「自由」を高く買わされた気もするが(前編)

「11月9日」という日付けから、個人的にまず思い浮かぶ歴史的事件と言えば、ナチス・ドイツにおいてユダヤ人の状況が決定的に悪化した「水晶の夜」(1938年)である。しかし、「11月9日」に起こった有名な事件としてより一般に知られ、毎年情報産業の話題としても取り上げられるのは、同じドイツで起こった「ベルリンの壁崩壊」(1989年)であろう。今年はこの「ベルリンの壁崩壊」25周年ということで、日本でもまあまあの量で報道がなされていた――おそるべき「全体主義国家」である東ドイツ(ドイツ民主共和国)が解体され、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)に併呑される形で「自由」を獲得しました。今でもドイツの西との経済格差はありますし、ネオナチも出るようになってますが、とりあえずまぁよかったんじゃないですか、と。


しかしこのプロットは、1990年代の前半から垂れ流されていたものとまったく同じではなかろうか。そうだとすると、旧西ドイツ人脈が指導している統一ドイツは、統一によって生じた問題を20年以上も解決できていないということになり、果たして「自由」は旧東ドイツ系市民の人々に何をもたらしているのかという話になる。そもそも、かつて東欧圏に「自由」を推奨し、現在もその旗手であるはずの西側社会においても、その労働者市民の相当数が「もう一つの世界は可能だ!」などと言いだしているのはどういうことなのか。「自由」なはずの自分たちの世界ではない、「もう一つの世界」が必要だなんて? それなら彼らは、どうしてその程度の「自由」を国外にもたらすことを歓迎し、今でも祝賀しているのかと、実に白けた気分にはさせられる。ともあれ、ここ25年における西側の労働者/市民 にとって、生活条件面の向上が皆無に近いのは明らかである。市民の労働強度が目に見えて下がっている、または目に見えて所得水準が上がっているなんて西側の国の噂を、諸君は聞いたことがあるだろうか? 


一方でわたしは、イタリア語のネット記事で、あるマルクス主義経済学者による、東ドイツ経済の盛衰の概略についての解説記事も読んだ。それによれば、1989年時点で東ドイツの対外債務は200億マルクとも言われ、当時は「自由」の話と合わせ、経済面におけるかの国の指導者層の無能もさんざんに評されていた。しかしこの金額は、実はソヴィエト連邦への第二次世界大戦の賠償(約990億マルク、1953年時点のレート)と比較すれば少額であったそうである。一方西ドイツは、ソヴィエトへの支払いを非常に早い時期に中断したため、東側の50分の1強の金額しか払っていなかった。80年代の東ドイツが赤字国家であり財政危機が進行していたのは事実であるが、この対外債務の数字については、今から見れば「え、この程度で?」と言ってしまえる額でしかない。なにせ現在の西側諸国の中で、これよりはるかに巨大な対外債務を抱えている国はいくらでも存在しており、当の統一ドイツのそれなどは5兆ドル以上と換算されている――こうした指摘を読むと、当時の東ドイツの「経済破綻」報道は多分に、日本における「国鉄解体」の時期に喧伝されたイデオロギー的攻勢とも似た、「ためにする議論」ではなかったかと思えてくる(注1)。近年、東ドイツの最後の国会評議会議長であったエーゴン・クレンツが、自国が「崩壊した」のではなく「崩壊させられた」という自動詞と他動詞の違いを力説しながら、西からもたらされた「自由」の虚しさを説いているのも故なしとはしない(注2)。もっともクレンツ元議長は、かの国の絶対的政権党の幹部であったわけだから、彼らが東ドイツ市民に強いた種の「自由」の抑制についての説明には、相当言い訳がましいものがあるのも確かである。


