「自由」を高く買わされた気もするが(後編)

承前


K:ともあれ、人生の意味とは奴隷労働のようなものにはない、そうだろう? 理論の上では、人生の意味は社会主義ないしは共産主義システム――人生の質を高めるためのもの―――の実際の一部だった。人生の質が問題であったから、事物の量を消費することは必ずしも必要ではなかった。反対に、資本主義経済システムは「市場」に基礎を置いている。そのイデオローグたちは言うには、そうしたシステムはより多くの商品を供給できる。ご存知の「モノ」だ……しかし価格は、生活の質を劇的に減退させるのだ。


V:車を3台、携帯電話を5機持っていたとしても、それは本当に必要なものではない。


K:それらは必要ではない、そして生きるための時間がないだろう。自分の職を失うことや、その他の多くの事柄に、常に脅かされている。


V:ゆえにあなたはこうしたすべてに対し戦い、自身のアート、自身のパフォーマンスを、資本主義下の生活におけるバカらしさへの攻撃に使っているのですね。これらすべて――権力、搾取、抑圧……――と密接に関係している、宗教の教義もあなたは攻撃しています。そしてあなたは帝国主義も攻撃している。あなたは世界中からどのような反応を受けていますか。というのも、あなたはここだけでなく、アメリカ、ヨーロッパ全土、中国、イスラエルやその他の多くの場所でもパフォーマンスを行っているからです。ギャップを埋められていますか? こうした芸術、こうした政治的かつ社会参加的なパフォーマンスを人々が望んでいると、あなたは感じていますか?


K:私はそう思っている。私は肯定的な反応を得てきたし、そうした事実が実際に私を歩ませ続けている。しばしば人は直接、私に路上で近づき語りかけてくる。「あなたの芸術はすごい。あれこれの愚かしさについて、私の認識を広げてくれる!」と。私の作品にどれだけ多くの人が惹きつけられているかは知らないが……
 私のパフォーマンス、私の芸術――それはいわゆる「第二の文化」の結果だ。多くの資金を必要としない、芸術形式の一つだ。それを上演するための、劇場のような恒常的な空間も必要としない。主に自身の肉体を活用する芸術形式の一つで、自身の自由になる肉体を、常に君は有している。それは生活自体のコンテクストの中で演ぜられる。つまり、この生活の一部として、状況を創り、何かへの認識を立ち上げ、何かを批評する。そうすると現実の人々がそれに反応し始める……周りを囲む人々が参加者となって行く……鑑賞者から、彼らは参加者へと変わる……これに対して現実の劇場では、俳優と鑑賞者の区別があり、そして彼らが「第五の壁」〔ママ〕と呼んでいるものがある。私のパフォーマンスの最中には、壁はない。直接的な芸術である。芸術と生活の融合のようなものだ。
 私は常に言っている。劇場の中で役者が、自分が苦痛を味わっていることの真似をするのに対し、私のようなパフォーマーは、本当に苦痛を経験しているのだと。
 パフォーマンス・アートは本当に素晴らしい。人類の出現からここまで続いているものだ。


V:ミランさん、あなたは世界各地で直接行動を行っていますね。イスラエルのパレスチナ人への扱いを攻撃している。チェコのロマ人への扱いを攻撃している。チェコの白人とジプシー/ロマ人を隔離するために建設された、ウースチー・ナド・ラベム〔チェコ北西部の都市〕の恥辱の壁を、ほとんど一人で掘り崩そうとしました……あなたはキリスト教によってなされた人道に反する罪を明るみにするため、教会の僧侶たちに生肉を投げつけた。ショッピング・センターやモールに押し入っていくのは、貪欲の神を嘲笑的に礼拝するためです。あなたがしていることは、他の人たちが全くしようとしないばかりです。あなたはこれまで逮捕や脅迫、さらには襲撃されたりしたことはありませんでしたか?


K:その通り、何度もだ! 私は何度も逮捕されてきた。住宅ローンのスキャンダルが問題化した当初、ボストンで有名になった演目を行った時には、法廷に立たされたことすらあった。その頃銀行は貧しい人にローンを貸し付けていたが、貧しい人たちは借金の返済が出来なくなると、自殺を試みるようになっていた。ゆえに私は、当時もっともおぞましく嫌悪感を抱かせる組織の一つだった、バンク・オブ・アメリカの本部の前でパフォーマンスを行うことに決めた。人々を欺いていた連中だ……私は銀行の前に縄の一式を並べて、「縄の大売り出し」と掲げた。つまり私のメッセージはこうだ。「ここに来てローンを組むあなたは、〔首をくくるための〕縄もお買いになれますよ」。


