野獣どもの「再臨」――Maximilian Forte, “Slouching towards Sirte”を読む(後編)

4) フォート氏によるもう一つの徹底した証明は、「バイアグラによる組織的性的暴行」「空軍によるデモの爆撃」といった、2011年にリビアについて流れた情報が、何から何まで誤っていたという事実についてである。驚くべきことにこうした情報の真偽は、旧政府が打倒された後になっても未だに立証されていない。新政府側に立つ人間は、今なら旧政府の文書庫からいくらでも証拠を提示できるはずなのだが、彼らはそうするそぶりすら見せないのである! しかしより問題なのは、リビアの政変で直接的には砲火を交わさなかった人々の認識の崩壊ぶりである。


メディアにおいては、アルジャジーラ(フォート氏もかつてコメンテーターなどで出演したことがあるという)が典型的で、2003年のイラク戦争における批判的報道で名声を高めた彼らも、結局カタールの利益がかかった際には徹頭徹尾国策放送でしかないことを自ら暴露した。BBCも同様である。『ガーディアン』のような高級紙は、部分部分では重要な事実の指摘を行っていたものの、全体としては未確認「情報」や単純な誤りを提示し続けることによって、むしろNATOの介入を積極化するオピニオンを展開することになった。最初からすべて虚偽なら誰も信用しないが、たまに差し込む事実によって虚偽に真実味を感じさせようとするそのやり口は、わずかな塩を利かせることによって汁粉の甘さを引き立たせるようなものであろうか。日頃からCNNなどは「リベラルな」人々によって、幼稚で反動的な戦争プロパガンダ・マシーンとしてレッテル張りされているが、かのテレビ局をバカにしている人々は、このたびは「インテリ」向けメディアの誤りが見抜けないままだったようだ。彼らに口当たりが良い甘さを与えるよう、高級紙は自身の戦争支援機能を発揮したというわけである。


国際的に著名な人権組織も、無根拠な、もしくは反乱側が提供する情報に一方的に依拠することにより、実質的には内戦の一方に加担してはばからなかった。ヒューマン・ライツ・ウォッチやアムネスティ・インターナショナルなどは、内戦中には旧政府による戦争犯罪による「人権侵害」の証拠の多くを握っていると定期的にアナウンスしていたが、彼らはその立証については全く努力を払わなかった。その結果が、「カダフィの傭兵」として「革命」勢力側にターゲッティングされた、100万人以上の黒人(リビア国民および移民)への攻撃の看過である。わたしが“Slouching towards Sirte”を読んでいてもっとも興醒めさせられた情報の一つは、アムネスティのアメリカ支部が、ヒラリー・クリントンの忠実な部下として知られたSuzanne Nosselを2012年に常任理事に選出するなど、この機関と同国の国務省が露骨な人的つながりを有しているという指摘である。「非政府組織」? 結局Nossel氏はわずか一年余りでアムネスティを離れ、現在ではアメリカPENクラブの委員に就任しているそうだが、彼女にとって「人権」とは華麗なるキャリア・デザインの道具にすぎないようだ。わたしはこれまでこうした国際人権擁護団体を、自由民主主義的イデオロギーの限界を持ちつつも総体としては人類の発展に貢献しているものと勝手に考えてきたのだが、ここまでの露骨な出来レースの存在を確認するに至っては、単なるNATO諸国による謀略機関の一セクションと見なす方が、まだしも適切であるかもしれないと思い知ったことであった。


ツィッターなどのソーシャル・メディアに流布していた、まったく情報源のあいまいな(多くは単純な虚偽ですらあった)情報に対する、「アクティヴィスト」たちの分析能力の欠如にも恐ろしいものがあった。上記のメディアや人権団体と、ソーシャル・メディア(「リビアの反体制」を名乗る人々は、なぜか決まって英語で、西洋諸国から「真実」を語っていたものであるという著者の指摘には大笑した)の間で起こっていたのは、引用のキャッチボールを通じた疑似情報のロンダリングである。確か日本でも、2011年の2月か3月に、リビア大使館にデモをかけた人びとがいたと記憶しているが、現在のリビアについてどう考えているのか、今からでも彼らは見解を示すべきではなかろうか。当時怪情報を流していたアカウントの一つはAli Le Pointeと名乗っていたそうだが、反植民地主義運動を描いた映画『アルジェの戦い』の主人公の名前が「人道主義的介入」の露払いとして用いられたというのは、何ともグロテスクな話であると言わざるを得ない。


