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「スターリニズム」は「全体主義」に入りますか?

バナナはおやつに入りますか? などと遠足前の小学生が本当に質問するのかどうかわたしは知らない。だが、「共産主義」は「全体主義」に入りますか? という質問に対する回答は、かつては知識人の間でしばしば定期的かつ挑発的に飛び交ったものであった。いえ入りません、はい入ります、とんでもない「共産主義」は「全体主義」でしかありえません……現在、このような質問に対する模範解答は「二つの全体主義」、すなわちナチス・ドイツとソヴィエト・ロシア(+その衛星国)が存在した(する)というものであろう。これはおそらく欧米社会で最も有力な説であり、ゆえに日本の「論壇」へ参入しようと試みる人々にとってもまた、絶対に暗記しなければならない公式の一つとなっている。それにしても、この「全体主義」という言葉が人口に膾炙するようになったのは何故だろうか? エンツォ・トラヴェルソ『全体主義』(柱本元彦訳、平凡社新書、2010年)は、この疑問に対しては一定の知識を与えてくれる本である。


陰惨な第一次世界大戦が終結したのもつかの間、ヨーロッパにおいて古来より考えられてきた「専制」のレヴェルを遙かに越える「凄まじい犯罪性」を伴う今までに存在しないタイプの政治体制が生まれつつあった。1920年代前半に現れたイタリア・ファシズム、20年代後半からのソヴィエト・スターリニズム(注1)、30年代前半からのドイツ・ナチズムがそうである。欧米社会の様々な立場にある知識人は、これらのあり方を20世紀的特有の現象として徐々に認知するとともに、「全体主義」という名称のもとに激しく議論を行うようになった。著者のトラヴェルソ氏は歴史家として、この「全体主義」概念の形成および変容に関わった、非常に多くの欧米知識人の長い時期にわたる発言の数々を見事に整理している。全12章による本書は、大枠として五つの時期――ファシズムの出現、ナチズムおよびスターリニズムの出現、冷戦の到来、「1968年」以降、「ベルリンの壁」崩壊以降――をたどる形で展開するが、人名索引と文献の指示(原注)がきちんとついているため、「読む小辞典」的な活用も可能である。ほうほう、かの鳩山由紀夫前首相ご推奨のクーデンホーフ=カレルギーは、ファシズムを共産主義に対する劇薬のようなものとして捉えていたのか……という風にページをめくるのも面白かろう(注2)。


しかしこの本は、概説書としての価値を強く保ちながらも、無味乾燥な事実列挙による疑似中立性の領域にとどまっているものではない。「全体主義」というカテゴリー化によって得られたものは少なく、むしろ「政治の現実を明るみに出すよりも、それらの実態を隠蔽するのに寄与してきた」(注3)ものであったことに、著者は強く批判的である。すなわち自由民主主義者の多くは、少なくとも第二次世界大戦までナチ/ファシズム(厳密には両者の性質には異なるところがあるものの、大筋の議論においては同義とみなしうる)に同調的または不能であったにもかかわらず、冷戦が始まるとこの言葉を自らの体制を卓越化するための安直な道具に仕立て上げた。同じ冷戦期には、ソ連に対する幻滅を表明したかつての共産主義者やそのシンパたちが、ソ連崇拝をまるきり裏返しにした反ソ連崇拝に狂奔する。しかしながら、長らくの間「反ファシズム」知識人も、スターリン期ソ連の「全体主義」的な現実をまったく無視し続けたし、彼らが「全体主義」についての議論へ積極的に介入しなかったことは、「政治生活が反共産主義とスターリニズムとに二極化されていった悪循環の原因」となり、現実への批判の回路を構成し損ねることにつながったとされる。特に最後の指摘には、「学者」としてと言うよりは、何らかの「左翼」に属する者としての著者の問題意識が見え隠れしている(注4)。終章の「そして、スターリンや毛沢東やポル・ポトの犯罪に決着をつけることができない共産主義は、いかにしても受け入れられないだろう」といった発言からも、こうした意識は読み取れることが出来よう。20世紀における「現実の自由民主主義」のあらゆる振舞いを擁護するタームとなって来た「全体主義」という言葉の檻にとらわれることなく、上記した諸体制それぞれの「全体主義的」特質を認識し考察を深めなくてはならない――この観点からトラヴェルソ氏は、「全体主義」というカテゴリーの中でも豊かな仕事をなしえた人々を広く採用する。レフ・トロツキーのような革命陣営における異端的存在だけでなく、彼らと一線を画したガエターノ・サルヴェーミニのような社会主義者もそうであるし、ハンナ・アーレントの『全体主義の起原』に至っては「明らかに、左翼の全体主義論のひとつ」とすら評価されている。こうした学説的に「開かれた」態度から、著者の「誠実」さを読み取る素朴な読者もいることと予想される。


