「墓場の平和」賞

もう一月ほど前の話だが、2012年度のノーベル平和賞がEUに与えられたという報道があった。以前この賞については、わたしもちょっとした「メルヘン」が脳裏に浮かんだことがあり、この「手帖」にも書きとめたことがある。しかし今回の受賞の状況は、よく言ってお手盛り、端的に言って傲慢極まりない話であるように思われた。「平和」? EUと「平和」と何の関係があるのか。少なくともEU諸国間は、ここ半世紀ほど物理的にミサイルが飛び交っていないという意味で「平和」かもしれないが、やれギリシアが足を引っ張るだのイタリアは怠け者だのと、何かと言えば金勘定の話ばかりしてはお互いを罵倒しているのであり、彼らが「平和」について何らかの実効性のあることをなした記憶がない。「冷戦終結おめでとう」ならば、なぜNATOはいまだに解散していないのか? そしてNATOの存在は「ヨーロッパの外の世界の平和」とどう関連しているのか?


ヨーロッパでも、EUのノーベル平和賞受賞は不可解であると言っている知識人は結構いたようだ。とある日本人のサイトで、インド出身のイギリスの論客であるタリク・アリの『デモクラシー・ナウ』によるインタヴューが評価されていたので、わたしはその書き起こしを読んだ。それを信用する限り、彼はEUへのノーベル賞を「爆笑もの」とし、「EUに賞を与えることは、NATOに報いることでもある」などと、まずは正鵠を得たことを言っている。しかし、アリ氏がEUの「平和賞」を語るにあたって、イラクやアフガニスタンばかりかギリシアにすら触れながら、EUが陰に陽にからむ目下最新の事例であるリビアやシリアの現状に触れていないのは、ずいぶん奇妙なことである。彼はかの両国の「平和」についてこそ語るべきではないのだろうか。EUの指導者階層(「中道左派」を含む)は、リビアやシリアへの「人道的干渉」に対する自国民の反対をほとんど抑え込んだことによって、自らの政治的無能力によって揺らいでいたその自信を回復させたことであろうから。


こちらのサイトによれば、もともとアリ氏は、EU=NATOのリビアやシリアへの「人道的介入」に対して、真っ向からの批判をしていたわけでもないらしい。彼は、爆撃機でなく、「反乱側」への資金や物質の援助による「レジーム・チェンジ」ならばよいと認めていたが、こうした態度が何の「平和」につながるのかは疑問である。一方でEU諸国の軍事介入を不当なものとして反対しておきながら、もう一方で軍事介入以外の所業は無視するばかりか、自分で不当とみなしている軍事介入を受けようとしている相手に対して「貴様もああいう末路を辿りたいのか?」と脅しつけるのは、知的錯乱もいいところではないか。むしろ、リビアやシリアに対する戦争が防がれていれば、彼が正しくもバカバカしいと指摘している、EUのノーベル平和賞受賞そのものが起こらなかったことだろう(注)。しかしアリ氏はそもそもEU=NATOが今やっていることに気づいていないらしい。「私はアメリカにもEUにもNATOにも反対です。でも空爆には賛成です」。何だそれは。


この点で、ジャン・ブリクモンとダイアナ・ジョンストンが発表した「ノーベル平和賞選考委員会へのあつかましい一提案」は、「褒め殺し」的な筆致のエッセイながらも、問題の把握はより明晰であるので、今回はこれを紹介したい。『カウンターパンチ』誌のサイトに2012年10月12日づけで発表されたこの一文は、アリ氏のような奇妙な知的捻転をさらすことなく、国際社会の「平和」の敵である植民地主義と帝国主義が、「ナショナリズムの克服」「民主主義」「人権」といったそれ自体は考慮する価値のある「西洋の価値」を盾に取って、やりたい放題にしていることを端的に説明している。お手盛りの平和賞を受けている政治階層は確かに「あつかましい(immodest)」であろう。しかし、こうした連中を散々に批判しておきながら、結局その力が野放図に第三世界諸国に行使され「平和」が破壊されるのを容認している人士がいるならば、そちらの神経のほうが遙かにドあつかましいと言わざるを得ないであろう。なお、〔〕内には訳の簡単な補足を付した。


http://www.counterpunch.org/2012/10/12/an-immodest-proposal-for-the-nobel-peace-prize-committee/