5) 一方、インターネット上における熱狂的なカダフィ支持者の中には、ウーゴ・チャベスのようなラテンアメリカの指導者が最後まで同盟者としての恩義を守ったのに対し、南アフリカを含めたアフリカ諸国が次第に沈黙へ向かって行ったことを非難している人々がいたことを、わたしは記憶している。しかしフォート氏は、そもそもアフリカ諸国からの声そのものが誰にも聞かれていないことを強調し、特に終章において、アフリカから示されたリビアへの見解について大きく取り上げている。彼は、アフリカ各国の大衆レヴェルにおけるカダフィ大佐観には深く立ち入ることが難しいと断っているものの、ガーナのレゲエ・グループBlakk Rastaが作曲した歌や、ウガンダの「カダフィ・モスク」における3万人の大集会などから、リビアへの広い同情の存在を示唆している。


リビア戦争後の2012年に行われたアフリカ連合の議長選挙において、クリントン国務長官らと懇意なことで知られ、リビアの一件に際しても親米的言動に終始した前職ジャン・ピン(ガボンの元外相)が、対抗馬のンコサザナ・ドラミニ=ズーマ(ズーマ南アフリカ大統領の元夫人、アフリカ民族会議の幹部)に大差で敗れたことからも分かるように、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国も「カダフィ後」の状況を安穏と見ているわけではない。アフリカ諸国の指導的人物の多くは、大佐のいくつかの側面(主にはそのあまりに長すぎる執政)に留保をつけつつも、前述したような彼のアフリカ全体に対する施策については、全体として肯定していた。ジンバブエの「独裁者」として西側では近年やたらと評判の悪いロバート・ムガベのみならず、南アフリカの前大統領タボ・ムベキ、ナイジェリアの左派政治家で州知事なども務めたバララベ・ムーサ、ガーナで「民政移管」を行った軍人政治家ジェリー・ローリングスらは、いずれもリビアにおける政変とNATO諸国の介入に対して、非難や強い遺憾の意を示しており、今も示し続けている。


こうした指導者たちの憂慮の中でも一番興味深いのは、ウガンダのヨウェリ・ムセヴェニの事例である。1944年生まれのムセヴェニ大統領は、1942年生まれのカダフィ大佐と同世代であるが、この本で紹介されるところによれば、両者の個人的な関係は非常に悪かったらしい。すなわち2008年のアメリカの秘密公電においては、大統領がリビア側による搭乗機の爆破=暗殺を本気で警戒しているとした報告がなされているし、2010年にウガンダで行われたアフリカ連合サミットの際には、大統領と大佐の両者がつかみ合い寸前になったという、一触即発の状況が新聞でも報道されていたそうである。しかしこの大統領が、リビアの内戦が開始されていた2011年3月下旬、アメリカの外交雑誌『フォーリン・ポリシー』の求めに応じて発表した「私がカダフィについて知っていること」という一文においては、当時の西側の情報産業が全力で推し進めていた種の、大佐の怪物化や戯画化にはまったく与していない。


