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何を考えた復刊?

最近は一般的な書籍だけでなく、マンガの読者の高齢化も進んでいるのだろうか、マンガを大きく扱っている本屋に行くと、1970年代の古い作品の復刊が結構目立つようになっている。かくいうわたしも、横山光輝の『時の行者』(1975年―1979年連載)が、作者の生誕80周年を記念した全4巻の「新装版」として出されていたのを見かけて、つい購入してしまった。日本の戦国時代から江戸時代にかけて起こった数々の事件に、「時の行者」と呼ばれる未来から来た少年が立ち会っていくという、SFの衣装をまとった歴史マンガである。表現は地味だが、一コマ一コマごとの絵柄もカメラワークも実に丁寧かつ端正で、現代マンガにあふれている種のコケオドシはない。傑作とまではいかないが、作者の力量は十分に確認できる作品であると思う。ずっと昔に立ち寄った理髪店の客待ち席の書棚に、新書サイズの古い版が中途半端に一冊だけ置いてあったのを読んで以来、作品の全体像が気になっていたので、今回の復刊で読めるようになったのを一マンガ読者としてわたしも喜んでいる。


しかし、この新装版『時の行者』には同時に、嘆かわしいこともある。鞍掛俉郎なる「歴史ライター」が、「『時の行者』歴史探訪」と題する1200字ほどの文章を各巻末に書いているのだが、これがヒドい。たとえば第1巻の文章では、徳川家康の近臣として有名な本多正信・正純父子について(与えられたスペースからすると明らかにバランスを欠くほどに)字数が費やされているのだが、その中で記述対象の名字を間違えている。書き手は「ほんだ」親子の名前を三度出しているが、「本田」表記が二つなのに対し「本多」表記は一つである。まさかとは思うがこの「歴史ライター」は、「ほんだ」家を「本多」と正確に認識していながら「本田」と打ち間違えたのではなく、「本田」と誤って思いこんでいた上に「本多」と打ち間違えたのであろうか。また、「本多」親子を家康の「股肱」とする中で、この「股肱」という文字に「こうこう」とフリガナをふっている。わたしの使っているパソコンソフトでは「ここう」で変換される文字である。『広辞苑』あたりを引いてもやはり「ここう」である。もちろんわたしは「歴史ライター」ではないので、400年前には「股肱」が「こうこう」と読まれていたのであると証明されれば頭を下げるほかないのだが、何の説明もない以上「わざわざ間違ったフリガナを振るとは」と吹き出すことも許されよう。


また第2巻の巻末では、寛永の飢饉についての説明がなされているが、その説明も実に雑駁である。近年の研究において、長期的な気象変動が歴史にどのような影響を与えているかについて議論がなされている――別にこの書き手の新説ではない――ことは知っているし、それ自体は興味深い試みだが、室町―戦国―江戸時代への展開を論じる際に、食糧生産量の増減に基づく戦争の増減だけがその原因であるかのように読めてしまう「説明」などは必要ない。少なくとも、こんなわずかなスペースの小文の解説で「それが戦国時代と呼ばれたものの正体である」などとデカい面でのたまう蛮勇は、歴史に対して何かしらの感性のある人間なら持ちえないであろう。第3巻以降は、こうした漢字やフリガナの露骨な誤りや自己顕示的なウンチクが一応影を潜める――もっとも内容がまったく面白くない――が、書き手の力量については理解するには上記の事例で十分である。約1200字と言う限られたスペースであれ、プロの「ライター」ならもっとマシなコラムが書けるはずである(注1)。こんな稚拙な解説もどきを読まされては、作品の余韻がぶち壊しである。


講談社は日本最大の規模を持つ出版社なのだから、マンガの専門家であれ歴史の専門家であれ、もっとマトモな思考を持ちマトモな文章の書ける「ライター」を選定し、その上でマトモな校正もできたはずなのだが、結果として出来上がった「解説」はこのザマである。 現在も横山作品を管理している光プロの側では、このような書き手が自身の「先生」に対して用意されたことに、内心では裏切りを感じているのではないかとすらわたしは推測する。しかしマンガ以外でも、かつて評価を受けた何らかの書籍が復刊・再刊される際、どうしたわけか、復刊する出版社の側からその意義を貶めているのではないかとすら思えてしまう操作を加えていることが、最近よく見受けられる。しょうもない「新しい解説」を加えるのは、そうした操作の一つである。編集者にとっては、売り上げを確保するための当然ないしはやむを得ない「戦略」のつもりかもしれないが、その本がかつて持っていた歴史的意義、再刊の時点で持ちうる文化的射程を十全に理解しているならば、少なくともこうした手合いには執筆を頼まないであろうと言いたくなるシロモノが少なくないのである。


この点でゲッソリさせられるのは、たとえばここ10年の中公文庫である。以前わたしは、三木清の『哲学ノート』の最近の改版を友人からプレゼントされ、そこには以前の版にもあった河盛好蔵の一文に加えて、長山靖生が新しい「解説」を寄せていたのだが、これがまた誰にでも書けそうな陳腐な感想文に過ぎなかったのには呆れたものである。しかし長山氏の文章は、単に「陳腐」というだけで「悲惨」というほどではない。最も呆然とさせられたのは、2006年に出された桐生悠々の『畜生道の地球』の改版に、新たに付け加えられていた文章が櫻井よしこのものであったことである。桐生は20世紀前半の日本の大ジャーナリストであったものの、彼が生きた時代における社会主義の世界的な台頭の意味についてはついに理解することなく、岩波茂雄のように「五箇条の御誓文」に自由主義的民主主義の根源を見出すタイプの人物であったから、そうした彼についての文章を書くのが彼女であることはむしろ当然と厳しく見る向きもおられるかもしれない。だが、反軍記事で『信濃毎日新聞』を追われた後もなお軍国主義体制を批判し続けた桐生について書くのが、彼が孤軍奮闘していた相手であった体制とその現代版の讃美にいそしんでやまない、日本の「畜生道」に巣食う禽獣の一匹であるとすれば、正直これは何の悪意をもってこうしたのかと糾弾するほかないであろう。「意義深い書籍や文章が新たに流通することになるのだから、この程度は我慢しなければ」という気にはなれない。「我々」が『畜生道の地球』を読みたいと思ったら、図書館ないしは古本屋を活用し、あえて2006年以前の古い版を求めるのが道理である。こうした「名著復刊」からは、実際には何も理解していない編集者が、「俺が何かしらの文化に寄与しているんだぜ」という益体もない自負に鼻を高くしている様子しか想像しようがないし、むしろ彼らの精神は復刊という行為の意義を腐食させるものである。


復刊本に対し愚劣な解説者を選ぶことほどではないにせよ、それに次いで復刊者の見識を疑わせる行為として挙げられるのは、復刊本の内容を縮退させるような売り文句をつけることである。これも様々な事例が思い浮かぶが、最近では平凡社ライブラリーによる梶村秀樹の『排外主義克服のための朝鮮史』の復刊においてすら、それが当てはまっているようであるのは残念でならない。この平凡社ライブラリー版は、原本における細かな誤りについて、適切な専門家による注釈および適切な巻末解説(著作の現代的意義についてというより、歴史的位置についての議論が中心ではあるが)が新たにつけられており、この意味では出版社はきちんと仕事をしている。5年前梶村について「彼の書いた数々の古典的研究が、文庫などで全く復刊されないというのは何か象徴的である」と記したわたしとしては、こうした復刊の動きはむしろあまりに遅かったとすら思っているし、本来は新しい版を喜んで受け入れたい。


しかしそれだけに、なぜこの本の帯に「なぜ〈嫌韓〉が生まれるのか?!」などという文句を、この出版社がつけているのだろうかという疑問が浮かぶのである。まず、「韓」という文字から「我々」の多くが真っ先に思い浮かべるのは「韓国」であろうが、大韓民国が成立する以前から「我々」は、少なくとも明治維新を経て帝国主義国家としての道を歩み出した時から、朝鮮人への差別意識を延々と醸成してきたのではなかったか。そもそも日本で「嫌韓」が話題になる以前に、「北朝鮮」に対する悪口と怪情報がとてつもない量で飛び交っていたことも忘れてはなるまい。「北朝鮮」にはもう思いつく罵詈雑言もなくなったから韓国に鉾先が向かっただけだ、とすればどうか。大韓民国につながると見られる人々への差別発言は憂慮するが、朝鮮民主主義人民共和国につながると見られる人々へのそれは放っておいてもよいのであろうか? 同じ民族差別ではないのか? 後者は「ならず者国家」でより「反日」ゆえに、何を言われても仕方がないということになるのか? 今日「〈嫌韓〉を批判する」と称する日本人の多くは、「嫌韓」というタームで差別と憎悪の歴史的・精神的広がりを「我々」の側から矮小化し、総体的な問題の把握と解決への道をむしろ濃霧で覆うような傾向を有している。それはおそらく、梶村の立場からすればまったく認めがたい。


平凡社ライブラリー版『排外主義克服のための朝鮮史』の裏表紙にも、「いまも日韓では、排外的ナショナリズムがぶつかり合い、歴史認識の断裂が埋められないのはなぜだろうか」ウンヌンと書かれているが、そもそも梶村の議論は、韓国の「排外ナショナリズム」を日本のそれと対置し、朝鮮に至ってはハナから相手にしないというような枠組みを持っていない。彼は、朝鮮半島に対して近代日本の政府と人民がいかに害悪をなしてきたか認識することを厳しく読者に要求するだけでなく、「我々」に対する朝鮮半島の人民の戦いが現在(1970年代)も南北それぞれの内で展開されているものであり、そうした彼らの反帝国主義と社会主義的民主主義の契機(注2)からこそ謙虚に学ばなければならないと強調していた。韓国、それも「親日」的なそれしか抱擁しえないという、今の「我々」にありがちな態度は真っ先に梶村の攻撃対象となりうるのである。ところが平凡社の売り文句は、この辺りの問題をまったく無視しているかのようであり、正直彼らは本の意義を生かしたいのか滅ぼしたいのかよく分からなくなってくる。自分で何をやっているのかも把握しかねている人々による、本当に偶然の産物に過ぎないとすれば、この梶村の復刊も手放しで喜ぶべきではなかろう。