V:万一に備えて……


K:万一に備えてだ! すると警察がやってきて、私を逮捕した。彼らは死ぬほどパフォーマンスを真剣に受け取っていた……市の当局が私を刑事告発し、数カ月にわたって訊問のために出廷しなければならなくなった。これは「ボストン市対ミラン・コホート」事件だった。告発側は、銀行の前でモノを売ってはならないという150年前の法律を引っ張り出してきた。150年の間に、その法律が明確に適用されたのはたったの一度だけだ。しかし彼らが、私に対抗する何かを見つけようとしていたのは明らかだ……結局私は無罪となった。私の事件は、ナショナル・パブリック・ラジオも含めた多くのメディアの関心を呼んだ。


V:ミラン、私たちはお互い、世界各地を頻繁に旅しています。あなたは西側の帝国主義から由来する危険について明らかに目にしている。あなたはそうした脅威を真剣に受け取とっていますか? 西側の帝国主義が地球を次第に支配下に収めつつある、それがとてつもない悲劇的結末を招きかねない事実であるというのに同意しますか?


K:まさしく! 私は26年アメリカに住んできたが、それはアメリカの権力が非常に攻撃的になって行く時期を目撃してきたということだ。そして私は、そのことがまったくの論理的帰結であり、東側ブロックの解体と結びついていることに気づいた。共産主義ブロックが崩壊した後、西側世界に反対者は存在しない。反対者の存在しないところに突然現れた巨大な真空に対し、彼らは直に攻撃的ビジネスの利害を詰め込んだ、なぜなら「ピラミッドの頂点」に経済的独裁があることは明らかだからだ。何百万何千万という人々を奴隷にするというとてつもない好機が突然現れた。そして彼らはそれをやってのけた!


V:そしてこの国――チェコ共和国――、私たちが今世界について語り合っている場所は、突然西側体制の一員となった。再び協力関係がはじまった。


K:だがもちろん……


V:もはや、過去に見られたがっていたような、犠牲者ではない……抑圧者クラブの一員となっています。人々はこのことに気づいているのでしょうか? こうした問題に対する話し合いや、討論がなされていますか?


K:学問の世界を含めた一部の人々が、それに気づき始めていることについては私も喜びたい。しかしそれはごく最近の発展だ。そうこうしている間に、この攻撃的な資本主義政権は、ほとんどすべての生産手段を、マスメディアと同じように掌握した。青少年と同じように、彼らは大人も洗脳している。彼らは共産主義時代について歪曲した虚偽をもって人々を脅しつけており、若い頭脳はもちろん彼らに語られるものを信じてしまう。なぜならそれが青少年に与えられている情報そのものだからだ。そして彼らは、こうした青少年たちはとても、ほとんど信じ難いそれによって、洗脳されている! プロパガンダはある種のオーウェル流の定説を創造してきている。つまり「共産主義時代、人々は全身灰色の服装を着て、ゾンビのように街を歩いていくのであった」などと……完全にナンセンスだ! そのようなことはまったくなかった! なぜなら、共産主義下においては多くの側面において、今よりよほど自由だったからだ!


V:それにより喜びがあった……


K:より喜びがあった! 私たちが挙げてきたように、生活の質はより高かった、とりわけこの資本主義的奴隷制と比べれば!


V:しかし今は、グローバルな規模での反対派が存在しています。西側の強権に抵抗している国々の同盟が。ラテンアメリカ諸国、ロシア、中国、南アフリカ、イラン、エリトリアのような小国すら加わっているものです。そしてこの反対派が非常に強大になりつつあります、なぜなら偉大な頭脳たちと、成長している強大なメディアと一緒に、対抗しているからです。私たちもともに、この反対派に参加しています。ここチェコ共和国や、あなたがしばしば教えているポーランドにおいて、西側に加わることで歴史の誤った側に立つことになったということを、人々は認識するでしょうか?


K:一部の人々はすでにそうしている、ただし多数派ではないが。
 ともあれ芸術の話に戻ろう。そうした自覚を創り出すという芸術家の仕事は、大いなる任務である。芸術家は人々を教育しなければならない。芸術作品の美学的、認知的、受容的側面など、すべてクソ食らえだ! 参加する芸術、政治的芸術に戻って行こうではないか、なぜなら今日ほど、それが必要とされている時はないからだ。まだ望みがあるのは、ここ30年にわたって展開されてきたこの破局は、ひっくり返すことが出来るからだ。私たちにとって戦うこととは今や、この地球でまさしく生き延びるために戦うことなのだ!