この文章の冒頭でムセヴェニ大統領は、カダフィ大佐の否定的側面として、ウガンダの抑圧的支配者であったイディ・アミンまで支援していたこと、アフリカ連合の建設に際して見せる傲岸な態度、かつての「テロリズム」との関わりを挙げている。しかしムセヴェニ氏は同時に、こうした大佐の誤りは「何であれ、真のナショナリストであったことに由来する」ものとした上で、その歴史的功績も続けて挙げていく。彼によれば、「西洋諸国による石油産出諸国の超搾取」が行われていた状況に異議を申し立て、「1バレルにつき40アメリカ・セント相当」という恐ろしいほどの安値から、わずか数年で「40ドル相当」に石油価格を跳ね上げるきっかけの一つは、権力奪取後から間もないカダフィ大佐による値上げ運動であった。また彼は、リビアの国家基盤を建設しながら海外の軍事基地を撤去したこと、アラブ世界における「穏健な」世俗主義者として、女性の教育や社会進出を進めることで反イスラム原理主義にも積極的であることも、大佐の肯定的側面として数えている。こうした立体的な分析を披歴した指導者は、西側諸国は言うまでもなく、ラテンアメリカにもいなかった。さらに彼はリビアの状況について、警察や軍事施設を攻撃している反対派勢力はすでに平和的な「デモ隊」とは呼びがたいことを指摘し、事態を「武装反乱」として見るべきこと、その鎮静化は必要であるものの、外部からの軍事介入ではなく「中和化する理性的な手段」が必要であると訴えた。そしてアフリカ大陸への干渉そのものを拒否し、「私は西側諸国の姿勢が、独立した精神を持った指導者を嫌悪し、パペットを好むように見えることを理解しかねる」と明言している。正直わたしは、ムセヴェニ大統領の行き届いた歴史性の把握と提言にちょっとした感動すら覚えたのだが、同時に心配にもなった。こうした明言は、カダフィ大佐に続いて、何かしらの形で西側諸国政府の報復を招く可能性があるからである。さらに、彼の「真のナショナリスト」を評価する姿勢は、「国境を超えた連帯」的なフレーズが大好きな種の知的人士の愛顧も期待できないだろう。


6) この本におけるフォート氏の批判のスタイルは、地域のエキスパートとしてでも、前提となる何らかの大理論を用意してのものでもなく、事実関係と流れている情報の妥当性を一つ一つ検証し、5歳の子供でも分かるような論理的結論を提示するという、ノーム・チョムスキー流のそれである。しかし、彼の批判の矛先はそのチョムスキー氏にすら及んでいる。チョムスキー氏が2011年の早い時点で、現実的にはNATO軍の空爆を準備することになった「飛行禁止区域」に賛同していたことについては、まだ留保の余地があるかもしれないが、実に遺憾なことに、彼は2012年初頭に至ってもなおリビアの反乱について「ワンダフル」な「解放」と見なす発言をしているようである。すべてが混乱を極めている。フォート氏の著作にジャン・ブリクモンの名前は出てこないが、ブリクモン氏が理論的な枠組みを提示している「戦争賛成左翼」や「リベラル左派」批判と、フォート氏が自著の結論で罵倒している種の人々への問題意識は、そのまま重なる。


もし我々が行動を起こさなければ、他者の行動に対する責任を負わなくてはならない。我々が行動を起こす時には、自分の行動に何ら責任を負う必要がない。こうしてまた、我々の「行動」は単に、最高の権限を与えられた軍事的エスタブリッシュメントの活動の一部を構成するだけとなるのである。


抽象的な、立派な諸理念のために「行動している」自己というイメージに西側の市民は浸っている。しかし実際には、支配者層の手によって「世論が飼い葉桶につながれた」状況における感情の操作に対し、まったく無抵抗な彼らは、結局「視聴者」としての快楽を享受しているだけである――以下に示すのはフォート氏の言葉ではなく、上記の一文にすぐ続けて引用されたとあるSF小説(日本を舞台にとった)の一節であるが、これは今日「野獣」を構成する要素にしかなっていない「我々」の実相を、奇妙にも表現しているように思う。


視聴者はいじわるで、怠惰で、おそろしく無知で、聖別された温かい神の肉を求める、つねに飢えた生き物。わたしの個人的な想像では、犀の赤ん坊ぐらいのサイズがあり、一週間前のゆでたポテトのような色をして、トピーカ郊外のダブル・ワイド住宅の暗がりにひとり住んでいる。全身は目におおわれ、だらだら汗をかきっぱなし。汗が目に流れこみ、ちくちく沁みる。その生き物には口も生殖器もなく、無言の凶暴な激怒と幼稚な欲望を表現する手段は、宇宙リモコンでチャンネルをパチパチ変えることだけ。それとも、大統領選挙の投票をすることだけ。(注5)