(注1):たとえば、横山の作家史から見る『時の行者』の位置づけなどは、『鉄人28号』や『魔法使いサリー』の連載を直接見ているというオールドファンから、『三国志』の新書版全60巻セットだけは読破したというタイプの読者や、この「新装版」が初めて手に取る横山マンガだという少年少女にまで、広く必要なものであろう。また、この作品を純粋に「歴史モノ」として見るなら、マンガが描かれた当時の学者による歴史研究、または歴史小説家による表現と、どう接近しどう離れているかといったことも論ずることができる。いやむしろ、この作品が雑誌に連載されていた1970年代後半は、現在と比べテレビドラマにおいて時代劇が占める割合がはるかに高かった時期である。今では地上波で見られる新作時代劇というと「韓流」の方が多いくらいであるが、『時の行者』に取り上げられている事件の多くは、当時の日本のテレビ時代劇の中にも取り上げられていたわけで、それによって当時の子供たちにとっても「ごぞんじ○○」なエピソードだったと考えられるから、そういった同時代のテレビ時代劇と横山マンガの関係性を考えていくと発見があるかもしれない。


(注2):平凡社ライブラリー版の解説者もきちんと触れているが、今日において梶村の優れた著述の数々が、批判という名の誹謗を受ける、よくて敬して遠ざけられたままとなっている最大の原因はおそらくこうした点にある。




新しい岩波茂雄伝?(後編)

こんなことを書いていると、中島氏の立場からは「戦後のパラダイムから岩波を演繹的に見ている」と言われてしまうかもしれない。わたしはただ安倍の認識に賛成しているだけなのだが、敗戦後の岩波書店の基幹雑誌となった『世界』から一線を画していたはずの安倍もまた、「戦後のパラダイム」に従っていると言うのであろう。それでは、アジア・太平洋戦争のさなかにおいて、日本の「リベラル」と呼ばれる知識人は一般的に、岩波のごとく頭山満のような右翼にシンパシーを感じていたのであろうか。ここで思い浮かぶのは、安倍・岩波より少し年下の世代にあたる、批評家の清沢洌〔きよし〕である。『岩波茂雄傳』に彼の名前は登場しないものの、彼の『暗黒日記』(橋川文三編、ちくま学芸文庫版、2002年)には、岩波と時々接触があったことが確認される。わたしはずいぶん昔に『暗黒日記』を読んだ時、著者が一種の「内的葛藤」を日陰でこねくり回している様子に正直ウンザリさせられたし、清沢の同時代認識自体、実は近衛文麿のような重臣連中のそれと大差ないのではないか(彼が戦後まで生き延びたら、緒方竹虎のように有力な自民党系代議士になれたであろう)と思ったものだ。しかし、彼が同時代の御用ジャーナリズムに対して抱いていた批判については、今見ても大いに説得力がある。そこで清沢が克明に記録しているのは、民間右翼のデタラメな放言を新聞が垂れ流しにしている醜悪な数々の事例であり、とりわけ頭山は、徳富蘇峰に次いで清沢の憎悪の的となっている。すなわち頭山が死去した1944年10月の日記において、清沢は「愛国心の名の下に、最も多く罪悪を行った男だ」とまで書いたのであった。清沢が紹介する「頭山翁の談話」の内容は、どれもこれも日本の戦時状況を完全にすっ飛ばした愚劣な(そうでもなければ、完全に認知症的とでも言うべきである)ものであり、それに対する同時代人の批判もまた「戦後のパラダイム」では済まされないはずだが、いくらでも浮かぶ疑問をすべて脇に置くことで中島氏の著作は成り立っている。


さらに、岩波茂雄と「戦後のパラダイム」の関係をもし真剣に考えたいのであれば、岩波と親交を持ち清沢にも高く評価されていた「自由主義者」の一人である、正木ひろし〔旲〕のような存在を考えあわせる必要があるだろう。正木が1937年に創刊した個人雑誌『近きより』は、天皇とその国家を「奴隷の言葉」で賛美するという外見を取りながら、当時の状況下においては最も徹底的に軍と官僚組織への「否」を展開し続けたものとして名高いが、彼はこの雑誌に必要な用紙の提供において岩波の支援を受けていた(注4)。『近きより』の1943年4月号でなされた読者アンケートで、岩波はこの雑誌を「地の塩、世の光」という聖書の言葉を使って高く評価しており、1945年の貴族院補欠選挙に岩波が当選した際には、正木もその記念会合に参加している。しかしそうした交友は、敗戦直後の『近きより』において、正木が岩波をも批判の対象にすることを妨げるものではなかった。「恰も若き学徒が特攻隊員となって敵機敵艦に体当りを刊行した如く、死を決して主戦論者に反対したならば」戦争を食い止められたかもしれないとした、『世界』創刊号における岩波の感傷的な述懐を、正木はまったく非現実的なものとして一蹴している。しかし、敗戦後の正木が岩波をより驚愕させたのは、その猛烈な天皇制への攻撃ではなかったか。天皇制国家の国民は「家畜」であったと言ってはばからないそれは、弾圧から復活した共産党とその周辺も顔負けの、稀に見るレヴェルの激越さを有するものであった。とりわけ正木は、岩波が自身の指針/防壁として尊重した「五箇条の御誓文」についても怒りの舌鋒を緩めない。彼に言わせれば、その最後の条文に「大〔おおい〕に皇基を振起すべし」という言葉がつけられていることで、一見開明的な「御誓文」も全体としては結局「皇室の利己主義」を優先するだけものとなっており、ここから「自由」や「民主主義」を引き出そうとすること自体が間違っていたことになる。


安倍の『岩波茂雄傳』は、こうした反「五箇条の御誓文」の主張を岩波本人も認めるに至ったという正木の側の証言を一応取り上げつつも、正木の持論のダシとして岩波が使われているのではないかとして、「かりに正木の言ふ如くウーンとつまつたとしても、正木の説に参つたかどうかは分からない」とやんわり否認している。岩波が敗戦から間もなく亡くなったこともあり、実際に彼の天皇制認識がどう変化したか、あるいはしなかったかはよく分からないものの、敗戦後もなおも天皇を支持した安倍の立場からは、当然の岩波(と「御誓文」)の擁護と言えよう(注5)。しかしそうすると、中島氏によれば「戦後のパラダイム」にとらわれているはずの安倍が、岩波個人だけでなく「五箇条の御誓文」という一種の「戦前のパラダイム」を支持しているのはなぜかということになる。それとも中島氏にとっては、「五箇条の御誓文」が「戦後のパラダイム」ということになるのであろうか。こうした疑問を惹起することになるからか、安倍による正木への反駁についても、やはり中島氏の本では検討されることはない。だが、岩波が体現していると仮定されるところの「戦前のパラダイム」について比較対象を定めるのであれば、安倍ではなく正木のような人物の方が適当なのは明らかである(注6)。後者の反天皇制思想は、敗戦後の日本でもついに主流にはなっていないが、民主主義が天皇にその根源を置くものではないという種の考え方は、少なくとも1945年以降多くの人間に共有されていったはずのものであり、それこそが「戦後のパラダイム」と呼ぶにふさわしいであろう。頭山満のような人物を「左右両翼を超越して天地の大義に生きる國賓的存在」として抱擁できるか否かという点で、確かに岩波と安倍は感覚を異にしている。しかし、天皇制や民主主義の根源の問題について言えば、岩波と(戦後の)安倍の拠って立つ「パラダイム」の差はまったくなかったのではないか。安倍の著作を「戦後のパラダイム」に位置づけることによって、本来存在しない自分の著作のオリジナリティを強調するだけでなく、中島氏は分析そのものを破綻させているのである。


ここまで挙げてきた興味深い問題点の数々に対して、まったく論評らしい論評をなしていない『岩波茂雄』という本は、「左右の「バカの壁」」を自分から掘り崩して、何が何でも「右」(だけ)を取り入れようとせねば気がすまない種の社会運動や、現在の明仁天皇が大衆より「民主主義的」であると、それがどうしたとしか言いようのない羊の鳴き声ばかりあげる知識人があふれている、日本の世情には見合った、あるいはそれに合わせた作品と言えるかもしれない。しかし、日中戦争の時期の岩波について中島氏は、「熱烈なパトリオットとして振る舞うことで、排外主義者を牽制した。しかし、岩波の愛国は、微温的なものとして非難の対象とされた。「愛国」をめぐる闘争は、ますます厳しい状況に突入して行った」とも書いている。それでは、岩波の「「愛国」をめぐる闘争」がつまるところ失敗に終わったのではなかったかという、現代にも通ずる意味を持つ問題に対する歴史家なり伝記作家としての判断が必要であると思われるが、またしても、またしても例によってその辺りの明言を中島氏は避ける。わたし個人としては、「リベラル」なり「左派」なりは、そもそも「愛国競争」ではなく別の土俵で勝負しなければ話にならないと考えているのだが、中島氏の上記の記述を見ていると、現在行われている「「愛国」をめぐる闘争」が実はすでに敗北に終わりつつあることを、中島氏自身も意識的ないしは無意識的に理解しているのではないかと思う。


といったわけで、よくもこんな本が当の岩波書店から出せたものだと思うにつれ、わたしはほとんどグロッキーになったが、とどめの一撃は『岩波茂雄』読了後にのぞいた岩波書店のサイトから飛んできた。馬場公彦「編集者メッセージ――浮かび上がる新たな岩波茂雄像」がそれである。『岩波茂雄』の「あとがき」では中島氏に「実は馬場さんの大らかさの中に、時折、岩波を重ねることがあった」と持ち上げられ、中島氏の著作とほぼ同時期に発売された十重田裕一『岩波茂雄 低く暮らし、高く想ふ』(ミネルヴァ書房/注7)の「あとがき」でも言及されている、岩波書店の幹部である馬場氏の一文を眼にして、わたしは精も魂も尽き果てた。馬場氏によれば、岩波書店に入社した社員には必ず安倍の『岩波茂雄傳』を渡しているそうだが、本当に岩波書店の人々がそれをきちんと読んでいたなら、中島氏の原稿がその出来の悪い書き換えに過ぎないことはわかったはずである。また彼は、『岩波茂雄傳』を「正史」、『惜櫟荘主人』を「私史」と位置付けたうえで、「気鋭の政治学者の手になる」新著を「評伝」であるとしているが、そもそも中島氏の本には「評伝」らしい厳格な対象への「評価」など何もなく、あるとすれば、現在の岩波書店の方針にあわせるように、創業者についての記憶を外部の筆者に書き換えてもらおうとする歴史修正主義的な試みである。