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わたしは個人的に、この対話を読んでふと、仲井戸麗市の「遠い叫び」という歌の一連のフレーズを連想した(You Tubeではこちら)。すなわち、「自由を高く買わされた気もするが/心まで安く売った覚えはない」といった「叫び」である。確かに東欧の人々は西側諸国のような「自由」を手に入れたかも知れないが、それと引き換えに彼らは多くのものを失ってはいないか。それでもチェコは、この対談によれば、今のところなお社会主義政権時代の制度的遺産のいくつか保っているようだが、おそらく最近において最も「自由を高く買わされた」のはリビアであろう。それを得るために、国家が丸ごと灰にならなければならない「自由」があるとしたら、そのようなものの性質は再考されなければなるまい。この曲はもともとテレビ用アニメーションのエンディングテーマだったらしいが(その作品自体についてはまったく知らない)、このバラードの主人公のアウトロー的人格の枠を超えて、「東欧革命」以降の世界に住む人間の精神を、かなり上手く掬い取った歌詞だと思う。東側だけではない、西側の人間もまた、いまや世界の出来事については「知らないこととは言えないが/片棒担いだ覚えはない」くらいの感覚くらいしか持てないでいるし、そうした流れの結果である「咲き乱れた花」を、摘んでいるのではなく「摘まされる」わけである(注4)。


話を戻して、この「対話」で興味深いのは、「自由」についての様々な概念である。まず、自由民主主義において最重要視されるルールとしての「言論の自由」や「表現の自由」である。別に旧社会主義諸国は、その憲法でこの種の自由を禁止しているわけではまったくなかったものの、それは社会主義の維持の名目で著しく制限され、法として明文化されていない部分における「政治判断」も非常に恣意的であった。それに対して、コホート氏のような人々は、自身の主張や表現を貫徹するための、当時の政権への反対を展開した。ここには、思い切り単純化して言えば、そもそも人間には「自由」が与えられており、それを時流に抗う活動の中で再発見・再獲得していくのだという、ジャン=ポール・サルトル的な意味での「自由」が現れている。確かに、これらの「自由」は非常に重要なものである。


しかしコホート氏は、さらに別の重要な「自由」も想起する。それは、無償医療や教育、あるいは文化助成や公共交通機関の充実といったものがもたらす、「生活の質」の豊かさによって、個人の生活が安定することで保障される「自由」である。その意味において彼は、「全体主義国家」であった共産主義時代のチェコスロヴァキアの方が、流れ着いた西側諸国よりも「自由」であったと断言するのである。コホート氏にとって、資本主義は無数の商品を生み出すが、それは必ずしも「生活の質」の向上と一致していないばかりか、「自由」の概念そのものを貧困化していくものである。社会主義ブロックからの移行で進められた、労働強化と社会制度の解体により、「生活の質」を削減させられ、「資本主義的奴隷制」の枷をはめられるようになったが、この種の「自由」の喪失が、チェコとスロヴァキア(社会主義体制とともに解体した)の両共和国の人々にはなかなか自覚されない。かつては「全体主義国家」が提供していたような、真に必要な「情報」を手に入れ考えるための時間的・経済的な余裕を失っているからである。しかしそれは「歴史の皮肉」と言うよりは、むしろ東側の「社会主義」が消滅したことの「論理的帰結」ですらある―――これに対するヴルチェク氏も、ソヴィエト時代のレニングラード(すなわちサンクト・ペテルブルグ)に生まれ、幼少期を「プラハの春」前後のチェコで暮らし、1980年代にアメリカに渡りジャーナリズムを学んだという経歴を有しており(注5)、自分の経験からこうした問題の所在を把握していると考えられる。


コホート氏の回想には、単に「失われたものは常に美しく見える」的な人情の動きを超えて、自分たちが有していた「自由」の達成が見えていなかったのだという、真面目な「反体制派」の自己批判が含まれているように思われる。ところが知識人や芸術家にとって、コホート氏が西側に逃れたことで再発見した種の「自由」は、必ずしも死活問題にはならない。むしろ彼らは、理念の表象や操作に強くかかわるような高度な頭脳労働が尊ばれる現代資本主義社会においては、一般的な労働者/市民に比べれば何だかんだで楽に社会変化に順応できるし、立身出世のチャンスもそちらでこそ開かれているわけである。かつての「憲章77」の署名者だった人々が、「自分たちこそ共産主義的だった」とするコホート氏に背を向けていること、また彼が慨嘆する「ハヴェルの変節」――わたし個人としては、当初からハヴェルの理論に問題があったと見た方がよい気もするが――も、おそらくそうした文脈から読み解けるものであろう。