7) 長く書いてきた。フォート氏に不満があるとすれば、堆積する虚偽の数々に対抗するため彼が提示する情報は、時に雪崩のように展開されており、一つ一つ消化するのに相当の労力を要するところであろうか。この疲労は、インターネットで逐次発表されたエッセイが書籍の基礎になっていることに起因する、同じようなフレーズの繰り返しによっても増幅される。分析の性急なところについては、すでにアメリカの社会主義理論誌『マンスリー・レヴュー』における書評が指摘しており、「国家資本主義」「ポピュリスト」的である(とされる)カダフィ大佐の政治の性質や、リビアにおける内的矛盾の増大にも注目すべきであったという意見にも一理あると思う。フォート氏が「急進左派〔leftist〕ではあるが、マルクス主義者ではない」というコメントは、それなりに妥当であろう。しかし現在のところ、フォート氏が指摘しているような、リビアにまつわる偽善の山については何ら言及することがなく、あまつさえ「革命は第一段階から第二段階へ」進んでいるなどと強弁する種の「マルクス主義者」(注6)すら散見される現状を省みれば、彼の愚直な問題提起こそがラディカルなものであり、真に必要であることは明らかである。日本でも一世紀前に「二十世紀之怪物」と表現された「野獣」――すなわち帝国主義が、現在どのような手管を使っており、それにどのように「我々」がやられっぱなしでいるのかを本気で考えたい方には、是非この“Slouching towards Sirte”に挑んでいただきたいと思う次第である。





(注4):かつてチョムスキー氏は1986年のアメリカによるリビア爆撃について「これははなばなしくメディアの舞台にのせられた事件で、歴史上、テレビのゴールデンアワー、つまり全国ネット番組の始まりに時間を合わせて計画された、初めての爆撃であった」と明白に述べていた(「国際テロ――イメージと実体」、アレクサンダー・ジョージ編『西側による国家テロ』、勉誠出版、古川久雄・大木昌訳、2003年)。わたしがこの一文を初めて読んだのは2012年になってのことであったが、2011年以降のチョムスキー氏がこうした明晰さを欠いているらしいことに、フォート氏はいらだちを感じているのであろう。もっとも、大チョムスキーもすでに80才を超えているのであり、彼になんでもかんでも正しいご託宣を求めるという風習そのものも酷な気がする。より警戒されるのは、遠からぬチョムスキー氏の退場後も活動を続けるのは確実な『デモクラシー・ナウ』あたりの動向であろう。「オルタナティヴ」言説を自称しながら、四半世紀前の老師の教訓を生かさず、NATOのリビア攻撃を飾り立てる人々に、何の「オルタナティヴ」を期待せよというのか?


(注5):ウィリアム・ギブスン『あいどる』(浅倉久志訳、角川書店、1997年)。


(注6):フランスを主な拠点とする「マルクス主義者」、というかトロツキー主義者であり、「中東専門家」としても令名高いジルベール・アシュカルの最近の言明。今になってアムネスティ・インターナショナルの一部からは、リビアの「人権状況」が大混乱に陥っていることについてお手上げとでも言わんばかりの発言が漏れているが、こうした中でアシュカル氏が、2011年の時点でなされたリビアの「革命」に対する称賛を変えていないことは感嘆に値する。日本のトロツキー主義者の一派が運営している(と思われる)「かけはし」紙上で、彼の意見を垂れ流すことへの是非について論争が見られないところからすると、日本のトロツキー主義者も同じ意見なのであろう。ところで、わたしが目にした、リビア戦争に批判的な声明をインターネットで出していた世界各国の「共産主義」政党およびグループの多くは、いわゆる「非妥協派」と言うか、ヨシフ・スターリンやソヴィエト連邦の「歴史的功績」を認めうるとするタイプのそれであった。こうした立場は、アシュカル氏の立場からすれば「スターリン主義者」として一刀両断すればおしまいということになるようだ。しかし、かの国の現状を革命の「第二段階」どころではないと弁解もなく後から言い出したマッチポンプ屋的人権主義者や、その種の報告すら意に介していないらしい愚劣な「トロツキー主義者」に、何の価値があるのか? 現世界の状況について強大な影響力を行使しているブルジョワ・ジャーナリズムの提供する主流言説と独立した知的見地から、一定の批判的・論理的アプローチができる「スターリン主義者」が存在するとすれば、その方がよほど客観的価値があるというものである。誰が「歴史の掃き溜め」行きか分かったものではない。



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引用(23)

