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ぎゅあんぶらあ自国中心派

森巣博『越境者的ニッポン』(講談社現代新書)を読む。何かを得たいと本気で思っている人士が買う必要は全くない代物である。前から書いているネタが同じというのも問題だが、よりヌルいのはレトリックである。雑誌連載原稿(『クーリエ・ジャポン』)を元にしたのも原因だろうが、「中国なり北朝鮮なりが「独裁」である、しかしそれと日本は同じだ」という種の発言が、何度も繰り返されるのである。しかし諸君、この手のレトリックは正直聞き飽きたのではないか? この著者は賭博を本業としているようなので厳密には当てはまらぬが、日本国の知識人ことに「リベラル(左派)」と自称する・他称される人種の間では、自国政府の内政ないしは外交政策を批判する際「隣国のありよう」を必ず枕言葉で使うという内規が近年出来たらしい。手前の国の暗黒政治を、何故毎回毎回隣国(かつての東欧圏や、ナチス・ドイツでもよいが)にあるとされるそれになぞらえなくてはならないのか?
 

4月上旬に朝鮮から飛び出した「飛翔体」の件もまた、徹頭徹尾「我々」の問題として扱われなければならない。この出来事を奇貨とした「我々」の日本政府と自衛隊は、堂々と大規模な動員・演習を抵抗なしに行う事が出来て、「我々」のメディアはそれを非難するどころか嬉々として映しており、「我々」はこの日本社会がまた一歩軍事的なものに馴染んでいくのを(これこそ「社会の軍事化」と言えよう)呆けた眼で見ていた。


日本右派の本義は「北朝鮮(中国、ロシア、その他まつろわぬ連中すべて)は野蛮であり、日本は文明である」という図式にある。そしてこの図式を「リベラル(左派)」の97パーセントまでが基本的には踏襲する。すなわち大意としては「北朝鮮(中国、ロシア、その他まつろわぬ連中すべて)は(「人権」とかそのへん無視して)野蛮であるが、日本人は文明なので自重しよう」というメッセージをケツにくっつけるというのが彼らの善意のあらわれなのであろう。されど「文明と野蛮」という古典的帝国主義とでもいうべき語り口そのものが疑問視される事はない。隣国の態度云々にかかわらず、日本人が問題を論ずる限りにおいては、最初に自身の植民地主義なり超大国志向なりの可能性(それはとっくに現実のものなのだが)について徹底的に内省されてしかるべきであるという観点はない。むしろ「文明なので自重しよう」という態度は、「いやぁ自重出来る俺って偉いよな~ふふふん」的な夜郎自大と密接に連動している。結局隣国は暗黒国家で、ゆえに足元に踏みつけるべき連中という訳である。かつてニーチェが「末人」として侮蔑したのはこの手の輩ではなかろうか。


ところで「我々」の活動は、隣国にとってどれほど怪物的に見えるのであろうか。ことに朝鮮(※)に対してはそうである。公的言論人の中で多少なりともこの点について触れているのは浅井基文や吉田康彦の各氏くらいのものではないか。風説によれば(日本と同じように)朝鮮にも裕福な少数指導者層から餓死線上にいる結構な数の最下層までがいるわけだが、彼らと違い「我々」は経済的権力と何十倍もの予算による軍備を有している。この事実こそが、朝鮮についての日本の公的言論を度し難いまでに隠微にしている。「我々」は隣国に対する恐怖を装いつつも、実は何も恐怖していない。すなわち、右翼による隣国の「野蛮視」と、「リベラル(左派)」さらには一部の議会外左翼の「自重主義」には、「いつでもあいつらぶっ潰せるんだけどね~ふふふん」的な傲岸不遜が見え隠れしているのは明らかではないか。羊の毛皮をかぶった狼、瓜子姫の生皮をかぶった天邪鬼と、好んで「対話」したい生き物はいまい。両者の客観的状況がまったくもって対等でないからではないゆえに、「対話」が成り立っていないだけである。かくして著者の「悪い他国と同じ」という論法は、「我々」にとってあまりにもありきたりであるとともに、「我々」の知性と悟性の恐るべき腐敗を隠蔽する方向にしか作用しないであろう。そしてここから漂う腐臭は、在日朝鮮人ばかりか、一応現在は同盟者扱いにされている韓国の人々までも、すでに嗅ぎ取っているところのものでもある。


さてこの著者はあとがきで、扶桑社と金曜日社の両方から、同時に本を出しているのは「わたしだけの快挙」だったが、最近それに佐藤優が加わり「お二人さまの快挙」になったと書いている。彼の佐藤氏への評価は「その著作から推察するに国家主義者であると同時に非国民でもあるという背反した性格をもつ」としているものの、別に否定的ではなく、むしろ仲間が増えたと喜んでいるようである。佐藤氏が二股膏薬的に出版メディアによって政治姿勢を適当に使い分けているのはことに有名だが、著者がその辺をどう考えているかは不明である。オーストラリアにはそのような評判が伝わっていないのかも知れない。それとも、マカオや香港の賭場で稼ぐ博才はない人間には、文筆詐欺での荒稼ぎを認めているという事であろうか。



※いまさらだが、「大韓民国」を「南朝鮮」と呼ばない限り、「朝鮮民主主義人民共和国」を「北朝鮮」と呼ぶ事は不自然に思われる。日本マスメディアにおける「北」などという略し方は、意味内容も品性も無い。
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