視されているのは、情報操作、ごく単純な誤り、外国についての報道を支配する混乱についてである。どこかの外国の政治的危機に対する「我々は何かをしなくてはならない」本能によって、軍事干渉の代わりに何がなされるべきかについての真剣な考察が、左翼の側から反射的に一掃されてしまう。どのような独立した調査によって、紛争の諸々の原因を理解して実効的な解決が果たせるだろうか? 何が外交の役割を果たせるだろうか? 汚れなき反乱者という流布するイメージは、とりわけスペイン内戦のような過去の紛争を夢想化する左翼に負っているが、このイメージが考察を妨げている。それは、西洋左翼がお気に入りの伝説の大事な源泉である1930年代とは大きく異なった、今日の世界における力関係と同時に、武装反乱の諸原因を現実に即して取り扱うことも妨げているのである。


さらに注目すべきことは、スターリン、毛沢東、ポル・ポトその他に率いられていたからという理由で、反―反戦左翼のほとんどが過去の諸革命への全般的非難を共有していることである。しかし今日において、革命家はイスラム原理主義者(西側をバックとした)であり、それですべてがうまくいくと我々は信じねばならないようだ。必ずしも暴力革命が社会変革に達する最良または唯一の道ではないと、「歴史から教訓を引き出す」のはどうなったのだ?


オルタナティヴな政策とは、反―反戦左翼によって現在提起されているものとは180度反対なものではないだろうか。次から次へと干渉を要求する代わりに、我々は自分の政府に、国際法の厳格な尊重、他国の内部問題への不干渉を要求すべきであり、対立の代わりに協同を要求すべきである。不介入とは、軍事的不干渉を意味するだけではない。それは外交・経済活動にも適用される。一方的経済制裁ではなく、折衝における脅迫ではなく、あらゆる国家の平等な扱いである。何らかの反―反戦左翼がそうすることを愛しているように、ロシア、中国、イラン、キューバのような諸国の指導者たちを、人権侵害のかどで延々と「非難する」のではなく、我々は彼らが何を言わんとしているのかを聞き、彼らと対話するべきであるし、我々の同胞に対しては、世界には自分たちと異なった考え方があり、我々の物事の行い方について他国が批評できるということもそれには含まれているのだと、理解するのを助けるべきである。こうした相互理解を育むことこそ、結果として、あらゆる場の「人権」を改良する最良の道たりうるのである。


こうしたことが、リビアやシリアのような諸国における人権侵害や政治紛争への即座の解決はもたらさないだろう。しかし〔他に〕何をするというのか? 介入政策は世界の緊張と軍事化を促進している。こうした政策の標的とされていると感じる国家は、数少ないものではなく、彼らは彼らができるあらゆる手段で自分を守る。〔標的となった国家の〕悪魔化のキャンペーンは、諸国民の平和的関係、市民同士の文化交流、そして間接的には、介入の主張者たちがそれを促進していくと主張しているところの、自由主義的理念そのものの隆盛を妨げているのである。反―反戦左翼がオルタナティヴなプログラムをひとたび放棄するということは、彼らが事実上、世界の問題に対して最小限の影響を持てる可能性すら放棄したということである。それは現実には、彼らが訴える「犠牲者たちを救う」ことではない。帝国主義と戦争に対するあらゆるレジスタンスを破壊すること以外に、それがしていることは「何もない〔nothing〕」。彼らが本当にしている唯一のことといえば、アメリカが続けている支配そのものである。彼らに世界諸国民の安寧を望むというのは、完全に絶望的な姿勢である。この絶望は、左翼のほとんどが「共産主義の没落」に反応した側面のうちの一つである。とりわけ国際問題において、帝国主義への反対と国家主権の擁護という共産主義者の政策が「スターリン主義の遺物」として次第に悪魔化されていく中で、それと正反対のものが彼らには受け入れられているのである。


干渉主義とヨーロッパの建設は、ともに右翼の政策である。そのうちの一方は、アメリカの世界的ヘゲモニーへの衝動と結びついている。もう一方は、新自由主義的経済政策を支持し、社会的な保護を破壊する枠組みである。矛盾することに、この両者が広く「左翼」の諸理念によって正当化されているのである。人権、国際主義、反人種主義、反ナショナリズムといったそれらによって。両方の場合において、ソヴィエト・ブロックの没落後に自身の道を見失ったある種の左翼は、世界における力関係についてのいかなる現実主義的分析をも欠いた、「寛大で、人道的な」語りを身にまとうことで救済を獲得している。この手の左翼が隣にいると、右翼は自身のイデオロギーをほとんど必要としない。それは人権で間に合わせることができるからだ。


それにもかかわらず、干渉主義とヨーロッパの建設という、両方の政策はともに今日ではどん詰まりに陥っている。アメリカの帝国主義は、経済的かつ外交的な巨大な困難に直面している。その干渉政策は、合州国に大国する世界の多くを結束させるように働いている。もはや「別の」ヨーロッパ、一つとなった社会的ヨーロッパを信じている人はほとんどおらず、実際に存在しているヨーロッパ連合(ただ一つの可能性)が労働者たちに大きな熱狂をわき起こすことはない。もちろん、こうした失敗の恩恵をもっぱら近年受けているのは右翼であり極右なのだが、その唯一の理由は、左翼のほとんどが、民主主義の前提としての平和、国際法、国家主権の擁護を止めてしまっているからなのである。



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