そして、「われわれ社員にとっての茂雄像は、もしかしたら戦後の左右対立的な思考回路によって、戦後の自社の出版活動から類推して、都合良く切り取られた茂雄像だったのかもしれない」。これは何たる言い草か? この編集者にとって「自社のイメージ」というものは、大きな船舶が輸送やら漁労やらをこなす中で知らぬ間にこびりつかせている、牡蠣やフジツボのようなものでしかないのであろうか。確かにイメージというものは、他者が勝手に貼ることもままある。しかし、戦後のある時期の(あるいは現在も)岩波書店は、むしろ大いに自分の牡蠣やフジツボを喧伝しながら、つまり自分たちに「都合よく切り取られた」イメージとともに、本を売っていた(いる)のではないのか。また様々な筆者に本を書いてもらっていた(いる)のではないのか。「私どもが「リベラル」とか「左派」とかだなんて! それはあなたたちが勝手に思っていたことに過ぎません!」とでも言いたいのか。こういう発言が、多くの長年の読者と筆者を瞞着していると思われても仕方がないであろう。


この馬場氏は、学術分野への参画者として岩波書店の外で自身の本を出しているようだが、彼のやるべきことは、まずは自社から出る他人の本の水準を高めることであろう。確かに、編集者から文筆家として名を挙げた人はいくらでも存在する。敗戦後の岩波書店だけを見ても、小林勇は随筆家・セミプロ画家としても著名になったし、長田幹雄は竹久夢二の研究で名を馳せている。しかし現在の岩波書店には、先人たちの優雅とも言える文人的な活動を許す余裕はあまりないはずだ。確かにわたしは、「リベラル保守」なるマントラあるいは処世術を駆使している中島氏のような人物を個人として好んでいない。しかしここでの問題はそういうことでない。岩波茂雄という人物の「リベラル・ナショナリズム」を論じている中島氏の本が、「学問的」な見地から見て明らかに、著しく低い水準にしかないことである。


安倍能成が岩波茂雄についてもっとも強調していたこととは、彼が「リベラル」あるいは「ナショナリスト」であったことについてではなく、彼の「学問」への貢献についてである。安倍は、大正期より岩波がマルクス主義的書籍の出版をも積極的に行ったことを、中島氏が仮定するところの「リベラル・ナショナリズム」とは結びつけていない。それは「彼の社會的公正の理想と、精神とに基づくものであつた。彼は學者でなく學問をよく知つて居たとはいへぬが、學問の意義と價値とを信じたのみならず、この信念を出版に於いて実現した。彼はこの點よき意味に於ける進歩主義者であつた」。さらに下記の一文からは、安倍が生涯の友人に見出したのが、現在にも通ずる一つの理想的な出版人の姿であったことが分かる。


原理の學としての哲學を尊重し、民族や世界の文化財の最も重要なものとしての古典を認識し、眞實の論理と現象を開示するものとしての、人事については歴史學、社会科學、自然現象については數學、自然科學の探究及び普及に貢獻しようとした岩波の基本的見識は、實に正大であり確實であり、この點に於いて彼は、世間のいはゆる學者よりも更にしつかりと、眞の學問的精神を把握し、しかもこれを自家の出版に於いて力強く実現し得たといつてよい。


しかし、中島氏の非学問的著作を、過去の関係者による有力な著作を乗り越えたことを僭称・吹聴しながら売り出す現在の岩波書店とその文化(注8)は、こうした岩波の志からとてつもなく遠く離れてしまっているのではないのか。100周年を迎えた出版社に必要なのは、自転車操業的に精度の低い本を量産することではなく、創業者の抱いていた種の「基本的見識」や「眞の學問的精神」を、もう一度取り戻すことではないのか。





(注4):中島氏の『岩波茂雄』を読んだ後、わたしは初めて『近きより』の大半を復元した全5巻の文庫本(社会思想社版、1991年)を手に取ったのだが、前に読んだ本の反動もあってか「これをなぜ今まで読まずに来たのか」と後悔すら覚えるくらい面白く感じた。岩波の発言の非現実性を批判する際、正木は自身の過去の言説について「もちろん、言論統制という非人道的な枠に入れられていたので、直接法を以って表現し得なかった場合が多いのではありますが、〔中略〕戦時中における一国民としての最高度の善であったと確信するのであります」と豪語しているが、清沢のように「内的葛藤」へ逼塞した「自由主義者」がほとんどの時代に、これだけの「抵抗」が見せられたということは確かに誇るに足る。彼の戦時期の文章の数々から、わたしはベルトルト・ブレヒトの『コイナさん談義』の主人公の振る舞いを想起する。歴史の確認および読書の楽しみという意味で、安倍および小林の岩波伝と合わせて、未読の読者にはこちらもおすすめしたい。


(注5):ただし安倍は、戦時中における正木の批評――もちろん天皇制の枠内での――についてはむしろ支持していた。『近きより』1942年8月号には、正木の箴言をまとめた著作『人生断章』への読者の反響が掲載されているが、その中で安倍は「その御趣旨も殆ど同感といってよく、殊に現下の日本人に触れた所は満腔の同意を惜みません」という十分な賛辞を送っている。安倍が正木の読者であったのは、岩波の介在に加えて弟の恕〔はかる〕が裁判官として法曹界にいたことも影響していると思われるが、「満腔の同意」という言葉には社交辞令を超えた賞賛が含まれている。ところで、この安倍の言葉のそばには、なんと清沢と蓑田の感想が並んで載っている。清沢が三行の簡潔な言葉で正木の著作を褒めているのに対し、蓑田は皇国の興隆を祈願するポエムとも祝詞ともつかない意味不明な長々しい代物を寄稿している。「大御心」の尊重を装ったレトリックによって、蓑田のような右翼人士まで自分の雑誌の読者に抱えていたことが、正木個人の安全を確保するものになっていたことは想像に難くない。しかしその一方で正木は、残された「自由」を極限まで活用すればするほど、天皇を盾とする「奴隷の言葉」を通じた発言の本質的な虚しさや限界についてもまた悟っていったのではないか。そうして鬱積していったものの爆発が、人気の民事弁護士から冤罪事件の弾劾者へと転じていく、「日本には珍しい非マルクス主義的共和主義者」(家永三郎『正木ひろし』、三省堂、1981年)としての、敗戦後の正木の活動につながっていったと考えてよかろう。


(注6):もっとも、岩波が正木に対してアドヴァンテージを保っていると感じられる部分がないわけではない。東京第二弁護士会の会長であった古賀正義による『近きより』の解説(「注4」に挙げた文庫本の第1巻収録)では、発刊初期における正木の文章が矢内原忠雄の発禁事件などに極めて冷淡であっただけでなく、「各行に見られる中国および中国人に対する侮蔑的言辞」の存在を指摘している。正木の中国を軽侮した記述は、1939年の中国旅行を契機に雑誌からは次第に影を潜めていくが、それまでの期間については「人間類型的にも多少似たところのあった岩波茂雄が徹底的に中国侵略に反対(公然とではないが)したのと比較して、中国認識の点において大きな遜色があることを免れない」という、ちょうど岩波を引き合いにした古賀氏の意見に、わたしも同意する。わたしが中島氏であったら、この古賀氏の記述には大いに注目するところであろう。つまり「戦後に断固たる反天皇制を主張した正木のような人物においてすら、中国蔑視を当たり前のように披歴していた時期において、岩波はなんと先を行っていたことだろう!」と、中国への姿勢という点から岩波独自の「リベラル」ぶりを評価することもできるからである。もっとも、現在の日本で「リベラル」を自負する人々には、たとえ自国の荒廃はなんともならなくとも中国や朝鮮だけは適度に小馬鹿にしておくという、1939年までの正木のような振る舞いこそ「リベラル」としてのフォーマットになっているようではあるが。


(注7):本稿は中島氏の著作について集中しているため、こちらを合わせて詳しく分析する余裕がなかったのは残念である。ざっと読んでの私見を述べるならば、十重田氏によるこの伝記にも岩波個人に関する新知見はないものの、専門である文学研究やメディア史の成果を援用し、安倍の古典的著述で強調された「哲学書肆」像とは異なった、戦前の岩波書店の側面を提示することには成功している。この本が収録されている「ミネルヴァ日本評伝選」シリーズは、編集委員の多くは保守的、評伝の対象となる人物の多くも保守的、執筆者にいたってはしばしば反動的ですらあるというしんどいシリーズ(たとえば支倉常長については田中英道、森鴎外および小堀鞆音については小堀圭一郎といった、「新しい歴史教科書をつくる会」人脈に平気で書かせている)なのだが、その中では比較的マシな方である。


(注8):余談だが、中島氏のこの著作の初版――再版されているかは知らない――をわたしより先に読んだある知人は、ドイツの哲学者ハインリヒ・リッケルトの名前が本文・索引の両方で「リットケル」となっていたことから「この本はやっつけ仕事だ」と断じていた。リッケルトという人物は三木清をはじめ、1920年代における多くの日本人留学生と関わることで、この時代の「岩波文化」に大変な影響を与えた人物であり、著者と編集者が本当にこの本を真面目につくっていたら、または「岩波文化」に敬意を払っていたなら、そうした重要人物の名前を間違えるはずがない――その知人はそう主張していた。リッケルトの重要性については、わたしも生松敬三『ハイデルベルク:ある大学都市の精神史』(TBSブリタニカ、1980年)などで読んだ覚えがある。たかだか一か所の誤植ではないかと諸君は思われるかもしれないが、この著作の本質は、案外こうした細部に現れているのかもしれない。




