野獣どもの「再臨」――Maximilian Forte, “Slouching towards Sirte”を読む(前編)

1) ここ数か月、公共交通機関を使って出掛ける際には、ずっと一冊のペーパーバックを供にしていたのだが、つい先日それをようやく読了した。カナダの人類学者であるMaximilian Forteの近著“Slouching towards Sirte: NATO’s war on Libya and Africa”(Montreal: Baraka Books, 2012)である。コンコーディア大学の准教授で、ラテンアメリカをフィールドとしているフォート氏は、2011年のリビア内戦とそれに対するNATO諸国の「人道的介入」に対し、早くから強力な疑念を呈し続け、今も続けているごく少ない知識人の一人である(注1)。彼が2011年6月にアメリカの左派系雑誌「カウンターパンチ」のサイトに寄稿した記事は、おそらく偶然のたまものではあるが、日本の『人民新聞』にも紹介されている(注2)。


諸君の中にもSlouchという動詞を聞きなれない向きも多いかと思うが、大きな英和辞典には「前かがみになる」「のそりと進む」といった意味が載っている。Sirte、すなわちシルト(シルテ、シドラとも表記)は、ムアマル・カダフィの出生地からほど近い場所にあり、彼の政権奪取後には、ひなびた漁村から近代的なビルの立ち並ぶモデル都市へと成長した場所であった。「あった」と言うのは、2011年の内戦およびNATOの「人道的介入」が、この都市に想像を絶する破壊をもたらしたからである。この年の秋に現地に入った各国の記者たちによって、「レニングラード〔独ソ戦争の激戦地〕、またはガサやベイルートのよう」、「1915年のイープル〔第一次世界大戦の激戦地〕か、ロシア軍が戦争を終わらせた1995年のグローズヌイ〔チェチェンの首都〕のよう」などと表現された情景の写真が、本の表紙には使われている。そして“Slouching towards Sirte”という題名そのものは、アイルランドの文学者ウィリアム・バトラー・イェイツが第一次世界大戦後に発表した、「再臨(The Second Coming)」という詩の最後の部分をパラフレーズしたものである。この詩で作者は、混沌の支配する世界において、なにものかの「再臨」が迫っていることを謳いつつも、そこに顕現するのはキリスト教で約束されている救済者ではなく、「ベツレヘムへ迫り寄る(Slouches towards Bethlehem)」のはこの世ならざる野獣であるという、幻視的風景を詠っている(注3)。しかしフォート氏は、自身の詩的幻想を強調するためにイェイツを引用しているのではない。すなわち、2011年以来リビアで展開されている現実のことごとは、「救世主」ではなく野獣どもの仕業であるという、紛れもない告発のためになされているのである。


2) フォート氏は“Slouching towards Sirte”において、一つの仮説を立てている。2011年3月に開始されたNATOのリビア攻撃について、西側のほぼすべての情報は「民主化」「革命」「人権擁護」といった美辞麗句に埋め尽くされていたのだが、実際に起こっていたことはもちろんそういうことではない。それでは、西側の軍事作戦はリビアの産出する膨大な石油資源が目当てであったというのかと言うとそうではなく、彼らの目標はむしろその先に置かれていると著者は説く。すなわち、NATOや、アメリカが2008年になって新設したAFRICOM(アメリカ合衆国アフリカ方面軍)の活動を通じた、軍事=経済ドクトリンの大々的展開による、アフリカ全土の再植民地化こそが主眼であるというのである。2002年に成立したアフリカ連合(AU)は、かつてパン・アフリカ主義者たちが1963年に結成したアフリカ統一機構(OAU)を改組したものとして知られているが、この改組の決定に当たってカダフィ大佐が強い指導力をふるったことは意外に知られていない。シルトで開かれた臨時会議の結果、1999年9月9日に採択された決定(通称「シルト宣言」)の条文には、「アル=ファタハ・リビア大革命〔Great Al Fatah Libyan Revolution〕の指導者である、ムアマル・カダフィ大佐が提出した重要な建議にインスパイアされた」という、個人を強調した一節が刻みこまれている。西側諸国は、こうしたアフリカにとっての要石(keystone)となりつつあったリビアに介入するチャンスを常々うかがっていたという。