ノーベル平和賞選考委員会へのあつかましい一提案

2012年10月12日
ダイアナ・ジョンストン/ジャン・ブリクモン



このたびノルウェーの国会議員の皆さんは、ノーベル平和賞をヨーロッパ連合に与えることを決定いたしました。現在ノルウェーは、西ヨーロッパ諸国の中でもEUに属していない数少ない国の一つです。それゆえ私どもは、ノルウェー人の謙遜が、心の底で本当にこの賞に値すると彼らが信じている組織であり、彼らが加盟している組織であるNATOを、ノミネートすることをためらわせたのではないかといぶかしんでおります。奥ゆかしい〔self-effacing〕ノルウェー人は、そうした選択が、彼ら自身にこの賞を与えるかのように見えることを恐れていたのでしょう。それゆえ彼らは、一種の代用品としてEUに賞を与えたわけです。


これは見上げたことであり、どれだけ多くのノルウェー人が、我らの共有する西欧の価値を順守しているかを示すものであります。


しかしながら私どもは、誤った謙遜によって真に有益な業績が覆い隠されるべきではないと主張したいのです。ゆえに、我らの共通する価値を大事にしているすべての人々が、このあつかましい提案のもとに団結されんことを提起いたします。すなわち、2013年のノーベル平和賞はNATOに与えよう、と!


賢明なノルウェー人は、ヨーロッパ連合がヨーロッパ統合を促進してきたと指摘することで、彼らの選択を正当化するでしょう。しかし事実を見るならば、西ヨーロッパという地方の境界を優に越えて、NATOがEUすら上回る数の国々を統合し、そうし続けていることは明白です。EUはヨーロッパを経済的手段によって統合してきましたが、それが崩壊しつつあることはノーベル賞委員会すら認めています。一方でNATOが、爆弾とミサイルを使って、旧ユーゴスラヴィアに勝利し我々の価値を広めたのに対し、EUはその後をモタモタ追って来たのでした。NATOはその海軍と空軍を使ってリビアを民主化しましたが、EUの指導者たちはこの軍事作戦をわずかな言葉で正当化しただけでした。今日では、トルコの助けによって、NATOは自国の人民を殺害するシリアの独裁者との戦いに積極的に参加していますが、その間EUはいまだにおしゃべりを続け、金を持たないところに送り続けているだけであります。


ノルウェー人は、彼らがその興隆を怖れている、ナショナリズムの邪悪と戦うためにEUを賛美しています。しかし正直なところ、この高貴な大義に対するEUの寄与は大したこともなく、この組織はユーラシア大陸の先端にある没落中のわずかな国々を参加させているにすぎません。民主主義と人権の慈悲深い規則を世界全体にもたらすことによってナショナリズムと戦うという、NATOの使命がどれほど人を鼓舞しているか! あらゆる国家とナショナリズムが西洋の価値の統治下に服する時になって、はじめて真の平和がようやく我らの惑星を支配することになるでしょう。


第一次世界大戦の勃発から100周年の前年にあたって、この高名な「平和賞」がかの組織に与えられることより、「すべての戦争の終わらせる」ことを、真に用意し準備するものがあるでしょうか!


2013年度はNATOに賞を!!!






(注):EUにノーベル平和賞が与えられた状況を「我々」に当てはめて考えた場合、日本人が佐藤栄作以来のこの賞を奪取するには、朝鮮あたりの「レジーム・チェンジ」を成功させねばならないだろう。iPS細胞の樹立ほどは難しくないと期待して、このノーベル賞争奪に乗りそうな「リベラル」なり「中道左派」なりは結構いそうだ。しかし、朝鮮をはじめとするアジアの諸国民に必要なのは「平和賞」ではなく「平和」である。



[付記:第3段落における、推敲が残ったままアップされていた部分を修正した(2012年12月15日)]



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