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新しい岩波茂雄伝?(前編)

中島岳志『岩波茂雄 リベラル・ナショナリストの肖像』(岩波書店)を読む。もう一年も前、岩波書店の創業100周年にあたる昨年の秋に出版されたものであるが、ようやく近所の図書館に配架されたからである。わたしは中島氏について、デビュー直後から今は亡き『論座』あたりでもてはやされていたこと、「保守リベラル」なる現在の日本で最大公約数的に受けるポジショニングをしていることなどに強いうさん臭さを感じており、「絶対にロクなもんじゃあるまい」とまったくその著作を読んでこなかった。「左右の「バカの壁」を崩していかなければなりません」という触れ込みのもと、彼が2009年に編集委員の一人となった『週刊金曜日』も、その頃にはほとんど読むのをやめてしまっていたので、かの雑誌における彼の活動もほとんど知らない。しかし、この中島氏の新著についての情報を、今年に入って遅ればせながら知った時には、まずは一読せねばという気が湧いた。以前からわたしは、岩波書店の創業者である岩波茂雄について関心を抱いており、彼の事績と人となりを知る上で極めて重要な二冊、すなわち安倍能成『岩波茂雄傳』(初版1957年)および小林勇『惜礫荘主人』(初版1963年)を、この「手帖」でも紹介したことがある。しかし、この両書はともに名著とは言え、出版からはすでに半世紀が経過している。一方、100周年をむかえる出版社が創業者についての著述を出すから、それなりに念の入ったものにはなっているだろうし、対象についての新しい情報や知見が得られることだろう――そう期待したのである。わたしは岩波茂雄の研究者でもなんでもないが、彼についての知識を深めたいと考える限り、関連文献とされるものは一通り追ってみるべきである。中島氏についての先入感もまずは捨てて、可能な限り虚心坦懐に作品を一度読んでみるのが公正というものであろうと、偏見あふれる自分なりに考えたのである。それでも自分の財布の中身と著者への信用ゆえに、今年の7月まで手が出なかったのであった。ようやく読了して3か月、可能な限り虚心坦懐に感想をまとめたい。


インターネットの検索エンジンを使うと、『日本の古本屋』のメールマガジンに、中島氏自身が書いた「拙著『岩波茂雄』について」と題する自著紹介が見つかる。そこで中島氏は、安倍能成と小林勇という「身近な二人」が書いた岩波伝について「非常に精度が高く、愛情にあふれています」としつつも、「一読して感じたのは、身近であるがゆえの甘さが、記述に反映されている」という欠点があり、「戦後のパラダイムから岩波を演繹的に見ている側面があるため、岩波の重要な部分が意識的に(もしくは無意識的に)捨象されていることがどうしても気にかかりました」と言っている。彼に言わせれば「これまでは、彼のリベラルな側面ばかりが強調されたため、彼のナショナリストとしての側面は脇に追いやられていました」。一個の統合された「リベラル・ナショナリスト」としての岩波を見ましょうという主張が、ここに提示される。


わたしはまず、この主張の前提に疑問を抱いた。本当にこれまで岩波の「リベラルな側面ばかりが強調」されてきたのであろうか、またそうであったとすれば、それは誰のおかげか、ということである。私見では、少なくとも安倍と小林の手によって、岩波の「リベラルな側面ばかりが強調」されたわけではない。まず安倍の『岩波茂雄傳』であるが、この本では「ナショナリスト」や「ナショナリズム」という言葉そのものではないにせよ、ほぼ同じ意味あいを込めて「愛國」という表現がたびたび使われている。「彼が内に向かつては日本に嚴しい批判をしながら、外に向つて日本を宣傳する煩を厭はぬ愛國者であつた一面」、「まあ彼くらゐ熾烈な愛國者は我々の友人連中にも稀だつたといつてよい。しかし斎藤茂吉や藤原咲平などの素朴な愛國心に比べて、彼の愛國心は世界的、国際的の光に照らされて居たといつてよからう」(強調は引用者)といった記述からは、安倍が率直に「ナショナリスト」として岩波を評価している様が伝わってくるではないか。ただしその「愛國」には「世界的、国際的の光に照らされて居た」といった留保がなされており、こうした「世界的、国際的の光」といった表現からは確かに、岩波の「リベラル」な側面の強調を感じることができるかもしれない(注1)。そうすると、安倍は中島氏の50年以上も前から「岩波はいわゆるリベラル・ナショナリストだった」と主張していたことにもなりそうだが。


また小林勇も、岩波が「リベラル」であったとだけ強調したいのであれば、原敬を暗殺した少年を「えらい」と褒めたという、強烈なエピソードを紹介する必要はなかったであろう。安倍も原の暗殺犯に対する岩波の「同情」を記しているが、「君には到底こんなえらいことはできないだろう」とまで若き店員に語っていたという話は、まさしく『惜礫荘主人』だけのものであり、中島氏もここから引用している。小林の著作は年代記的スタイルで個人的に知りえたことのみを紹介しており、岩波の言葉を聞いた時に自身がどう感じたかについては記していない。それでも、義父である人物の暗部とも取られかねない発言は、個人の思い出にだけ収めておくこともできたはずである。「リベラル」の観点からはマイナスととらえられそうな事柄まで率直に語っていることが、その簡潔な文体と合わせて、語り手としての小林の価値を高めていると言えよう。しかるに、この率直な証言に対する中島氏の考察は、「岩波にとって、財閥や首長を殺害した一連のテロ事件は、ネイション(国民)の苦境を代弁する革新的行動と捉えられ、「えらいこと」と認識されていた」などと、まるで他人事のようだ。こうした岩波の「リベラル・ナショナリズム」のパーソナリティというものは、大変現在の「我々」が自分を省みる上でも示唆するところが大きいと思われるが、そうしたものへの分析をわずか二行で済ましておいて、先人の「身近であるがゆえの甘さ」を指摘できた義理であろうか。


一方で、岩波茂雄の興味深いパーソナリティを描き切るためには、この本は正直紙面が足りていないように思う。かつての『岩波茂雄傳』の本文が500ページを超すのに対し(注2)、中島氏の『岩波茂雄』の本文は250ページ弱と、ほとんど半分である。それゆえ中島氏の著作には、過去の文献ですでに何回も紹介されているような逸話に対して省略がしばしば施されている。しかしそこで捨てられたものの中には、中島氏が主張する岩波の「ナショナリストとしての側面」を取り上げる上で、興味深い情報も含まれているように思われる。たとえば、戦時下の1942年に行われた岩波書店創業30周年のパーティの際に披露された、高村光太郎の作詞による「店歌」の歌詞がそれである。高村が戦時期に書いた詩の残念っぷりについては諸君も御存じであろうが、この「店歌」の一番の出だしは「あめのした 宇〔いへ〕と為す/かのいにしへの みことのり」、すなわち「八紘一宇」のスローガンそのままであり、さらにその二番は「おほきみかど」とともに「五箇条の御誓文」に言及されるものである。現在もこの「店歌」が岩波書店で唄われているとは聞かないが、もし今でも愛唱されているとしても、現在のドイツ国歌のように一番の歌詞は飛ばしているものと思われる(注3)。安倍や小林の著作だけではなく、山崎安雄『岩波茂雄』(時事通信社、1961年)のような古い本もまた、この印象的な歌詞を紹介しているが、それらの本では内容までには踏み込んでいない。中島氏はナショナリズム研究を看板にしているのであるから、こうした材料はスルーせずいくらでもおいしく料理できたのではないか。


中島氏は自著の「あとがき」で、「史料の読み解きは、岩波との格闘であるとともに、安倍との戦いでもあった。〔中略〕そのプロセスで分かったことは、安倍の突出した力量とともに、彼が避けて通った史料の存在だった。安倍が描いた岩波像と、私の描こうとする岩波像が衝突した。時間を超えた無言の討論は、スリリングであった」としている。人がこの部分だけを読めば、いかに若き研究者が最も手強い定説に反論を挑んだことかと思うであろう。しかし中島氏の『岩波茂雄』の中身は、奇妙なことに、安倍が「避けて通った史料」とは具体的に何なのかを、まったく指摘していない。わたしが読む限り、中島氏が使用している岩波書店所蔵の資料のほとんどは、安倍の『岩波茂雄傳』でも何らかの形で使われているとおぼしきものである(そもそもこの本には、安倍と小林の直接的な引用が相当多い)。確かに、安倍の使っていない資料として、ファナティックな右翼イデオローグとして悪名高い蓑田胸喜(「むねき」であり「きょうき」ではない)の著作集(柏書房、2003年、全7巻で22万円という驚異的な価格)や、『岩波茂雄への手紙』(岩波書店、2003年)からの引用があるものの、これらは著者が独自に発見した新資料というわけではない。もちろん、同じ資料を活用していても、着目点やアプローチの違いによって異なる結論が出る可能性はいくらでもある。しかしそれ以前の話として、「安倍はこう言っているが、彼の解釈は……のような理由によって受け入れがたい」といった論証が、この本には一つもないのである。「時間を超えた無言の討論」が読者にとっても「無言」でしかなければ、それは「スリリング」でもなんでもない。「安倍(または小林)が避けている」とされる事柄は、本質的にはすべて『岩波茂雄傳』、あるいは『惜礫荘主人』に書いてあるのだが、それに先回りして「私は先人と戦った!」としておけば、著者は自分のオリジナリティを強調できるらしい。以前わたしは安倍の伝記を「冗長なところがある」と評したが、それはあくまで小林の記述と比較しての話であった。中島氏の著作のスカスカぶりと比較するならば、伝記作家としての「安倍の突出した力量」は一目瞭然である。


