新しい伊藤野枝伝?(その3)

ところで、宮嶋ら(無政府主義的)社会主義者が大杉ではなく伊藤だけを殴打した裏には、「魔性の女」が社団の結束を乱すという謬見、男性が支配的な各種運動体に潜みがちなミソジニー(女性嫌悪)の問題が反映しているのは明らかである。そこでさらに考えなくてはならないのは、井手の本にあって栗原氏の本にはない要素についてである。というのも、栗原氏の本では「伊藤野枝と日本の女性運動(フェミニズム)」という問題系について、まったく関心が払われていない。井手の最初の単著『青鞜:元始女性は太陽であった』(弘文堂、1961年)は、同雑誌についての最初の実証的研究として知られるものであり、執筆にあたって彼女は平塚の家を直接訪ね、保存されていた雑誌のバックナンバーを読ませてもらったという。井手は1980年代に平塚の伝記も書いているが、伊藤と平塚を同時に射程に収める彼女の経緯からは、無政府主義への関心(注4)だけでなく、従来のそれが主張してきた階級支配の根絶だけでは収まらない、女性という社会的性(ジェンダー)が背負わされているものからの脱却という問題も視野に入れなければならないという、複合的な考察のあり方が見て取れる。しかし栗原氏にとっては、「素で約束そのものを破棄しようとしていた」「やりたいことだけやって生きていきたい」伊藤に対し、「よりよい社会を想定し、それにちかづくこと」を目的とする「女性の地位向上をもとめる人たち」は、結局「約束事」を強制する人々に過ぎない。こうして提起されるのは、「もはやジェンダーなどない、あるのはセックスそれだけだ」という定式である。「定式」と呼んでいいのかどうかも疑わしいが、少なくとも井手が伊藤に見出した「ジェンダー格差の克服」と「無政府主義」の連携についての問題意識は、こうして超克されるということなのであろう。栗原氏の本の「あとがき」によると、この本にたずさわった岩波書店の編集者は名前を見る限り女性らしいのだが、この見解を本当に支持できるのであろうか。


1914年、伊藤は平塚から『青鞜』編集長の座をゆずり受けると、社会問題に比重をおいた新しい誌面づくりの方針を打ち出し、その結果として「貞操論争」「堕胎論争」「売春論争」という三つの論争が生まれることになった。その主要なテキストは、堀場清子編『『青鞜』女性解放論集』(岩波文庫、1991年)で比較的手軽に読むことが出来るし、現在の女性にとっても大変興味深い要素を含んでいる点で貴重であるとわたしには思われるが、栗原氏はこうした三つの重要な論争についてほとんど「伊藤の勝ち負け」という点からしか見ていないようである。そのことは、伊藤と山川菊栄(この時点では山川均と結婚する前なので「青山」姓だが、本稿では山川に統一)との間で起こった、「売春論争」(注5)の扱いに最も表れている。中・上層階級の婦人による廃娼運動の主体となっていた「矯風会」の振る舞いに驕慢を見いだし、とりわけ彼女らが使った「賤業婦」という言葉の偽善性について激怒した伊藤は、「傲慢狭量にして不徹底なる日本婦人の公共事業に就て」(1915年12月号)という一文を『青鞜』に書く。これに対し、それまで読者だった山川は、初めての寄稿として「日本婦人の社会事業について伊藤野枝氏に与う」(1916年1月号)を書き、公私娼についての一定のデータを引きつつ、社会制度としての売春を容認されるつもりかと伊藤に問う。同じ号に伊藤は反論「青山菊栄様へ」(1916年1月号)を書くが、翌月山川は「更に論旨を明かにす」(1916年2月号)でいま一度伊藤への追撃を行う――こうした論争の経緯について、岩波文庫の編者の堀場氏は「“論争”とするのをやや躊躇うほど、初手から野枝の完敗だった」と評しているばかりか、伊藤による最後の応答「再び青山様へ」(1916年2月号)に至っては、すでに勝負あったとばかりに省略してしまっている。わたしには内容もさることながら、山川が自身の議論で着実な論拠を積み上げることによって討論を公的に開かれたものにしているのに対し、伊藤の反論は山川一人しか目に入っておらず、単に取り乱しているようしか見えないことも、そうした判定の原因になっていると思われる。


