引用(3)

物語りと決別して以降、科学としての歴史学は、事実への忠実さを最低限の要件として、実証知識量の拡大を追求する一方、依然として意味の独占を企図する時の権力に対峙して、意味についての問題意識をいっそう鋭くし、諸事実に内在する論理(法則)を客観的に解明する方向へと進展してきた。


しかし、近代以降も、物語りの系譜をひく「意味としての歴史」の領域が、それなりの要求に即して併存してきた。例えば、別に本当の事実はどうであったかにとらわれる必要のない歴史小説の領域などがそれである。しかし、それは本来個別的・情況的であり、意味についての情念が噴出してあらゆる方向性をはらんでいる混沌とした領域である。科学としての歴史学は、この領域での営為が共通性を主張しうる基盤と基準を提供してもいる。それは、「意味としての歴史」が恣意的に独走することに対する歯どめとして近代社会が生み出した民主主義的な道具のひとつであるともいえる。従って、文学者が自己の独善的な「意味としての歴史」の普遍性を恣意的に主張し、科学としての歴史を原理的に否定してたちあらわれるならば、歴史家はこれと断乎対決しなければならない。しかし、文学者が事実をふまえて意味の観点からの要求を提起するならば、謙虚に耳を傾け、真摯に討論してみなければならない。


科学としての歴史学が一応社会的に公認され、市民権を得て以降の主要な陥穽は、閉鎖性の危険である。


確かに、歴史的諸事実に内在する論理を見出す事には、それ自体多大の労苦を要する。微細な専門的課題に没頭しているうちに、その課題の意味が分らなくなってしまいがちである。そして、そういうときに、何らかの政治的権力ないし学派的権威から与えられる「歴史の意味」が安直に受け入れられて、内実の非主体性をおおいかくす居丈高なよろいとされたりする。いわゆる公式主義、教条主義である。科学の普遍性ないし学派の権威への過信も創造性をおし殺し害毒を流す。帝国主義批判の歴史学のはずが、その意味の点検を怠っているうちに、史料にひきずられて、いつのまにか事実上の帝国主義賛美、合理化の学になってしまうこともある。「意味としての歴史」の観点から、自分のやっていることを、個別的、情況的に説明できないならば、その人は科学的歴史家とはいえない。


そもそも「科学的歴史像」がいかに精緻に構成されようとも、それ自体が即ち個別的な「意味としての歴史」を形成するのではない。それぞれに固有の意味づけをもってはじめてそれは、諸個人のものとなるのである。例えば、歴史教育は、教師と生徒それぞれの「意味としての歴史」がつきあわされる現場であって、決して「科学的歴史像」が一方的に伝授される場ではありえない。一見そうみえる場合でも、実は教師の中での「科学的歴史学」の実践的意味が、しらずしらずのうちに生徒に感銘を与えているのである。


「意味としての歴史」を見失った「科学的歴史学」は、恣意的な「意味としての歴史」にうちかつことができないのである。


梶村秀樹「歴史と文学」


※原文の改行は一行アケに直した。


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