新しい伊藤野枝伝?(その2)

ここまで内容以前の部分のツメの甘さについてばかり書いてきたが、そろそろ本文の方にも言及しださないと日が暮れてしまう。栗原氏の本をどうにか読了した後、彼の本について考えるための比較材料としてわたしは、前述した伊藤の2つの全集の編纂に関わった井手文子による伝記『自由それは私自身:評伝・伊藤野枝』の初版(筑摩書房、1979年)をまず手に取った。意図したものか、『自由それは私自身』初版と『村に火をつけ、白痴になれ』は、ともにソフトカバーで四六判の判型をとっている。分量も前者が210ページ前後なのに対し後者は180ページ前後で、厚さもほぼ同じである。しかし、伊藤野枝について知るためにはどちらの本が適切かと問われるならば、わたしは自信をもって井手の本を推薦する。第一の理由として、栗原氏の本には、「事実の掘り起こし」という次元において、旧来の研究に付け加えているものがあまりにも少なすぎるという点が挙げられる。栗原氏の特殊な文体については先にも述べたが、その冗語の数々は「読みにくい/読みやすい」という問題を脇に置いても、本来より情報を盛り込めるはずのスペースを埋め立ててばかりいるという点でも無意味である。


もちろん、70年以上を生きた岩波茂雄のような人物と比べれば、30才すら迎えずに殺害された伊藤の場合は、取り上げるべき事項も限られるのは当たり前とは言える。すると続く問題は、そうした少ない情報を著者がどのように拾い上げ、いかなる観点から再構成しているかという話になるが、栗原氏の本においては、彼女のエッセンスがおそろしく単純化されているとしか思えない。「はじめに」で、伊藤の人生の軌跡の特徴を「ひとことでまとめておくとこうである。わがまま」というワンフレーズが飛び出してくるが、本当にこの本はどんな伊藤のエピソードも彼女の「わがまま」に収斂させてばかりである。伊藤の名前が冠されたこの本を手に取る読者は、当時の日本および世界における諸々の無政府主義(広義の社会主義)の様相がどのようなものであったか、その中において彼女の活動や思考がどう位置づけられるかといった問題系について、具体的な形であれ漠然とした形であれ明快な説明を期待していると思われるが、そうした読者の要求に彼の著述は答えるものではない。「わがまま」の話に終始するのだから、たとえば女性無政府主義者エマ・ゴールドマンと伊藤の関係についての通りいっぺんの言及すら、栗原氏の論旨には必要ないように思えてくる。ゴールドマンの著作に直接あたったことがないわたしには、栗原氏が提示する伊藤の「わがまま」は、むしろマックス・シュティルナー、それどころかフリードリヒ・ニーチェもどきの自我絶対主義に過ぎないに見えてくるのだが、そうした点への必要な説明がなされていないので余計にそう思える。


歴史/伝記的著述においては、著者が論ずる対象に対して自身の共感/反感を強く示すことによって、文学的興趣がしばしば加わることもあるものの、著者の肥大した主観性によってのみそれがなされる場合、逆に記述の正当性そのものが失われることになる。栗原氏の著作においてもそうした傾向は明らかであり、その一例が「日蔭茶屋事件」前後の記述である。四角関係の破局的結末として神近市子に刺された大杉は、病院に駆けつけた無政府主義(「社会主義」とする栗原氏に対し、井手は正確に「無政府主義」としている)仲間の宮嶋資夫たちから運動を潰すつもりかと罵倒されるが、伊藤の方はそれだけでなく、外から帰って来るところを待ち構えていた彼らに、ぶん殴られるわドブに叩きつけられるわと散々な目にあう。こうした伊藤(と大杉)に対し、いわゆる「論壇」主流の論調はもとより、彼らと近しかったはずの各種社会主義者、平塚らいてうら旧『青鞜』周辺の女性たちもまた、突き放すかのような発言に終始する。こうした伊藤(と大杉)を見舞った事態に対し、極めて栗原氏は攻撃的である。