トラヴェルソ氏は、スターリン期のソ連とナチス・ドイツ、または東ドイツなどの東欧諸国の、「全体主義」というタームを通じた同一視を、「犯罪」の性格の相違を度外視しそれらへの正確な認識を妨げるものとして繰り返し拒絶する。また「全体主義」の諸体制を、「近代」の洗練された技術や行政システムの活用といった点で、時代を画していると主張する。ここまでの議論はおおむね理解可能である。だが一方でわたしは、「全体主義」というタームの考察を通した「20世紀」の政治の批判というトラヴェルソ氏の試みに、大きく欠落したものがあると思う。というのは、彼の叙述ではナチ/ファシズムなりスターリニズムなりが、西欧の牽引した「近代性」の負の帰結として強調されるあまり、別の20世紀の巨大な動き――すなわち、反帝国主義ないし反植民地主義――についてはほとんど考慮されていない。著者は序章において、20世紀の戦争が「イデオロギー」のそれをも伴っていることを指摘する中で、「このような文脈で、地域戦争、植民地戦争、あるいは民族解放戦争は――中国や朝鮮からヴェトナムまで――ほとんど二つのイデオロギー・ブロックの戦いの内に吸収されるだろう」としている。各国の民族運動史をひもとくまでもなく、植民地支配下にいた(いる)民族にとっては、なかなか聞き捨てならぬ言葉であり、あまりに単純化された見方ではなかろうか。まさかこれらの民族には「イデオロギー・ブロックの戦いの内に吸収される」だけの変数的性格しかなかったのだと言いたいわけではないだろうが。それらに対する考察がない叙述は、20世紀の歴史叙述として適切であろうか。


より長大な歴史的パースペクティヴの中で発生した、帝国主義ないし植民地主義の「犯罪」の考察を組み込むべきだと言うのは、別に「アレが入ってないからダメ」式の議論をしたいからではなく、著者が批判しようとしている問題の広がりを考える上でも重要だからである。トラヴェルソ氏自身、ソ連におけるスターリニズムの起源として、マルクス主義やボルシェヴィキそのものではなく、ロシア帝国から引き継がれた後進性や「上からの近代化」の潮流をより大きな原因と見る、アイザック・ドイッチャーの古典的分析を容認している。諸君は「我々」の隣国を想起されたい。第二次世界大戦後において、中国、朝鮮、ヴェトナムなどで政権の座についたのは、多かれ少なかれスターリニズムに影響を受けた共産主義者たちであった。では20世紀の民族解放闘争とは、スターリニストが膨張するための単なるマヌーバーに過ぎなかったのか? 自由民主主義者なら、そう考えていいかもしれない。20世紀以前からの帝国主義や植民地主義によって得た原初蓄積に伴って起こった数々の事件については黙したまま、それによって築いた至上の生産力をバックに、いかに東アジア一帯の20世紀の「社会主義」が野蛮かを微笑みながら論じても、彼らにとってそれはそれでことは済む。しかしその中には、国内の自由民主主義と海外への膨張との歴史的共存について深く認識し、征服活動によってもたらされた被支配国の古典的文化・経済・政治への多大な破壊が、対抗する被植民地人の活動形態をも規定していた(いる)ことを発見する聡い人々も相当数いるだろう。そうすると「左翼」は、これらの国々の独立とその後の過程を「スターリニズム」を理由にただ断罪のみしていればよいのであろうか。中国共産党は現在、毛沢東について「救国オヨビ建国ニ功アリ、サレド治国ニ罪アリ」といった見解を述べているが、これは権威主義的な公式声明というレヴェルを超えた問題を含むように思われるのである(注5)。


