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寒い国から来た人から見られた世界(上)

以前この「手帖」において、ロシア出身のジャーナリストであるアンドレ・ヴルチェクの文章を紹介するともに、彼とノーム・チョムスキーの対談に基づく“On Western Terrorism”という本の翻訳が平凡社から出されるという情報を伝えたことがあったが、先日ようやくそれが出版された。ただし、昨年末の「出版ニュース」掲載時に挙がっていた「チョムスキー、西側諸国のテロリズムについて語る」という日本版の仮題は、「チョムスキーが語る戦争のからくり」というものに変更されていた。訳者あとがきによれば「日本語圏読者の関心を考慮して、邦題は少し変えさせていただきました」とのことであるが、「西側のテロリズムについて」という単刀直入な原題を生かしていた仮題が使われなかったらしいことは残念である。“From Hiroshima to Drone Warfare”という副題の方は「ヒロシマからドローン兵器の時代まで」と忠実に活用されているのを考えると、この思いは余計に膨らむ。「チョムスキーの○○」「チョムスキーが語る○○」といった原題ではないのに、邦題ではそうなっている翻訳はすでに何冊もあるわけだが、わたしはこういった題名を見ていると、例の「池上彰の解説」本の「読書人」向け縮小版ではないかと錯覚しそうになる時がある。チョムスキー氏の名で売上げを確保したい(日本においてそこまで知名度があるのかいささか疑問だが)のは理解できるものの、その内容が重要なのは「偉大なるチョムスキー」が語っているからではない。彼のなしている現代政治への批判について、労働者/市民が自前で考え、「チョムスキーが語らなくても」発言していくようになることがより大切なのであるわけで、その意味で「日本語圏読者」のためになっていない邦題のように思う。


それでも、この翻訳の内容自体は非常に面白く読めた。日本語の本で出されているチョムスキー氏の対談・インタビューをあらかた読んでいるというわけではないが、わたしが目を通した彼の本の中では、最も刺激あるものの一つである。そしてこの刺激は、対談者であるヴルチェク氏の個性によるところが非常に大きい。普通の「チョムスキーの本」だと、チョムスキー氏が色々とパンチの利いた話をするのに対して、良くも悪くもインタヴュアーや対談者はその受け手として「大先生にご説拝聴」モードに入ることが多いように見えるのだが、ヴルチェク氏は自身の調査と見聞による話題を相手に負けずどんどん繰り出しており、その意見の猛烈さもしばしばチョムスキー氏以上に際立っている。たとえば「ファシズム」について話題になった際、ヴルチェク氏はそれについて、植民地主義のことを念頭に入れれば特殊な現象でも何でもなく、「ヨーロッパを全般として見れば歴史的にはファシズム国家だと思いますね」とすら述べているのだが、チョムスキー氏でもここまでの「極論」を提示することは少ないと思う。以前からチョムスキー氏の本や発言に触れていて、「いつも同じことを言っている」とか「最近の彼の“アラブの春”評価には違和感を感じる」とか思っている人には、むしろヴルチェク氏の発言を読むためにこの本を買う価値があるかもしれない。


というわけで、“On Western Terrorism”日本版の発売を個人的に記念する意味も込めて、わたしが今回紹介したいのは、アメリカの『カウンターパンチ』誌サイトに2014年11月14-16日づけで発表されたヴルチェク氏の記事「西側左翼諸派は社会主義的諸国を嫌っているのか?」という一文である。日本文に直して10000字近くになるこのエッセイは、本を買おうとする人、または本を買って読もうとしている人にとって、著者の思考や背景を知る材料ないしは補助線として使えるであろう。しかしそこで驚かされるのは、彼の世界への認識が、「我々」の多くが現在持っているそれと大いにかけ離れていることである。わたしもまた彼の文章には、まったくその通りとしか言いようのない主張とともに、どうにも納得しがたい部分も見出しているのだが、「我々」はむしろそのことから学ぶことがあると考え、ネット上で公開されている彼の多くのエッセイの中から、この作品を選んだ次第である。今回は長文につき、拙訳を前後編の二回に分けて掲載した上で、わたし個人の意見については日を改めて書きたい。誤訳についての意見などは、こちらのアドレスにこっそりご指摘願いたい。なお、〔〕内には訳の簡単な補足を付した。


http://www.counterpunch.org/2014/11/14/do-western-leftists-hate-socialist-countries/





『カウンターパンチ』誌サイト
2014年11月14-16日


西側左翼諸派は社会主義的諸国を嫌っているのか?
アンドレ・ヴルチェク



ヨーロッパと北アメリカのマルチチュードたちは、本当の注意を払っていないから気づいてこなかったのだが、世界の数多くの地において左翼は選挙で当選しているだけでなく、自身を権力へと推し進める革命を戦って勝利を収めている。20年前の世界と比べて全く違った世界がここにある。我々は素晴らしいオルタナティヴに満ちた、次第に楽天的になれる時代〔optimistic times〕に生きている。


ここ数世紀において初めて、西側の帝国主義と植民地主義によって定義されることのない世界についての、夢が可能になりつつある時なのである!