しかし、伊藤に共鳴する立場の人々の中にはこうした判定に納得しない向きも多い。たとえば井手は自身の伊藤伝において、「売春論争」が「一方的に青山菊栄の勝ちにみえた」としつつ、「半世紀以上もすぎてこの論争をふりかえって見ると、一見理知的な青山の論理は、かえって単なるみごとな理論的整理というようにみえる」としている。よく考えれば、伊藤とのやり取りが文壇/論壇デビューにあたる山川の論考が「みごとな理論的整理」だったらむしろ上出来であろうし、第二次世界大戦後の売春防止法の効果の薄さを引き合いに出されたとて、それは山川に責任があるわけではない。伊藤は『青鞜』に2年も前から文章を書いているのだから、たとえ学歴がなかろうと新人をいなすくらい出来ずにどうするのかとむしろ問いたくなる。端的に言って、負けっぷりが悪い書きようと言える。しかしそうした井手も、栗原氏のように、伊藤の方こそこの議論に「圧勝」しているなどとは決して思わなかったことであろう。彼に言わせれば、女性による性の売買は「賤業」などではなく、「セックスワーク」として認めるべきなのに、それに対して山川は「売春はいけないとしかいえていない」のだから、実はこの論争は伊藤の「圧勝」だったのだ! 「はっきりさせておこう」とまで強調されているのだから間違いない。間違いない?


とりあえず分かるのは、伊藤と山川それぞれの論旨の要約がムチャクチャであるということである。たとえばこの論争の中で、「セックスワーク」についての「野枝の問題提起」があったかのように栗原氏は述べているが、それを認めよなどという伊藤の主張は、論争の発端になった「傲慢狭量にして……」の一文には出てこない。ここでの彼女はもっぱら、中・上層階級における慈善的女性運動への攻撃を行ってはいるが、「セックスワーク」のような話はしていない。実際のところ、今日の娼妓の状況はこのようなものですよとデータつきで提起したのは山川の方であり、それに反論した「青山菊栄様へ」の迷走した文中において、ようやく「生きるためという動かすことのできない重大な自分」を持っている「賤業婦」を、「その侮辱から救おうとするには他に彼女らを食べさせるような途を見つけてからでなくては」といった発言が見られる。しかしこの一節は、「食えなきゃ体も売ってでも」という、緊急避難的な生存権の素朴な肯定の域を超えているようには思われない。女性が売春従事者たちを貶めるな、また零落・堕落の代名詞として――現在の「北朝鮮」と同じように――「賤業婦」という言葉を使うなといった、伊藤の主張に正当性があるとしても、それは「性的売買の権利」をまったく正当なものとして取り扱おうとする、現代のフェミニストの一部の見解とはなお相当の距離があるのではないか。そもそも、この一節の前に「私は勿論肉の売買など決して、いい事だとは思いません。悲惨な事実だと思っています」と伊藤が書いていることを、栗原氏はどう説明するのであろうか。


倫理的にであれ社会制度的にであれ、性的売買そのものや性産業を悪と見なすのではなく、むしろ「労働」として擁護したほうが、それらの従事者の生活条件や権利を守るのに役立つ――こうした主張をする現代のフェミニストの一部は(栗原氏と異なり)、それなりに論理を組み立てようと試みている。たとえば、売春に反対する者のほとんどは性行為に尊厳を見いだし全人格的なものと見なしているが、その絶対化によってかえって売春の従事者を苦しませることが生じうるのではないかといった、その理屈づけの幾分かには一考の余地があるかもしれない。しかしその反対に、ある文脈で「セックスワーカー」を擁護することは、「人権擁護」にみえて実はそれを無視した、「奴隷労働」を擁護することになりかねないという危惧から、そうした論理展開に反対するフェミニストも少なからず存在していることも忘れてはならない。現代のフェミニズムにおけるこの議論に山川を位置づけるとしたら、その立場は後者に属する。彼女が売春そのものにまったく肯定的価値を見ていないという指摘はまったくその通りだが、矯風会の女性たちのように、売春の当事者女性に対して倫理を要求しているのではない。山川が伊藤にまず投げかけたのは、現代の売春が「セックスワーク」としてどんなものか実態を知っていますか、という話である。彼女は自分で文献や資料を読み、ごく簡単ながら張見世の視察も試みたことで、公娼が私娼よりさらにひどく扱われており、借金まみれにされるわ三度の食事もろくに食わされないわ野外にも出されないわといった、当時の現状を把握した。その上で山川が提起したポイントは、「売春の善悪」以前に、性産業がマトモな「ワーク」とは到底言えぬ「奴隷労働」ではないかというところにある。こうした状況下で「食えなきゃ体も売ってでも」という意識だけを鼓舞することは、当事者たちが被っている最悪の環境を肯定し、彼女たちをそれに馴致させる効果をもたらすことになりかねない。


