スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

社会派、人間派、エンターテイナー、そして?

NHK衛星放送第2で流れた『逆境を力に変えた熱血監督~山本薩夫生誕100年~』(2010年8月2日放送)という番組の、DVD録画を友人からいただき視聴した。去年の秋にわたしは、山本薩夫の映画『不毛地帯』について触れたが、今年は山本の生誕100周年ということで、今月上旬に衛星テレビでの特集が組まれ、その解説番組として放送されたものである(注1)。60分という枠に、主演級俳優(仲代達矢、三國連太郎)、批評家(佐藤忠男)、後進の映画監督(後藤俊夫、行定勲)、二人の息子(山本洋・駿)、甥(山本學/朗読のみで出演)、プロデューサー(宮古とく子)にわたる幅広い人々を登場させており、単なる紹介番組というレベルを超えて、この点ではなかなか見ごたえのある内容であった。個人的には、仲代・三國という名役者からの親愛の情あふれるコメントが特に好ましく思われた。


その一方で、番組全体の語り口は、いかにも「現代日本」的なものを感じさせる出来ばえではあった。たとえば、そのあまりにも『プロジェクトX』的なノリである。「長い長い不況の中、抜け出す道も見つけられず、なんだかあきらめムードが漂っていませんか?」というナレーションで始まり、「でも山本監督なら、“負けるな、逆境こそチャンスだ、苦労の先にはきっと明るい未来がある”と、笑うことでしょう」と締めくくられるその流れ。「独立プロ」を今でいう「ベンチャー企業」とし、監督を「インディーズ作家」(「インディペンデント作家」ではない。行定氏の言葉)とするその把握。これらにはある意味、「現代にも通じる存在」として山本を評価しようとする意図が表れていると言えるのだが、実際になされているのはむしろ「現代」と「過去」との巧妙な切断であり、「現代」の間尺に遭わないとみなされた「過去」の要素の消去である。すなわち、第二次世界大戦後の山本が一貫して共産党員であったことは一切触れられないのである。「共産党」という言葉に対する放送コードがNHKの衛星放送にあるのかは知らない。諸君もNHKニュースの自民党/民主党専属広報室的性格はよく御存知であることと思うし、彼らから「党員芸術家」として山本がいかに偉大であったかを熱弁される必要もないが、少なくともこの番組で幾度も強調されている「社会派」としての山本の姿勢は、彼が共産党員であったことと本来切り離せるものではない。「逆境」や「苦労」は多かれ少なかれ労働者市民が抱えているものであるが、彼は無色透明ではない「逆境」や「苦労」も背負って生きた人間であった。1946-1948年の東宝争議で馘首(厳密には「自主退社」)され、以後十数年にわたり映画企業からパージされたのは、会社側から組合活動が「アカ=犯罪」として憎悪されている中で、彼が組合活動に参加する実際の共産党員だったことが非常に大きい(注2)。


もう一つの「現代」と「過去」との巧妙な切断は、山本の円熟期を語る番組後半の軸足が、小説家の山崎豊子との「人生最高の出会い」に置かれていたことである。番組前半には、山本の没後に出版された自伝『私の映画人生』(新日本出版社、1984年)からの一部朗読がされるが、この自伝にも記されている『不毛地帯』の映画化をめぐる小説家と映画監督の対立――主にはシベリア抑留のとらえ方をめぐって――については、まるで何もなかったかのようなのだ。映画『不毛地帯』からの映像のピックアップの仕方や、「当時はまだ、シベリア抑留の悲劇は広く知られていませんでしたが……」というナレーションは、少なくとも山本が自伝で解説した意図とはかけ離れたものである(注3)。より驚かされたのは、あまり体調がよくなさそうな山崎氏がわざわざカメラの前に立ち、監督との麗しかりし友情関係について語ったことであった。山崎氏によると、山本は彼女に「社会派と何派とかそんなものないです、僕たち人間派だよな」と言ったというものの、本当に山本がそんなことを言ったかは不明である。同姓で同世代の宮古氏の映像と比べて、彼女の雰囲気もしゃべりも明らかにおぼつかなく、それに対するフォローもないので(同番組では、山本駿氏の発話に際しては「手術のためお声が出にくくなっています」と注釈がなされていたのだが)、いろいろ自分に不気味な想像をもたらす――以前わたしは山本が原作に対して行った「換骨奪胎」を評価したが、彼女はそれに対する壮大な復讐として、原作の改変をなかったことにしているのではないか。それとともに、自分の名声を維持するため、かつて対立した人物の名声がまだ利用可能ならば、対立すらなかったふりをして活用しようとしているのではないか(注4)。