それでは、クレンツ元議長のような東側諸国の執政者に対し、「自由」を求めて迫っていたはずの人々は、現在自分たちの国に広がっている「自由」をどう見ているのであろうか。そんな疑問とともに「ベルリンの壁崩壊」25周年のニュースを読んでいた折、なかなか興味深い文章を見つけた。アメリカの左派系報道誌『カウンターパンチ』のサイトに10月24-26日づけで発表された、Andre Vltchekの「共産主義下のチェコこそ自由だった!」と題する記事である。アメリカのジャーナリスト兼ドキュメンタリー作家であるヴルチェク氏は、同誌のサイトの常連寄稿者であるだけでなく、ご存じノーム・チョムスキーとも近しい一人のようである(注3)。このヴルチェク氏の記事は、1955年生まれで共産主義政権時代のチェコスロヴァキアの「反体制」芸術家/知識人であったMilan Kohoutとの対話の記録であるが、ここでのコホート氏による発言の数々は、「自由」の問題を考える上でとりわけ興味深い論点を含んでいると思われるため、前後編に分けて紹介する次第である。例によって拙訳には、誤りや含意などが汲み切れていない部分が多々発生している恐れがあるので、わかる方はこちらのアドレスこっそりご指摘願いたい。なお、〔〕内には訳の簡単な補足を付した。


http://www.counterpunch.org/2014/10/24/freest-under-czech-communism/





『カウンターパンチ』誌サイト
2014年10月24-26日

共産主義下のチェコこそ自由だった!
アンドレ・ヴルチェク



ミラン・コホートは思想家、パフォーマー、大学教師である。彼はチェコスロヴァキアに生まれ、「憲章77」〔1977年に発表された反体制派のマニフェスト〕に署名するまでそこに住んでおり、アメリカに移住した後に、合衆国の市民権を得た。コホート氏は完全に資本主義に、それに西側の体制に失望した。


長年にわたり彼は世界中でパフォーマンスを行うことで、西側の帝国主義、人種主義、資本主義、そして世界中の宗教、とりわけキリスト教に対し、正面から対峙している。


この対話は西ボヘミアの小村Klikarovにて、2014年10月12日に行われたものである。コホートが教えている、ピルゼン市にある〔西ボヘミア大学の〕哲学・芸術学部において政治的講演を行うため、ヴルチェクはチェコ共和国を訪れた。ちっぽけで辺鄙なKlikarovの村に、二人は車を走らせ、養魚池のそばに座り込み、西側帝国主義、資本主義、そしてヨーロッパ/アメリカ式プロパガンダの毒性について語り合った。


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アンドレ・ヴルチェク(以下V):あなたは西側において、西側の帝国主義に対し、タガの外れた資本主義に対し、そしてさまざまな宗教に対し直接行動をとっている、数少ないアーティストの一人です。どうして、またいつからあなたは、そのような芸術様式を選択するようになったのでしょう?


ミラン・コホート(以下K):それは明らかに、私がいわゆる「第二の文化」、チェコのアンダーグラウンド文化の一端を担うようになってからのことだ。時代は、西側で呼ばれていたところの「全体主義システム」、もしくはチェコスロヴァキアの社会主義システムのそれだった。「第二の文化」は、我々自身の創造性とともに、芸術の意味についても形成する運動だった。当時我々は公式文化、もしくは「第一の文化」から排斥されていた。ゆえに我々は反逆した。それは定義からして深く政治的運動であり、政治的芸術を制作するものだった。


V:あなたはしばしば、非常に正しくも、「憲章77」に署名した人々、冷戦期のアンダーグラウンド/反対派運動に巻き込まれた人々が、実質的には社会主義者であり、幾分かはマルクス主義者ですらあったと言っています。それにあなたも含まれる。あなたは決定的に左翼知識人です。明らかな矛盾がここにあります。西側はあなた方を、反共主義者のグループとして「売り出し」、プロモートしていたからです。あなたならこうした矛盾についてどう説明するのでしょう?


