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21世紀の「社会ファシズム論」

1920年代、コミンテルンの共産主義者たちは、第一次世界大戦の戦場に各国の労働者大衆が大量に送り込まれ、むざむざと殺し合うのを止められなかった社会民主主義者たちに反発し、その本質が何ら資本家と変わらないのではないかと激しく攻撃していた。特にドイツにおいては、大戦後に発足した社会民主主義政府が旧来の軍人・官僚・資本家を排斥しなかったゆえ、この見解は力をもった。1929年、世界恐慌をきっかけにドイツ共産党は勢いを強め、ロシアを上回る先進工業国における社会主義政府成立への機運が高まったが、選挙では同時にナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)も勢力を伸ばしていた。ここでコミンテルンは、ファシズム勢力の政権獲得を補完するのは社会民主主義勢力であると完全に定式化し、ほとんどナチスより社会民主主義者を第一の敵として活動するようドイツ共産党に指示した。世に言う「社会ファシズム論」である。


この「社会ファシズム論」はすぐに悪評を得る事となった。結局ドイツ共産党が、1933年1月のナチスの政権獲得を防げなかったばかりか、その翌月には国会議事堂への放火の汚名を着せられ、三桁に及んだ国会議席や大統領選で党首エルンスト・テールマンに集まった400万票が嘘のように、あっけなく壊滅してしまうためである。理論の標的だった社会民主主義者、また自由主義者や保守主義者の一部は、ワイマール共和国は共産党とナチスに左右両極から攻撃されて倒壊したと見なし憤激した。トロツキー主義者や無政府主義者も、コミンテルンの無能を非難した。コミンテルンの内部においてすら、自身の指導が「教条主義」による大失敗として問題視されるようになり、それが1935年からの「人民戦線論」の提唱につながっていく(注)。そしてこのような評価は第二次世界大戦後も変わらず、各党派はそれぞれの立場から理論の政治的失敗について言及し続ける。


ところで、ここしばらくの佐藤優は、ロシアおよびイスラエルについてのみならず、ファシズムについても専門家として振る舞い、特にイタリアのファシズムの「魅力」について熱く語っているようである。佐藤氏は、ファシズムの本義は、資本主義的システムを維持しつつその弊害を除き、国民を「束ねて」(「統制して」ではない)、一国単位で社会格差の縮小に努めるものであると繰り返す。わたしは「ファシズム」というタームをこのように要約した社会科学の辞典をいまだかつて見た事がないが……諸君、これはむしろ「社会民主主義」についての記述ではあるまいか?


実際彼は、『月刊日本』あたりで「蘇れ! ファシズム」と獅子吼する一方で、『世界』や『週刊金曜日』あたりでは「私は右翼だが社会民主主義を擁護する」という趣旨の甘言を語っている。この辺りから、佐藤氏にとっての「社会民主主義」は「ファシズム」であると受け取っても一向に差し支えないと思われる。これは21世紀の「社会ファシズム論」なのであろうか? ただしそれはもはや、共産主義者が社会民主主義者を「左から」攻撃するための定式ではない。自分を右翼と明言している人物が、社会民主主義者を「右から」包摂するものである。無論これは、現代日本に一本筋の通った「社会民主主義」の「イデオロギー」を保持している人間がいればの話であって、実質的にはそれよりアヤフヤな「リベラル(左派)」ないし「市民派」を標的としたものと言えよう。


佐藤氏の概念操作の奇妙さに疑問の一つも出せないだけでなく、喜んでそれを受け止めるのだとすれば、現代日本の「リベラル(左派)」ないし「市民派」は往時のドイツ共産党に似てくる。ファシズムと社会民主主義の両者に何らかの相違があるという見当が自前でつかず、権威とされる(自称する)存在のご託宣に唯々諾々と従うという点で。しかし現代日本の「リベラル(左派)」ないし「市民派」の場合、自分が何者なのかすらよくわからなくなっているのではないか。共産主義者には上意下達の問題があったが、現代日本の人々の場合は、その原理が本来相容れないはずの外部の、中でも最もいかがわしい雰囲気を持つ人物に、自身の陣営の知的・精神的基盤(安泰)を全面的に担保してもらっているのである。「左翼」ばかりか、「市民」がこれをいぶかしく思ったとしても文句は言えまい。ドイツ共産党員は、ナチスの側から「君たちは我々と話し合いができますよ」などと、自身の存在を認可してもらう必要を絶対認めなかっただろう。


と、ここまで書いてさらに思いついたのだが、ひょっとすると1920年代のドイツにも、社会民主主義とファシズムを一つのものとして、両者の運動に寄生し生き血を吸っていた佐藤氏のような政治批評家が存在していたのではなかろうか。もしこの想像が当たっているとすると、少なくとも純理論的には80年前の「社会ファシズム論」は根拠があった事になり、コミンテルンがそれを提唱するにあたって最終的に裁決を下したであろうところのヨシフ・スターリンも正しかったと言う事も出来るようになる。「あの」スターリンが。なんたる事であろうか。





(注)現在の日本で「人民戦線」的なものの樹立をより熱心に唱えているのは、共産党でも社民党でもなく「リベラル(左派)」ないし「市民派」のように思われるが、彼らは「話の分かる保守」を仲間に組み込まないと話にならないとやたらに考えているようである。しかし、1930年代のフランスやスペインにおける人民戦線政府の瓦解には、共産主義者と社会民主主義者の対立もさりながら、「ブルジョワ的」な勢力の動揺と離反もまた大きくあずかっていたのではないか? 大衆的左翼が「反ファシズム」のための結集軸を「階級」でなく「国民」に置いた事に対する、当時のトロツキー主義者や一部の無政府主義者の批判については、再考される価値がある。

[※誤字・文意の曖昧な部分を一部修正した(2009年5月16日)]
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