三十歳代は革命を捨てた。もしかすると四十歳代が、それをまた拾い上げるのだろうか。しかし感情で始める知識人は、二日酔いで終る。じっさい、幻滅なんかするやつは、銃殺されていい。この種の革命家のマルクス主義は、グラックス兄弟の域を現実に超えていなかったのだ。これからは長い待機の時期が来るだろう。多少とも真剣な仕事のためには、いまほど良い時機はない。きみはこの冬、時間をあけておかなければいけないぜ。


ブレヒトからエルヴィン・ピスカートアへの手紙、1928年9-10月ごろ
(野村修訳)


野獣どもの「再臨」――Maximilian Forte, “Slouching towards Sirte”を読む(前編)

1) ここ数か月、公共交通機関を使って出掛ける際には、ずっと一冊のペーパーバックを供にしていたのだが、つい先日それをようやく読了した。カナダの人類学者であるMaximilian Forteの近著“Slouching towards Sirte: NATO’s war on Libya and Africa”(Montreal: Baraka Books, 2012)である。コンコーディア大学の准教授で、ラテンアメリカをフィールドとしているフォート氏は、2011年のリビア内戦とそれに対するNATO諸国の「人道的介入」に対し、早くから強力な疑念を呈し続け、今も続けているごく少ない知識人の一人である(注1)。彼が2011年6月にアメリカの左派系雑誌「カウンターパンチ」のサイトに寄稿した記事は、おそらく偶然のたまものではあるが、日本の『人民新聞』にも紹介されている(注2)。


諸君の中にもSlouchという動詞を聞きなれない向きも多いかと思うが、大きな英和辞典には「前かがみになる」「のそりと進む」といった意味が載っている。Sirte、すなわちシルト(シルテ、シドラとも表記)は、ムアマル・カダフィの出生地からほど近い場所にあり、彼の政権奪取後には、ひなびた漁村から近代的なビルの立ち並ぶモデル都市へと成長した場所であった。「あった」と言うのは、2011年の内戦およびNATOの「人道的介入」が、この都市に想像を絶する破壊をもたらしたからである。この年の秋に現地に入った各国の記者たちによって、「レニングラード〔独ソ戦争の激戦地〕、またはガサやベイルートのよう」、「1915年のイープル〔第一次世界大戦の激戦地〕か、ロシア軍が戦争を終わらせた1995年のグローズヌイ〔チェチェンの首都〕のよう」などと表現された情景の写真が、本の表紙には使われている。そして“Slouching towards Sirte”という題名そのものは、アイルランドの文学者ウィリアム・バトラー・イェイツが第一次世界大戦後に発表した、「再臨(The Second Coming)」という詩の最後の部分をパラフレーズしたものである。この詩で作者は、混沌の支配する世界において、なにものかの「再臨」が迫っていることを謳いつつも、そこに顕現するのはキリスト教で約束されている救済者ではなく、「ベツレヘムへ迫り寄る(Slouches towards Bethlehem)」のはこの世ならざる野獣であるという、幻視的風景を詠っている(注3)。しかしフォート氏は、自身の詩的幻想を強調するためにイェイツを引用しているのではない。すなわち、2011年以来リビアで展開されている現実のことごとは、「救世主」ではなく野獣どもの仕業であるという、紛れもない告発のためになされているのである。


2) フォート氏は“Slouching towards Sirte”において、一つの仮説を立てている。2011年3月に開始されたNATOのリビア攻撃について、西側のほぼすべての情報は「民主化」「革命」「人権擁護」といった美辞麗句に埋め尽くされていたのだが、実際に起こっていたことはもちろんそういうことではない。それでは、西側の軍事作戦はリビアの産出する膨大な石油資源が目当てであったというのかと言うとそうではなく、彼らの目標はむしろその先に置かれていると著者は説く。すなわち、NATOや、アメリカが2008年になって新設したAFRICOM(アメリカ合衆国アフリカ方面軍)の活動を通じた、軍事=経済ドクトリンの大々的展開による、アフリカ全土の再植民地化こそが主眼であるというのである。2002年に成立したアフリカ連合(AU)は、かつてパン・アフリカ主義者たちが1963年に結成したアフリカ統一機構(OAU)を改組したものとして知られているが、この改組の決定に当たってカダフィ大佐が強い指導力をふるったことは意外に知られていない。シルトで開かれた臨時会議の結果、1999年9月9日に採択された決定(通称「シルト宣言」)の条文には、「アル=ファタハ・リビア大革命〔Great Al Fatah Libyan Revolution〕の指導者である、ムアマル・カダフィ大佐が提出した重要な建議にインスパイアされた」という、個人を強調した一節が刻みこまれている。西側諸国は、こうしたアフリカにとっての要石(keystone)となりつつあったリビアに介入するチャンスを常々うかがっていたという。


