スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「中東革命」は誰のものか、または匪賊対革命ごっこ(補足+++)

イタリア植民地史の最長老、アンジェロ・デル=ボカ氏による奮闘が続いている。今回取り上げたいのは、デル=ボカ氏と有志の新たなアピール「リビアへの侵略を止めよう!」についてである。「『中東革命』は誰のものか」シリーズの「その4」でわたしは、彼を中心とする歴史家とジャーナリストが「人道的介入」開始前後に、「リビアにおける軍事干渉への反対」を発表したことをすでに紹介したが、今回の声明は「主権国家に対する介入」への慎ましい批判を超えて、西欧諸国当局及び情報産業による「虚偽の情報」の流布について明言し、戦争のあり方に無関心な「我々」、すなわち自国民の責任により踏み込んだ内容となっている。原文は、同シリーズの「補足+」で紹介したイタリアの情報サイト「メガチップ」に6月13日づけで掲載されている。


http://www.megachipdue.info/tematiche/guerra-e-verita/6322-fermare-laggressione-contro-la-libia.html


―――――


リビアへの侵略を止めよう!

2011年6月13日



侵略を止めよう!


完全な非合法性とともに開始されたリビアへの我々の戦争は、その中で続いている。


我々が国連安全保障理事会の決議に基づいてなしたことは国連憲章に違反している、なぜならリビアはまったく国際的な平和と安全を脅かしてはいなかったからである。


我々がなしたことはまったく立証されていない虚偽の情報の波に基づいている。すなわち1万人の死者も、新設の共同墓地もなく、市民のデモに対する爆撃すら存在しなかったのである。


我々が参加している、無数のNATOの爆撃作戦によって、すでに数百人の民間の死者が生まれている。我々は彼らを殺害しているのであって守っているのではない。


内戦に介入した我々は、一方に対抗するもう一方の側を支持していながら、自分たちが支持すると言及している人々が何者なのかすら知らない。また我々は反乱勢力に数千万ユーロもの資金を提供している。こうしたことのすべては、国連決議の中に何ら書かれていないことである。我々が狙っている主権国家の首長の殺害という行為にはいかなる正当性も存在しない。そして、すでに彼の息子の一人になされているこうした暗殺を、我々の同盟者である西側諸国の指導者たちは公然と望み賛同している。我々は緩慢な野蛮への回帰を助長しているのである。


このような不名誉な態度による恥辱は、イタリアのすべての政治勢力に斉しく与えられなければならない。抵抗しようと湧き上がる声はほとんどまれである。平和主義は不活発であり、このことにもまた黙りこんでいる。


しかし我々は、これらすべてを沈黙のうちに受け入れることはできない。我々の憲法をまたも侵しつつ、我々の名のもとに殺してはならない。


我々には声〔影響力〕はない、しかしなお聞くことのかなう人に語りかけたい。この侵略は終わらせなければならない。


第一次署名者:

Angelo Del Boca/Giulietto Chiesa/Massimo Fini/Maurizio Pallante/Fernando Rossi/Luigi Sertorio/Nicola Tranfaglia/Francesco Badalini/Marino Badiale/Monia Benini/Pier Paolo Dal Monte/Ermes Drigo



―――――


デル=ボカ氏以外の主要な「第一次署名者」――3月の「リビアにおける軍事干渉への反対」にも加わっている――についても一言しておこう。アピールが掲載されている「メガチップ」の主催者であるジュリエット・キエーザは、イタリアの左派系ジャーナリストの老兵として著名である。昨年は日本にも、彼が制作に携わった『ZERO:9.11の虚構』というドキュメンタリーが日本にも紹介され、色々な意味で一部の話題を呼んだ(注1)。長年のロシア取材の経験からミハイル・ゴルバチョフらとの親交を持ち、最近の欧州議会選挙にはわざわざラトヴィアから立候補するなど、活動の幅は広い。一方でマッシモ・フィーニは、自由主義とマルクス主義の両者を頽廃した「従来の左右の枠組み」と断じ、そこから脱却するための「アンチ・モダン」を主張しているジャーナリストである。彼が今年に入って出版した、タリバーンの指導者ムハンマド・ムラー・オマルの伝記は注目を集めたようで、複数の書評が検索できる(しばしば「テロリスト擁護論」として攻撃されており、著者は反論している)。また、マウリツィオ・パッランテは、環境主義者的観点からの「脱成長」理論・運動の推進者として多数の著作がある。