著者は自説の立証のため、実に大量の情報(多くはインターネットでも閲覧可能な)を収集し提示する。地域研究の論文、各国政府や公的人物の発言、多国間組織(国連、EU、アフリカ連合など)の発表、各種テレビ局の報道(CNN、BBC、アル=アラービーヤ、アルジャジーラなど)、高級紙(『ガーディアン』『ニューヨーク・タイムズ』『クリスチャン・サイエンス・モニター』など)および通信社(AP、ロイター、フランス通信など)に掲載された記事、そして近年話題の「ウィキリークス」により暴露された、在リビアのそれを始めとする、アフリカ各国に点在するアメリカ大使館が本国に送った「秘密公電」など、その種類は多岐に渡る。これまでわたしも、リビアについて流されている情報への疑問のいくつかを「匪賊対革命ごっこ」と題したシリーズで紹介してきたが、フォート氏の調査ははるかに徹底的であり、一つ一つの情報の相互矛盾や、それぞれの妥当性を執念深く検討することで、リビアの政変の周辺においていかに多くの策略と虚偽言説が横行していたのかを明らかにしている。


3) この著作でフォート氏が第一に証明しようとしているのは、リビアがアフリカの中で占めていた位置の大きさについてである。カダフィ大佐が従来の主張であったパン・アラブ主義から、アフリカを中心とする国際戦略への大転換を示したのは1990年代からであるが、実は彼の発言には、しばしば一種のステレオタイプといってもよい黒人認識も垣間見られる。たとえば『緑の書』には、黒人が世界に覇を唱えるのは当然とする一節があるものの、その理由としては「後進性」や「人口増加率」が挙げられているだけで、植民地主義への言及は何故か存在しない。2010年には、黒人移民をヨーロッパに渡らせないのは私の力であるといった趣旨の発言も残している。しかしこうした要素は、大佐がリビア内外に対し「人種主義的」な政策をふるったことを意味せず、彼の対アフリカ政策は実質的な成果を伴ったという。アフリカへの直接的な援助や投資については、総額がどれほどであったかは不鮮明としつつも(一般には1500億ドルもの額に及ぶと言われているが、反カダフィ派はずっと少ない50億ドル程度であると主張している)、実に多くの国に対する複数の銀行・公社・団体による様々な形での支援ルートが存在したことを著者は示す。明快な金銭の流れ以外にも、食糧自給計画への協力、技術提供、施設の建造(大学、また「カダフィ」の名を冠した病院やモスク)、債務帳消しなど、様々なプログラムが展開されていた。変わったところでは、人口百数十万の小国ガンビアへ、トラクターとのセットで「ラクダの群れ」が寄贈されたという紹介もあるが、これもそれぞれの国の発展状況に合わせた援助の一環ということであろうか。また、アフリカ全体で討議されていた各種機構の創設構想は、リビアの豊かな石油収入を前提としていたものが多い。大陸における紛争を自力で解決する(=欧米からの軍事介入を拒否する)ための「アフリカ連合軍」や、「アフリカ中央銀行」(=IMFを拒否する)の設置などは、どうにか現在も議論が続けられている模様である。しかしアフリカ独自の通信人工衛星を運営する計画などは、カダフィ大佐のリビア政府が倒されたことで、資金源を失い中断してしまった。「国民暫定評議会」による新政府は、西側諸国とのパートナーシップの強化を明言しており、フォート氏の言葉を借りればリビアの「アフリカへの扉は閉じられた」のである。