著者は自説の立証のため、実に大量の情報(多くはインターネットでも閲覧可能な)を収集し提示する。地域研究の論文、各国政府や公的人物の発言、多国間組織(国連、EU、アフリカ連合など)の発表、各種テレビ局の報道(CNN、BBC、アル=アラービーヤ、アルジャジーラなど)、高級紙(『ガーディアン』『ニューヨーク・タイムズ』『クリスチャン・サイエンス・モニター』など)および通信社(AP、ロイター、フランス通信など)に掲載された記事、そして近年話題の「ウィキリークス」により暴露された、在リビアのそれを始めとする、アフリカ各国に点在するアメリカ大使館が本国に送った「秘密公電」など、その種類は多岐に渡る。これまでわたしも、リビアについて流されている情報への疑問のいくつかを「匪賊対革命ごっこ」と題したシリーズで紹介してきたが、フォート氏の調査ははるかに徹底的であり、一つ一つの情報の相互矛盾や、それぞれの妥当性を執念深く検討することで、リビアの政変の周辺においていかに多くの策略と虚偽言説が横行していたのかを明らかにしている。


3) この著作でフォート氏が第一に証明しようとしているのは、リビアがアフリカの中で占めていた位置の大きさについてである。カダフィ大佐が従来の主張であったパン・アラブ主義から、アフリカを中心とする国際戦略への大転換を示したのは1990年代からであるが、実は彼の発言には、しばしば一種のステレオタイプといってもよい黒人認識も垣間見られる。たとえば『緑の書』には、黒人が世界に覇を唱えるのは当然とする一節があるものの、その理由としては「後進性」や「人口増加率」が挙げられているだけで、植民地主義への言及は何故か存在しない。2010年には、黒人移民をヨーロッパに渡らせないのは私の力であるといった趣旨の発言も残している。しかしこうした要素は、大佐がリビア内外に対し「人種主義的」な政策をふるったことを意味せず、彼の対アフリカ政策は実質的な成果を伴ったという。アフリカへの直接的な援助や投資については、総額がどれほどであったかは不鮮明としつつも(一般には1500億ドルもの額に及ぶと言われているが、反カダフィ派はずっと少ない50億ドル程度であると主張している)、実に多くの国に対する複数の銀行・公社・団体による様々な形での支援ルートが存在したことを著者は示す。明快な金銭の流れ以外にも、食糧自給計画への協力、技術提供、施設の建造(大学、また「カダフィ」の名を冠した病院やモスク)、債務帳消しなど、様々なプログラムが展開されていた。変わったところでは、人口百数十万の小国ガンビアへ、トラクターとのセットで「ラクダの群れ」が寄贈されたという紹介もあるが、これもそれぞれの国の発展状況に合わせた援助の一環ということであろうか。また、アフリカ全体で討議されていた各種機構の創設構想は、リビアの豊かな石油収入を前提としていたものが多い。大陸における紛争を自力で解決する(=欧米からの軍事介入を拒否する)ための「アフリカ連合軍」や、「アフリカ中央銀行」(=IMFを拒否する)の設置などは、どうにか現在も議論が続けられている模様である。しかしアフリカ独自の通信人工衛星を運営する計画などは、カダフィ大佐のリビア政府が倒されたことで、資金源を失い中断してしまった。「国民暫定評議会」による新政府は、西側諸国とのパートナーシップの強化を明言しており、フォート氏の言葉を借りればリビアの「アフリカへの扉は閉じられた」のである。