もちろん自由民主主義においても、コホート氏が強調する種の「自由」の伝統がゼロというわけではない。少なくとも社会主義勢力の突き上げを食うようになって以降の自由民主主義者は、その「自由」の概念を社会権的側面にも広げるようになったし、現在「自由」の概念の貧困化に最も貢献しているアメリカですら、フランクリン・ルーズヴェルトのような大統領を擁していたことがある。すなわち、彼が提唱した「四つの自由」では、自由民主主義の伝統的概念である「表現の自由」と「信仰の自由」に加え、「欠乏からの自由」「恐怖からの自由」が謳われていた。しかし現在の「西欧の帝国主義」は、最初の二つの「自由」を口実にして、多かれ少なかれ「欠乏からの自由」を必死に獲得しようとする第三世界の諸国を、かたっぱしから潰していると言える。現在のアメリカにルーズヴェルトがいたら、おそらく共産主義者と呼ばれてしまうであろう。また、彼らの現在の対外政策も、軍縮を通じた戦争からの解放という意味を有していた「恐怖からの自由」とは正反対のものであり、むしろそれは「自由」を提供するという名目で行われる「人道的介入」の形をとった「自由の恐怖」を世界に撒き散らしている。こうした「自由」は、人類と長く共存できないであろう。その意味で「我々」には、「自由のために戦う」以前に「どの自由のために」戦うかを改めて吟味し、時と場合によってはある種の「自由と戦う」ことすら必要とされていることを、このヴルチェク氏とコホート氏の対話は示唆している。





(注4):もちろん、このバラードの主人公は「永遠のならず者(たち)」なので、一般的な労働者市民と完全には同一視できない。たとえば最近の衆議院選挙において、自民党やファシスト的諸政党に投票したような人が(棄権の是非については議論の余地がある)、数年後に「何の罪も無いはずなのに/何らかの罰を受けてる」などと泣き出すとすれば、ゲンナリさせられる話ではある。


(注5):この辺りの情報は、ヴルチェク氏が自身のツイッターで最近言及していた、チェコの社会主義系新聞(?)のインタヴューをGoogle翻訳にかけて読み取れた情報による(チェコ語から日本語の置き換えはほとんど意味をなしていないが、英語など他の西洋の言語に置き換えさせると、一応意味の通る文章になる)。ここで披瀝されている彼の家族の歴史それ自体がなかなか興味深いので、英語が大丈夫な方は機械翻訳を頼りに読むとよいかもしれない。




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引用(26)

――現時点の必要に応える唯一の宗教は、資本教である〔中略〕。「資本」は、いたるところに在る、実在の神だ。これはあらゆる形で姿を現わす――ぴかぴかの金貨であり臭い人糞肥料であり、羊の群れであり珈琲の積荷であり、聖書の在庫品、ポルノ画集の梱包であり、おびただしいコンドームの巨大な製造機械である。「資本」は、だれしもが知り、見、触り、嗅ぎ、味わう神である。それは、我々の全感覚に存在する。これは不信心者のない唯一の神である。〔中略〕


――ある者らにとっては、これは恐ろしい存在として姿を現わし、ある者には、うら若い母の愛のように優しい。ある地方に「資本」が襲いかかると、これはもう台風襲来であって、人間を、獣を、あらゆるものを、粉砕しかみ砕く。ヨーロッパ資本がエジプトを襲撃した時、農夫らを引っ摑み、牛や荷車、つるはしぐるみ土地から引き剥がしてスエズ谿谷へ連れて行った。鋼鉄のように冷酷な手で働くことを強制し、彼らは太陽に焼かれ、熱に震え、飢えと渇きに苦しんだ。そして三万人が運河の堤に骨を埋めた。若くてたくましく、敏捷で健康で、くったくのない陽気な若者を「資本」はつかまえ、製造工場や織物工場、鉱山に何千となく監禁する。そこで彼らを、大窯でふんだんに燃やす炭のように消費し、彼らの血肉を、石炭や織糸、機械の鋼に混ぜあわす。彼らの生命力を木石に注ぎ込むのだ。彼らが自由の身にされた時には、擦り切れこわされて、歳でもないのに老けてしまっている。彼らはもう能なしの骸骨にすぎず、貧血とリンパ腺結核、肺病が残りを奪い合うだけだ。人間の想像力は恐ろしい妖怪をはらむものだが、かつてかくまでに残酷で恐怖させる、悪徳に有能な神をうみ出したことはない。――とはいえそれは、選ばれた者らにとっては、なんと優しく頼りがいがあり、愛すべきものなのだろう。〔中略〕


真理の息吹きに昂って、連中は足を踏みならし吼えたてた。
――「資本」はなり。
――「資本」には、祖国も国境も肌の色も、人種も年齢も性別も区別がない。これは国際的神、普遍の神だ。人間の子らことごとくをその掟の下に従わせるであろう、と教皇特使が崇高な陶酔におちいって叫んだ。数々の過去の宗教を抹殺しよう。国際間の憎悪と宗教間の軋轢を忘れよう。心を一つにして、資本教の新教義をうち立てよう。



ラファルグ「資本教」
(田淵晉也訳)



「自由」を高く買わされた気もするが(前編)

