インターナショナルな日本仏教

個人的な話だが、洋書を探す時にはインターネットを通じて注文することが多い。いくら日本のでかい書店に行っても結局たいした量は置いていないし、背表紙のアルファベットのタイトルを読むために首を90度に始終曲げっぱなしにするのが嫌だからである。また、適当なキーワードを色々な国のネット書店の検索エンジンにかけて探すと、思いもよらぬ結果が出て楽しいからでもある。しかしながら昨年末、とあるイタリアの書籍販売サイトを見た時には少なからず驚かされた。真っ先に挙がったタイトルが“Daisaku Ikeda”だったからである。2013年の末に発売されたこの本の著者は、ローマの私立大学「グイード・カルリ記念社会科学研究国際自由大学(通称LUISS)」の教授Antonio La Spinaである。出版社による本の紹介としては、以下のような一文が記されていたが、諸君にもその翻訳を読んでいただきたく思ったので紹介する。なお、〔〕内には引用者による注釈を加えている。


池田大作は、ダライ=ラマやティク・ナット・ハン〔ヴェトナム出身の仏教指導者〕と並ぶ、地球上の仏教界の主要なリーダーの一人であるとともに、社会参加の仏教〔Buddismo impegnato〕の潮流を最も代表する一人である。哲学者であり著述家であるこの人物は、創価学会インターナショナルを通じ、イタリアでは7万人を超え、地球全体では1200万人を超える男女の精神的教師である。彼はミハイル・ゴルバチョフ、ネルソン・マンデラ、ローザ・パークス、アドルフォ・ペレス・エスキベル〔アルゼンチンの平和運動家・芸術家、ノーベル平和賞受賞者〕、アーノルド・トインビー、アウレリオ・ペッチェイ〔イタリアの実業家、「ローマ・クラブ」創設者〕、ジョン・ケネス・ガルブレイスといった、科学界、文化界、政界そして宗教界の重要人物たちと対話を重ねてきた。彼は、第二次世界大戦後のアジア大陸の平和化において決定的な役割を担うとともに、世界で最も平和主義的な憲法の一つを有している、日本の政治にも影響を与えてきた。とりわけ、中国のリーダーであった周恩来と、両国の平和的な議論を促進するため――1974年に――会談した、最初の日本人として知られている。30ヶ国語を超える言語に翻訳されているその著述において、池田は現在の人類が対峙している様々な課題に取り組んでおり、それは非核化から世界政府の実現に向けた諸組織の改革、様々な人権から自然環境の損壊にまでわたっている。日蓮大上人の仏教と創価学会の歴史、日本政治の変遷、彼個人についてしばしば勃発する激しい論争、彼に指導される組織とそれに参加する信者たちを研究した社会科学者たちによって達成された成果を踏まえつつ、アントニオ・ラ=スピーナが、人類と地球の未来にとって重要な問いを投げかけている池田の理念について分析し検討する。



わたしはこの一文を読んで、このラ=スピーナ教授がどんな人物かを知りたくなり、日本語で彼について紹介したり論じたりしている文章がネット上に転がっているか探してみたのだが、ほとんど引っかかってこなかった。日本の創価学会員にとっては、「われらの先生」こと池田大作氏が「世界の賢人」に認められているというふれこみが重要なのであって、彼と語るまたは彼について語る「世界の賢人」の名前が、たとえシルヴィオ・ベルルスコーニになっていてもモニカ・ベルッチになっていてもあまり気にはしないのであろうかと思われたが(注1)、わずかながらイタリア語を解する者としてはその辺りが気になったのであった。


創価学会のイタリア支部――正式には、創価学会インターナショナルに加盟する「イタリア・ソーカガッカイ仏教協会(L'Istituto Buddista Italiano Soka Gakkai)」と名乗っているらしい――のサイトにも、この本の紹介が出ている。この記事では、本の著者が仏教者ではなくカトリック圏に属している(つまり学会員ではない)ことを断りつつも、池田氏の様々な活動が好意的関心をもって見られているとされている。また同じサイトの短信は、今年の1月15日に、ローマで新著出版を記念した著者を囲むトーク・ショーが行われたことを報告している。


ラ=スピーナ教授の書籍は、池田大作氏と創価学会を基本的に肯定的に論じているものと見てよい。創価学会の批判者の中には、「池田を褒めるなど三流の学者の仕業である」(注2)ととらえる向きもあるかもしれないが、周辺情報を調べてみる限り、このラ=スピーナ氏は一定の分野でそれなりに認められた学者であるようだ。この教授の書いた、ないしは編集した書籍の出版元としては、社会科学系の研究や大学用テキストの出版で著名なムリーノ社や、古くはベネデット・クローチェの著作の出版で知られ、現在も広義の「文系」の書籍で高い評価を受けているラテルツァ社のような、イタリアの学術界で「一流」とされている名前が挙がっている。