と、ここまで書き終わったところで、また新たにデル=ボカ氏へのインタヴューをしている媒体を見つけてしまった。いわゆる「1968年」をきっかけに生まれた、新左翼系の『マニフェスト』紙の6月16日号である。リビアの事態についての民主党系『ウニタ』紙の当初の報道を見て残念に思った(今ではますます残念なことになっている)という話はすでにしたが、明確に「共産主義的新聞」を自称している『マニフェスト』もまた、リビアへの「人道的介入」に対する姿勢が揺れていなかったわけではない(注2)。しかし実際の介入の開始後は、おおむね戦争への反対論が優勢となり現在に至っているようである。6月に入ってもデル=ボカ氏は、カトリックの布教情報を扱う「アジアニュース」に対して引き続きコメントを発しているから、彼はカトリックと共産主義者というまったく対立する――少なくとも表向きは――両者から同時に意見を求められているということになるだろう。当方の時間がなく、いままでの拙訳の中でもっとも、誤りや含意などが汲み切れていない部分が発生している恐れがある。わかる方には後々ご指摘願いたい。なお、〔〕内には訳の簡単な補足を付した。


http://www.ilmanifesto.it/area-abbonati/in-edicola/manip2n1/20110616/manip2pg/09/manip2pz/305017/


http://www.difesa.it/Sala_Stampa/rassegna_stampa_online/Pagine/PdfNavigator.aspx?d=16-06-2011&pdfIndex=28


―――――


「これは我々が忘れた戦争です」
トンマーゾ・ディ・フランチェスコ



イタリア植民地主義の歴史家、アンジェロ・デル=ボカへのインタヴュー
「カダフィはチェスで遊んでいます、負けていません」




消えてしまった、兆しの変化した戦争がある。国連決議1973号とは何の関係を持たないまま、トリポリおよびカダフィの軍勢に対するNATOの「疲れた」空爆が繰り返されている。つまり、のべ一万回を超える航空作戦と五千回の正規の爆撃がなされている。しかしそれでいて、この戦争の不当性について嘆くという逆説にある――大統領から約束されたような6月19日以降の延長には、過大な経費を要し、国防総省は不賛成――のであり、アメリカにおいては、共和党のスポークス・パーソンであるジョン・ベイナー〔下院議長〕だけでなく、多くの下院議員(民主党を含む)がオバマを告発すると迫っている。そしてイタリアにおいてもまた、この戦争のナンセンスさを道具にした外国人嫌悪的右派は、マローニ〔内務大臣、右派政党「北部同盟」所属〕とともに、統一地方選と国民投票で打撃を受けたイタリア政府のさらに右側において、難民たちを脅しつけるために「爆撃のための金の浪費」を非難している。この「消えた戦争」について、イタリア植民地主義の歴史家でありカダフィの伝記作家でもある、アンジェロ・デル=ボカにいくつかの質問を我々は向けた。




ヨーロッパ・大西洋沿岸諸国のリビアにおける戦争の意味と帰結について、もはや誰も追及しないという事実について、いかにお考えですか?


『LiMes』〔政治問題雑誌、隔月刊〕編集長のルーチョ・カラッチョーロ〔Lucio Caracciolo〕が、この戦争が誤ったニュースとともに開始され、虚偽に満ちた戦争であり続けているといっていますが、彼は正しい。しかし、ここに及んで、どうやってそれから抜け出るかについてもはや誰も分からないのです。多くの犠牲者の後においても。


すでに、毎日、我々は政権支持側と反乱側の戦争の最前線における人々の往来を見続けています。彼らは常にそこ、迫害されるキレナイカにいます。毎晩のように、いまやヘリコプターによって日中にもですが、NATOの空爆がトリポリに鉄槌を下しています。こうしてすでに100日余りが過ぎています。NATOは何度も勝利について報告していますが、後にカダフィの軍勢はブレガから攻勢に転じミスラータに迫りました。結局のところ、軍事的解決とは信じられるものなのでしょうか?


いいえ、信じられません。NATOはこの作戦を掌握し、まるで繰り返すことを強制されているかのように爆撃を続けています。


先週の爆撃は疑いもなく、その主要目標をカダフィその人としていたことを示しています。後からNATOの司令官たちが彼を目標とはしてはいないと言っているにしても「しかし偶然そうなったとすれば、なおよろしい」。担当している大西洋沿岸諸国の将軍ないしは大臣たちの文字通りの言葉です。しかし誰もが、軍事的解決がまったく存在しないことを知っているのです。そしてそれゆえ語られることもほとんどない。彼らはカダフィの周りにわずかな人間しかいないと考えていますが、それは本当ではありません。わたしはここ数日、リビアで暮らしている何人かの直接の証言者と――マルティネッリ・トリポリ司教だけではありません――話をしましたし、『コッリエーレ・デッラ・セーラ』〔イタリアの代表的な全国紙の一つ〕のロレンツォ・クレモネージ〔Lorenzo Cremonesi〕記者のルポルタージュも読みました。彼らはそろって、ある点について認めています。カダフィの周りにはなお、リビア人民の大部分と、各部族をはじめとするその代表者たちがいて、実質的に彼の側へついているということです。なぜならこうした多くの人々は、この40年間に政権の恩恵を受けており、カダフィとその家門の消滅とともにそれらが消えてしまうことを恐れているからです。こうして彼のそばに人々がとどまっています。また、NATOの様々な情報筋が〔リビア軍全体に〕引き起こされた損害について、最初は30パーセントとしていたのが後に80パーセントにもなると不格好にも言いだしたという、100日の爆撃後の事実については説明されません。さらには、なぜカダフィの軍勢がまだ攻勢にあるのかを彼らは説明しません。山岳地域において、チュニジアへの道が開かれたようだとされていることすら、本当ではありません。残る事実は一つだけです。カダフィに資金が残っていないというのは本当ではない、と。