「11月9日」という日付けから、個人的にまず思い浮かぶ歴史的事件と言えば、ナチス・ドイツにおいてユダヤ人の状況が決定的に悪化した「水晶の夜」(1938年)である。しかし、「11月9日」に起こった有名な事件としてより一般に知られ、毎年情報産業の話題としても取り上げられるのは、同じドイツで起こった「ベルリンの壁崩壊」(1989年)であろう。今年はこの「ベルリンの壁崩壊」25周年ということで、日本でもまあまあの量で報道がなされていた――おそるべき「全体主義国家」である東ドイツ(ドイツ民主共和国)が解体され、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)に併呑される形で「自由」を獲得しました。今でもドイツの西との経済格差はありますし、ネオナチも出るようになってますが、とりあえずまぁよかったんじゃないですか、と。


しかしこのプロットは、1990年代の前半から垂れ流されていたものとまったく同じではなかろうか。そうだとすると、旧西ドイツ人脈が指導している統一ドイツは、統一によって生じた問題を20年以上も解決できていないということになり、果たして「自由」は旧東ドイツ系市民の人々に何をもたらしているのかという話になる。そもそも、かつて東欧圏に「自由」を推奨し、現在もその旗手であるはずの西側社会においても、その労働者市民の相当数が「もう一つの世界は可能だ!」などと言いだしているのはどういうことなのか。「自由」なはずの自分たちの世界ではない、「もう一つの世界」が必要だなんて? それなら彼らは、どうしてその程度の「自由」を国外にもたらすことを歓迎し、今でも祝賀しているのかと、実に白けた気分にはさせられる。ともあれ、ここ25年における西側の労働者/市民 にとって、生活条件面の向上が皆無に近いのは明らかである。市民の労働強度が目に見えて下がっている、または目に見えて所得水準が上がっているなんて西側の国の噂を、諸君は聞いたことがあるだろうか? 


一方でわたしは、イタリア語のネット記事で、あるマルクス主義経済学者による、東ドイツ経済の盛衰の概略についての解説記事も読んだ。それによれば、1989年時点で東ドイツの対外債務は200億マルクとも言われ、当時は「自由」の話と合わせ、経済面におけるかの国の指導者層の無能もさんざんに評されていた。しかしこの金額は、実はソヴィエト連邦への第二次世界大戦の賠償(約990億マルク、1953年時点のレート)と比較すれば少額であったそうである。一方西ドイツは、ソヴィエトへの支払いを非常に早い時期に中断したため、東側の50分の1強の金額しか払っていなかった。80年代の東ドイツが赤字国家であり財政危機が進行していたのは事実であるが、この対外債務の数字については、今から見れば「え、この程度で?」と言ってしまえる額でしかない。なにせ現在の西側諸国の中で、これよりはるかに巨大な対外債務を抱えている国はいくらでも存在しており、当の統一ドイツのそれなどは5兆ドル以上と換算されている――こうした指摘を読むと、当時の東ドイツの「経済破綻」報道は多分に、日本における「国鉄解体」の時期に喧伝されたイデオロギー的攻勢とも似た、「ためにする議論」ではなかったかと思えてくる(注1)。近年、東ドイツの最後の国会評議会議長であったエーゴン・クレンツが、自国が「崩壊した」のではなく「崩壊させられた」という自動詞と他動詞の違いを力説しながら、西からもたらされた「自由」の虚しさを説いているのも故なしとはしない(注2)。もっともクレンツ元議長は、かの国の絶対的政権党の幹部であったわけだから、彼らが東ドイツ市民に強いた種の「自由」の抑制についての説明には、相当言い訳がましいものがあるのも確かである。


それでは、クレンツ元議長のような東側諸国の執政者に対し、「自由」を求めて迫っていたはずの人々は、現在自分たちの国に広がっている「自由」をどう見ているのであろうか。そんな疑問とともに「ベルリンの壁崩壊」25周年のニュースを読んでいた折、なかなか興味深い文章を見つけた。アメリカの左派系報道誌『カウンターパンチ』のサイトに10月24-26日づけで発表された、Andre Vltchekの「共産主義下のチェコこそ自由だった!」と題する記事である。アメリカのジャーナリスト兼ドキュメンタリー作家であるヴルチェク氏は、同誌のサイトの常連寄稿者であるだけでなく、ご存じノーム・チョムスキーとも近しい一人のようである(注3)。このヴルチェク氏の記事は、1955年生まれで共産主義政権時代のチェコスロヴァキアの「反体制」芸術家/知識人であったMilan Kohoutとの対話の記録であるが、ここでのコホート氏による発言の数々は、「自由」の問題を考える上でとりわけ興味深い論点を含んでいると思われるため、前後編に分けて紹介する次第である。例によって拙訳には、誤りや含意などが汲み切れていない部分が多々発生している恐れがあるので、わかる方はこちらのアドレスこっそりご指摘願いたい。なお、〔〕内には訳の簡単な補足を付した。


http://www.counterpunch.org/2014/10/24/freest-under-czech-communism/





『カウンターパンチ』誌サイト
2014年10月24-26日

共産主義下のチェコこそ自由だった!
アンドレ・ヴルチェク



ミラン・コホートは思想家、パフォーマー、大学教師である。彼はチェコスロヴァキアに生まれ、「憲章77」〔1977年に発表された反体制派のマニフェスト〕に署名するまでそこに住んでおり、アメリカに移住した後に、合衆国の市民権を得た。コホート氏は完全に資本主義に、それに西側の体制に失望した。