ただし、ラ=スピーナ氏の著作の題名を見る限り、その専門は公共政策や行政機構の分析、またはイタリア南部におけるマフィアや脱法行為についてである。これらはこれらで重要な問題であろうが、日本の近代政治史や「日蓮大上人」のことを彼が格別に研究している形跡はない。少なくとも、創価学会という存在の日本的文脈を理解しているのかは疑問である。たとえば上述の紹介文では、池田氏が「世界で最も平和主義的な憲法の一つを有している、日本の政治にも影響を与えてきた」とされているが、それではなぜ彼の率いる創価学会を強力な支持母体としている公明党は、そうした憲法の破壊者以外の何物でもない自民党をここ十年以上に渡って補完しているのであろうか? 外国人の見地から、日本に住んでいる非創価学会員の平和主義者、または創価学会員であっても最近の自派の動向を憂えている人が抱いているこうした基本的な疑問に対し、答えてくれる何かを有している本ではとてもなさそうである。


それでは、この教授は何故創価学会に好意的であるかという話になるのだが、両者が接点を持ったのは比較的最近のようである。現在ラ=スピーナ氏はLUISSの教授であるが、そこに移る数年前までの彼はシチリア島のパレルモ大学にポストを得ていた。19世紀初頭成立というそれなりの歴史を持ち(東京大学より古い)、現在も5万人近い登録者を有するこのパレルモ大学が、創価学会の関連機関発の情報によれば、2013年末までに池田氏に名誉学術称号を与えた唯一のイタリアの大学である。池田氏が2007年3月に取得した208番目(今日ではとっくに300番台に到達していることはさておき)の名誉学術称号は「名誉コミュニケーション学博士」とのことだが、イタリアの複数のニュースサイトやブログに、授与式には当時の同大学長Giuseppe Silvestriと一緒に、同じく当時のコミュニケーション学部学部長であったラ=スピーナ氏が参加したことが記されている。その一つに掲載された学長のコメントによれば、この学位授与は「パレルモの平和構築」に益するものとされているが、学長の専門は化学工業である。


こうした記事からはまず、「我々」の文脈を独自に把握するよしもないラ=スピーナ氏たちが、イタリアで活動する「日本仏教」=創価学会サイドからの情報を額面通り受け取り、「科学界、文化界、政界そして宗教界の重要人物たちと対話を重ねてきた」池田氏の勢力について、素朴に信用して書いているという想定ができる。そもそも西側社会の人々による「仏教」へのシンパシーの中には、しばしば「未知なる東洋」に対する奇妙なオリエンタリズムが混在しており、対象に対する検討もろくにしないまま「スピリチュアルな価値」を称賛しているのも多い気がするのだが、これもその一例であろう(注3)。そしてもう一つ、彼らの好意的言及の原因として想定されるのは、日本の「学会ウォッチャー」たちが常に噂しているような、マネーがらみの問題である。つまり研究者個人または研究機関が、創価学会からの何らかの援助や資金を見込んで、彼らがおつきあいとして発言しているという可能性である。この仮定もまた推測の域は出ないが、「我々」にもおなじみの新自由主義的「大学改革」がベルルスコーニ政権時代に進んだ結果、イタリアでも大学への国家支出が大幅に削減されているのは事実である。研究環境の維持は教員、特にその経営に携わる層にとってさらなる頭痛の種になっていることは想像に難くない。LUISSのラ=スピーナ教授の紹介ページ(英語版を挙げておこう)には、欧米の様々な研究機関からの招聘や政府機関の評議員としての参加といった実績もたくさん書きこまれており、彼が牽引的(もしくはボス的/官僚的)研究者として相当の「やり手」であるらしいことは示唆的である。


ところでここまで書いてこなかったのだが、“Daisaku Ikeda”という著作の情報を発見した時、もう一つ驚いたことがある。それは、創価学会に非常に好意的とおぼしきこの本の出版元が、「リウニーティ・インターナショナル」なる名前を名乗っていたことである。「リウニーティ」と言えば、何よりも今はなきイタリア共産党の下、長きにわたってかの国の左翼出版界の中核の一つとなっていた出版社の名前ではなかったか? 1991年にイタリア共産党が解党・分裂して以降、その経営もまた党人の手を離れて「民営化」され、現在ではある出版グループの一ブランドとして存続しているに過ぎなくなったが、かつては『マルクス・エンゲルス全集』や『レーニン全集』のイタリア語版の出版元としての権威を有していた会社である。また、イタリアの創価学会が自身の出版拠点を持っていないわけでもない。彼らは1990年代初頭からエスペリア出版という「広宣流布」の機関を有しており、膨大な量に上る池田氏の著作や創価学会関係の翻訳のみならず、機関誌『仏教と社会』と『新ルネサンス』を発刊し、仏壇や数珠にはじまる仏具も取り扱っている。あの「青雲」まで日本から輸入しているのだから徹底している。