K:もちろんそこには矛盾がある、巨大な矛盾だ。というのは「第二の文化」、アンダーグラウンド運動にかかわった人々のほとんどは、実際には左派の諸価値の深い支持者だったからだ。モノをかき集める代わりに、すべてを分かち合うことを好む。我々は所有と生産手段の共有を信頼していた。しかし我々は、これを理論的な視角からは全く考えなかった。我々の価値観は、実際のところ哲学的には左派のものであったことに気付いていなかった。ゆえに、いわゆる共産党政府と戦っていた時の我々は、実際には真の共産主義者だったわけだ!
 ところがだ、私がこのことを、「憲章77」に署名したもののこの国を離れなかった同志に語ると、彼らはしばしば席を立ってしまう。彼らはそれを認めようとしないのだ。


V:あなたはヴァツラフ・ハヴェル、ある時点ですべてを売り払い西側の帝国主義を支持し始めた――彼はワシントンに行き、卑屈なスピーチと引き換えに、西側政権の代表たちのスタンディング・オヴェーションを受けたものです――あのハヴェルすら、あなたの運動たちの一員だった時には、実際に左派の理念を共有していたのだと、実際に言っていますね。


K:それはもちろんだ! 彼の哲学的見解の一部は実質的にマルクス主義のそれだった!


V:それでは何が起こったのでしょう? どのように彼のような人物が変貌してしまったのでしょう?


K:革命の後、私はヴァツラフ・ハヴェルを非常に誇りに思った。なぜなら彼は公的に、大統領官邸に住むつもりはないと宣言したからだ。彼は自分の質素なアパートに住み、自分の車で仕事場に毎日通った……私は、彼が素晴らしい役割モデルになったと感じたよ。


V:彼は大統領宮殿に、自転車で通っていたこともあって……。


K:そう……彼は本当の「民衆の英雄」か、「人民の大統領」のようなものとなった。しかしその時、何かが彼の心を変えたのだ……おそらくその一因は、彼が歴史的にブルジョワ家庭の出身だったことによる。


V:プラハ有数の裕福な家の……


K:そうだ。とても、とても裕福なブルジョワ家庭のだ……もちろん彼は言っていた。「私は自分の資産やかつての家の社会的ステータスを請求するつもりはない」と。しかし何かが変わってしまったに違いない。私が推測するに、彼が大統領になった後、もし大統領がこの種の「左派のライフスタイル」を通し続けるならば、国が動き出していた資本主義的方向に彼が衝突してしまうとする理念を、顧問連中が押し付け始めたのだろう。彼らは大統領に、「自由」と「経済成長」をサボタージュしているかのように見られますよと、ほぼ確実に言っただろう……それからおそらく、政治的な高い地位も人を堕落させる……そして彼はゆっくりと、しかし確実に変わり始めた。彼は「損害賠償」の名目で、一族の以前の財産をすべて徴収した。彼はアメリカの帝国主義的外交政策を支持し始め、その事実は私を極度に当惑させた……さらに後には、より奇怪な何かが起こった。彼は現実の生活との接触を失った。彼は選民たちの温室、もしくはそれに似た何かの中で暮らし始めた。


V:そこで、すでに我々が以前に議論した話題に戻りたいのです。すなわちチェコスロヴァキアが、ソヴィエト時代にどんな問題に直面していたとしても、この国は決定的に、世界中の抑圧された人民の側にあったということについてです。チェコとスロヴァキアのエンジニア、医師、教師たち――彼らは人道のため、アフリカやアジアの人民のために、何かしらの並外れた仕事をなしたのではなかったか……


K:今もキューバ人はそうし続けているが……


V:そうです。しかし今振り返ってみると、共産主義時代に多くのパーセンテージにあたる人々が実際に願っていたのは、西側に加入することであり、直接的にしろそうででないにせよ、グローバルな抑圧機構の一部分になることだったように見えてしまいます。今や進歩的異論派だった人々のほとんどは、ハヴェルがそうしたように転向してしまったし、国家は分割され、西側の帝国主義と経済構造に決定的に参加するようになってしまっている。チェコとスロヴァキアは両方とも完全に、世界の他の地域に対して、肯定的な側面をまったくなくしています。
 人民は幸せなのでしょうか? 彼らは本当にそれを求めていたのでしょうか?