長年にわたり彼は世界中でパフォーマンスを行うことで、西側の帝国主義、人種主義、資本主義、そして世界中の宗教、とりわけキリスト教に対し、正面から対峙している。


この対話は西ボヘミアの小村Klikarovにて、2014年10月12日に行われたものである。コホートが教えている、ピルゼン市にある〔西ボヘミア大学の〕哲学・芸術学部において政治的講演を行うため、ヴルチェクはチェコ共和国を訪れた。ちっぽけで辺鄙なKlikarovの村に、二人は車を走らせ、養魚池のそばに座り込み、西側帝国主義、資本主義、そしてヨーロッパ/アメリカ式プロパガンダの毒性について語り合った。


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アンドレ・ヴルチェク(以下V):あなたは西側において、西側の帝国主義に対し、タガの外れた資本主義に対し、そしてさまざまな宗教に対し直接行動をとっている、数少ないアーティストの一人です。どうして、またいつからあなたは、そのような芸術様式を選択するようになったのでしょう?


ミラン・コホート(以下K):それは明らかに、私がいわゆる「第二の文化」、チェコのアンダーグラウンド文化の一端を担うようになってからのことだ。時代は、西側で呼ばれていたところの「全体主義システム」、もしくはチェコスロヴァキアの社会主義システムのそれだった。「第二の文化」は、我々自身の創造性とともに、芸術の意味についても形成する運動だった。当時我々は公式文化、もしくは「第一の文化」から排斥されていた。ゆえに我々は反逆した。それは定義からして深く政治的運動であり、政治的芸術を制作するものだった。


V:あなたはしばしば、非常に正しくも、「憲章77」に署名した人々、冷戦期のアンダーグラウンド/反対派運動に巻き込まれた人々が、実質的には社会主義者であり、幾分かはマルクス主義者ですらあったと言っています。それにあなたも含まれる。あなたは決定的に左翼知識人です。明らかな矛盾がここにあります。西側はあなた方を、反共主義者のグループとして「売り出し」、プロモートしていたからです。あなたならこうした矛盾についてどう説明するのでしょう?


K:もちろんそこには矛盾がある、巨大な矛盾だ。というのは「第二の文化」、アンダーグラウンド運動にかかわった人々のほとんどは、実際には左派の諸価値の深い支持者だったからだ。モノをかき集める代わりに、すべてを分かち合うことを好む。我々は所有と生産手段の共有を信頼していた。しかし我々は、これを理論的な視角からは全く考えなかった。我々の価値観は、実際のところ哲学的には左派のものであったことに気付いていなかった。ゆえに、いわゆる共産党政府と戦っていた時の我々は、実際には真の共産主義者だったわけだ!
 ところがだ、私がこのことを、「憲章77」に署名したもののこの国を離れなかった同志に語ると、彼らはしばしば席を立ってしまう。彼らはそれを認めようとしないのだ。


V:あなたはヴァツラフ・ハヴェル、ある時点ですべてを売り払い西側の帝国主義を支持し始めた――彼はワシントンに行き、卑屈なスピーチと引き換えに、西側政権の代表たちのスタンディング・オヴェーションを受けたものです――あのハヴェルすら、あなたの運動たちの一員だった時には、実際に左派の理念を共有していたのだと、実際に言っていますね。


K:それはもちろんだ! 彼の哲学的見解の一部は実質的にマルクス主義のそれだった!


V:それでは何が起こったのでしょう? どのように彼のような人物が変貌してしまったのでしょう?


