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新しい岩波茂雄伝?(前編)

中島岳志『岩波茂雄 リベラル・ナショナリストの肖像』(岩波書店)を読む。もう一年も前、岩波書店の創業100周年にあたる昨年の秋に出版されたものであるが、ようやく近所の図書館に配架されたからである。わたしは中島氏について、デビュー直後から今は亡き『論座』あたりでもてはやされていたこと、「保守リベラル」なる現在の日本で最大公約数的に受けるポジショニングをしていることなどに強いうさん臭さを感じており、「絶対にロクなもんじゃあるまい」とまったくその著作を読んでこなかった。「左右の「バカの壁」を崩していかなければなりません」という触れ込みのもと、彼が2009年に編集委員の一人となった『週刊金曜日』も、その頃にはほとんど読むのをやめてしまっていたので、かの雑誌における彼の活動もほとんど知らない。しかし、この中島氏の新著についての情報を、今年に入って遅ればせながら知った時には、まずは一読せねばという気が湧いた。以前からわたしは、岩波書店の創業者である岩波茂雄について関心を抱いており、彼の事績と人となりを知る上で極めて重要な二冊、すなわち安倍能成『岩波茂雄傳』(初版1957年)および小林勇『惜礫荘主人』(初版1963年)を、この「手帖」でも紹介したことがある。しかし、この両書はともに名著とは言え、出版からはすでに半世紀が経過している。一方、100周年をむかえる出版社が創業者についての著述を出すから、それなりに念の入ったものにはなっているだろうし、対象についての新しい情報や知見が得られることだろう――そう期待したのである。わたしは岩波茂雄の研究者でもなんでもないが、彼についての知識を深めたいと考える限り、関連文献とされるものは一通り追ってみるべきである。中島氏についての先入感もまずは捨てて、可能な限り虚心坦懐に作品を一度読んでみるのが公正というものであろうと、偏見あふれる自分なりに考えたのである。それでも自分の財布の中身と著者への信用ゆえに、今年の7月まで手が出なかったのであった。ようやく読了して3か月、可能な限り虚心坦懐に感想をまとめたい。


インターネットの検索エンジンを使うと、『日本の古本屋』のメールマガジンに、中島氏自身が書いた「拙著『岩波茂雄』について」と題する自著紹介が見つかる。そこで中島氏は、安倍能成と小林勇という「身近な二人」が書いた岩波伝について「非常に精度が高く、愛情にあふれています」としつつも、「一読して感じたのは、身近であるがゆえの甘さが、記述に反映されている」という欠点があり、「戦後のパラダイムから岩波を演繹的に見ている側面があるため、岩波の重要な部分が意識的に(もしくは無意識的に)捨象されていることがどうしても気にかかりました」と言っている。彼に言わせれば「これまでは、彼のリベラルな側面ばかりが強調されたため、彼のナショナリストとしての側面は脇に追いやられていました」。一個の統合された「リベラル・ナショナリスト」としての岩波を見ましょうという主張が、ここに提示される。


わたしはまず、この主張の前提に疑問を抱いた。本当にこれまで岩波の「リベラルな側面ばかりが強調」されてきたのであろうか、またそうであったとすれば、それは誰のおかげか、ということである。私見では、少なくとも安倍と小林の手によって、岩波の「リベラルな側面ばかりが強調」されたわけではない。まず安倍の『岩波茂雄傳』であるが、この本では「ナショナリスト」や「ナショナリズム」という言葉そのものではないにせよ、ほぼ同じ意味あいを込めて「愛國」という表現がたびたび使われている。「彼が内に向かつては日本に嚴しい批判をしながら、外に向つて日本を宣傳する煩を厭はぬ愛國者であつた一面」、「まあ彼くらゐ熾烈な愛國者は我々の友人連中にも稀だつたといつてよい。しかし斎藤茂吉や藤原咲平などの素朴な愛國心に比べて、彼の愛國心は世界的、国際的の光に照らされて居たといつてよからう」(強調は引用者)といった記述からは、安倍が率直に「ナショナリスト」として岩波を評価している様が伝わってくるではないか。ただしその「愛國」には「世界的、国際的の光に照らされて居た」といった留保がなされており、こうした「世界的、国際的の光」といった表現からは確かに、岩波の「リベラル」な側面の強調を感じることができるかもしれない(注1)。そうすると、安倍は中島氏の50年以上も前から「岩波はいわゆるリベラル・ナショナリストだった」と主張していたことにもなりそうだが。