K:ここでもまた、人々は「外国の投資」によって搾取されている。
 このチェコ共和国で、人々の心の中で何が起こっているのかについて、わたしが本当によく理解しているわけではない。もちろんある種の「社会の選ばれた一部」に属する、何らかのものを所有しており、いわゆるビジネスの成功者として、大金持ちになった人々は、こうした方向性を当然ながら喜ばしいものとしている。そしてこうした人々がメディアを所有し、右翼的システムを推進している。しかし私が考えるに、貧しい人々は、「もし全体主義システムから自身を解放できたなら」、「自由な生活」を営み「喜びある生き方」を始めることが出来るだろうという、自身の夢から覚め始めている。
 彼らの夢で実現したものは何もない。ほとんどの人々にとって、今の生活は社会主義下のそれよりさらに恐ろしいものとなっている。


V:「恐ろしい」とおっしゃられましたが、チェコ共和国が今なお非常に豊かな国であることを思い出さなければなりません。そして、少なくともその市民に対しては、一種の社会民主主義的なマットレス、クッションになるものが提供されています。相対的にはとても高い水準にある無償医療、無償教育、文化への助成もあれば、立派で安価な公共交通機関が国中を走っています。何が悪い方に変わったのでしょう?


K:いわゆる「ヴェルヴェット革命」の前、人々はある種の情報や、映画を含むある種の文化製品にアクセスできないことについて不満を持っていた。彼らは自分の好きな時に外国旅行もすることも許されなかったし、他にも色々とあった しかし彼らは、今日現在のそれと比べればよほど、よほどよい生活の尊厳を有していたことには気づかなかった。彼らは資本主義に参加する際、それが様々な不安、自己の存在に関わる非常に深刻な不安を感じさせはじめるものであることに気づかなかった……彼らは、職を失うことに脅かされ始めるようになった。
 今や彼らは、共産主義下における以上に、彼らのボスの尻にキスしなければならない。
 全くもって興味深いのは、人々が享受してきた各種の利点が、当然ながら歴史を通じた諸々の社会主義運動によって創られ、築かれ、設けられたものであったということだ。彼らは自身が有している価値や利点について、忘れてしまっていて……


V:彼らはそうしたものを当然視した?


K:彼らはそうしたものを当然視していた。彼らは何らかの偉大な達成を得ていることに、偉大な生活を過ごしているということに、まったく気づいていなかった。突然、そうしたものを失い始める時になって、彼らは何か恐ろしい過ちを犯していることに気づいた。人々の一部は今や非常に失望している。私は妻とともにモラヴィアで一年暮らした。国中でも非常に失業率の高いところで、大きな不満を聞くことが出来る。
 実に興味深いではないか、社会主義的システムから資本主義的なそれへのこうした転換は。社会主義下において、チェコスロヴァキアはすべてを、文字通り、針から機関車までを生産していたというのに。


V:核融合炉に、飛行機、巨大客船……


K:そう、すべてを……核融合炉から衣服まで。すべてはここで生産されていた。食料もここで生産されていた。自給自足の国家だった。
 いまやすべてが変わった! 国営企業はすべて消えた。売り飛ばされるか盗まれるか……


V:もしくはダウングレードしたか。飛行機産業も消えました。世界全土に機関車を輸出するための工場が、西側の多国籍企業に買収され、今では電車をつくっている……


K:そう……すべてが消え去ってしまい、民営化されたように、生産は東へ移っていくし、いわゆる西側の「投資」が国に入ってきて、「奴隷労働」のための巨大な生産拠点をつくり、人々はそこでチャップリンの映画『モダン・タイムス』の登場人物のように働いている。
 本当に悲しいのは、人々が「自由」という言葉の意味を完全に誤解していることだ。


V:およそ30年前の方が、今よりもここにも自由があったとおっしゃりたいのですか?