確かに、吉田沙保里のような格闘技のチャンピオンでもない女性を、男性が寄ってたかって襲撃するというのは言語道断であるし、この時点での平塚などの反応も、ブルジョワ・ジャーナリズムの路線に棹差すものになっていたとは言えるであろう。栗原氏に限らず、伊藤(と大杉)を擁護しようとする人々は、決まってこの時の「かつての同志たち」の冷たさに否定的に言及している。しかしそうした記述を読んでいても、伊藤(と大杉)の直面した周辺の態度は、たとえば何かしらの「裏切り」のようにみなしてよいものか。当時の神近市子は、後の日本共産党へいろいろ送り込まれた種の、意図的に組織破壊を目的とする当局のスパイではなかったどころか、大杉の生活を金銭的にほとんど支えていた。後世における伊藤(と大杉)の擁護者の中にも「勝手に献身した神近こそバカだったのだ」と言う者はいない。「○○主義者」を自負する人々が常に恣意的な逮捕・投獄を受ける危険性があった時代――現代でもさほど変わらぬかもしれないが――において、彼らが安定的収入を確保することは極めて難しかったため、その家計を支えるパートナーの苦労は「内助の功」という慣用句で想像されるレヴェルをはるかに超えている。そうした相手に対する(伊藤ではなく)大杉の「裏切り」こそ、運動にかかわる人々の間で問題視されたのは、ある意味では当然ではないか。井手文子の伊藤伝では、大杉の「自由恋愛」の実践が大失敗に終わったという、秋山清ら後の無政府主義支持者すら下した評価を再確認しつつ、それでも大杉の主張には救うべき部分があるのではないかとして、関係四者の状況や心情を一通り分析した上で、「自由恋愛」の肯定的意味を立体的に論じようとしている。彼女による大杉(と伊藤)の「自由恋愛」の擁護は、十分に説得的であるとわたしは思わないが、一定の論証を踏まえているので論理的には理解可能である。しかし例によって栗原氏の議論は「個人のわがまま大変結構」という開き直りを超えてくれないから、最低限の説得性にも欠けている。


当時の「運動」の環境を鑑みるに、神近(や堺保子)に対し彼女らの肩を持とうと言いだす人々が出ることは、むしろ「運動」に自覚的である人の方が理解しそうなものである。周辺人物による暴力行為や村八分的振る舞いがあったとすれば、それらは「運動」の問題として批判されるにせよ、幸福な家庭という約束事に縛られていたとか、二人の私的な恋愛スキャンダルで自分たちの評判まで悪くなるのを恐れていたといった強調は、むしろ事件を矮小化することにならないか。おそらく栗原氏の著述では、異なった位相にある「約束事」が混同されている。つまり、ある社会において「自然」なものとされている、抑圧的規範としての「約束事」があるとして、そうした抑圧的規範を脱却しようとする個人どうしや運動の総体が、自己の活動をより有効なものにするために取り決める「約束事」もある、ということだ。何らかの社会運動が展開する場合、その中で交わされる「約束」――「運動内の信義」とでも言い換えられるであろう――が守れない、少なくともそう見なされたリーダーに、長期にわたって他の人間がついていくことはないのは自明である(注3)。もちろん、運動の仲間うちでの「約束事」の意味合いと、恋愛をしている人間同士の「約束事」のそれは別個のものであるが、大杉その人もまた自分の「革命」と「自由恋愛」の理論を切り離していない。そうである以上、恋愛の「約束事」を守れなかった大杉に対し、もう片方の「革命」のそれも守れないという疑いがかけられ、よって「同志」として擁護されることもなかったのではないか――栗原氏の本以外にも、大杉(と伊藤)に関する記述をいくつか読みあわせて、わたしはそのように感じたのであった。宮嶋などは伊藤にやつあたりするのではなく、大杉の刺し傷が重症ではなかったことを確認したのなら、彼の方こそボコボコにしておけばよかったという話である。


わたしは伊藤(と大杉)の「わがまま」を、「自助努力が足りない」「自己責任はどうした」といった、新自由主義の言語で誹謗しようとは思っていない。何かと知人や親類の好意に甘えて便宜を図ってもらっているばかりの二人(と言うか、彼らの人生は道半ばで絶やされてしまったから、もらいっぱなしのまま)は、どうにもダラシがないとは感じるものの、人の好意に甘える経験自体は多かれ少なかれ誰にもある。しかしながら、人の好意に甘えようとする場合は、他人に対する当てが外れ、時には足蹴にされたとしても、文句を言うものではないし言えた義理でもないとは考える。「相互扶助」というのは、相手の義侠心や親切心以上のことを過大要求するという意味なのか? 栗原氏は、平塚が伊藤を『青鞜』に受け入れた時には「らいてう、マジ神」としておきながら、その後に前者が後者に距離を置いた態度をとるとなると、途端に「らいてうらしい性格のわるいいいかた」などと書き出すのだが、こうした言い草は単なる手のひら返しであり、ご都合主義的かつ利用主義的感覚の表れと呼んだ方がよい。もちろんこれは伊藤自身の発言ではないのだが、著者の性根をよく反映した感想を「誤読」し、かえって彼女に悪印象を抱く読者も現われるのではあるまいか。