著者は同時に、近年のカダフィ大佐が「西側の協力者」であったとする、NATOの戦争の消極的反対者(黙認者とも重なる)の見解についての再検討を促す。大佐が仮に「西側の協力者」であった、またはそう変貌したという糾弾が正しいとしても、そうした傀儡はその当該国の人々自身によって倒されるべきであり、西側諸国のなりふり構わぬマヌーヴァーによってその首が挿げ替えられることが許されるという理屈は成り立たないはずなのだが、それでもリビアと西側諸国との「協力関係」が気になって仕方ない人はいるらしい。フォート氏は、リビアにおける公的建造物(鉄道、発電所、港湾)建設の際の外国企業への委託状況(ドイツ、ロシア、中国、韓国などの使い分け、逆にアメリカ系企業の拒絶)や、カダフィ大佐による「イスラム原理主義者の取り締まり」と「対テロ戦争」への提言の内実などを取り上げ、西側にとってのリビアが、近年の「蜜月」にもかかわらず本質的には「好まれざる客」であり続けたことを示唆している。


実際のところ、こうした大佐のアフリカへの肩入れは、必ずしもリビア国民に理解されていたわけではない。かつて黒人奴隷を使役していた習慣から来る、北アフリカのアラビア人社会におけるサハラ砂漠以南の地域に対する蔑視は同国でも例外でなかったし、移民の増大による失業率の増大(1969年以来、一貫して受け入れを奨励していた)の解決が遅れていたことは、反乱勢力にとって絶好のアピール材料となった。彼らはしばしば、大佐のアフリカへの肩入れがリビア国民の利益を損ねてきたことを強調し、「黒人傭兵」の恐怖を強調することで支持を得ようとしたが、この人種主義的な「黒人傭兵」という表象を、西側のあらゆる勢力が真に受けたことによって、反乱勢力による黒人のリビア国民およびアフリカ移民への迫害はほとんど野放しとなったのである。「国民暫定評議会」代表であったアブデル・ムスタファ・ジャリールは早くから、「犯罪の40パーセントは、南から侵入してくるアフリカ人によるもの」といった発言をしているし、黒人を中心とする小都市Tawerghaなどは、反乱勢力の破壊と強制移住によりほとんどゴーストタウンと化したのだが、こうした話題は見事にスルーされた。しかし、「革命」の後に差別の標的となっているのは黒人だけではないらしい。“Slouching towards Sirte”の出版後の話になるが、NATOの軍事作戦の音頭取りに尽力した功労者であるフランスの哲学者ベルナール・アンリ=レヴィは、戦争後のリビアにおいて「イスラム原理主義者」が台頭したことにより、ユダヤ人である彼の安全が保障できないという理由で入国を拒絶されたそうである。これはアンリ=レヴィ氏に対する嘲笑を禁じえなくさせる事態であるが、北アフリカ諸国に根を下ろしているユダヤ人にとっては、到底笑えないニュースであろう。


(後編へ続く)





(注1):フォート氏は自身のブログツィッターなど、電子媒体における活動に極めて精力的な模様である。“Slouching towards Sirte”の紹介ページには、詳細な資料や写真(本では白黒になっているものも、美麗なカラーで見られる)などが公開されているので、興味を持たれた方にはこちらを一通り眺めてみることをおすすめする。


(注2):「リビア人民の勝利? リビア戦争の10大神話」(脇浜義明訳)。この翻訳自体は非常に貴重なものであり、紹介自体が高い評価の対象足りえるものの、総体としての『人民新聞』は、ネジの緩んだオールド「新左翼」媒体の一つにとどまっていると思われるのは残念なことである。たとえば先日、ネットに挙げられていた同紙の「編集後記」の中に、日本における昨今の人種主義的右翼の跋扈について言及で、「三島由紀夫をはじめ、敵ながら天晴れと思わせる右翼はいた。あんたたちは民族派の面汚しでもあるんだよ」など書かれていたのには、大変驚かされた。諸君とてこんなことを聞かされた日には、三島のどこが「人民」の立場から見て「天晴れ」なのか、「民族派」は「人民」とイコールなのか、そもそも「昔は敵も立派だった」的言説がどう「人民」の役に立つのかと、詰問したくもなるであろう。


(注3):鈴木弘訳『W.B.イェイツ全詩集』(北星堂書店、1983年)、高松雄一訳『対訳 イェイツ詩集』(岩波文庫、2009年)。




[追記:タイプミスなどに若干の修正を加えた(2013年7月4日)]



スポンサーサイト