非常に多くの場所で、人々が再び自身の国づくりに携わっている。都市や村落に高いビルディングを建て、タワーや橋を築き、力強いタービンを回し、貧しい人々に電気を送り、病気を治療し、何十年にも何百年にもわたる西側の植民地主義と野蛮な資本主義の結果として、暗黒にとらわれてきた人々を教育している。


総じてモダンでエコロジー的な隣人たちは、中国全土で育っている。建設されつつある都市は、広大な公園と公共の運動場、託児所やあらゆる種類のモダンな保健機関を備えており、同様に歩道や信じがたいほど安価でスーパー・モダンな公共交通機関も有している。


ラテンアメリカにおいては、かつてスラムだった場所が様々な文化的拠点へと姿を変え、超超モダンなケーブル・カーで他の都市エリアとつながっている。


キューバは、その極度の収入の低さ(ドルで換算した場合)にも関わらず、国連開発計画の試算によれば、「非常に高い開発指数」を有する突出した国々のグループに加わった。あのグループには、社会主義的政府を有する他のラテンアメリカ諸国――チリとアルゼンチン――も含まれている。


今や普通と考えられている事々の多くは、わずか10年ないしは20年前には想像もつかなかったものである。チリの大統領ミチェル・バチェレトは、二度目の当選を果たした。西側の後ろ盾を得ていたピノチェトの独裁時代、彼女は囚人として野蛮な拷問を受けた。彼女の父親は、軍人としてアジェンデに忠誠を尽くしたことで殺害された、それゆえ彼女は亡命し、東ドイツで医学の学位を取った。バチェレト女史は現在、ファシストの進軍の最中に砲撃され廃墟となったそれと同じ官邸――モネダ宮殿――で執務している。彼女の国はわずか1800万人の住人しか有していないが、アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイのように、知的原動力となっている。チリは「純粋な」社会主義国家ではないが、広範な社会主義的改革を推進している。いまやこの国は、職を失った何万というヨーロッパ人が、その都市や農村で仕事を探しているほどには豊かである。


ブラジルでは、かつてゲリラ戦士だった女性〔ジルマ・ルセフィ大統領〕が、何百万もの人々を貧困から救い出し、地球上で最も重要で敬愛される諸国の一つへと変えつつある。この国は「BRICS」の柱の一つである。その知識人、映画製作者、著述家たちは、感情を湧き立たせ、よりよき世界についての夢を生み出している。


こうしたもののすべてが完全に息を呑むような事件だ。もしそれに本当の注意を払い、その場に立ち会わせ、彼なり彼女なりがこうした出来事を追うために寄り道するならば!


南アフリカにおいて、かつての希望なきスラム街は生活の希望や進取性に満たされ、モダンなバス専用車線や列車によって連結されつつある。彼らは競技場、ショッピング・モールやフィットネス・センター、モダンな病院や学校を持っている。多くの尺度において、社会主義的な南アフリカは世界の超一等国であるものの、なお恐ろしい社会的問題の数々を抱えてもいる。それでも、すべての諸問題が、開かれた形でかつ率直に討議されており、印象的な進取性の数々が、この畏怖すべき国を前進させているのだ! 私が最近のレポートで書いたように、南アフリカにおいて、アフリカ大陸が立ち上がっている!


エリトリア、イラン、朝鮮は、西側の経済封鎖と凶悪に立ち向かっている。彼らを略奪し屈辱を与えてきたのと同じ諸国による命令なしに、自分自身の道を進むための自由を主張するために激しく働いている。


そしてロシア、親西側のパペットであったボリス・エリツィンの怪物的政府の時代、一度はその膝を屈していた強国ロシアは、今は自身の座にたち戻り、世界各地の多くの進歩的諸国の側に立つようになっている。キューバへの莫大な、何十億ドルもの債務を放棄して、ベネズエラ、ブラジル、そして他の左派的諸国と力強い同盟を組織するだけでなく、ついには中国との大同盟も築きつつある。


世界はかつてない現実の飛躍に近づいているのである――真の自由に。


***


しかし、西側左翼の多くは、これが人類にとって大いなる好機であると認識することを拒否している。


なぜなら、自分たちが取り残されている、自身の領分におけるとてつもない敗北によって面目を失なっていると感じているからである。


なぜなら、あらゆるレトリックと「政治的正しさ」にもかかわらず、そのメンバーの多くが実際にはショーヴィニストであり、人種主義者ですらあるからである。そして中国の、ロシアの、アフリカの、ラテンアメリカの思想家たちは実際、そのことに気づいている。


西側左翼の認識では、革命――真正かつ純粋な革命――は常にヨーロッパか北アメリカからもたらさなければならないものである。哀れなアジア、ラテンアメリカ、アフリカの人々を解放しなければならないのは西側なのである。


中国革命は「不純」である。それでは誰が考慮しているのだろう。かの国の多数派、何億もの人々が、今では健康的で滋養のある食事ができ、質の高いサーヴィスを伴ったよい住宅に住み、モダンな移動手段で旅行し、非常に良質の教育をうけるようになっていることを? 誰が考慮しているのだろう? 西側左翼の尊師たち〔gurus〕のほとんどによれば、それは「真の共産主義ではない」のであり、うち何人かによれば、社会主義ですらないのだ!