当初わたしは、1953年に生まれたリウニーティ出版(Editori Riuniti)とはまったく関係のないところに、まぎらわしい名前の新しい出版社ができたのかと考えた。リウニーティという名前は、共産党系の二つの出版社が「合同(リウニーティ)」して発足したことに基づいているが、それとは別の「合同出版」(注4)があるのかと思ったのである。しかし2010年に発足した「リウニーティ・インターナショナル出版(Editori Internazionali Riuniti)」は、往年の左翼出版界の雄の後継たることを意識しているようだ。現在の「リウニーティ・インターナショナル出版」の公式サイトの「自己紹介(chi siamo)」においては、歴史的な出版社とのつながりについては特に語られておらず、「ウィキペディア」にもこの辺りの情報は見当たらないものの、例えば「リウニーティ・インターナショナル出版」と提携している電子書籍会社のサイトの紹介によれば、かつてのリウニーティ社の路線を発展継承するために独立したものとして認識されている。


実際、「リウニーティ・インターナショナル」の方の社長を務めているAlessio Aringoliという1978年生まれの人物は、もともとのリウニーティ社の編集者であった。新しい出版社は、国内外の小説やエッセイも出している一方、旧イタリア共産党の多数派の流れをくむ民主党に関係の深い本を出版し、同党の青年組織と連携した「レフト・ウィング」なる雑誌を運営しているのだが、そのような出版社から“Daisaku Ikeda”は世に出された。この出版社の「評論(saggistica)」というシリーズでは、いくつかの歴史書のほかに、アントニオ・グラムシの『獄中ノート』のテーマ別編集版、ウラジミール・イリイチ・レーニンの『国家と革命』、ローザ・ルクセンブルクの書簡集といった、共産主義者のほとんどと社会民主主義者の一部にとってのクラシックをおさえているが、“Daisaku Ikeda”はまさにこのシリーズに収められているのである。同シリーズの宗教指導者に関する本としては、他には現ローマ法王フランシスコ1世についてのノンフィクションがあるだけだ。「地球上の仏教界の主要なリーダーの一人」として、池田氏は堂々とローマ法王に並んでいる!


そういうわけで、何故「リウニーティ・インターナショナル出版」はこの本を売っているのかという疑問が生まれるが、その答えは、ラ=スピーナ教授がこの本を書いた理由とも通ずるものがあると推測される。カトリックを主な宗教とする――現在では国教ではないが、一般的には保守的な影響力を保っている――イタリアという国家において、否定的であれ肯定的であれその指導者を扱うのには厳密さを要するし、出版が与える正負のインパクトも計算に入れなければならないであろうが、仏教については言ってしまえば「遠くの国に立派なことをやっている人がいるらしい」で済むのである。かくして「幸福な誤解」は保たれる。


また、グラムシやレーニンの本が別の出版社からも(しばしばより学術的な注釈つきで)買え、そもそもそうした本は古い家なら両親や祖父母の代から使われている(もしくは誰も読んでないが、それこそ「御本尊」になっている)のとは異なり、目新しい「日本仏教」は新規顧客開拓の分野たりうる。日本の創価学会員の購買動員力の目覚ましさは諸君もご存じの通りだが、「イタリアでは7万人を超え」ている学会員(創価学会のイタリア支部のほうでは、より穏当に「5万人以上」と見積もっている)の力を、イタリアの出版社が当てにしていても不思議ではない。実際、今日現在の出版社のページの「Top Vendite(トップ・セラー)」欄には“Daisaku Ikeda”が入っている。発刊して間もないから、毎月の出版総点数自体がそんなにないからといった、当たり前の理由も考慮されねばなるまい。しかし、この出版社のサイトでは、最新刊を含めたほとんどの本が「サイトからの直接購入により1割引」の値段で提示されているのに対し、“Daisaku Ikeda”は数少ない例外として、この記事のアップ時点では16ユーロの定価そのままで売られている。どうして「日本仏教」の本だけ、強気の商売ができるのかということである。