伊藤に興味を持つような現代人の中にも、「個人個人がそれぞれの「わがまま」を極限化することが社会の変革につながる」といった認識を抱いている向きは少ないと思う。しかしそもそも、同じ「はじめに」の最後において栗原氏は、「けっきょく、よりよい社会なんてないのである」とすら書いている。それなら伊藤も大杉も、「無政府共産」を知識人サークルの茶飲み話の域にとどめるのをやめ、「社会運動」をする必要がなかったことになる。わたしは「無政府主義者」について、「よりよい国家なんてない」と考える人々ではあっても、「よりよい社会なんてない」などとは決して言わない人々だと思っていたので、これには実に驚かされた。無政府主義は「社会」というより「制度」全般が嫌いなのかもしれないが、「よりよい社会なんてない」という栗原氏の言葉からは、むしろ資本主義国家における最低水準の福祉「制度」すら破壊するマーガレット・サッチャーもどきの言い草が連想される。万が一、現在の日本の無政府主義者も「よりよい社会なんてない」という主張をしているのだとすれば、ほとんど失笑に値するものであり、あらゆる種類の「社会運動」にとって自分たちは何の存在価値もないと広言していることになるだろう。


(つづく)





(注3):これとは別に、大杉が後藤新平に直談判に行き、そのポケットマネーから300円を獲得したという一件も、彼が「運動内の信義」という問題に無関心に過ぎたのではないかという疑いを抱かせずにはおかない。大杉が『自叙伝』でいきさつを自ら吹聴していることもあり、この逸話は比較的現在でも知られているものであるが、栗原氏はこの後藤の行為を高く評価しているらしい。伊藤が殺害された後、『婦人公論』などに彼女と関わりの深かった女性たちによる追悼が掲載されたのだが、栗原氏はそうしたものの存在にはまったく触れない代わりに、後藤が事件に「キレてしまった」ことを強調し、「わるいね、後藤。最期のさいごまで」などとありがたがっている。しかしたとえば、栗原氏が菅義偉官房長官の家に直談判に赴き300万円相手からせしめたなどと広言するとしたら、彼の周りの人々はそれについてアッパレだと讃える以前に、「裏に何もないはずがない」と警戒するかドン引きするかのどちらかではなかろうか。敵にも金を与える後藤の「大らかな態度」を評価することは結局のところ、15年戦争期に大陸浪人に金をばら撒き中国で暗躍させていた連中を讃美するのと、あまり変わりないように思う。


打倒対象からむしりとったモノで相手に打撃を与えるなんてことが実際にできれば、「レーニンの封印列車」のような意味もあるだろうとは思うが、結局大杉はもらった金を革命活動ではなく、自分の四角関係の清算にしか使えなかった。晩年の神近による『神近市子自伝:わが愛わが闘い』(講談社、1972年)は、大杉が得体の知れない大金(後藤からのものであることは後に知ることになる)を手切れのために出してきたことが、殺意の噴出に到った原因と回想している。栗原氏と違い、井手は自身の伊藤伝において、後藤の金銭を大杉が仰いだ事実についての説明の必要を感じたようで、「大衆的な支持も小さかったこの時代の社会主義者の一つの安易な側面に過ぎず、性急な非難は当たらない」と書いている。しかし、大杉と年齢も近く運動における存在の重みも相応にあった他の人々(山川均や荒畑寒村)には、そのような逸話は残っていない。大逆事件後の堺利彦が、「売文社」を設立して陣営全体の食いつなぎを図る中で、怪しげな右翼人士とも付き合いをもったことも知られているが、それは後藤のような政府高官の金銭を直接受け取るのとはレヴェルが違う。よって「300円」の一件は、「大杉の一つの安易な側面」(その「自由恋愛論」にも匹敵する)と読み替えられるべきである。



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