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引用(13)

「非理性的」(イラショナル)だとか「納得的」(リーゾナブル)だとかという評価は、思想に対していつでも成立ち得る。けれども「過激」とか「穏便」とかいう評価は思想それ自体に対してはそもそも起こり得ないものなのである。そうした評価はある人の思想表現の仕方についてか、または――より広く言って――特定の一時的社会状況における思想の社会的機能についてだけ言えるに過ぎないものなのだ。表現上の配慮や社会的機能が考慮に値しないなどと言っているのではない。それはそれで大切だけれどもそれが思想それ自体とは別の事柄に属するということを知るのはもっと大切だと言っているのである。日本の「リベラリスト」が自由を社会的に作るためにラディカルに闘うことができなかった思想的理由の一つはこの区別を知らなかったことにある。「過激」といわれる道を避けて「穏健」といわれる道を選ぶその配慮だけが「自由主義」だと思っている人は、果たしていないか。「自由主義」が左と右の単なる物理的中間地点を意味するだけのものならそういうことになるだろう。


藤田省三『転向の思想史的研究』


※原文における強調の傍点は太字に直した。




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