満州事変以降の岩波について、中島氏は「明治維新→自由民権運動→政教社と続く明治ナショナリズムによって、昭和の軍国主義的・膨張主義的ナショナリズムを批判するというスタンスを鮮明にした」とし、とりわけ蓑田のそれとの対立を強調している。岩波がナショナリストでありつつ、単純にファシスト的・国粋主義的なそれとは一線を画していたという主張については――安倍の伝記も示唆しているところであるから――とりあえず文句はない。しかし岩波の「明治ナショナリズム」と「昭和の軍国主義的・膨張主義的ナショナリズム」がそんなにスッパリ切り分けられるのか(司馬遼太郎の「明るい明治/暗い昭和初期」論でもあるまいに)という疑問は残る。さらに、蓑田とは対立した岩波がなぜ頭山満のような別の右翼イデオローグに傾倒したのかという、より大きな疑問は相変わらず未解決のままである。「一たい岩波は頭山がこの事變に對して何を志し何を爲したか、を知つて居たのであらうか」、「翌一七年の初夏頭山の米壽の祝宴には、頭山が大井憲太郎や中江篤助(兆民)の如き自由主義者と親善だつたことを、恰も岩波の左右相會して圓卓會議をやれ、といふ主張にかなふものであるかの如くに速斷して、頭山を「左右両翼を超越して天地の大義に生きる國賓的存在」とまで讃美して居るのは首肯しがたい」(強調は引用者)といった、岩波の頭山びいきに対する安倍の強い批判について、安倍との「対決」を公言している中島氏は、その存在自体を黙殺している。


岩波の頭山びいきに劣らず、中島氏の頭山びいきもなかなかのものに感じられる。玄洋社が「西南戦争の敗北によって言論闘争に転じ、自由民権運動を闘った」といった部分は、ほとんど玄洋社が一般的な言論機関であったかのような描き方ではないか。しかしわたしが聞き及んでいる玄洋社とその周辺の活動は、どう考えても「言論闘争」の域を超えている。かの大隈重信の右脚を爆弾テロで吹っ飛ばしたのが玄洋社のメンバーであったことは、早稲田大学の学生でなくても知っている。また、頭山が顧問をつとめた黒竜会は、明治憲法下において相対的に自由民主主義が盛り上がった大正期においてすら、朝日新聞社の記事に難癖をつけて――おや、いつの話?――その社長の拉致襲撃に及んでいる。これらは蓑田の「言論闘争」とは別に罪深い。中島氏は現在の朝日新聞に「クオリティペーパー」としての価値を認めていると聞くが、ただでさえ専制的な大日本帝国の国家機構の別働隊として、そうした「クオリティペーパー」の萌芽を無理矢理抑え込み、言論空間の質を決定的に悪化させたうちの一人が頭山ではなかったか。安倍は頭山について「我々には得體の知れぬ人で、政界人と言つてよいかどうかは知らぬが、政界を動かす陰然たる勢力の中心だつたとはきいて居る」と書いているが、現在の「我々」の多くもこれとまったく同じ認識を抱いていることであろう。そうした理解が全くの誤解であり、玄洋社がガンディー(岩波がその執務室に写真を飾っていた一人である)にならった非暴力・不服従の言論結社にすぎなかったとでも主張したいのなら、必要なのは単なるレトリックではなく、十分に説得的な証明である。しかしそうした説明の代わりにあるのは、「岩波にとって、頭山は思想的に共感できる相手だったのだろう」といった、またしても他人事のような書きぶりである。


(後編へ続く)





(注1):ただし『岩波茂雄傳』を改めて読み直してみると、むしろ安倍は「岩波が自由主義者としてすばらしかった」と積極的に評価しようとしていないのではないか、とすら思わせるところがある。というのは、安倍が岩波の出版業について褒める際には、「眞理」や「正義」を追求しようとしたなどと、繰り返し安倍自身の評価を与えているのに対し、岩波の自由主義について述べる際には「岩波自身も自分はリベラリストでソーシァリストではないといひ、勿論コミュニストではなかつたが」、「彼は前にも述べた如く、自分自身で社會主義者でもなく共産主義者でもなく、自由主義者だといひ」(強調は引用者)といった書き方をしているからである。安倍が「岩波が左翼ではなかった」とはっきり否定する一方、自由主義者かどうかについては遠回しな表現を用いているように見えるのは、いささか不思議な感じがする。


(注2):これは『岩波茂雄傳』の旧版の話であり、新字・新仮名遣いによる「新装版」(2012年)の段組みでは、本文は450頁を下回っている。個人的には旧仮名の方が時代的味わいもあって好みなのだが、現在の読者には当然今の仮名遣いの方が読みやすいだろう。3200円という価格は、旧版の古書市場価格(「日本の古本屋」で検索できる)を考えると随分強気な設定だとは思うものの、写真や人名索引もついてくるので甘受されるべきか。しかしこの新版の存在は、中島氏の著作の意義に対するより強い疑問を呼び起こすものでもある


(注3):岩波書店の「社歌」については、最近の同書店のパンフレット『本と岩波書店の百年』(2013年)にも、岩波、高村、信時潔の三人が写った写真のキャプションの中で、その存在自体には一応触れられている。なお、写真のキャプションでは「信時氏は作曲家で」と余分な説明がされているが、そこまでマイナーな人物ではないだろう。かの「海行かば」を覚えている高齢の岩波書店の読者も、まだ死に絶えていないはずである。




インターナショナルな日本仏教

個人的な話だが、洋書を探す時にはインターネットを通じて注文することが多い。いくら日本のでかい書店に行っても結局たいした量は置いていないし、背表紙のアルファベットのタイトルを読むために首を90度に始終曲げっぱなしにするのが嫌だからである。また、適当なキーワードを色々な国のネット書店の検索エンジンにかけて探すと、思いもよらぬ結果が出て楽しいからでもある。しかしながら昨年末、とあるイタリアの書籍販売サイトを見た時には少なからず驚かされた。真っ先に挙がったタイトルが“Daisaku Ikeda”だったからである。2013年の末に発売されたこの本の著者は、ローマの私立大学「グイード・カルリ記念社会科学研究国際自由大学(通称LUISS)」の教授Antonio La Spinaである。出版社による本の紹介としては、以下のような一文が記されていたが、諸君にもその翻訳を読んでいただきたく思ったので紹介する。なお、〔〕内には引用者による注釈を加えている。


池田大作は、ダライ=ラマやティク・ナット・ハン〔ヴェトナム出身の仏教指導者〕と並ぶ、地球上の仏教界の主要なリーダーの一人であるとともに、社会参加の仏教〔Buddismo impegnato〕の潮流を最も代表する一人である。哲学者であり著述家であるこの人物は、創価学会インターナショナルを通じ、イタリアでは7万人を超え、地球全体では1200万人を超える男女の精神的教師である。彼はミハイル・ゴルバチョフ、ネルソン・マンデラ、ローザ・パークス、アドルフォ・ペレス・エスキベル〔アルゼンチンの平和運動家・芸術家、ノーベル平和賞受賞者〕、アーノルド・トインビー、アウレリオ・ペッチェイ〔イタリアの実業家、「ローマ・クラブ」創設者〕、ジョン・ケネス・ガルブレイスといった、科学界、文化界、政界そして宗教界の重要人物たちと対話を重ねてきた。彼は、第二次世界大戦後のアジア大陸の平和化において決定的な役割を担うとともに、世界で最も平和主義的な憲法の一つを有している、日本の政治にも影響を与えてきた。とりわけ、中国のリーダーであった周恩来と、両国の平和的な議論を促進するため――1974年に――会談した、最初の日本人として知られている。30ヶ国語を超える言語に翻訳されているその著述において、池田は現在の人類が対峙している様々な課題に取り組んでおり、それは非核化から世界政府の実現に向けた諸組織の改革、様々な人権から自然環境の損壊にまでわたっている。日蓮大上人の仏教と創価学会の歴史、日本政治の変遷、彼個人についてしばしば勃発する激しい論争、彼に指導される組織とそれに参加する信者たちを研究した社会科学者たちによって達成された成果を踏まえつつ、アントニオ・ラ=スピーナが、人類と地球の未来にとって重要な問いを投げかけている池田の理念について分析し検討する。



わたしはこの一文を読んで、このラ=スピーナ教授がどんな人物かを知りたくなり、日本語で彼について紹介したり論じたりしている文章がネット上に転がっているか探してみたのだが、ほとんど引っかかってこなかった。日本の創価学会員にとっては、「われらの先生」こと池田大作氏が「世界の賢人」に認められているというふれこみが重要なのであって、彼と語るまたは彼について語る「世界の賢人」の名前が、たとえシルヴィオ・ベルルスコーニになっていてもモニカ・ベルッチになっていてもあまり気にはしないのであろうかと思われたが(注1)、わずかながらイタリア語を解する者としてはその辺りが気になったのであった。


創価学会のイタリア支部――正式には、創価学会インターナショナルに加盟する「イタリア・ソーカガッカイ仏教協会(L'Istituto Buddista Italiano Soka Gakkai)」と名乗っているらしい――のサイトにも、この本の紹介が出ている。この記事では、本の著者が仏教者ではなくカトリック圏に属している(つまり学会員ではない)ことを断りつつも、池田氏の様々な活動が好意的関心をもって見られているとされている。また同じサイトの短信は、今年の1月15日に、ローマで新著出版を記念した著者を囲むトーク・ショーが行われたことを報告している。


ラ=スピーナ教授の書籍は、池田大作氏と創価学会を基本的に肯定的に論じているものと見てよい。創価学会の批判者の中には、「池田を褒めるなど三流の学者の仕業である」(注2)ととらえる向きもあるかもしれないが、周辺情報を調べてみる限り、このラ=スピーナ氏は一定の分野でそれなりに認められた学者であるようだ。この教授の書いた、ないしは編集した書籍の出版元としては、社会科学系の研究や大学用テキストの出版で著名なムリーノ社や、古くはベネデット・クローチェの著作の出版で知られ、現在も広義の「文系」の書籍で高い評価を受けているラテルツァ社のような、イタリアの学術界で「一流」とされている名前が挙がっている。