もちろん、これまでイタリアにおいて、池田氏による著作が創価学会の直接関係する機関以外から出たという例がないわけではない。イタリア最大の出版社として、あらゆるジャンルの本を取り扱っているモンダドーリ出版が、現代の世界の「スピリチュアル思想」を扱うシリーズにおいて、池田氏の書籍を複数出したこともある。しかし、大出版社が「スピリチュアル思想」に商機を求めて池田氏の本を紹介するのと、まがりなりにも往年の「左翼」出版社の看板を背負っている小規模の出版社がそうするのとでは、社会的な意味合いがおのずと異なってくる。ここに嗅ぎ取られるのは、いわゆる「マルクス・レーニン主義」を完全に放擲したかの国の世俗的左派の自信と方向性の喪失の匂い、はるか昔「インターナショナル」な社会(主義)運動を標榜していた人々の末裔が、今では別の「インターナショナル」の財力頼みになっているという皮肉な状況の匂いではあるまいか。ああインターナショナル、彼らがもの。





(注1):念のために書いておくと、この二人は別に創価学会の信奉者ではない。日本人でも知っているイタリア人の中で、最も有名な創価学会の信奉者はおそらくロベルト・バッジョだと思われる。潮出版社から出された『ロベルト・バッジョ自伝』(片野道郎訳、2002年)を開き、いきなり冒頭に「池田先生」への謝辞が飛び出すのに驚いたサッカーファンも多いことであろう。イタリア語に翻訳された池田氏の著作に、彼はしばしば序文を書いている。同じサッカーのヒーローでもディエゴ・マラドーナなどと違い、引退してもダンディな風貌を保っている彼の集客効果は高いことと思われる。


(注2):「アンチ創価学会」は色々なレヴェル・位相のものがあるが、その一番低俗な部分については拒絶されるべきである。たとえば『週刊新潮』が定期的に開催する反創価学会キャンペーン記事は、本質的には「批判」でもなんでもない単なる「下種の極み」に過ぎないものであり、創価学会によるものとされる数々のスキャンダルよりも、結果としてよほど読者の精神を毒することになっている。


(注3):これも念のために書いておくと、わたしは「ダライ=ラマ師やティク師のような偉大な仏教者と、池田のような生臭野郎が同列に語られているのは面妖である」と言いたいのではない。ヴェトナム出身の宗教指導者についてはまったく知るところがないので言及を差し控えるが、少なくともわたしにとって、ダライ=ラマ14世と池田氏は「仏教」独自の聖性を見出しかねるという点で変わりはない、ということである。ラ=スピーナ教授の本の紹介では「社会参加の仏教」なるものに言及がなされているが、両人がその代表だとしたら、それはラテン・アメリカにおけるキリスト教の「解放の神学」などとはまったく異質なものとして認識されねばならないだろう。池田氏とダライ=ラマ14世は、やたらとVIP的人物と面談したがる点で共通しているが、「解放の神学」の指導者たちのうちにそんな性癖が際立った人物がいるとは聞かない。しかもこの性癖に関して言えば、むしろ創価学会のリーダーの方が、チベット仏教界の亡命リーダーよりもまだしも立派だと思えるところすらある。というのも、前者は一応、西側の著名人だけでなく、それこそ周恩来のような東側の要人や、アフリカ諸国の指導者との対面のセッティングを繰り返すことで、「東西/南北対話の実績」をつくってきたのに対し、後者のおつきあいの相手はおそろしく西側人士のみに偏っているように見える。さらに後者の交わりには、ハリウッド・スター的な意味での「セレブ」との付き合いもやたら目立つ。これはいろいろインターネットで図像を検索しても奇妙な取り合わせが出てくるが、個人的には、テノール歌手のルチアーノ・パヴァロッティの追悼写真集にまで彼が登場していたのを数年前に目にしたのが強く記憶に残っている。あの時以来わたしは、ダライ=ラマ14世は「仏教指導者」でも「政治的亡命者」でもなく、彼自身が「セレブ」になりたいだけなのだと確信している。中国当局はダライ=ラマ14世を「アメリカと結び神権体制の復活をもくろんでいる」――かつてのチベットの高位聖職者たちが、近代西欧社会的にはスタンダードである政教分離については鼻もひっかけぬまま、宗教性を背後にした封建的地主としての栄華を楽しんでいたのは否めまい――ものとして攻撃しているわけだが、むしろ当人の方では、単に西欧の社交界でいつまでもちやほやされ続けたいがために「フリー・チベット」なるマントラを唱えている、としか思えないのである。今日の宗教社会学あたりが課題にしなければならない最たるものの一つは「ダライ=ラマ現象」ではないだろうか。


(注4):日本にも「合同出版」という名前の出版社があり、グラムシやパルミーロ・トリアッティの選集で知られたが、イタリアのリウニーティ出版と何か関係があるのかは知らない。ただ、ソ連の経済研究書を創成期の商品としていた出版社が、「ユーロコミュニズム」界隈の書籍の公刊を経て、現在ではそうした看板をほとんどたたみ環境やら健康やらをやたらプッシュしているのを見ると、本家(?)との何かしらの符合は感じさせられる。




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