K:革命の後、私はヴァツラフ・ハヴェルを非常に誇りに思った。なぜなら彼は公的に、大統領官邸に住むつもりはないと宣言したからだ。彼は自分の質素なアパートに住み、自分の車で仕事場に毎日通った……私は、彼が素晴らしい役割モデルになったと感じたよ。


V:彼は大統領宮殿に、自転車で通っていたこともあって……。


K:そう……彼は本当の「民衆の英雄」か、「人民の大統領」のようなものとなった。しかしその時、何かが彼の心を変えたのだ……おそらくその一因は、彼が歴史的にブルジョワ家庭の出身だったことによる。


V:プラハ有数の裕福な家の……


K:そうだ。とても、とても裕福なブルジョワ家庭のだ……もちろん彼は言っていた。「私は自分の資産やかつての家の社会的ステータスを請求するつもりはない」と。しかし何かが変わってしまったに違いない。私が推測するに、彼が大統領になった後、もし大統領がこの種の「左派のライフスタイル」を通し続けるならば、国が動き出していた資本主義的方向に彼が衝突してしまうとする理念を、顧問連中が押し付け始めたのだろう。彼らは大統領に、「自由」と「経済成長」をサボタージュしているかのように見られますよと、ほぼ確実に言っただろう……それからおそらく、政治的な高い地位も人を堕落させる……そして彼はゆっくりと、しかし確実に変わり始めた。彼は「損害賠償」の名目で、一族の以前の財産をすべて徴収した。彼はアメリカの帝国主義的外交政策を支持し始め、その事実は私を極度に当惑させた……さらに後には、より奇怪な何かが起こった。彼は現実の生活との接触を失った。彼は選民たちの温室、もしくはそれに似た何かの中で暮らし始めた。


V:そこで、すでに我々が以前に議論した話題に戻りたいのです。すなわちチェコスロヴァキアが、ソヴィエト時代にどんな問題に直面していたとしても、この国は決定的に、世界中の抑圧された人民の側にあったということについてです。チェコとスロヴァキアのエンジニア、医師、教師たち――彼らは人道のため、アフリカやアジアの人民のために、何かしらの並外れた仕事をなしたのではなかったか……


K:今もキューバ人はそうし続けているが……


V:そうです。しかし今振り返ってみると、共産主義時代に多くのパーセンテージにあたる人々が実際に願っていたのは、西側に加入することであり、直接的にしろそうででないにせよ、グローバルな抑圧機構の一部分になることだったように見えてしまいます。今や進歩的異論派だった人々のほとんどは、ハヴェルがそうしたように転向してしまったし、国家は分割され、西側の帝国主義と経済構造に決定的に参加するようになってしまっている。チェコとスロヴァキアは両方とも完全に、世界の他の地域に対して、肯定的な側面をまったくなくしています。
 人民は幸せなのでしょうか? 彼らは本当にそれを求めていたのでしょうか?


K:ここでもまた、人々は「外国の投資」によって搾取されている。
 このチェコ共和国で、人々の心の中で何が起こっているのかについて、わたしが本当によく理解しているわけではない。もちろんある種の「社会の選ばれた一部」に属する、何らかのものを所有しており、いわゆるビジネスの成功者として、大金持ちになった人々は、こうした方向性を当然ながら喜ばしいものとしている。そしてこうした人々がメディアを所有し、右翼的システムを推進している。しかし私が考えるに、貧しい人々は、「もし全体主義システムから自身を解放できたなら」、「自由な生活」を営み「喜びある生き方」を始めることが出来るだろうという、自身の夢から覚め始めている。
 彼らの夢で実現したものは何もない。ほとんどの人々にとって、今の生活は社会主義下のそれよりさらに恐ろしいものとなっている。


V:「恐ろしい」とおっしゃられましたが、チェコ共和国が今なお非常に豊かな国であることを思い出さなければなりません。そして、少なくともその市民に対しては、一種の社会民主主義的なマットレス、クッションになるものが提供されています。相対的にはとても高い水準にある無償医療、無償教育、文化への助成もあれば、立派で安価な公共交通機関が国中を走っています。何が悪い方に変わったのでしょう?


K:いわゆる「ヴェルヴェット革命」の前、人々はある種の情報や、映画を含むある種の文化製品にアクセスできないことについて不満を持っていた。彼らは自分の好きな時に外国旅行もすることも許されなかったし、他にも色々とあった しかし彼らは、今日現在のそれと比べればよほど、よほどよい生活の尊厳を有していたことには気づかなかった。彼らは資本主義に参加する際、それが様々な不安、自己の存在に関わる非常に深刻な不安を感じさせはじめるものであることに気づかなかった……彼らは、職を失うことに脅かされ始めるようになった。
 今や彼らは、共産主義下における以上に、彼らのボスの尻にキスしなければならない。
 全くもって興味深いのは、人々が享受してきた各種の利点が、当然ながら歴史を通じた諸々の社会主義運動によって創られ、築かれ、設けられたものであったということだ。彼らは自身が有している価値や利点について、忘れてしまっていて……


V:彼らはそうしたものを当然視した?