ただし、ラ=スピーナ氏の著作の題名を見る限り、その専門は公共政策や行政機構の分析、またはイタリア南部におけるマフィアや脱法行為についてである。これらはこれらで重要な問題であろうが、日本の近代政治史や「日蓮大上人」のことを彼が格別に研究している形跡はない。少なくとも、創価学会という存在の日本的文脈を理解しているのかは疑問である。たとえば上述の紹介文では、池田氏が「世界で最も平和主義的な憲法の一つを有している、日本の政治にも影響を与えてきた」とされているが、それではなぜ彼の率いる創価学会を強力な支持母体としている公明党は、そうした憲法の破壊者以外の何物でもない自民党をここ十年以上に渡って補完しているのであろうか? 外国人の見地から、日本に住んでいる非創価学会員の平和主義者、または創価学会員であっても最近の自派の動向を憂えている人が抱いているこうした基本的な疑問に対し、答えてくれる何かを有している本ではとてもなさそうである。


それでは、この教授は何故創価学会に好意的であるかという話になるのだが、両者が接点を持ったのは比較的最近のようである。現在ラ=スピーナ氏はLUISSの教授であるが、そこに移る数年前までの彼はシチリア島のパレルモ大学にポストを得ていた。19世紀初頭成立というそれなりの歴史を持ち(東京大学より古い)、現在も5万人近い登録者を有するこのパレルモ大学が、創価学会の関連機関発の情報によれば、2013年末までに池田氏に名誉学術称号を与えた唯一のイタリアの大学である。池田氏が2007年3月に取得した208番目(今日ではとっくに300番台に到達していることはさておき)の名誉学術称号は「名誉コミュニケーション学博士」とのことだが、イタリアの複数のニュースサイトやブログに、授与式には当時の同大学長Giuseppe Silvestriと一緒に、同じく当時のコミュニケーション学部学部長であったラ=スピーナ氏が参加したことが記されている。その一つに掲載された学長のコメントによれば、この学位授与は「パレルモの平和構築」に益するものとされているが、学長の専門は化学工業である。


こうした記事からはまず、「我々」の文脈を独自に把握するよしもないラ=スピーナ氏たちが、イタリアで活動する「日本仏教」=創価学会サイドからの情報を額面通り受け取り、「科学界、文化界、政界そして宗教界の重要人物たちと対話を重ねてきた」池田氏の勢力について、素朴に信用して書いているという想定ができる。そもそも西側社会の人々による「仏教」へのシンパシーの中には、しばしば「未知なる東洋」に対する奇妙なオリエンタリズムが混在しており、対象に対する検討もろくにしないまま「スピリチュアルな価値」を称賛しているのも多い気がするのだが、これもその一例であろう(注3)。そしてもう一つ、彼らの好意的言及の原因として想定されるのは、日本の「学会ウォッチャー」たちが常に噂しているような、マネーがらみの問題である。つまり研究者個人または研究機関が、創価学会からの何らかの援助や資金を見込んで、彼らがおつきあいとして発言しているという可能性である。この仮定もまた推測の域は出ないが、「我々」にもおなじみの新自由主義的「大学改革」がベルルスコーニ政権時代に進んだ結果、イタリアでも大学への国家支出が大幅に削減されているのは事実である。研究環境の維持は教員、特にその経営に携わる層にとってさらなる頭痛の種になっていることは想像に難くない。LUISSのラ=スピーナ教授の紹介ページ(英語版を挙げておこう)には、欧米の様々な研究機関からの招聘や政府機関の評議員としての参加といった実績もたくさん書きこまれており、彼が牽引的(もしくはボス的/官僚的)研究者として相当の「やり手」であるらしいことは示唆的である。


ところでここまで書いてこなかったのだが、“Daisaku Ikeda”という著作の情報を発見した時、もう一つ驚いたことがある。それは、創価学会に非常に好意的とおぼしきこの本の出版元が、「リウニーティ・インターナショナル」なる名前を名乗っていたことである。「リウニーティ」と言えば、何よりも今はなきイタリア共産党の下、長きにわたってかの国の左翼出版界の中核の一つとなっていた出版社の名前ではなかったか? 1991年にイタリア共産党が解党・分裂して以降、その経営もまた党人の手を離れて「民営化」され、現在ではある出版グループの一ブランドとして存続しているに過ぎなくなったが、かつては『マルクス・エンゲルス全集』や『レーニン全集』のイタリア語版の出版元としての権威を有していた会社である。また、イタリアの創価学会が自身の出版拠点を持っていないわけでもない。彼らは1990年代初頭からエスペリア出版という「広宣流布」の機関を有しており、膨大な量に上る池田氏の著作や創価学会関係の翻訳のみならず、機関誌『仏教と社会』と『新ルネサンス』を発刊し、仏壇や数珠にはじまる仏具も取り扱っている。あの「青雲」まで日本から輸入しているのだから徹底している。


当初わたしは、1953年に生まれたリウニーティ出版(Editori Riuniti)とはまったく関係のないところに、まぎらわしい名前の新しい出版社ができたのかと考えた。リウニーティという名前は、共産党系の二つの出版社が「合同(リウニーティ)」して発足したことに基づいているが、それとは別の「合同出版」(注4)があるのかと思ったのである。しかし2010年に発足した「リウニーティ・インターナショナル出版(Editori Internazionali Riuniti)」は、往年の左翼出版界の雄の後継たることを意識しているようだ。現在の「リウニーティ・インターナショナル出版」の公式サイトの「自己紹介(chi siamo)」においては、歴史的な出版社とのつながりについては特に語られておらず、「ウィキペディア」にもこの辺りの情報は見当たらないものの、例えば「リウニーティ・インターナショナル出版」と提携している電子書籍会社のサイトの紹介によれば、かつてのリウニーティ社の路線を発展継承するために独立したものとして認識されている。


実際、「リウニーティ・インターナショナル」の方の社長を務めているAlessio Aringoliという1978年生まれの人物は、もともとのリウニーティ社の編集者であった。新しい出版社は、国内外の小説やエッセイも出している一方、旧イタリア共産党の多数派の流れをくむ民主党に関係の深い本を出版し、同党の青年組織と連携した「レフト・ウィング」なる雑誌を運営しているのだが、そのような出版社から“Daisaku Ikeda”は世に出された。この出版社の「評論(saggistica)」というシリーズでは、いくつかの歴史書のほかに、アントニオ・グラムシの『獄中ノート』のテーマ別編集版、ウラジミール・イリイチ・レーニンの『国家と革命』、ローザ・ルクセンブルクの書簡集といった、共産主義者のほとんどと社会民主主義者の一部にとってのクラシックをおさえているが、“Daisaku Ikeda”はまさにこのシリーズに収められているのである。同シリーズの宗教指導者に関する本としては、他には現ローマ法王フランシスコ1世についてのノンフィクションがあるだけだ。「地球上の仏教界の主要なリーダーの一人」として、池田氏は堂々とローマ法王に並んでいる!


そういうわけで、何故「リウニーティ・インターナショナル出版」はこの本を売っているのかという疑問が生まれるが、その答えは、ラ=スピーナ教授がこの本を書いた理由とも通ずるものがあると推測される。カトリックを主な宗教とする――現在では国教ではないが、一般的には保守的な影響力を保っている――イタリアという国家において、否定的であれ肯定的であれその指導者を扱うのには厳密さを要するし、出版が与える正負のインパクトも計算に入れなければならないであろうが、仏教については言ってしまえば「遠くの国に立派なことをやっている人がいるらしい」で済むのである。かくして「幸福な誤解」は保たれる。


また、グラムシやレーニンの本が別の出版社からも(しばしばより学術的な注釈つきで)買え、そもそもそうした本は古い家なら両親や祖父母の代から使われている(もしくは誰も読んでないが、それこそ「御本尊」になっている)のとは異なり、目新しい「日本仏教」は新規顧客開拓の分野たりうる。日本の創価学会員の購買動員力の目覚ましさは諸君もご存じの通りだが、「イタリアでは7万人を超え」ている学会員(創価学会のイタリア支部のほうでは、より穏当に「5万人以上」と見積もっている)の力を、イタリアの出版社が当てにしていても不思議ではない。実際、今日現在の出版社のページの「Top Vendite(トップ・セラー)」欄には“Daisaku Ikeda”が入っている。発刊して間もないから、毎月の出版総点数自体がそんなにないからといった、当たり前の理由も考慮されねばなるまい。しかし、この出版社のサイトでは、最新刊を含めたほとんどの本が「サイトからの直接購入により1割引」の値段で提示されているのに対し、“Daisaku Ikeda”は数少ない例外として、この記事のアップ時点では16ユーロの定価そのままで売られている。どうして「日本仏教」の本だけ、強気の商売ができるのかということである。


もちろん、これまでイタリアにおいて、池田氏による著作が創価学会の直接関係する機関以外から出たという例がないわけではない。イタリア最大の出版社として、あらゆるジャンルの本を取り扱っているモンダドーリ出版が、現代の世界の「スピリチュアル思想」を扱うシリーズにおいて、池田氏の書籍を複数出したこともある。しかし、大出版社が「スピリチュアル思想」に商機を求めて池田氏の本を紹介するのと、まがりなりにも往年の「左翼」出版社の看板を背負っている小規模の出版社がそうするのとでは、社会的な意味合いがおのずと異なってくる。ここに嗅ぎ取られるのは、いわゆる「マルクス・レーニン主義」を完全に放擲したかの国の世俗的左派の自信と方向性の喪失の匂い、はるか昔「インターナショナル」な社会(主義)運動を標榜していた人々の末裔が、今では別の「インターナショナル」の財力頼みになっているという皮肉な状況の匂いではあるまいか。ああインターナショナル、彼らがもの。





(注1):念のために書いておくと、この二人は別に創価学会の信奉者ではない。日本人でも知っているイタリア人の中で、最も有名な創価学会の信奉者はおそらくロベルト・バッジョだと思われる。潮出版社から出された『ロベルト・バッジョ自伝』(片野道郎訳、2002年)を開き、いきなり冒頭に「池田先生」への謝辞が飛び出すのに驚いたサッカーファンも多いことであろう。イタリア語に翻訳された池田氏の著作に、彼はしばしば序文を書いている。同じサッカーのヒーローでもディエゴ・マラドーナなどと違い、引退してもダンディな風貌を保っている彼の集客効果は高いことと思われる。