著者は同時に、近年のカダフィ大佐が「西側の協力者」であったとする、NATOの戦争の消極的反対者(黙認者とも重なる)の見解についての再検討を促す。大佐が仮に「西側の協力者」であった、またはそう変貌したという糾弾が正しいとしても、そうした傀儡はその当該国の人々自身によって倒されるべきであり、西側諸国のなりふり構わぬマヌーヴァーによってその首が挿げ替えられることが許されるという理屈は成り立たないはずなのだが、それでもリビアと西側諸国との「協力関係」が気になって仕方ない人はいるらしい。フォート氏は、リビアにおける公的建造物(鉄道、発電所、港湾)建設の際の外国企業への委託状況(ドイツ、ロシア、中国、韓国などの使い分け、逆にアメリカ系企業の拒絶)や、カダフィ大佐による「イスラム原理主義者の取り締まり」と「対テロ戦争」への提言の内実などを取り上げ、西側にとってのリビアが、近年の「蜜月」にもかかわらず本質的には「好まれざる客」であり続けたことを示唆している。


実際のところ、こうした大佐のアフリカへの肩入れは、必ずしもリビア国民に理解されていたわけではない。かつて黒人奴隷を使役していた習慣から来る、北アフリカのアラビア人社会におけるサハラ砂漠以南の地域に対する蔑視は同国でも例外でなかったし、移民の増大による失業率の増大(1969年以来、一貫して受け入れを奨励していた)の解決が遅れていたことは、反乱勢力にとって絶好のアピール材料となった。彼らはしばしば、大佐のアフリカへの肩入れがリビア国民の利益を損ねてきたことを強調し、「黒人傭兵」の恐怖を強調することで支持を得ようとしたが、この人種主義的な「黒人傭兵」という表象を、西側のあらゆる勢力が真に受けたことによって、反乱勢力による黒人のリビア国民およびアフリカ移民への迫害はほとんど野放しとなったのである。「国民暫定評議会」代表であったアブデル・ムスタファ・ジャリールは早くから、「犯罪の40パーセントは、南から侵入してくるアフリカ人によるもの」といった発言をしているし、黒人を中心とする小都市Tawerghaなどは、反乱勢力の破壊と強制移住によりほとんどゴーストタウンと化したのだが、こうした話題は見事にスルーされた。しかし、「革命」の後に差別の標的となっているのは黒人だけではないらしい。“Slouching towards Sirte”の出版後の話になるが、NATOの軍事作戦の音頭取りに尽力した功労者であるフランスの哲学者ベルナール・アンリ=レヴィは、戦争後のリビアにおいて「イスラム原理主義者」が台頭したことにより、ユダヤ人である彼の安全が保障できないという理由で入国を拒絶されたそうである。これはアンリ=レヴィ氏に対する嘲笑を禁じえなくさせる事態であるが、北アフリカ諸国に根を下ろしているユダヤ人にとっては、到底笑えないニュースであろう。


(後編へ続く)





(注1):フォート氏は自身のブログツィッターなど、電子媒体における活動に極めて精力的な模様である。“Slouching towards Sirte”の紹介ページには、詳細な資料や写真(本では白黒になっているものも、美麗なカラーで見られる)などが公開されているので、興味を持たれた方にはこちらを一通り眺めてみることをおすすめする。


(注2):「リビア人民の勝利? リビア戦争の10大神話」(脇浜義明訳)。この翻訳自体は非常に貴重なものであり、紹介自体が高い評価の対象足りえるものの、総体としての『人民新聞』は、ネジの緩んだオールド「新左翼」媒体の一つにとどまっていると思われるのは残念なことである。たとえば先日、ネットに挙げられていた同紙の「編集後記」の中に、日本における昨今の人種主義的右翼の跋扈について言及で、「三島由紀夫をはじめ、敵ながら天晴れと思わせる右翼はいた。あんたたちは民族派の面汚しでもあるんだよ」など書かれていたのには、大変驚かされた。諸君とてこんなことを聞かされた日には、三島のどこが「人民」の立場から見て「天晴れ」なのか、「民族派」は「人民」とイコールなのか、そもそも「昔は敵も立派だった」的言説がどう「人民」の役に立つのかと、詰問したくもなるであろう。


(注3):鈴木弘訳『W.B.イェイツ全詩集』(北星堂書店、1983年)、高松雄一訳『対訳 イェイツ詩集』(岩波文庫、2009年)。




[追記:タイプミスなどに若干の修正を加えた(2013年7月4日)]