また小林勇も、岩波が「リベラル」であったとだけ強調したいのであれば、原敬を暗殺した少年を「えらい」と褒めたという、強烈なエピソードを紹介する必要はなかったであろう。安倍も原の暗殺犯に対する岩波の「同情」を記しているが、「君には到底こんなえらいことはできないだろう」とまで若き店員に語っていたという話は、まさしく『惜礫荘主人』だけのものであり、中島氏もここから引用している。小林の著作は年代記的スタイルで個人的に知りえたことのみを紹介しており、岩波の言葉を聞いた時に自身がどう感じたかについては記していない。それでも、義父である人物の暗部とも取られかねない発言は、個人の思い出にだけ収めておくこともできたはずである。「リベラル」の観点からはマイナスととらえられそうな事柄まで率直に語っていることが、その簡潔な文体と合わせて、語り手としての小林の価値を高めていると言えよう。しかるに、この率直な証言に対する中島氏の考察は、「岩波にとって、財閥や首長を殺害した一連のテロ事件は、ネイション(国民)の苦境を代弁する革新的行動と捉えられ、「えらいこと」と認識されていた」などと、まるで他人事のようだ。こうした岩波の「リベラル・ナショナリズム」のパーソナリティというものは、大変現在の「我々」が自分を省みる上でも示唆するところが大きいと思われるが、そうしたものへの分析をわずか二行で済ましておいて、先人の「身近であるがゆえの甘さ」を指摘できた義理であろうか。


一方で、岩波茂雄の興味深いパーソナリティを描き切るためには、この本は正直紙面が足りていないように思う。かつての『岩波茂雄傳』の本文が500ページを超すのに対し(注2)、中島氏の『岩波茂雄』の本文は250ページ弱と、ほとんど半分である。それゆえ中島氏の著作には、過去の文献ですでに何回も紹介されているような逸話に対して省略がしばしば施されている。しかしそこで捨てられたものの中には、中島氏が主張する岩波の「ナショナリストとしての側面」を取り上げる上で、興味深い情報も含まれているように思われる。たとえば、戦時下の1942年に行われた岩波書店創業30周年のパーティの際に披露された、高村光太郎の作詞による「店歌」の歌詞がそれである。高村が戦時期に書いた詩の残念っぷりについては諸君も御存じであろうが、この「店歌」の一番の出だしは「あめのした 宇〔いへ〕と為す/かのいにしへの みことのり」、すなわち「八紘一宇」のスローガンそのままであり、さらにその二番は「おほきみかど」とともに「五箇条の御誓文」に言及されるものである。現在もこの「店歌」が岩波書店で唄われているとは聞かないが、もし今でも愛唱されているとしても、現在のドイツ国歌のように一番の歌詞は飛ばしているものと思われる(注3)。安倍や小林の著作だけではなく、山崎安雄『岩波茂雄』(時事通信社、1961年)のような古い本もまた、この印象的な歌詞を紹介しているが、それらの本では内容までには踏み込んでいない。中島氏はナショナリズム研究を看板にしているのであるから、こうした材料はスルーせずいくらでもおいしく料理できたのではないか。


中島氏は自著の「あとがき」で、「史料の読み解きは、岩波との格闘であるとともに、安倍との戦いでもあった。〔中略〕そのプロセスで分かったことは、安倍の突出した力量とともに、彼が避けて通った史料の存在だった。安倍が描いた岩波像と、私の描こうとする岩波像が衝突した。時間を超えた無言の討論は、スリリングであった」としている。人がこの部分だけを読めば、いかに若き研究者が最も手強い定説に反論を挑んだことかと思うであろう。しかし中島氏の『岩波茂雄』の中身は、奇妙なことに、安倍が「避けて通った史料」とは具体的に何なのかを、まったく指摘していない。わたしが読む限り、中島氏が使用している岩波書店所蔵の資料のほとんどは、安倍の『岩波茂雄傳』でも何らかの形で使われているとおぼしきものである(そもそもこの本には、安倍と小林の直接的な引用が相当多い)。確かに、安倍の使っていない資料として、ファナティックな右翼イデオローグとして悪名高い蓑田胸喜(「むねき」であり「きょうき」ではない)の著作集(柏書房、2003年、全7巻で22万円という驚異的な価格)や、『岩波茂雄への手紙』(岩波書店、2003年)からの引用があるものの、これらは著者が独自に発見した新資料というわけではない。もちろん、同じ資料を活用していても、着目点やアプローチの違いによって異なる結論が出る可能性はいくらでもある。しかしそれ以前の話として、「安倍はこう言っているが、彼の解釈は……のような理由によって受け入れがたい」といった論証が、この本には一つもないのである。「時間を超えた無言の討論」が読者にとっても「無言」でしかなければ、それは「スリリング」でもなんでもない。「安倍(または小林)が避けている」とされる事柄は、本質的にはすべて『岩波茂雄傳』、あるいは『惜礫荘主人』に書いてあるのだが、それに先回りして「私は先人と戦った!」としておけば、著者は自分のオリジナリティを強調できるらしい。以前わたしは安倍の伝記を「冗長なところがある」と評したが、それはあくまで小林の記述と比較しての話であった。中島氏の著作のスカスカぶりと比較するならば、伝記作家としての「安倍の突出した力量」は一目瞭然である。