それでは、この件について、政治的解決はおそらく可能なのでしょうか?


私はそうだと考えます。しかし、合意のための介入を、もしくは少なくともその試みをなそうとしていたロシアは、その後行方が分かりません。トルコの試みはすでに失敗しています。わずかな時間で前進している唯一の試みは、南アフリカのズーマ大統領を通じたアフリカ連合のそれです。彼はすでに二度トリポリを訪れカダフィと会談するとともに、昨日はNATOの空爆について「外交的解決を阻害している」と言い、抗議しました。しかし私を驚かせたのは、誰も知らない世界最高峰のチェス・プレイヤー〔世界チェス連盟会長にして、ロシア連邦カルムイク共和国前大統領のキルサン・イリュムジーノフ/注3〕とチェスを指して見せるという、カダフィの落ち着きようです。人物像を大きく見せる、これみよがしな「落ち着き」ではあります。しかし少なくとも、彼は自身の人物像の創造者であるということです。彼が先日言った「生きようと死のうと、私はここにとどまる」という宣言にも裏打ちされています。


イタリアは、当初カダフィに中東全体が「見ならうべき実例」を見いだし、後になってその政権に拘留キャンプを通じた移民の制限を要請し、ついには彼らを爆撃しながら、ベンガジの国民評議会には族長との間に結んでいたのと同じことごとを要求する準備を進めていますが、何者がこのようにさせているのでしょうか。また、何者が中道左派をこのようにさせているのでしょうか?


その人物はすべてを受け入れています。フラッティーニ〔外務大臣〕が資金――誰が払っているのでしょう?――とともに、およそ知られておらずしばしば信頼しがたいベンガジの対話者の所へ走っているのは承知済みです。しかし私が告白したいのは、憲法を守らなければならないはずなのに、逆に少なくとも4つの条文を否定している、共和国大統領の態度にこそ大きく衝撃を受けたということです。私はナポリターノを尊敬していましたから失望しました。ナポリターノの態度については理解できます。政府の波に揺れる状況を見すえつつ、ベルルスコーニとともに「私はこの戦争に本当は反対だった、しかし彼らに引きずり込まれたのだ」と言うことで、アメリカを前にしたこの国の面目を救おうとしているのです。しかし彼は憲法を否定し続けているのです。


アメリカはNATOの同盟国が義務をわずかにしか果たしていないとして叱責しつつ、当の合衆国が戦争の続行について自問していますが、戦争はどのように終わるのでしょうか。


NATOの作戦は3カ月延長されましたが、誰がそれに金を払うのでしょうか? デンマークが姿を隠し、ドイツが不参加を主張する中で、イギリスでは海軍の資金が尽きました。私もどのように終わるか分かりません。カダフィの側からあがる哄笑とともに終わるのか、それとも爆撃の下で彼が死ぬことによって終わるのかも。



―――――


これまでデル=ボカ氏は、律儀に西欧情報産業の報道を押さえつつ、カダフィ氏の命運について予想してきたが、いまやそういった判断のための媒体が戦争勢力からの独立性を見せず、まったくアテにならないことが明らかになりつつある中では、正確な分析など出来るわけがないということであろうか。日本でも、大佐が「70年代にそううつ病と診断され、精神安定剤が欠かせないというのがリビアの医師たちの共通認識」などという「分析」を掲載するブルジョワ・ジャーナリズムもどきがあったが、これは確かに紛争の帰趨について何を語るものでもない(「カダフィは狂人=我が方の勝利は間近」というこの連想装置は、希望的観測と先入観による解釈の寄せ木細工である)。一つの戦争の行方を占うのはもともと困難なことではあるが、そういう次元の話ではないのである。そして、そういった情報を真に受けて、あるいはそうするふりをして、現・最大野党出身の大統領が自国の憲法を率先して破る(デル=ボカ氏とナポリターノ氏は同年の生まれで、パルチザン経験を共有する世代であるから、前者の後者に対する失望の深さは相当なものであろう)という事態は、イタリアの危機的な状況を表す指標の一つかも知れない。