確かに、山川の「更に論旨を明かにす」にある、「廃業後の娼妓の処置などはいよいよ廃止と極まればどうにでも工夫がつくでしょう。私は各府県に救護所をおいて有志の婦人が指導の任に当り職業教育と多少の知識を与えでもするがよろしかろうと思います」といったくだりからは、伊藤に比べ娼妓そのものへの同情心は軽いという印象を受ける。しかし、伊藤が「娼妓の生活状態について無智な者ではないのです」と自分で言ったとしても、山川のように客観的根拠となりうるものを提示していない以上、抽象的な議論をしているのは伊藤であるとされても文句は言えない(注6)。実際データの問題については伊藤も「無智」を認めてしまっている。井手の『自由それは私自身』でも示唆されるように、伊藤の妹の嫁ぎ先は遊郭を経営していたのだが、彼女はむしろ自身の情報源から、「セックスワーク」的な議論の提起には至らなかったとも考えられよう。


(つづく)





(注4):後年の井手による『平塚らいてう――近代と神秘』(新潮選書、1987年)では、とりわけ1920年代から30年代の平塚が、高群逸枝へ接近し消費組合を運営したといった事実から、彼女における「無政府主義」への傾向の存在を強調している。言論での先鋭性と裏腹に、「急進的」な直接行動には生涯を通じて縁の薄かった――海外のサフラジェットのような事例も模倣しなかった――平塚が、ある種の「無政府主義」と親和性があったとする女性史研究家は井手だけではないのだが、栗原氏の著述においてはこうした種の「無政府主義」についての言及はない。


(注5):伊藤の関わった三つの論争のうち、彼女と山川の間でなされたそれについてだけは、「売春論争」「廃娼論争」「公娼論争」といった、微妙に異なる複数の呼称が存在している。このことには当然、二人の議論で何が核になっているかについての、後年の論者における解釈上の差異が反映していると思われる。栗原氏は「廃娼論争」という呼称を採っているが、本稿では『『青鞜』女性解放論集』の解題にもならって「売春論争」に統一した。


(注6):栗原氏に限らず、井手や秋山清のような往年の伊藤の支持者たちも、ここでの山川の立論を「公式的」「浅い」といった言葉で表現している。しかし現在の「我々」もそのように感じられるとするならば、その原因は山川の立論にあるのではなく、中等教育でも社会科学のイロハくらいは習うようになり、当時の売買春の実態についてのデータもより把握しやすい立場に「我々」が立っているからであろう。著者略歴によれば栗原氏は早稲田大学で社会科学を学んだらしいが、かつて同大学で政治思想史を教えていた鹿野政直は、同世代の女性運動家たちが総じて「われ」、すなわち自分の生や経験そのものから直接的に思想表現を練りだしていたのに対し、山川が社会科学の研鑽から頭角を現していたことを指摘し、後者の新しさについて特筆していた(「女性史における山川菊栄」、『山川菊栄集』別巻月報、1982年)。余談だが、わたしが山川と伊藤の各種全集を閲覧しに行った図書館では、前者が「労働・女性問題」の棚に収められているのに対し、後者は「文学全集」のコーナーに置いてあった。



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