引用(25)

日本国民は日本国が「自分達の国」だということを忘れるように子供の時から教育されている。だから愛国心といってもお互い同士を愛し合うことではなく、何か特別なことをするように考えている。


日本人は物資の欠乏に悩まされているのみならず感情の欠乏に悩まされている。日本人には敏感な神経はあるが感情が足りない。自分の屋敷の塀を高くして庭園を掃き清める神経質はあるが、塀を低くして衆と共に楽しむという感情は希薄である。


日本独特の銭湯と称するものは、既に三百年を経過した今日でも、なお銭湯道徳なるもの確立されず。蛇口(カラン)の前に立ち塞がってあぐらをかき、一人で桶を多数占領し啖を吐き、手鼻をかみ、立って湯をかぶり、風呂の中で身体を擦って垢を落し、無暗やたらに湯を浪費し、脱衣所で衣類をはたいて、塵を狭い場所に充満させ、ゲップをしながら出ていく。


歯槽膿漏の子供に、
「お前の口は臭い臭い」といって
叱っている親があった。
日本人には「叱る」ことの効用の限界を知らない人間が多い。


口を開けば「日本主義」とか、「日本思想」とかいう人があるが、日本が本当に日本らしかったのは紀元何年から何年までを言うのか。大抵の時代、日本人は事大主義者であり機会主義者ではなかったのか。それとも斬捨御免の封建時代が日本主義的だとでも言うのか。斬り捨てる方は愉快だったかも知れないが、斬り捨てられる方は、たまったものではなかった。



『近きより』1941年6月号、正木ひろし「私のメモより」抜粋


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