(注2):「アンチ創価学会」は色々なレヴェル・位相のものがあるが、その一番低俗な部分については拒絶されるべきである。たとえば『週刊新潮』が定期的に開催する反創価学会キャンペーン記事は、本質的には「批判」でもなんでもない単なる「下種の極み」に過ぎないものであり、創価学会によるものとされる数々のスキャンダルよりも、結果としてよほど読者の精神を毒することになっている。


(注3):これも念のために書いておくと、わたしは「ダライ=ラマ師やティク師のような偉大な仏教者と、池田のような生臭野郎が同列に語られているのは面妖である」と言いたいのではない。ヴェトナム出身の宗教指導者についてはまったく知るところがないので言及を差し控えるが、少なくともわたしにとって、ダライ=ラマ14世と池田氏は「仏教」独自の聖性を見出しかねるという点で変わりはない、ということである。ラ=スピーナ教授の本の紹介では「社会参加の仏教」なるものに言及がなされているが、両人がその代表だとしたら、それはラテン・アメリカにおけるキリスト教の「解放の神学」などとはまったく異質なものとして認識されねばならないだろう。池田氏とダライ=ラマ14世は、やたらとVIP的人物と面談したがる点で共通しているが、「解放の神学」の指導者たちのうちにそんな性癖が際立った人物がいるとは聞かない。しかもこの性癖に関して言えば、むしろ創価学会のリーダーの方が、チベット仏教界の亡命リーダーよりもまだしも立派だと思えるところすらある。というのも、前者は一応、西側の著名人だけでなく、それこそ周恩来のような東側の要人や、アフリカ諸国の指導者との対面のセッティングを繰り返すことで、「東西/南北対話の実績」をつくってきたのに対し、後者のおつきあいの相手はおそろしく西側人士のみに偏っているように見える。さらに後者の交わりには、ハリウッド・スター的な意味での「セレブ」との付き合いもやたら目立つ。これはいろいろインターネットで図像を検索しても奇妙な取り合わせが出てくるが、個人的には、テノール歌手のルチアーノ・パヴァロッティの追悼写真集にまで彼が登場していたのを数年前に目にしたのが強く記憶に残っている。あの時以来わたしは、ダライ=ラマ14世は「仏教指導者」でも「政治的亡命者」でもなく、彼自身が「セレブ」になりたいだけなのだと確信している。中国当局はダライ=ラマ14世を「アメリカと結び神権体制の復活をもくろんでいる」――かつてのチベットの高位聖職者たちが、近代西欧社会的にはスタンダードである政教分離については鼻もひっかけぬまま、宗教性を背後にした封建的地主としての栄華を楽しんでいたのは否めまい――ものとして攻撃しているわけだが、むしろ当人の方では、単に西欧の社交界でいつまでもちやほやされ続けたいがために「フリー・チベット」なるマントラを唱えている、としか思えないのである。今日の宗教社会学あたりが課題にしなければならない最たるものの一つは「ダライ=ラマ現象」ではないだろうか。


(注4):日本にも「合同出版」という名前の出版社があり、グラムシやパルミーロ・トリアッティの選集で知られたが、イタリアのリウニーティ出版と何か関係があるのかは知らない。ただ、ソ連の経済研究書を創成期の商品としていた出版社が、「ユーロコミュニズム」界隈の書籍の公刊を経て、現在ではそうした看板をほとんどたたみ環境やら健康やらをやたらプッシュしているのを見ると、本家(?)との何かしらの符合は感じさせられる。




野獣どもの「再臨」――Maximilian Forte, “Slouching towards Sirte”を読む(後編)

4) フォート氏によるもう一つの徹底した証明は、「バイアグラによる組織的性的暴行」「空軍によるデモの爆撃」といった、2011年にリビアについて流れた情報が、何から何まで誤っていたという事実についてである。驚くべきことにこうした情報の真偽は、旧政府が打倒された後になっても未だに立証されていない。新政府側に立つ人間は、今なら旧政府の文書庫からいくらでも証拠を提示できるはずなのだが、彼らはそうするそぶりすら見せないのである! しかしより問題なのは、リビアの政変で直接的には砲火を交わさなかった人々の認識の崩壊ぶりである。


メディアにおいては、アルジャジーラ(フォート氏もかつてコメンテーターなどで出演したことがあるという)が典型的で、2003年のイラク戦争における批判的報道で名声を高めた彼らも、結局カタールの利益がかかった際には徹頭徹尾国策放送でしかないことを自ら暴露した。BBCも同様である。『ガーディアン』のような高級紙は、部分部分では重要な事実の指摘を行っていたものの、全体としては未確認「情報」や単純な誤りを提示し続けることによって、むしろNATOの介入を積極化するオピニオンを展開することになった。最初からすべて虚偽なら誰も信用しないが、たまに差し込む事実によって虚偽に真実味を感じさせようとするそのやり口は、わずかな塩を利かせることによって汁粉の甘さを引き立たせるようなものであろうか。日頃からCNNなどは「リベラルな」人々によって、幼稚で反動的な戦争プロパガンダ・マシーンとしてレッテル張りされているが、かのテレビ局をバカにしている人々は、このたびは「インテリ」向けメディアの誤りが見抜けないままだったようだ。彼らに口当たりが良い甘さを与えるよう、高級紙は自身の戦争支援機能を発揮したというわけである。


国際的に著名な人権組織も、無根拠な、もしくは反乱側が提供する情報に一方的に依拠することにより、実質的には内戦の一方に加担してはばからなかった。ヒューマン・ライツ・ウォッチやアムネスティ・インターナショナルなどは、内戦中には旧政府による戦争犯罪による「人権侵害」の証拠の多くを握っていると定期的にアナウンスしていたが、彼らはその立証については全く努力を払わなかった。その結果が、「カダフィの傭兵」として「革命」勢力側にターゲッティングされた、100万人以上の黒人(リビア国民および移民)への攻撃の看過である。わたしが“Slouching towards Sirte”を読んでいてもっとも興醒めさせられた情報の一つは、アムネスティのアメリカ支部が、ヒラリー・クリントンの忠実な部下として知られたSuzanne Nosselを2012年に常任理事に選出するなど、この機関と同国の国務省が露骨な人的つながりを有しているという指摘である。「非政府組織」? 結局Nossel氏はわずか一年余りでアムネスティを離れ、現在ではアメリカPENクラブの委員に就任しているそうだが、彼女にとって「人権」とは華麗なるキャリア・デザインの道具にすぎないようだ。わたしはこれまでこうした国際人権擁護団体を、自由民主主義的イデオロギーの限界を持ちつつも総体としては人類の発展に貢献しているものと勝手に考えてきたのだが、ここまでの露骨な出来レースの存在を確認するに至っては、単なるNATO諸国による謀略機関の一セクションと見なす方が、まだしも適切であるかもしれないと思い知ったことであった。


ツィッターなどのソーシャル・メディアに流布していた、まったく情報源のあいまいな(多くは単純な虚偽ですらあった)情報に対する、「アクティヴィスト」たちの分析能力の欠如にも恐ろしいものがあった。上記のメディアや人権団体と、ソーシャル・メディア(「リビアの反体制」を名乗る人々は、なぜか決まって英語で、西洋諸国から「真実」を語っていたものであるという著者の指摘には大笑した)の間で起こっていたのは、引用のキャッチボールを通じた疑似情報のロンダリングである。確か日本でも、2011年の2月か3月に、リビア大使館にデモをかけた人びとがいたと記憶しているが、現在のリビアについてどう考えているのか、今からでも彼らは見解を示すべきではなかろうか。当時怪情報を流していたアカウントの一つはAli Le Pointeと名乗っていたそうだが、反植民地主義運動を描いた映画『アルジェの戦い』の主人公の名前が「人道主義的介入」の露払いとして用いられたというのは、何ともグロテスクな話であると言わざるを得ない。


5) 一方、インターネット上における熱狂的なカダフィ支持者の中には、ウーゴ・チャベスのようなラテンアメリカの指導者が最後まで同盟者としての恩義を守ったのに対し、南アフリカを含めたアフリカ諸国が次第に沈黙へ向かって行ったことを非難している人々がいたことを、わたしは記憶している。しかしフォート氏は、そもそもアフリカ諸国からの声そのものが誰にも聞かれていないことを強調し、特に終章において、アフリカから示されたリビアへの見解について大きく取り上げている。彼は、アフリカ各国の大衆レヴェルにおけるカダフィ大佐観には深く立ち入ることが難しいと断っているものの、ガーナのレゲエ・グループBlakk Rastaが作曲した歌や、ウガンダの「カダフィ・モスク」における3万人の大集会などから、リビアへの広い同情の存在を示唆している。


リビア戦争後の2012年に行われたアフリカ連合の議長選挙において、クリントン国務長官らと懇意なことで知られ、リビアの一件に際しても親米的言動に終始した前職ジャン・ピン(ガボンの元外相)が、対抗馬のンコサザナ・ドラミニ=ズーマ(ズーマ南アフリカ大統領の元夫人、アフリカ民族会議の幹部)に大差で敗れたことからも分かるように、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国も「カダフィ後」の状況を安穏と見ているわけではない。アフリカ諸国の指導的人物の多くは、大佐のいくつかの側面(主にはそのあまりに長すぎる執政)に留保をつけつつも、前述したような彼のアフリカ全体に対する施策については、全体として肯定していた。ジンバブエの「独裁者」として西側では近年やたらと評判の悪いロバート・ムガベのみならず、南アフリカの前大統領タボ・ムベキ、ナイジェリアの左派政治家で州知事なども務めたバララベ・ムーサ、ガーナで「民政移管」を行った軍人政治家ジェリー・ローリングスらは、いずれもリビアにおける政変とNATO諸国の介入に対して、非難や強い遺憾の意を示しており、今も示し続けている。