K:それは人による。だが私は、ボストンにあるタフツ大学の私の学生諸君に、「私が最も自由を感じていたのはいつか」と問いかけてきた……私はいつもこう語った、「それはチェコスロヴァキアの“全体主義システム”の中にいた時だ」と!


V:より正確にいえば、「いわゆる全体主義システム」の中にいた時、ですね……私たちは今では、中国について同じようなことを見出しています。あなたは中国でパフォーマンスを行っており、私の仕事もあちらでしばしば公開されている。多くの点で、あそこの芸術家たちは、西側にいるそれよりも自由です。北京では、芸術家たちはより多くの重要な論題に携われるし、ロンドンやニューヨークで活動している人々よりも、社会に巨大なインパクトを与えることができるからです。


K:そうだ、私は自分の経験から知っている。私は4年前に北京で、パフォーミング・アーツの大規模なフェスティヴァルを組織した。私が非常に驚かされたのは、そこで提示された彼らの作品の一部に、かくも深く批判的なものが存在するのかということだった。一方で、私が読む西側のプロパガンダ・メディアでは、共産主義の中国の検閲によって批判的な声を持つ人々が牢屋に送られウンヌンとなっている。それは、かの地で私が目撃したこととは大いに違っていた。


V:チェコスロヴァキアにおいては、先ほどあなたが指摘されたように、いくつかの種の情報がたやすく手に入らないことに人々が不満を訴えていた。しかし同時に、共産主義のチェコスロヴァキアでは、そのことが問題化されていたわけです。今日において、親西側かつ資本主義のチェコ共和国では、情報が意味することはわずかであるし、人々が本当に変えられることもわずかなのです。彼らは情報にアクセスできるにもかかわらず。


K:社会主義政権下、つまり西側が「全体主義システム」と呼んでいるものの下で、人々は不満を訴えていた……我々は訴えていた……しかし我々は、探していた情報を得るための道筋を常に発見していた。それに我々は情報を理解することにも努めていた。そうして自分たちが得たものを価値づけていた。情報について真に学び、それを本当に真に処理していたのだよ。私たちには十分な時間もあった。社会主義システムの下で、我々は真に贅沢な時間を有していた。つまり本を読み、音楽を聴き、映画を見ることを享受できた……


V:時には仕事場においてすらそうだったでしょう、なぜなら当時は誰一人として必死に働いていなかったようですから(両者笑う )。


(後編へ続く)






(注1):日本でも1987年のJR発足まで、国鉄がいかにダメで、民営化がいかに素晴らしいかという喧伝が吹き荒れたが、現在のJRで利益が上がり株式上場をしているのは本州の各社(東日本・東海・西日本)だけである。残りの各社およびJR貨物は25年たっても赤字が続いているとのことである。


(注2):エーゴン・クレンツ「「壁の崩壊」は後からでっち上げられた」(『社会評論』160号、2010年)


(注3):ヴルチェク/チョムスキー両氏の共著としては、“On Western Terrorism: From Hiroshima to Drone Warfare”(London: Pluto Press, 2013)がある。この本は『チョムスキー、西側諸国のテロリズムについて語る』という題名で、平凡社から日本語翻訳が出されるという話がインターネット界隈では秋頃から出まわっているのだが、何らかの事情で発売が延期されているものと思われる。日本書籍出版協会の「これから出る本」(こちらの「2014年12月上記号」を参照)にも名前は出ているものの、この記事の掲載時点においては、平凡社のホームページ上には情報が挙がっていない。




[追記:タイプミスと改行の部分に若干の修正を加えた(2014年12月17日)]




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