K:彼らはそうしたものを当然視していた。彼らは何らかの偉大な達成を得ていることに、偉大な生活を過ごしているということに、まったく気づいていなかった。突然、そうしたものを失い始める時になって、彼らは何か恐ろしい過ちを犯していることに気づいた。人々の一部は今や非常に失望している。私は妻とともにモラヴィアで一年暮らした。国中でも非常に失業率の高いところで、大きな不満を聞くことが出来る。
 実に興味深いではないか、社会主義的システムから資本主義的なそれへのこうした転換は。社会主義下において、チェコスロヴァキアはすべてを、文字通り、針から機関車までを生産していたというのに。


V:核融合炉に、飛行機、巨大客船……


K:そう、すべてを……核融合炉から衣服まで。すべてはここで生産されていた。食料もここで生産されていた。自給自足の国家だった。
 いまやすべてが変わった! 国営企業はすべて消えた。売り飛ばされるか盗まれるか……


V:もしくはダウングレードしたか。飛行機産業も消えました。世界全土に機関車を輸出するための工場が、西側の多国籍企業に買収され、今では電車をつくっている……


K:そう……すべてが消え去ってしまい、民営化されたように、生産は東へ移っていくし、いわゆる西側の「投資」が国に入ってきて、「奴隷労働」のための巨大な生産拠点をつくり、人々はそこでチャップリンの映画『モダン・タイムス』の登場人物のように働いている。
 本当に悲しいのは、人々が「自由」という言葉の意味を完全に誤解していることだ。


V:およそ30年前の方が、今よりもここにも自由があったとおっしゃりたいのですか?


K:それは人による。だが私は、ボストンにあるタフツ大学の私の学生諸君に、「私が最も自由を感じていたのはいつか」と問いかけてきた……私はいつもこう語った、「それはチェコスロヴァキアの“全体主義システム”の中にいた時だ」と!


V:より正確にいえば、「いわゆる全体主義システム」の中にいた時、ですね……私たちは今では、中国について同じようなことを見出しています。あなたは中国でパフォーマンスを行っており、私の仕事もあちらでしばしば公開されている。多くの点で、あそこの芸術家たちは、西側にいるそれよりも自由です。北京では、芸術家たちはより多くの重要な論題に携われるし、ロンドンやニューヨークで活動している人々よりも、社会に巨大なインパクトを与えることができるからです。


K:そうだ、私は自分の経験から知っている。私は4年前に北京で、パフォーミング・アーツの大規模なフェスティヴァルを組織した。私が非常に驚かされたのは、そこで提示された彼らの作品の一部に、かくも深く批判的なものが存在するのかということだった。一方で、私が読む西側のプロパガンダ・メディアでは、共産主義の中国の検閲によって批判的な声を持つ人々が牢屋に送られウンヌンとなっている。それは、かの地で私が目撃したこととは大いに違っていた。


V:チェコスロヴァキアにおいては、先ほどあなたが指摘されたように、いくつかの種の情報がたやすく手に入らないことに人々が不満を訴えていた。しかし同時に、共産主義のチェコスロヴァキアでは、そのことが問題化されていたわけです。今日において、親西側かつ資本主義のチェコ共和国では、情報が意味することはわずかであるし、人々が本当に変えられることもわずかなのです。彼らは情報にアクセスできるにもかかわらず。


K:社会主義政権下、つまり西側が「全体主義システム」と呼んでいるものの下で、人々は不満を訴えていた……我々は訴えていた……しかし我々は、探していた情報を得るための道筋を常に発見していた。それに我々は情報を理解することにも努めていた。そうして自分たちが得たものを価値づけていた。情報について真に学び、それを本当に真に処理していたのだよ。私たちには十分な時間もあった。社会主義システムの下で、我々は真に贅沢な時間を有していた。つまり本を読み、音楽を聴き、映画を見ることを享受できた……


V:時には仕事場においてすらそうだったでしょう、なぜなら当時は誰一人として必死に働いていなかったようですから(両者笑う )。


(後編へ続く)






(注1):日本でも1987年のJR発足まで、国鉄がいかにダメで、民営化がいかに素晴らしいかという喧伝が吹き荒れたが、現在のJRで利益が上がり株式上場をしているのは本州の各社(東日本・東海・西日本)だけである。残りの各社およびJR貨物は25年たっても赤字が続いているとのことである。


(注2):エーゴン・クレンツ「「壁の崩壊」は後からでっち上げられた」(『社会評論』160号、2010年)


(注3):ヴルチェク/チョムスキー両氏の共著としては、“On Western Terrorism: From Hiroshima to Drone Warfare”(London: Pluto Press, 2013)がある。この本は『チョムスキー、西側諸国のテロリズムについて語る』という題名で、平凡社から日本語翻訳が出されるという話がインターネット界隈では秋頃から出まわっているのだが、何らかの事情で発売が延期されているものと思われる。日本書籍出版協会の「これから出る本」(こちらの「2014年12月上記号」を参照)にも名前は出ているものの、この記事の掲載時点においては、平凡社のホームページ上には情報が挙がっていない。




[追記:タイプミスと改行の部分に若干の修正を加えた(2014年12月17日)]