こうした指導者たちの憂慮の中でも一番興味深いのは、ウガンダのヨウェリ・ムセヴェニの事例である。1944年生まれのムセヴェニ大統領は、1942年生まれのカダフィ大佐と同世代であるが、この本で紹介されるところによれば、両者の個人的な関係は非常に悪かったらしい。すなわち2008年のアメリカの秘密公電においては、大統領がリビア側による搭乗機の爆破=暗殺を本気で警戒しているとした報告がなされているし、2010年にウガンダで行われたアフリカ連合サミットの際には、大統領と大佐の両者がつかみ合い寸前になったという、一触即発の状況が新聞でも報道されていたそうである。しかしこの大統領が、リビアの内戦が開始されていた2011年3月下旬、アメリカの外交雑誌『フォーリン・ポリシー』の求めに応じて発表した「私がカダフィについて知っていること」という一文においては、当時の西側の情報産業が全力で推し進めていた種の、大佐の怪物化や戯画化にはまったく与していない。


この文章の冒頭でムセヴェニ大統領は、カダフィ大佐の否定的側面として、ウガンダの抑圧的支配者であったイディ・アミンまで支援していたこと、アフリカ連合の建設に際して見せる傲岸な態度、かつての「テロリズム」との関わりを挙げている。しかしムセヴェニ氏は同時に、こうした大佐の誤りは「何であれ、真のナショナリストであったことに由来する」ものとした上で、その歴史的功績も続けて挙げていく。彼によれば、「西洋諸国による石油産出諸国の超搾取」が行われていた状況に異議を申し立て、「1バレルにつき40アメリカ・セント相当」という恐ろしいほどの安値から、わずか数年で「40ドル相当」に石油価格を跳ね上げるきっかけの一つは、権力奪取後から間もないカダフィ大佐による値上げ運動であった。また彼は、リビアの国家基盤を建設しながら海外の軍事基地を撤去したこと、アラブ世界における「穏健な」世俗主義者として、女性の教育や社会進出を進めることで反イスラム原理主義にも積極的であることも、大佐の肯定的側面として数えている。こうした立体的な分析を披歴した指導者は、西側諸国は言うまでもなく、ラテンアメリカにもいなかった。さらに彼はリビアの状況について、警察や軍事施設を攻撃している反対派勢力はすでに平和的な「デモ隊」とは呼びがたいことを指摘し、事態を「武装反乱」として見るべきこと、その鎮静化は必要であるものの、外部からの軍事介入ではなく「中和化する理性的な手段」が必要であると訴えた。そしてアフリカ大陸への干渉そのものを拒否し、「私は西側諸国の姿勢が、独立した精神を持った指導者を嫌悪し、パペットを好むように見えることを理解しかねる」と明言している。正直わたしは、ムセヴェニ大統領の行き届いた歴史性の把握と提言にちょっとした感動すら覚えたのだが、同時に心配にもなった。こうした明言は、カダフィ大佐に続いて、何かしらの形で西側諸国政府の報復を招く可能性があるからである。さらに、彼の「真のナショナリスト」を評価する姿勢は、「国境を超えた連帯」的なフレーズが大好きな種の知的人士の愛顧も期待できないだろう。


6) この本におけるフォート氏の批判のスタイルは、地域のエキスパートとしてでも、前提となる何らかの大理論を用意してのものでもなく、事実関係と流れている情報の妥当性を一つ一つ検証し、5歳の子供でも分かるような論理的結論を提示するという、ノーム・チョムスキー流のそれである。しかし、彼の批判の矛先はそのチョムスキー氏にすら及んでいる。チョムスキー氏が2011年の早い時点で、現実的にはNATO軍の空爆を準備することになった「飛行禁止区域」に賛同していたことについては、まだ留保の余地があるかもしれないが、実に遺憾なことに、彼は2012年初頭に至ってもなおリビアの反乱について「ワンダフル」な「解放」と見なす発言をしているようである。すべてが混乱を極めている。フォート氏の著作にジャン・ブリクモンの名前は出てこないが、ブリクモン氏が理論的な枠組みを提示している「戦争賛成左翼」や「リベラル左派」批判と、フォート氏が自著の結論で罵倒している種の人々への問題意識は、そのまま重なる。


もし我々が行動を起こさなければ、他者の行動に対する責任を負わなくてはならない。我々が行動を起こす時には、自分の行動に何ら責任を負う必要がない。こうしてまた、我々の「行動」は単に、最高の権限を与えられた軍事的エスタブリッシュメントの活動の一部を構成するだけとなるのである。


抽象的な、立派な諸理念のために「行動している」自己というイメージに西側の市民は浸っている。しかし実際には、支配者層の手によって「世論が飼い葉桶につながれた」状況における感情の操作に対し、まったく無抵抗な彼らは、結局「視聴者」としての快楽を享受しているだけである――以下に示すのはフォート氏の言葉ではなく、上記の一文にすぐ続けて引用されたとあるSF小説(日本を舞台にとった)の一節であるが、これは今日「野獣」を構成する要素にしかなっていない「我々」の実相を、奇妙にも表現しているように思う。


視聴者はいじわるで、怠惰で、おそろしく無知で、聖別された温かい神の肉を求める、つねに飢えた生き物。わたしの個人的な想像では、犀の赤ん坊ぐらいのサイズがあり、一週間前のゆでたポテトのような色をして、トピーカ郊外のダブル・ワイド住宅の暗がりにひとり住んでいる。全身は目におおわれ、だらだら汗をかきっぱなし。汗が目に流れこみ、ちくちく沁みる。その生き物には口も生殖器もなく、無言の凶暴な激怒と幼稚な欲望を表現する手段は、宇宙リモコンでチャンネルをパチパチ変えることだけ。それとも、大統領選挙の投票をすることだけ。(注5)


7) 長く書いてきた。フォート氏に不満があるとすれば、堆積する虚偽の数々に対抗するため彼が提示する情報は、時に雪崩のように展開されており、一つ一つ消化するのに相当の労力を要するところであろうか。この疲労は、インターネットで逐次発表されたエッセイが書籍の基礎になっていることに起因する、同じようなフレーズの繰り返しによっても増幅される。分析の性急なところについては、すでにアメリカの社会主義理論誌『マンスリー・レヴュー』における書評が指摘しており、「国家資本主義」「ポピュリスト」的である(とされる)カダフィ大佐の政治の性質や、リビアにおける内的矛盾の増大にも注目すべきであったという意見にも一理あると思う。フォート氏が「急進左派〔leftist〕ではあるが、マルクス主義者ではない」というコメントは、それなりに妥当であろう。しかし現在のところ、フォート氏が指摘しているような、リビアにまつわる偽善の山については何ら言及することがなく、あまつさえ「革命は第一段階から第二段階へ」進んでいるなどと強弁する種の「マルクス主義者」(注6)すら散見される現状を省みれば、彼の愚直な問題提起こそがラディカルなものであり、真に必要であることは明らかである。日本でも一世紀前に「二十世紀之怪物」と表現された「野獣」――すなわち帝国主義が、現在どのような手管を使っており、それにどのように「我々」がやられっぱなしでいるのかを本気で考えたい方には、是非この“Slouching towards Sirte”に挑んでいただきたいと思う次第である。





(注4):かつてチョムスキー氏は1986年のアメリカによるリビア爆撃について「これははなばなしくメディアの舞台にのせられた事件で、歴史上、テレビのゴールデンアワー、つまり全国ネット番組の始まりに時間を合わせて計画された、初めての爆撃であった」と明白に述べていた(「国際テロ――イメージと実体」、アレクサンダー・ジョージ編『西側による国家テロ』、勉誠出版、古川久雄・大木昌訳、2003年)。わたしがこの一文を初めて読んだのは2012年になってのことであったが、2011年以降のチョムスキー氏がこうした明晰さを欠いているらしいことに、フォート氏はいらだちを感じているのであろう。もっとも、大チョムスキーもすでに80才を超えているのであり、彼になんでもかんでも正しいご託宣を求めるという風習そのものも酷な気がする。より警戒されるのは、遠からぬチョムスキー氏の退場後も活動を続けるのは確実な『デモクラシー・ナウ』あたりの動向であろう。「オルタナティヴ」言説を自称しながら、四半世紀前の老師の教訓を生かさず、NATOのリビア攻撃を飾り立てる人々に、何の「オルタナティヴ」を期待せよというのか?


(注5):ウィリアム・ギブスン『あいどる』(浅倉久志訳、角川書店、1997年)。


(注6):フランスを主な拠点とする「マルクス主義者」、というかトロツキー主義者であり、「中東専門家」としても令名高いジルベール・アシュカルの最近の言明。今になってアムネスティ・インターナショナルの一部からは、リビアの「人権状況」が大混乱に陥っていることについてお手上げとでも言わんばかりの発言が漏れているが、こうした中でアシュカル氏が、2011年の時点でなされたリビアの「革命」に対する称賛を変えていないことは感嘆に値する。日本のトロツキー主義者の一派が運営している(と思われる)「かけはし」紙上で、彼の意見を垂れ流すことへの是非について論争が見られないところからすると、日本のトロツキー主義者も同じ意見なのであろう。ところで、わたしが目にした、リビア戦争に批判的な声明をインターネットで出していた世界各国の「共産主義」政党およびグループの多くは、いわゆる「非妥協派」と言うか、ヨシフ・スターリンやソヴィエト連邦の「歴史的功績」を認めうるとするタイプのそれであった。こうした立場は、アシュカル氏の立場からすれば「スターリン主義者」として一刀両断すればおしまいということになるようだ。しかし、かの国の現状を革命の「第二段階」どころではないと弁解もなく後から言い出したマッチポンプ屋的人権主義者や、その種の報告すら意に介していないらしい愚劣な「トロツキー主義者」に、何の価値があるのか? 現世界の状況について強大な影響力を行使しているブルジョワ・ジャーナリズムの提供する主流言説と独立した知的見地から、一定の批判的・論理的アプローチができる「スターリン主義者」が存在するとすれば、その方がよほど客観的価値があるというものである。誰が「歴史の掃き溜め」行きか分かったものではない。



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