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引用(31)

読書における選択という問題がいかに重要であるかは、今日、店頭に溢れる無数の出版物を観察すれば理解されるはずである。ごく少数の例外を除いてそれらの大部分は読むに値いしないというよりは、むしろ読むことによって受けるはかりしれない障害の恐ろしさを思わずにはいられないだろう。それらの刊行物をむさぼり読んでいる者には、いっこうに恐ろしいものだという認識などないであろうが、悪影響の構造もその度合いもあの戦争下の読書状況といささかの変わりもないことを知るべきだろう。もちろん、今日の出版物には国民に対するあからさまな命令や強制はみられない。だが、現状を打破し変革するための方法論や建設的意見などを、それらのなかに求めるのは不可能である。しかも、明らかに俗悪な出版物のほかに、似て非なるものが多すぎるというのが今日の出版情況なのである。悪書は良書を駆逐するとすれば、何を読んでいいのかわからないという若者が増大してもいっこうに不思議ではない。私には、あの戦争を侵略戦争とは気づかなかったというかつての若者たちの置かれた情況と、急速に危機的な深淵に向かって傾斜していく今日の時代環境は、基本的にはまったく同じであると見えるのだが、命令的でも威嚇的でもなかったがゆえに、たとえば今日の「国家機密法」の危険に気がつかなかったということになりはしないかと、私はいまそれをなによりも怖れている。このことを読書に即していえば、それはまずわれわれが何を読み何を読まないかという問題に尽きるであろう。


高崎隆治『戦時下のジャーナリズム』



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