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「中東革命」は誰のものか、または匪賊対革命ごっこ(補足)

リビアについての話は前回までで終わりにするつもりであったが、イタリアがリビアへの空爆に新たに加わるという報道を見て、補足的文章を書かなければばらないと感じた。またイタリア共和国憲法の第11条が、自衛戦争を含めた「国家の交戦権」そのものは否定していないものの、「国際的対立の解決の手段としての戦争を放棄する」ことを謳っていることを書き忘れていたのも不覚である(注1)。日本に比較的近い憲法を有するこの国の動きが示唆することは大きい。ここでは、イタリアの平和運動団体「ピースリンク」(2004年度までの情報に限られるが、英語による自己紹介もある)の代表者の一人であるAlessandro Marescottiによる、簡潔な問題点の整理を紹介するという形でそれに代えさせていただく。マレスコッティ氏によれば、今回のイタリアの動きは、そもそも自国の憲法の枠ばかりでなくNATOの出動要件すら超越しており、それを支持できること自体が「まことに信じがたい」。特に今回の拙訳は突貫工事につき、これまでにもまして文章が危険な可能性があるが、誤訳については例によってこちらを参照のうえこっそり通報していただきたい。


http://www.peacelink.it/editoriale/a/33892.html


―――――


ピースリンクの声明】

「リビアに対するイタリアの爆撃:新たな憲法違反」



国連決議とイタリア共和国憲法第11条を侵犯する軍事作戦への、ナポリターノ、ベルルスコーニおよび民主党による重大な支持


4月26日  
アレッサンドロ・マレスコッティ





4月25日、ベルルスコーニはレジスタンスの記念式典(注2)には参加しなかったが、哨戒活動から空爆へと移る必要があると言明した。


今日この新しい軍事活動という選択肢――アメリカ当局に催促された――を、ナポリターノと民主党も容認している。


まことに信じがたいのは、このような選択が、国連の場で共有されていることに反して、何ら民主的な協議もなしに、政府首脳間での電話によって決定されたらしいということである。


国連の名において――その憲法〔基本理念〕に基づき――戦争の惨禍を回避することを求める声明を発表していた人々が、排除されているのである。


まことに信じがたいのは、マリーナ・セレーニ(民主党)が発したような声明を目の当たりにすることである――「首相が明言したリビアにおける軍事目標への爆撃に参加するという選択は、我々がNATOへ参加していることによって義務づけられている結論であり、この領域におけるイタリアの地理的戦略の役割とも一致している」(注3)


NATOへのイタリアの所属が想定しているこうした義務とは、NATOに所属する一国が軍事的に攻撃を受けた時にのみ開始されるものであるから、これは実のところまったくの嘘である。


そして重大なのは、ジョルジョ・ナポリターノ共和国大統領がこう発言していることである――「リビアにおけるイタリアの今後の義務は、私が座長を務める国防最高会議において確定し、その後国会において十分な同意が確認された路線に従い、3月にイタリアがなした選択の自然な発展を形成することである」。


ピースリンクは市民社会へ訴える――世論は爆撃と戦争に同調しないことができるし、そうしなければならない、と。いかなる国連決議も、イタリアが爆撃することを科してはいない。国連決議が想定しているのは「飛行禁止区域」だけである。


その他のあらゆる行動は、新たな犠牲者を呼び起こす可能性を別にしても、我々の憲法の第11条における「戦争の放棄」の侵犯である。同条項の第2節では、イタリアは「国家間の平和と正義を保証するような規則に必要な、主権の制限」を想定している。つまり想定されているのは、平和という目的のための超国家的組織への参加であり、戦争をするためではもちろんない。


国連の目的は戦火を消させることであり、リビアにおいて対立する二者のうちの一方を勝たせることではない。


国連決議とイタリア共和国憲法第11条を侵犯する軍事作戦への、ナポリターノ、ベルルスコーニおよび民主党による支持は重大である。


イタリア人民、市民社会の責務は、外国へ軍事干渉するという何らかの野心がイタリアにおいて復活することのないよう1945年4月25日以降に定められた、国民的アイデンティティの基本的な結節点に対するこうした冒涜に対し、同調しないことである。かつて数十年にわたりイタリアの政治的諸勢力は、戦争の舞台におけるいかなる爆撃行為からもイタリアを外に置くという点で合意していた。しかし今日、我々の民主主義の基盤と共和国の理念を定めた、こうした憲法の伝統に対する重大な違反が進行中なのである(注4)。


我々の責務は、我々の憲法に書かれているものの今日では踏みにじられている、こうした平和と民主主義の価値を証明し、再び獲得することにあるのである。



―――――





(注1):以下、イタリア政府の公式サイトに掲げられている条文からの、第11条の拙訳を記す。もちろん、内容の高度な正確さを求める諸君は各自専門書をひもとかれたい。


イタリアは、他人民の自由を侵害する道具、および国際紛争の解決の手段としての戦争を放棄する。他国と同等という条件において、諸国間の平和と正義を保障しようとする機構に必要な、国家主権の制限を受け入れる。このような目的に向かう国際諸機関を、促進し支援する。


(注2):第二次世界大戦以降のイタリアでは、4月25日をファシズム/ナチズムからの「イタリア解放記念日」として公的祝日としているが、ベルルスコーニ首相および「中道右派」議員の一部は、こうした「解放」規定そのものを左派の広めた虚偽であると嫌悪し、行事も拒否している。今年も各地で記念式典が行われたが、ローマにおけるそれにナポリターノ大統領とともに出席したのは、リビアへの介入推進派であるイニャツィオ・ラ=ルッサ防衛大臣であった。


(注3):なお、こうしたベルルスコーニ首相の意向に対し、彼と連合政権を組んでいる右派政党「北部同盟」は反発している。彼らの反発の理由はというと、この戦争は金がかかり割に合わないし、何より自分たちの大嫌いなアフリカ移民の流出を規制していたカダフィ政権がなくなり戦争難民までうじゃうじゃやって来ては困るといった、実に人種主義的で身勝手なものではあるのだが、前回の記事で引用したブリクモン氏ふうに言えば、彼らとベルルスコーニ派の離間をさらに広げることで、具体的にイタリアの戦争参画を防ぐことは決して間違ってはいないと思われる。北部同盟より人種主義的でないことを実証するための手段として、どうして「空爆への賛成」が有効なのであろうか?


(注4):特に1925年生まれのナポリターノ氏は、1943年から1945年にかけての対ファシスト・パルチザン戦争を実際に戦った世代の――おそらく最後となるであろう――大統領である。その彼が「我々の民主主義の基盤と共和国の理念を定めた、こうした憲法の伝統に対する重大な違反」に手を貸そうとしているというのが「重大」なのである。つけ加えると、かつてナポリターノ氏は、パルチザン全体の中でも最も活動的であった旧イタリア共産党の幹部であり、1970年代には一連の「ユーロコミュニズム」路線を進めた一人であった。イギリスの歴史家(として著名であり、また共産主義者でもある)エリック・ホブズボームによる彼へのインタビューは、日本でも『イタリア共産党との対話』(山崎功訳、岩波書店、1976年)というタイトルで出版されている。しかし現在の大統領、およびイタリア共産党改め左翼民主党改め左翼民主派改め民主党の醜態を見ていると、かつての「ユーロコミュニズム」のなれの果てがこれかと言いたくもなる。ロシア革命の勃発した1917年生まれのホブズボーム氏はいまだ健在のようだが、現在のナポリターノ氏についてどう考えているかについては定かではない。





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