デル=ボカ氏の「我々は自分たちが不当な戦争に参加していることに無関心なのか?」という疑問は、「アジアニュース」でも語られているものである。ベルルスコーニ首相は当初リビア攻撃に消極的態度を見せていたのだが、歴史家によればいまやイタリアの戦費負担率は英・仏と同じ30パーセントにもなっているという。イタリアで6月12日から13日にかけて行われた国民投票では、ベルルスコーニ政権に対する実質的不信任ともみなすことのできる結果が出たが、これは「我々」がどこまで賞賛して、またはうらやんでいいことなのか、わたしは若干疑問に思っている。つまりイタリア国民が、ベルルスコーニ氏の目指すエネルギー政策にノーを言いつつ、リビアでの自国の軍事活動を無関心、ないしは「忘れている」とすれば、それは「危険なエネルギー源はわが国で絶対に使いたくありませんよね。だから石油を小うるさいことも言わず安く配達してくれる人たちがいるといいな。え、空爆? なんのこと?」とでも翻訳できてしまうのではないか、ということである。だとすればこうした国民主体は、NATOが勝利を収めた暁には「カダフィも退治された、我々もベルルスコーニ追放に邁進している、民主化万歳!」と、他国での軍事活動を、自国の「民主主義」と重ねて「思い出し」満足にふけることもできるだろう。二人の「悪党」がいなくなったところでイタリアの知的・道徳的状況は最悪なままであり、リビアの社会生活は崩壊しているという現実だけが残されたとしても。もちろんわたしは「なお聞くことのかなう人」がイタリアから払底してしまったとはまったく考えていない。むしろ「自身の戦争」――直接の武力こそ用いていないにしても――に対する感覚の薄さという点については、「我々」も思いださねばならないことがたくさんあるはずである。





(注1):わたしはこの映画の公開を見ていない。映画の感想や評価をインターネットで探したところでは、作品における立証の問題点を逐一指摘しているものがいくつかあった。それらを読んだ限りは、「アメリカ当局やその下にある情報産業の発信には、様々な矛盾や不可解な点がある」というところまでは認められるにしても、同時に推測されている「真相」の間には、なお橋渡しされなければならないものが多すぎるといったところであろうか。ただわたしがこの映画を見なかったのは、そうした「陰謀論」的要素が問題だと思ったから――映画の紹介者によってその印象が増幅されている可能性は指摘しておきたい。訳者のデータからするに、翻訳はイタリア語からのものではなく重訳であろうし、映画の題名のより正確な訳は『ZERO:9.11についての調査(inchiesta)』となり、「虚構」ではない――ではなく、「9.11事件そのものは歴史の転換点ではありえない」と考えており、興味が湧かなかったためである。アフガニスタンやイラク戦争にはまったく反対で、その責任者連中にしかるべき裁きを食わせるまで永遠に追及がなされるべきだと考えているのだが、たとえ2001年の事件がなかろうと、アメリカおよびヨーロッパのいくつかの強国によるNATO外への猛烈な介入政策はエスカレートしていたのではないかということである。つまり、より問題なのは1989年と1991年であり、冷戦に勝利した(冷戦は「終わった」のではなく、「勝った」側と「敗けた」側があったのである)諸国が、「自由」と「民主主義」を自在に輸出可能になった時点であろう。「かつてユーゴスラヴィアやアフガニスタンやイラクへの空爆に反対していた人々の多くが、リビアに対しなぜ金縛りになっているのか」という疑問も、このあたりから考えなおさなければならない。


(注2):たとえば同紙の創刊メンバーの一人であり、現在も言論活動を続けているロザンナ・ロッサンダ(Rosanna Rossanda)は、積極的な介入の必要を読者に訴えていた。


(注3):諸君の中にも「この名前、前にどこかで聞いたことがあるな」と疑問を持ち、インターネットで検索をかけ、そしてイスから転げ落ちた人は少なくないと思う。わたしにとってもまさに「未知との遭遇」であったが、この二人の謎の交友(ところで勝負の結果はどうだったのだろうか?)について、「民主主義」に対する理解のかけらもない蛮人どもの遊びとして笑うのは完全な誤りである。たとえば、目下リビアを空爆中のフランスでは、大統領選挙の出馬予定者がアメリカで婦女暴行にかんする容疑により逮捕されている。この人物の経歴からして、「社会党」がなぜ擁立しようとしていたのかという根本的な疑問もあるのだが、それはさておき仮にこの容疑が真実だとしたら、フランスはどうしようもない下衆が大統領を狙う地位につけてしまう程度の「民主主義」であることになるし、逆にこれがサルコジ大統領らによる「陰謀」による冤罪であれば、そのようなチェス・ゲームがまかり通るところに「民主主義」はありえない。そういう人々が真面目に「民主主義」をリビアに輸出しようとしていることこそ、本来『ムー』あたりが取材すべき宇宙の神秘ではあるまいか。





スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。