満州事変以降の岩波について、中島氏は「明治維新→自由民権運動→政教社と続く明治ナショナリズムによって、昭和の軍国主義的・膨張主義的ナショナリズムを批判するというスタンスを鮮明にした」とし、とりわけ蓑田のそれとの対立を強調している。岩波がナショナリストでありつつ、単純にファシスト的・国粋主義的なそれとは一線を画していたという主張については――安倍の伝記も示唆しているところであるから――とりあえず文句はない。しかし岩波の「明治ナショナリズム」と「昭和の軍国主義的・膨張主義的ナショナリズム」がそんなにスッパリ切り分けられるのか(司馬遼太郎の「明るい明治/暗い昭和初期」論でもあるまいに)という疑問は残る。さらに、蓑田とは対立した岩波がなぜ頭山満のような別の右翼イデオローグに傾倒したのかという、より大きな疑問は相変わらず未解決のままである。「一たい岩波は頭山がこの事變に對して何を志し何を爲したか、を知つて居たのであらうか」、「翌一七年の初夏頭山の米壽の祝宴には、頭山が大井憲太郎や中江篤助(兆民)の如き自由主義者と親善だつたことを、恰も岩波の左右相會して圓卓會議をやれ、といふ主張にかなふものであるかの如くに速斷して、頭山を「左右両翼を超越して天地の大義に生きる國賓的存在」とまで讃美して居るのは首肯しがたい」(強調は引用者)といった、岩波の頭山びいきに対する安倍の強い批判について、安倍との「対決」を公言している中島氏は、その存在自体を黙殺している。


岩波の頭山びいきに劣らず、中島氏の頭山びいきもなかなかのものに感じられる。玄洋社が「西南戦争の敗北によって言論闘争に転じ、自由民権運動を闘った」といった部分は、ほとんど玄洋社が一般的な言論機関であったかのような描き方ではないか。しかしわたしが聞き及んでいる玄洋社とその周辺の活動は、どう考えても「言論闘争」の域を超えている。かの大隈重信の右脚を爆弾テロで吹っ飛ばしたのが玄洋社のメンバーであったことは、早稲田大学の学生でなくても知っている。また、頭山が顧問をつとめた黒竜会は、明治憲法下において相対的に自由民主主義が盛り上がった大正期においてすら、朝日新聞社の記事に難癖をつけて――おや、いつの話?――その社長の拉致襲撃に及んでいる。これらは蓑田の「言論闘争」とは別に罪深い。中島氏は現在の朝日新聞に「クオリティペーパー」としての価値を認めていると聞くが、ただでさえ専制的な大日本帝国の国家機構の別働隊として、そうした「クオリティペーパー」の萌芽を無理矢理抑え込み、言論空間の質を決定的に悪化させたうちの一人が頭山ではなかったか。安倍は頭山について「我々には得體の知れぬ人で、政界人と言つてよいかどうかは知らぬが、政界を動かす陰然たる勢力の中心だつたとはきいて居る」と書いているが、現在の「我々」の多くもこれとまったく同じ認識を抱いていることであろう。そうした理解が全くの誤解であり、玄洋社がガンディー(岩波がその執務室に写真を飾っていた一人である)にならった非暴力・不服従の言論結社にすぎなかったとでも主張したいのなら、必要なのは単なるレトリックではなく、十分に説得的な証明である。しかしそうした説明の代わりにあるのは、「岩波にとって、頭山は思想的に共感できる相手だったのだろう」といった、またしても他人事のような書きぶりである。


(後編へ続く)





(注1):ただし『岩波茂雄傳』を改めて読み直してみると、むしろ安倍は「岩波が自由主義者としてすばらしかった」と積極的に評価しようとしていないのではないか、とすら思わせるところがある。というのは、安倍が岩波の出版業について褒める際には、「眞理」や「正義」を追求しようとしたなどと、繰り返し安倍自身の評価を与えているのに対し、岩波の自由主義について述べる際には「岩波自身も自分はリベラリストでソーシァリストではないといひ、勿論コミュニストではなかつたが」、「彼は前にも述べた如く、自分自身で社會主義者でもなく共産主義者でもなく、自由主義者だといひ」(強調は引用者)といった書き方をしているからである。安倍が「岩波が左翼ではなかった」とはっきり否定する一方、自由主義者かどうかについては遠回しな表現を用いているように見えるのは、いささか不思議な感じがする。


(注2):これは『岩波茂雄傳』の旧版の話であり、新字・新仮名遣いによる「新装版」(2012年)の段組みでは、本文は450頁を下回っている。個人的には旧仮名の方が時代的味わいもあって好みなのだが、現在の読者には当然今の仮名遣いの方が読みやすいだろう。3200円という価格は、旧版の古書市場価格(「日本の古本屋」で検索できる)を考えると随分強気な設定だとは思うものの、写真や人名索引もついてくるので甘受されるべきか。しかしこの新版の存在は、中島氏の著作の意義に対するより強い疑問を呼び起こすものでもある


(注3):岩波書店の「社歌」については、最近の同書店のパンフレット『本と岩波書店の百年』(2013年)にも、岩波、高村、信時潔の三人が写った写真のキャプションの中で、その存在自体には一応触れられている。なお、写真のキャプションでは「信時氏は作曲家で」と余分な説明がされているが、そこまでマイナーな人物ではないだろう。かの「海行かば」を覚えている高齢の岩波書店の読者も、まだ死に絶えていないはずである。




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