ロシアや中国やカンボジアに限ったことではないが、一国民の「指導者」が「犯罪」をなしていれば、国民がそのような事実の法的・政治的責任を問う権利は当然存在しよう。しかし「決着をつける」というのは色々取りようのある言葉である。たとえば、恐るべき体制はすでに消え去った(とされる)ロシアやカンボジアはいざ知らず、中国(朝鮮などもつけ加えられる)は「犯罪」の後継体制が続いていると規定し、それらを軍事・経済・思想戦あらゆる手段を駆使して転覆することが「決着」である――と主張することも出来る。するとこのような「決着をつける」権利を有する「共産主義」とは、そもそも誰のものであり、どのようなものなのであろうか? 仮にフランス人なりイタリア人なり(そして日本人なり)の、「スターリニズム」ではないと自負する「共産主義」が、ヨシフ・スターリン以下延々とリストアップされるであろう歴史上の面々を断罪出来るとすれば、少なくとも歴史的には征服者であった自らの国家について最大限に省みる必要があるだろう。「スターリニズム」からの「自由(free)」を得た諸民族は、当然帝国主義や植民地主義からの「解放(liberation)」から遠ざかってはならない。しかしながら、著者が反ナチ/ファシズムと反スターリニズムの両方の条件を満たしていると評価する、アーレントやサルヴェーミニのような「左翼」の中には、植民地主義批判どころかその肯定すら見て取れる場合がしばしばある(注6)。


本書の第5章でトラヴェルソ氏は、1930年代という早い時期からナチ/ファシズムとスターリニズムの両方を明快に拒否しえた数少ない知識人の中に、シュルレアリスム芸術運動の指導者アンドレ・ブルトンを挙げている。しかしこのブルトンは、生涯にわたって上記の「全体主義」諸体制への猛烈な攻撃を展開しただけでなく、植民地主義に対しても批判を続けていたという。たとえば、1931年にパリで行われた植民地博覧会を批判する「反植民地主義博覧会」を組織したことや、ロシア革命40周年を記念した1956年のスピーチにおいて、「スペイン革命」(=反ナチ/ファシズム)および「ハンガリー革命」(=反スターリニズム)とともに、彼の母国フランスが敵対者となっている「アルジェリア人の解放闘争」(=反植民地主義)について支援する必要を訴えたことなどに、それは現れている(注7)。20世紀の歴史をより正確に分析するという意味でも、自身の政治的立場からという意味でも、おそらくトラヴェルソ氏は、アーレントやサルヴェーミニのような「左翼」と、ブルトンのような「左翼」の違いを明らかにすべきであった。この『全体主義』という本は、西欧の先進資本主義国の人々および「我々」が「全体主義」の「犯罪」を阻止するためと言うだけではなく、そのような名目で帝国主義と植民地主義の「犯罪」を(「左翼」も含めて)より精妙に再演しないためにも、読者それぞれによって補われながら読まれるべきものであると言えよう。





(注1):平素のわたしは「スターリン主義」という表現を使うが、本稿では取り上げた書籍の翻訳表現に合わせた。


(注2):ただし、原注に対する補注(引用されている文献の邦訳についての書誌情報)の出来には中途半端な印象が免れない。わたしが知りあわせている限りでも、イーゴリ・ゴロムシトクの「全体主義芸術」論、マーティン・ジェイのマルクス主義研究、そしてトロツキーのスターリン批判(複数の)には、邦訳がすでに存在している。また人名索引でも一か所、イタリアの詩人マリネッティの苗字が、「フィリッポ」ではなく「フリードリヒ」とドイツ風の名前になってしまっている。ただこちらは微笑ましいケアレスミスというべきであり、「マリネッティ」のあとの項目が「マルクス」「マルクーゼ」となっているので、自然と「エンゲルス」の名前が出てきたのであろうと推測する。ちなみに、クーデンホーフ=カレルギーと前首相の関係については、同じ平凡社新書の一冊が詳しいようである。「公共哲学」もナチ/ファシズムにより親しみを感じているかどうかは定かではない。


(注3):大澤真幸による本の帯の言葉。文自体はそれなりに正確な内容紹介と言えるが、この書き手はなにやらよんどころない問題で京都大学を辞職したと風の噂で聞いている。ただし大学の公式発表では人物が特定されえないし、一方京都の他大学においては、ある教師が同僚を陥れるためにセクシャル・ハラスメント疑惑を捏造し情報産業に売り込むという恐るべき事件も発生したらしい。そのような事実もあるため、平凡社では大澤氏の事件も陰謀であったと考え、一種のアジール的に彼を庇護しているということであろうか。わたしは大澤氏には興味はないが、平凡社の判断基準には興味がある。


