Déjà vu/Jamais vu(2)

前回紹介したMarinella Correggiaの文章においては、世界的に流布している「シビア」や「リリア」に対するあまりにも一方的な報道へ対抗するものとして、英語およびイタリア語の記事がいくつも引かれている。その補足としてここでは、彼女の引用したうちでも一応メジャーな媒体の一つである、イタリアのキリスト教系日刊紙『アッヴェニーレ〔将来/未来〕』の記事を取り上げておきたい。『アッヴェニーレ』はキリスト教系の中堅紙(およそ10万部超、イタリアの新聞としてはほどほどの規模)として知られているが、同紙の2012年4月11日号に掲載された、シリア在住のイタリア人の一団によるこうした「証言」からは、「民衆デモ」を明らかに超えた軍事的内乱状態に、外部からの「人道主義的」な経済制裁が課されたことによって、かの国の混乱がさらに増大していることがうかがえる。なお、文章のまとめ手として記事の末尾に名前が出ているGiorgio Paolucciは、ネット上で拾える情報によれば同紙の編集長(caporedattore)とのである。


http://www.avvenire.it/Mondo/Pagine/i-ribelli-ci-uccidono.aspx





『アッヴェニーレ』
2012年4月11日号


証言――「反乱側が私たちを殺す。軍に残っていてもらわねば」



私たちは優に7年はシリアに住んでいて、この国とその人々を愛しています。私たちは、西側が自分の手を汚さず、それでいて他国民の歴史を演出するための、最も不当な兵器の一つである国際的な制裁措置を支持するようにと、ヨーロッパで広められ世論を形成しているある種の情報に対し、憤りと無力感を感じています。ヨーロッパの手がきれいなのはある程度までです。ゲリラ戦の活動を組織するために蜂起の側へ与する、イギリス、フランス(またその他の国々の)の軍事人員の存在の報告が急増していますが、これは沈黙のうちにまかり通っている重大な国際法違反です。シリアの人々の「春」を助けるための署名と資金が集められました。


しかし――まったくの善意で――シリアの「解放」に力を貸し支持する人は、彼らに武器をもたらすことで、非人間的な殺人者たちに資金を提供し、情報の操作に寄与し、元に戻るまで何年もかかる市民生活の動揺を助長していることを知るべきです。共存が日々の糧であった一国の均衡をひっくり返しているのです。現実を知らずに干渉をすることで、我々は自由の身ではなく、自分たちを誘導している他の利害関係のために機能しているのです。


私たちの課題は、シリアでの事態のグローバルな社会的―文化的解釈を提供することにはなく、それは別の人たちが私たちより上手にやっています。本当に望む人は、オルタナティヴな情報を得ることだって可能です。私たちがただ語りたいのは、住んでいる田舎の小さい村、ここで目に映るできごとについてです。ほとんど毎晩、小さい駐留地にいて警戒にあたっている兵士たちは攻撃されています。一帯に現れる反乱者からも、正規軍を圧倒し武器と戦士の流れるルートを切り開くというもくろみで、シリアの国境を通過する傭兵団からもです。軍は応戦しているか? その通り、そしてそれに人々は満足している、なぜならこの国に武器と傭兵がすでにあふれているからです。


正規軍が撤収するようにという最後通告の期限が切れようとしていますが、ここにそれを望む人は誰も――文字どおりの意味で――いません。人々が安全を感じるのは軍がいるときだけです。市街において、村落において、路上において、いわゆる解放者によりすでになされている暴力は多く非常に野蛮なものであり、人々はただ彼らが敗北するのを見たがっているだけです。乱行は続いています。殺人、家屋や財産の徴発ないしは放火、人間の盾としての大人や子供の利用です。反乱側は道路を封鎖し、市民の自動車に発砲し、強姦し、犠牲者たちから金品を強奪するため誘拐や殺人を行っています。作り話でしょうか? 聖金曜日〔キリスト教における復活祭の前の金曜日、2012年度は4月6日〕の夜、私たちの住む所から遠くないところで、彼らは青年一人を殺し二人を負傷させました。彼らは復活祭を祝いに家に戻るところでした。死んだ青年は30才で、私たちの村の者でした。私たちの間で生命を落とさなければならなかったのは彼らが最初ではありません。今では買い物に行く、または働きに行く前に、地域を軍隊が監視しているかどうかを確認します。私たちに起こった事件としては、3時間の銃撃戦によってある高速道路の区画内で足止めされ、暴徒の射撃からドライバーが通過できるよう、戦車の隊列が守ってくれてようやく再出発できたということがありました。


こうしたことについてなぜまったく語られないのでしょうか? つい先日のアレッポ〔古来からのシリアの大都市〕のように、あちこちに潜伏している殺し屋のようなたくさんの兵士についてなぜ語られないのでしょうか? 厳しい事例はいくらでも指摘できるでしょう。私たちの工員の兄弟は、ホムスで反乱側にほかの市民と投獄されましたが、すでに死んでしまったと思われますし、それにもかかわらず私たちの村の家族の二人の父親は、置き去りにされてしまった人のためのパンを買って分け与えるために、暴徒のあるホムスにとどまっています。しかし、ここで私たちが強調したい問題であり、皆さんに動いてくれるよう求めたいのは、国際的な経済制裁のそれについてです。代償を払っている、今後はさらなる代償を払わなければならないのは、貧しい人々なのですから。
働き口はなく、生活必需品もなく、家畜や卵のような特産品の搬出もできず止められています。そうして、残る希少品が、法外な値段で売られるのです。


緊急な必要物資の中には、赤ん坊のためのミルクがあります。カートンあたりの値段は二倍、250シリア・ポンドから500に(日雇い男性労働者一人当たりの賃金は700-800シリア・ポンドです)。家畜のエサが足りません。入手可能なわずかな既製服は650から1850シリア・ポンドへと跳ね上がりました。特殊医療品は欠乏し、反乱側がいくたびも発電所と送電線を爆破したので電気も足りません。燃料がない(この年の冬は非常に寒かった)のは、もはやシリアは自国の原油と製油を取引することができないからです。だからトラクターも止まったままで、地上を走ることもできません。ゴミ収集のトラックすら動けません。燃料がないとポンプが動かないので、水についても支障が出ています。私たちの村とその近辺――同じ井戸を使っています――は、一週間に一度、それも3-4時間しか水を得られません。将来的には本格的な飢饉の危険があります。もうすぐ小麦が尽きるので、貧しい人々に対し、今のところ政府が公定価格で分配できている、唯一の栄養物であるパンもまた尽きるでしょう。そして、赤十字が援助品を持ちこめないことについて抗議されています。赤ん坊のおむつの運び込みまで経済制裁の対象だなんてありえるのでしょうか?


こうしたすべてはまったくの不正です。武器をもっている政府の転覆に成功しないので、人々を苦しめ憤慨させることでそれを達成しようとする。まさに、これこそが制裁のロジックです。しかし、国民の大多数は――好むにせよ好まぬにせよ――状況の暴力的な変更は望んでいないので、こうしたシステムが本当の蹂躙行為となるのです。私たちは、経済制裁と干渉を停止するため何かをしてくれるよう強く訴えます。それでこそ多くの称賛を受けている我々の民主主義が、人々の本当の幸福に役立つ力を示せるのではないでしょうか。



シリアに在住するイタリア人グループ
(証言収集はジョルジョ・パオルッチ)








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