こうした物事を「社会主義」ないしは「共産主義」であるかどうかを定義できるのは西側思想家だけで、アジアのそれではなく、よって「中国型社会主義」は彼らにとって無である。それは単なるポーズ、見せかけである。


何年か前、私はベネズエラを、ある非常に著名な西側知識人とともに旅した。この人物はボリビア共和国で行われている出来事についてレポートしており、それはとてもよくできたものだったと私も認めなくてはならない。ある晩、ビールを何杯か傾けた後、私たちは中国について話し始めた。


「私は中国が嫌いです」と彼女は言った。「中国人は信用しません」。


私は彼女に、中華人民共和国の各地を旅したことで、非常に好印象を受けるとともに、中国が非常に成功した社会主義国であり、共産主義国とすら言えると確信したと語った。彼女は私に、熱烈に反駁し始めた。私は彼女に中国を訪ねたことがあるかどうかを尋ねた。


彼女は、声を上げてはっきり返答した。「私はそこには絶対行かない! 私はその地が嫌いで人々も嫌いなのです」。


彼女の態度は私の印象に残った。少なくとも彼女は乱暴だが正直であり、すべてを開け広げにしていたからである。中国人に対する人種主義は、西側の「進歩的」サークルにおいてはほとんど放たれることはない。その中に存在しているのは偏見にまみれた一連の「分析」である。しかしそうしたものが認められることは決してない。すべては「客観的批判」によって覆い隠されている。


その「分析」は、「西側の我々と同じように、すべての中国人が自分の車やテレビ・セットを持つようになったら、地球に何が起きるか想像できるかい?」という言葉に始まり、「中国人は我々と同じくらい乱暴であり、同じ帝国主義的傾向を持っている」という言葉に終わるものである。


中産階級的な社会主義国家〔a middle-class socialist society〕への中国の変貌は、明らかな奇跡(それは中央計画の優越性と、そのシステムの一般的な利点の実際の証明として、むしろ奇跡以上のもの)であり、ここ100年に地球で起こった唯一の大成功かもしれないものである。一方で、西側左翼は、起こっていることが実際には純粋ではないこと、真に共産主義的ではないこと、そして多くの点においてまったくの災いであることについて、何かしらブツブツ呟いている。


なぜなら彼らの観点によれば、西側でデザインされ実地されているものしか信頼にあたしないからである。彼らは決してそうは言わないだろう、しかし今やこのことは明白だ! 中国、南アフリカ、ベネズエラの偉大な非西洋社会に、そうした軽蔑が向けられている! 悪意ある皮肉だ。何らの支援も欠いたこうした国々が、自国の人々を真に気遣おうとしているのだが!


ほとんどの西側知識人にとって、10億もの人間の生活が快適かつ尊厳に満ちたものになることは、何も意味していない! なぜなら彼らにとって中国人は、個々人としてであれ集団としてであれ、何も意味していないからである。


中国の諸都市に設けられた広大な公園と緑地帯について、誇りと勇気をもって語る代わりに、延々と繰り返されることと言えば、北京の大気汚染についてか、いくつかの「胡同〔フートン〕」――何十もの家庭が一つの穴に排泄をしているような、不潔さと不衛生のたまり場――の取り壊しについてばかりである。つまり、西側の目にとって良いものとは――貧しい人々のあふれた「古き」中国の、ステレオタイプで典型的なものなのだ。その一方で、あらゆる近代設備を兼ね備え、誇らしく、モダンで、かの国の各所において標準となっている上質の高層住宅は、西側にとっては「退屈」であるだけでなく、煩わしくすらある。そして中国人が電話や、上質の衣服や、車すら欲しがっているという事実は、「商業主義」の証拠と見なされ、もはや中国が社会主義国家でないという主張に使われるのである! なぜなら西側左翼は、自分たちが海辺に別荘を所有することには何ら反対していないのに、非西側世界に住んでいる人々は純粋で貧しくなくてはならず、もし彼らがマルクス主義者と呼ばれたいのなら、一種のモルモットのように機能していなければならないからである。


同志はいない! まったくクソだらけだ! そして今や、こうした非西洋の人々のことを本当に考慮しているのが誰なのかは明らかである。


社会主義、もしくは非教条的な共産主義の目標は単純で明快だ――よりよい生活を人民に。より良き都市と農村を、恐怖を軽くし、より高い文化を、教育を、尊厳を、そしてより喜びを!


そしてそうした目標に、南アフリカ、ベネズエラやその他の社会主義国家のように、中国も達しつつあるのは明らかではないか!


(後編へ続く)




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