2005年に、山本の『戦争と人間』三部作を見直したというある映画批評家は、「その意味の深さ、日本映画が持っていた力の大きさ、出演人の偉大な実力に頭を下げさせてもらいました」としつつ、極めて不気味に響く言葉を記している。すなわち「もう今の時代、2度とつくる事の出来ない(体力体質の問題ではなく、この作品の持つ考え方を今の日本がスンナリと許すとは思えないのです。小泉政権のもとで……)」と(強調は引用者/注5)。これに加えて言えば、財閥支配と結託した膨張主義への批判、中国・朝鮮の抵抗者たちの称揚、数々の戦争犯罪の描写といった、かの映画に含まれた要素を「許さない」のは、小泉政権だけではないだろう。安倍政権、麻生政権、鳩山政権、菅政権……しかし、山本を「許す」人々にも別の問題が存在する。『逆境を力に変えた熱血監督』という番組は、共産党員としての経歴の抹消や、自己の名声を誇示するかつての「盟友」の発言に大きく寄りかかることで、結果として山本を「許さない」人々が形成してきた「現代日本」の意識の範疇に収まるように、すべてを切り縮めているのである。山本の作品に否が応でもにじみ出ている「イデオロギー性」なり「党派性」――これらによって彼の映像表現が、しばしば稚拙なものを含んだのは確かだが――を遠心分離機にかけ、純粋な「作家性」なり無色透明な「社会派」の要素だけを取り出そうとするのは、おそらく山本作品の持つ要素を評価する人々の「善意」でなされたことであるがゆえに、まさしく問題がある。彼の「社会派のエンターテイナー」としての力を誰もが強調するし、その「エンターテインメント」を誰もが十分に享受する。しかし、その「エンターテインメント」の持っていた「考え方」が享受者に理解されないとすればどうであろうか。「考え方」の母体が破壊されること、「考え方」の先にある行動の指針が誤魔化されることを、この映画作家は決して望んでいなかっただろう。「再評価」とは、先人の時代や「考え方」を綜合的に理解し、それを踏まえて先人の先へと進むためのものでなくてはなるまい。





(注1):ただし友人によると、今月上旬に放送されるはずだった作品の半分近くが、国会中継のおかげで9月に放送延期になった。「愚昧な国会中継など流すくらいなら、エンドレスで『金環蝕』でも流せばいいのだ」と友人は息巻いていたが、あの作品の「国会審議」における三國連太郎と嵯峨善兵の演技のやりとりを延々見続けるのは、よほどのマニアでなければつらいことであろう。ところでこれは関東の話だが、同じ9月の上旬に池袋の「新文芸坐」で山本作品の回顧特集が行われるそうなので、在住の方は是非スクリーンへ足を運ばれることを願う。


(注2):時間枠の問題もあったろうが、アジア・太平洋戦争期の山本が国策映画の制作に携わっていたことにも、一言あってしかるべきと考えた。というのは、その製作者である山本が戦後共産党に加わったことは、「勝ち馬に乗る」行動であるとして、しばしば批判(の体をとった当てこすり)の対象になっているからである。だがそもそも、共産党がいつからいつまで持続的に「勝ち馬」であったと言えるか疑問である(全盛期にすらこの党は、国会議席の10パーセントも占められなかったのだ)し、彼が「勝ち馬」に乗りたいだけの人間だったら、レッドパージの際すぐに「馬」の乗り換えが出来たはずである。東宝争議の指導者であった伊藤武郎は、新藤兼人『追放者たち 映画のレッドパージ』(岩波同時代ライブラリー、1996年)の解説対談の中で、山本や黒沢明(『翼の凱歌』(1942年)の脚本家として山本と協働)らは、旧来の映画企業にあった様々な制約の内では国策推進に抵抗し得なかったことへの反省から、経営や作品内容に対する権利要求を含めた争議に邁進していったのだとしている。山本の「逆境」や「苦労」は、まずはこうした文脈を踏まえてとらえられるべきであろう。なお、伊藤の指摘した点を含めて、映画人にとっての東宝争議の意義を学術的に論証したものとして井上雅雄『文化と闘争:東宝争議 1946-1948』(新曜社、2007年)という大著があるが、これも地味ながら面白い本である。


(注3):これは最近読んだのだが、山本は自伝以前にも「映画表現論」という一文で、制作の過程で発生する問題をどう乗り越えるかを『不毛地帯』のそれを例に説いている(山田和夫監修『映画論講座』第1巻、合同出版、1977年)。彼はここでも山崎氏との衝突について触れているのだが、その語りのニュアンスは7年後の『私の映画人生』とほぼ同じで、作家との距離が垣間見えるものである。つまり、映画『不毛地帯』の撮影時から山本が亡くなるまで、山崎氏との実質的な和解はなされなかったとみてよいのではないか。


(注4):番組の最後にも山崎氏は、山本が亡くなり「もうこれで私の小説は映画にならないと思った」というコメントを発している。しかし山本の死後も、続けて山崎作品がどれもこれも映像化されるのを「我々」はいくらでも見ているし(つい最近もフジテレビで『不毛地帯』をやった!)、彼女は『沈まぬ太陽』の映画化に際して「この作品の映画化を見るまでは決して死ぬことは出来ない」とも言っていた。自分の小説が映画になるのを当然視するというのも信じがたいが、そもそも小説家にとって、小説は映画のモトネタでしかなくてもよいのだろうか? この辺りからもわたしは、山崎氏に対し、最後に残された誠実な証言者の姿を見出すことは出来ない。むしろ彼女にあるのは、老いてなお尋常ならざる自己顕示欲である。そしてそこからは、自己の妄執的観念を広めることに囚われた歴史修正主義者の姿すら連想させられてしまうのである。



(注5):おすぎ『愛の十三夜日記』(ダイヤモンド社、2005年)。





[追記:初出の際、注1にかかっていた新文芸座へのリンクを外した。更新されるスケジュール表につないでいたので、特集の部分が流れてしまったためである。(2010年10月21日)]




スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。