(注4):『全体主義』の訳者解説によれば、本書の著者は「ポテーレ・オペライオ(アウトノミアの中心的グループ)のシンパとして活動していた」そうであるが、この新書の制作者たちは読者層をどのようなものと想定しているのであろうか。べつだん南欧の新左翼事情を知らない読者にとっては、説明なしでイタリア語の響きだけ聞かされても困ってしまうだろう。なお、わたしはトラヴェルソ氏の名をはじめて知ったのは、単著の翻訳ではなく『トロツキー研究』なるマニア向け雑誌に載っていた論文を通してであったので、彼のことはずっとトロツキー主義者だと思っていた。実際、本書におけるレフ・トロツキーとその後継者たちについての記述は比較的詳しいし、「序」の謝辞にもフランスのトロツキー主義(的)論客の名が挙がっている。トロツキー主義では売れないので、そちらを隠して新奇なイタリア新左翼の「シンパ」(「一員」でも「党員」でもない)として名前を強引に持ち出しているとすれば問題である。


(注5):『全体主義』第10章には、西欧の知識人界において「1968年」前後にはいったんすたれていた「全体主義」論議が、東欧の「反体制知識人」への注目とともに「毛沢東主義への幻滅」がフランスで起こったことにより再開されたという指摘がある。本書にも特に説明はないので、正直わたしはフランスで流行った「毛沢東主義」なるものが何だったのかいまだに分からないが、毛沢東の思想および運動と彼が日本を相手に展開した反植民地戦争とのつながりについては、ほとんど何も考えていなかったものと勝手に推測している。かの国の哲学者アラン・バディウは、現在も自身の攻撃的な文章において「毛沢東主義者」を自負しているが、それが「反植民地主義」につながっているかどうかは謎である。


(注6):トラヴェルソ氏は、アーレントが『全体主義の起原』において植民地主義を「二十世紀の殺戮の壮大な実験室」としたと記しているが、それは彼女が植民地主義(シオニズム)に否定的であったことを必ずしも意味しなかった。これについては、高橋哲哉『記憶のエチカ 戦争・哲学・アウシュヴィッツ』(岩波書店、1995年)第2章を参照。サルヴェーミニについてはほとんど日本語への翻訳がないが、イタリアの哲学史家ドメニコ・ロズールド(トラヴェルソ氏も彼から一冊引用している)の記述によれば、少なくとも第一次世界大戦の時期におけるサルヴェーミニは、愛国主義を振り回し植民地獲得についてもためらいをもたないタイプの「社会主義者」だったようである。こちらは『グラムシ 実践の哲学:自由主義から《批判的共産主義》へ』(福田静夫監訳、文理閣、2008年)第1章および第2章を見よ。この本では、アントニオ・グラムシの展開した社会理論の源泉の一つとして、同時代の自由民主主義者や社会主義者が抱いていた、植民地主義への批判があったことが強調されており興味深い。


(注7):ただし、彼の反植民地主義に父権的恩恵主義の性格が多分に残っていたことは否定しえない。シュルレアリスムは同時代の欧米に発生した他の芸術運動よりも、「第三世界」の先鋭的な芸術家によく受容されたが(詩人エメ・セゼールや画家ウィルフレード・ラムを見よ)、逆にメキシコの女性画家フリーダ・カーロなどは、彼からの高い評価からむしろ尊大さを感じ嫌っていたという。これは大いにありうることである。しかし彼の限界も踏まえて、ナチ/ファシズムとスターリニズムを先進資本主義国の「植民地主義」の到達点から批判するという種の欺瞞に疑問を呈する人物が、今もまれであることを考えるならば、その傾向はもっと注目されてよいと思われる。ブルトンの芸術家/政治批評家としての両面を合わせて捉えている書籍としては、少々主人公を英雄的に描き過ぎているきらいはあるものの、アンリ・ベアール『アンドレ・ブルトン伝』(塚原史・谷昌親訳、思潮社、1997年)が充実している。





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